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小笠原ふらり一人旅 ページ1


これは、わたしが1998年に小笠原諸島を旅行した時の紀行文であり、写真を織り交ぜた日記でもあります。一般的なガイドにもならないし、情報が盛り沢山というわけでもありませんが、わたしの目に映った小笠原諸島です。興味のある人はのんびりと読んでいってください。小笠原で集めた資料はすべて捨ててきたので何も残っていません。したがって、わたしの記憶だけで記述しますので、内容的には間違いもあることと思います。

小笠原諸島紹介

小笠原諸島は東京から南に約1000kmの位置にあり、行政区分は東京都小笠原村となる。諸島は父島、母島、その他の島々から構成されるが、人が住んでいるのは父島、母島のみ、人口は父島約2000人、母島約400人程度。諸島への唯一の交通機関は五日に一便程度運行されている「おがさわら丸」だけであり、片道25時間30分かかり、料金は2等で2万3000円程度(7月、8月はさらに割高となる)。気候は亜熱帯に属し、紫外線量は東京の30倍、気温は、年間で最低でも20度程度、12月頃までは海で泳ぐことも可能。誕生してから一度も陸と繋がったことがない大洋島であり、貴重な固有種も多い。また、交通が不便なことにより、大規模なリゾート開発も行われておらず、手付かずの自然が多く残されている。島の最大の産業は公共事業。その他の産業は漁業、観光程度。島の周りにはイルカが住み着き、クジラも回遊してくる。このため、ドルフィンスイム、ホエールウォッチングなどが可能。

出港

9月28日、おがさわら丸の出発は10時だ。9時30分に竹芝桟橋に到着する。小笠原には、行こうかどうか迷っていたので、未だに宿を予約していない。小笠原での宿を予約するため、電話をしてみる。なんとか空いているようだ。何事にもタイミングということがある。宿が空いていなければ小笠原には行かないで、東京から日本列島を北上して北海道にでも行ってみるつもりだった。船の乗船券を購入し、搭乗手続きを行う。桟橋には、沢山の荷物を持った里帰りの人々、いかにも観光客らしい格好をした人々が、それぞれにグループを作って待っている。搭乗が始まり、船に乗り込む。長時間乗船する船だけあって、いろいろな設備が揃っている。食堂、スナック、売店、自動販売機、便所、シャワー室、ラウンジ、アーケードゲーム。なるほど、さすがに長時間の乗船に耐えれるようになっているようだ。小笠原の宿が観光客で溢れるピークシーズンにはホテルシップといって、停泊期間中は宿にもなるのだ。2等の客は入り口で番号札をもらい、2等客室に入っていく。ただっ広いカーペット張りの部屋に毛布、枕が縦横に沢山並べられており、その横に番号札が置いてある。1等、特等の船室は遥かに立派だが、値段も遥かに高い。お金が余っていない人は2等を利用するようだ。デッキに登って竹芝桟橋を眺める。これから、25時間もの船旅かと思うと、果てしなく長い旅路のような気がする。

東京湾

船は竹芝桟橋を離れ、東京湾の中を進んでいく、天候は曇りで暗く、雨もぱらぱらと落ちている。埠頭を左右に見ながら、船は進んでいく。海上運送物資陸揚用の桟橋、倉庫、船修理用のドッグ、砂利掘削船などの景色が流れていく。灰色の景色の中で、東京という巨大市場を支えるインフラが物質文明の生み出した虚構のようで、すべてが不気味に見える。どんよりとした空に泥水色の海の色が調和する。おがさわら丸は時速22ノットの快速で、その薄汚れた風景から離れていく。連なる摩天楼が遠ざかり、汚れた海の色が次第に薄れていく。

外洋

船内に入り、しばらくしてのんびりしてから、また甲板に戻る。外洋、海、海、海、どちらを見ても海、どこまで見ても海、果てしなく続く海、360度の水平線。広い海の中では、この船の、このわたしの、なんとちっぽけな存在であることだろう。そういえば、船で外洋に出るのは、これが初めてだった。海の偉大さを前にして、人はなんと無口なことだろう。鉄の固まりは、水飛沫をあげて猛スピードで突進する。深い深い瑠璃色の美しい海に、打ち砕かれる白い波が薄い水色をにじませる。一瞬のうちに現れて、一瞬のうちに消える美しい波模様たち。いつまで見ていても飽きることがない。同じ波模様が永遠に繰り返されているようでも、同じ波模様は二度と現れない。同じことが繰り返されているようでも、同じことは二度と起こらない。人々はデッキに登り、椅子に腰掛けて、憑かれたように海を眺めている。変わることのない風景を、すべてを忘れたかのように、身動きもしないで、ただただ眺めている。海原を切り裂く水飛沫の音が、いつまでも続いている。

天使の梯子

空は曇り、日は差し込んでこない。遠い空、雲の切れ間から降りてくる天使の梯子が、紺碧の海を眩しく照らす。遠くの海だけが金色に輝く。太陽が顔を出せば、キラキラと光る光の道の照り返し。太陽と海が織り成す風景の、なんと美しいことか。

日没

やがて、空は徐々に暗くなっていく。傾いた赤い太陽は、青い海を赤く染める。太陽と雲は絶妙のコンピネーションで空と海を染めてゆく。太陽は次第に弱くなり、空はオレンジ色、ピンク色、そして灰色へと刻々とその色を変えてゆく。やがて、すべてが灰色に包まれる黄昏となる。

夜の支配者

太陽のいなくなった空には、月が登る。月は暗闇に君臨し、海を青白く銀色に染める。何もない漆黒の世界を、光る月と銀色の照り返しが覆う。何とも神秘的な世界だ。やがて、月がいなくなると、空は星たちに支配される。360度の水平線の上に浮かぶ全天の星空。白鳥は飛び、天の川は流れ、その川を隔てて、織り姫と彦星が見つめあう。夜更けにこっそりと現れるオリオンとスバル。毎夜、毎夜、人知れず、繰り返される星たちのさざめき。そんな空を見上げていると、人間の存在がとても小さく感じられてくる。人間は世界を支配しているつもりでいたのに、そんな人間とは関係なく世界は存在しているのだ。我々が見ていようと、見ていまいと、全く関係なく自然の営みは繰り返されている。我々はこの自然というゲームの一参加者にすぎないのだ。


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