屋久島の森 ページ1


これは、わたしが1999年に屋久島を旅行した時の紀行文であり、写真を織り交ぜた日記でもあります。興味のある人はのんびりと読んでいってください。

屋久島紹介

鹿児島県の南に浮かぶ周囲132km、面積500km2の山岳地形の島。島の総面積の9割は森林。中央部には九州最高峰1,935mの宮之浦岳などをはじめ、峻嶮な峰峰が並ぶ。海岸線から山頂までの標高差の中に異なった植物帯(植物の垂直分布)が存在しており、1993年12月に日本初のユネスコの世界自然遺産に登録されている。杉原生林があり、推定樹齢7,200年の縄文杉は特に有名。「ひと月に35日雨が降る」と言われ、山間部の年間降水量は8,000mmにも及ぶ。最近では、映画「もののけ姫」の森のイメージの原形となったことでも有名。情報は平成11年4月現在のもの。

出発

屋久島に行こう。そう思い立ったものの、情報がない。必要なものは宿泊場所と交通手段だ。インターネットで検索してみると、幾つか見つけることができた。取り合えず、それをプリントアウトし、わたしは旅に出た。屋久島に行く交通手段は鹿児島経由の航空機、高速船、一般フェリー船の三種類のようだ。わたしは、鹿児島に前泊して一般フェリーで屋久島に向かうことにした。鹿児島で屋久島での宿の予約を済ませる。明日のフェリーの出発時間は早い。今日のうちに、フェリー乗り場を下見しておこう。既に停泊している「フェリー屋久島2」の向こうに桜島が噴煙をあげている。

翌日、朝早くからホテルを抜け出し、フェリー乗り場に向かった。チケットを購入し出発の時間が来るのを待つ。出発時間が近くなると、あちらでも、こちらでも万歳三唱が聞こえてくる。季節は春、移動、転勤の時期だ。港では、多くの人が集まって新任の地に赴く人を見送っている。船からは色とりどりの紙テープが降ろされている。万歳三唱は、間隔を置いて何度も繰り返される。面白いもので、何度でも何度でも万歳三唱するものらしい。いや、そうしたくなる気持ちは良くわかる。ぎりぎりになって、船に乗り込み出港と共に断ち切られていく紙テープを眺める。こんな旅の始まりも悪くはない。

船が港を離れたら、さっそく船内の探検を始めることにした。乗車時間は約4時間だが、その割に設備はしっかりしている。ラウンジ、喫茶店、トイレ、シャワー、映画上映ホールまであるようだ。常連客と見られる人々は、すぐに二等船室に陣取り、毛布を広げて寝始めている。船旅は寝るのが一番楽だ。昼をすぎた頃、屋久島が見えてきた。雨模様の中、雲と霧に霞む屋久島の姿は少し神秘的にも見える。

宮之浦

宮之浦港についた。小雨の中、人々は出迎えの人々と共に消えていく。旅の基本は情報。とりあえず、港で観光情報を物色した。宿には、夜までに入れば良い。バスもまだ何本かはあるだろう。バス停で時間をチェックしてみる。通り掛かりのバスの運ちゃんが、「もう出たよ、しばらくないよ」と声をかける。観光情報を物色している間にバスは出た模様で、次は二時間半後のようだ。とりあえず、宮之浦を歩いてみよう。先程仕入れた観光ガイドを見ながら歩いてみる。ウィルソン株模型なるものに行って見た。ホテルの敷地の一角と思しき場所に、コンクリート造りのウィンルソン株がある。ウィルソン株というのは、植物の調査に訪れていたウィルソン博士が大正3年に発見して世界に紹介し、屋久島を有名にしたという由緒ある切り株である。樹齢3,000年、根回り32mらしい。豊臣秀吉が寺建立のために切らせた巨大杉の切り株ということである。中は空洞になっていて、ウィルソン博士も雨宿りをしたらしい。間近に寄って見ると、確かに巨大であるが、コンクリート造りの切り株というのは少し気持ちが悪い。その場所は高台になっていて、遠くには屋久島の海岸線を見下ろすこともできる。久しぶりに見るきれいな海岸線だ。

さらに歩いていくと、明らかに観光客を対象としているであろう奇抜な建築物が現れた。屋久島環境文化村センターである。喫茶店もあるようなので、昼食とすることにしよう。喫茶店で出てきた水を飲む。うまい。水道水がこんなにうまいとは、さすがに屋久島である。もともと、わたしが屋久島を最初に知ったのは、数年前にどこかで買った「屋久島の縄文水」というミネラルウォーターが最初であった。軟水が好きなわたしには、その水のおいしさは長らく忘れることのできない味であった。屋久島がわたしの記憶に深く刻み込まれたのは、この水の味によってなのだ。そう、まさに屋久島に来たのだと実感する瞬間である。食事を済ますと、展示ホールで上映が始まるというアナウンスが流れている。さっそく、行って見ることにした。屋久島の自然を紹介する映像が流れる。20mx14mの巨大スクリーンに映し出される映像が圧巻である。これだけ巨大なスクリーンは都会でも、そうそう見ることはできないだろう。映像は、下手に自分で山を歩き回るよりも、遥かに感動的な視点と解説で屋久島の自然を見せてくれるようだ。

映像を見終わったら、展示ホールを歩いてみる。島の模型があり、屋久島の生態系の説明などがある。公営なのかどうなのかは知らないが、かなり金のかかった立派な造りである。ゆっくり見ているとコンパニオンの女性が話し掛けてくる。どこから来たのか、どこを観光するのかなどと話をする。この島には気さくな人が多いようだ。しかし、彼女は島外から移住してきたと言う。この島の自然に惹かれてかと聞くと、笑ってそうですと答えた。

案内カウンターで近くのバス停留所を聞いてみた。親切に教えてくれた上に、時刻表までくれた。よく見ると、途中で仕入れた観光パンフレットと時刻が違う。ここで、聞いていなかったら、バスを乗り過ごすことになったかも知れない。今回は特に、タイミングが良いようだ。少し時間があるので、パンフレットにある益救神社を探してみるがみつからない。戎様の祭ってある小さな祠があった。まさか。。。これが神社だろうか、と不思議に思いつつ柏手を打つ。

屋久島の宿

宿は宮之浦からみると、島の反対側にある。バスに乗って約1時間程度かかる。時刻を少し遅れてやってきたバスに乗り込んだ。このバスの運ちゃんは妙に神経質のようだ。ちょっと姿勢の悪い者かあれば、「危ないからそんな格好はしないでください」と間髪をいれずに注意している。小学生が料金箱に一円玉を入れたといって叱っている。雨カバーをつけているバックパックを背負った青年には、バッグの大きさが見えないのでカバーを取るようにと言っている。後で聞いた話だが、このバスでは荷物の大きな人からは、荷物代金を取るらしい。そして、途中の中継所では、料金箱の交換のために5分程停車する。客本意のサービスからは程遠いが、島唯一の公共交通機関だから、何でもありなのだろう。そして、何故か幹線道路を離れて、高台にある立派なホテルまで寄り道をする。このときは、バスがどうしてそんな遠回りをするのか理解できなかったが、後で聞いたところによると、このバスも、ホテルも、高速船も同じグループが経営しているらしい。聞くところによると、このグループは鹿児島県を牛耳っているらしい。このホテルがボーリングで温泉を掘ったおかげで、他の温泉の出が悪くなったと島民は陰口を叩いているなど、田舎にはありがちの噂話も、島内ではよく耳にした。

停留所で降り、宿まで歩く。常緑の山から緑の気配が漂ってくる。ここまでくると、すでに気が違うことがわかる。波の音が聞こえ、海が見える。屋久島では、だいたいどこにいても、山が見え、海が見下ろせる。海が近いにもかかわらず、潮の香りではなく、緑の香りがするところが、この島の特徴だろうか。

宿について、明日からの観光予定をいろいろと考えてみる。考えれば、考えるほど、この島では自前の交通手段がなければ、どうにもならないこと良く分かる。レンタカーでも借りなければ、まともに移動はできそうにない。どうしたものかと考えていると、この宿では明日から開始するエコツアーがあるという。そのツアーなら、宿から送り迎えをしてくれるのだそうだ。今日、たまたま宿に泊まり、何故か明日からツアーは開始されるのである。出来すぎである。そのツアーに参加することにした。エコツアーとは、ガイドの説明を聞きながら、ゆっくりと自然を見てまわるツアーのことであり、屋久島では二つくらいの組織が実施しているらしい。

夜、食事が終わって泊まりあわせた客と島の観光について雑談していると、宿の主人が出てきた。なんでも、主人は江戸っ子らしい。定年退職して、宿でも始めようと思い、屋久島に移り住んできたのだという。宿は立派な石垣の上に立ち、庭も造形が見事である。内装は木目を基調とした造りで、目に見える部分にはほとんど木材が使われている。なかなかの造りで、主人のこだわりを感じることができる。屋久島の中でも便利な地とは言えないが、温泉が近いのでここに宿を立てたのだという。田舎町には、そこに住んでみなければわからない、雑多なことがあるものだが、そんな話を面白可笑しく話してくれる。


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