名字帯刀御免
by 中村 健播州福本藩
川口屋丸尾太右衛門神崎郡神崎町市川町 粟賀藩神崎郡史・神崎町史・市川町史物語
播州福本藩川口屋太右衛門
いまの兵庫県
神崎郡神崎町および市川町の区域に、幕末、鳥取池田侯
城に代わるべき陣屋が
旧粟賀村福本にあったため、福本藩または粟賀藩版籍奉還のときは、いちはやく奉還を申し入れたが、万石以下では旧藩
ところが何分にも殿様に信用がない。
ときは文政五年、「銀五匁」から「銭壱分」に至るまで、計8種類すべての
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発行者として「備前屋金兵衛」と、「川口屋太右衛門」の なまえが印刷され、両者が捺印している。 つまり、表向きはこの二人の私幣という事になっていて、 藩庁や藩主のなまえは印刷されていない。 殿様とか、 藩庁に責任はないことになってい、これは他のどこの藩の 藩札も同じ形式で、かならずしも福本藩だけがずる賢いと いうわけではない。 こうした場合の藩札名義人のことを、 「銀貸し」とよぶ。 (写真は、「銀5匁預」と印刷された福本藩札。) |
「銀」という硬貨を貸す代わりに、「銀何匁」と明記した兌
換紙幣を印刷して藩に貸すわけだから、「銀貸し」である。
当然のこと、殿様は「銀貸し」に頭があがらない。 どこの
藩札でも、発行した藩以外には通用させてはならない、
という厳しいお達しが出るがそれでは不便で、近隣の藩
にも通用させるのが公然の秘密であった。
筆者の祖母(川口屋丸尾本家の北隣に軒をならべていた
「北丸尾」の次女、長女は川口屋11代の妻女)の話では、
福本藩札は信用が薄く、姫路で十文のものが、この藩札
では六文にしか通らなかったとのことである。 いまなら
フィリピンペソが安くなった、というようなものである。
藩札発行の翌年、つまり文政六年未年の暮れも迫った十
二月、川口屋太右衛門こと福渡村吉兵衛〔吉平〕に、藩庁
から文書による有難いお達しがあった。
その方儀 御勝手方御用向き
之を御免 仰せ付け候
文政五年八月と表に印刷された福本藩札は、名塩紙の手配から始まる
から、実際に流通しはじめたのは、おそらく文政六年で、つまりこの年に
藩札発行の反対給付として、福渡村の吉兵衛、つまり後の丸尾太右衛
門朝定に藩主池田氏が、ふところの痛まぬお礼をしたというわけだろう。
名字帯刀の話などはあちこちでよく聞くが、実際にこうした「お墨付き」
という現物証拠が見られるのは、郷土史家の間でも、どちらかといえば珍
しい。
このとき併せて、殿様から「御紋付 御小袖 一」を拝領した。
それを着込み、大刀を前に置いた画像が残されている。着用した着物は
丸尾家の定紋「三つ鱗」であるにもかかわらず、裃が池田氏の「揚羽蝶」
紋になっているところから察するに、拝領した御紋付とは裃のことらしい。
現存する「川口屋文書」には、ほかにも次のようなものがある。
覚え
一、金 百六十両也
右は江戸
御屋敷御類焼に付き 御普請
に之を献上致し 即ち御用弁に
相成り候もの也
天保十二辛丑年 御奉行
安田紋太
多田半右衛門
丸尾太右衛門殿
江戸藩屋敷が類焼し、再建資金に困ったものと見える。当時、福本藩池田氏の
江戸藩邸は芝愛宕下にあったが、この160両で、交替寄合格の準大名屋敷が建
ったらしい。それにしてもこの文書、標準的なお家流(青蓮院流)とはいえ、
見事に躍動していて、祐筆の書く楽しさが満ち溢れている。お家流は公用書体だ
が、それなりにカリグラフィー(装飾文字)としての面白さがある。
明治新政府になって「お家流」は強制的に廃止され、新政府の公用文字として別
の書体が模索されたらしい。維新の川口屋当主丸尾浅七が、飾磨県第拾大区第二
小区17カ村の「地券掛付属」を拝命したときの辞令(上図右側)があるが、それは、
「地券掛り」の「掛」の字が、いまどき珍しい略字<挂>になっていたりして、
中国の簡体文字や、戦後日本のかな文字運動を彷彿とさせる。両者を比較されたい。
なお、「掛」と「挂」は、もともと同義文字。

心掛け御用弁厚く相□□致
出精し候条御満足遊ばされ
就ては旧家之儀もあり
従来之功分も
思し召され依って親吉兵衛通り
この度間御小姓格
仰せ付けられ候
右之段 仰せ出され候也
天保十二年辛丑年 多田半右衛門
安田紋太
(天保12年、9代太右衛門別家創設。 次男浅七が襲名と同時に小姓格、
つまり侍分にしてもらった。)
申し渡し覚え
其の方儀御勝手方御用
駕籠お供の費用として二人扶持の給料
を 出す、とのこと。壱人扶持は1日当たり米5合だから、ここでは下男の給料として1日米1升
ずつ下さる、というわけ。おカネを寄付してくれた銀主方に僅かな給料を
渡すというのもヘンだが、だからといって給料も決めない召抱えも不自然。
お伴の駕籠代、つまり、「車馬賃」という名目で二人扶持を出すというわけ。
近年発見された、別家初代丸尾太治平朝孝(8代太右衛門朝定の長男)
戦前われわれが「隠居」とよび、そこはかって
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