「この子はしょっちゅう耳が感染しているのに、本当に泣くことはないのです。耳が痛いとき、たいていの子がどれほど泣き叫ぶかご存じ? たぶん、この子は痛みに慣れてしまったんです」――コニー・ハドソン


 外からは、ダレル&シャナ・クラークの家に侵入した不幸は見えない。サン・アントニオ地区の慎ましやかな一角にあって、犬小屋とプールがある家は、幸福を追い求める聖地――農場型のよき生活の象徴だ。ダレルは70万人の合衆国兵士とともに、4年前、ペルシャ湾で戦った。

 家の中では、不幸はすぐに姿を現す。それはクラーク家の3歳になる娘、ケネディの体に住み着いていた。

 土曜日の午後、ダレルとシャナはパネル張りのリビングルームにやってくる。二人は二十代半ば、健康で日焼けしているが、その目は年老いている。ケネディはまわりでよちよち歩き、写真を撮るまねをする。そのおもちゃのカメラを下ろすと、悪魔の焼き印が見えるだろう。その顔はグロテスクに膨れ、赤く盛り上がったこぶが点在しているのだ。

 ケネディは甲状腺がない状態で生まれた。もし毎日ホルモン治療をしなければ死んでしまうだろう。しかし、その容貌を醜くしているのは、別の先天的な条件、すなわち血管のもつれによってできた良性腫瘍、ヘマンジオマスである。生後数週間のころから、その腫瘍はあちこちに飛び出している――まぶたや唇、のどの中や脊髄管の中に。レーザー手術で縮んでも、腫瘍は何度も何度も戻ってくる。腫瘍のために話す能力はゆがめられ、生命は脅かされ、そして、必然的に知らない人からじろじろみられてしまう。シャナは言う。

「この子を見た人は『ああ、赤ちゃんに何が起こったの?』と言うんです」

 シャナも夫も、その質問にははっきりと答えられないが、ケネディの障害は、ダレルが陸軍の落下傘兵として従軍した湾岸に原因があるのではないかと疑っている。砂漠の盾・砂漠の嵐作戦の間、ダレルは周囲の危険を怖れるような精神状態にあった。およそ4万5000人の仲間と同様、ダレルにも徴候――かれの場合は喘息と、肺炎の再発――が現われているが、これは「湾岸戦争症候群」として知られるぼんやりした苦悩に関連するものだ。そして、見たところ健康そうな者もいる湾岸戦争復員兵のなかには、先天的に障害を持った子供の父親となる者が増えており、ダレルもそうであった。

 研究者たちは、帰還兵たちが不思議な病気を大量報告した1991年後半から、湾岸戦争症候群を調査している。結論が出るのは遅かった。昨年(1994年)6月、連邦防疫センター(CDC)は、湾岸復員兵は多数の不快感――湿疹から失禁に至るまで、脱毛から記憶喪失まで、慢性消化不良から慢性胃痛まで――に異常に影響されやすい、ということを確認した。しかし、8月、国防総省の研究では、復員兵もその家族も、何ら「新しい、あるいは特別な病気」の徴候を示してはいないと断定したのである。復員兵の支持者たちはその結論に反論した。たとえば全米科学アカデミーの医学会では、レポートで「論拠は……きちんと説明できていない」と公言している。そして、湾岸の復員兵の子どもが先天的に問題を抱えているという特別な傾向があるという確実な証拠は、今のところまだないのだが、障害のパターンからは、偶然だけでは起こりそうにない傾向が浮かび上がり始めている。

 昨年(1994年)、LIFEはこういった子供たちの状態について、独自の調査を行なった。合衆国の政策が子供たちを危険にさらしているのではないか、そして国家は子供たちとその家族に対してもっと対処すべきであったのではないかを調べたのである。私たちは、何人かの科学者や復員兵が主張するように、軍隊自身の調査に大きな欠陥があったかどうかをはっきりさせることも目指した。

 この国の志願兵軍隊――市民の貢献意欲、すなわち信頼に依拠している制度――の未来は、このような疑問への回答次第であろう。確かに、兵士は義務の延長として、もし必要ならば自分の健康が損なわれることも予期しているだろう。しかし、だれも兵士の子供にはそんなことを予期していないのである。

ジェイス
姉のエイミーと一緒に
凧を揚げるとき、
ジェイスは
強烈な決意を示す。
「あの子は
問題を解決する子なんだ」
と父親のポールは言う。
ジェイスは
1950年代のサリドマイド児と
よく似た症候群に
冒されている。
しかし、母親のコニーは
何の薬も服用していなかった。

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