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見間違えるはずがない。人ごみの中、うずもれてしまっていてもおかしくはない。しかし、リシャにはそれがカールスであるとすぐにわかった。あの見事なまでの銀髪はカールス以外にありえない。リシャは小さく舌打ちをして踵を返した。
リシャは夜に生きる盗賊である。とはいえ、昼間に行動しないわけではない。太陽の光というものは、嫌いではないのだ。その太陽の光に導かれて、城下町へ赴いて……その先でカールスの姿を見つけた。
今、カールスには会いたくも無い。もともと貴族と呼ばれる人種の事は好きになれないのだ。自分達は一般人とは違うのだ……と、高圧的な態度で接してくる。カールスからは、高圧的な態度を感じなかったが、彼も結局は貴族なのだ。
もう一度舌打ちをして、リシャは路地に足を踏み入れる。自分はカールスと違ってどこにでもある黒髪だ。隠れなくてもカールスは自分の姿になんて気がつかなかっただろう。ふと考えて、リシャは苦笑した。カールスの姿を見て、つい隠れてしまったのは、自分がカールスを必要以上に気にしているのかもしれない。
――雰囲気が頭領様に似ていた……。
幼い頃、自分を抱き上げてくれたリゼットの頭領とよく似ていた。どこが……と訊かれると迷ってしまうのだが。リゼットの頭領はカールス程整った美貌を持ってはいなかったように思うし、もっと優しい言葉をかけてくれていたようにも思う。しかし、カールスの魅力的な笑顔と、顔もろくに覚えていない頭領がダブるのだ。
リシャは両手を両頬にあてた。心なしか、顔が熱い。
と、目の前に影が出来て、リシャは恐る恐る顔を上げた。魅力的な美貌がそこにある。
「やっぱり君か」
「……」
たっぷり五秒、リシャは言葉をなくした。目の前に立つ男性が誰なのか、頭が考える事を拒否したのだ。男性はからかうような笑みを口元に浮かべて、リシャを見下ろす。
「姿を隠したつもりかもしれないが、気配を消していないのなら意味がないよ」
「どうして、お前がここに居るんだ!」
「カールス」
男性は、とたんに憮然とした表情を浮かべ、リシャを睨みつける。顔中に疑問符を貼り付けたリシャに、カールスはもう一度言った。
「カールス、だ」
「カールスって……いいからっ!質問に答えろ!」
カールスはひょいと肩をすくめ、思慮深げに顎に右手を添えた。やがて、何かいい案でも思い浮かんだのか、リシャの肩を軽く掴む。口元には意地の悪い笑みが浮かんでいた。呆然とするリシャの瞳に、アップのカールスの顔が近付いてくる。しばらく、リシャの思考が停止した。
……今、自分の唇にあたったものは……考える必要もなく……。
「これが答え」
しれっと答えるカールスを、リシャは怒りの為に顔を真っ赤にして睨みつける。罵声の一つでも投げつけてやりたいのだが、口から言葉が出てこない。
「馬鹿野郎!」
かろうじて出てきたのは、その言葉だけで。振りかぶった右手も、カールスの左頬にあたる直前で止められて、リシャの怒りは行き場をなくす。しばらく金魚のようにぱくぱくと口を開いて、リシャは人差し指をにやついた笑みを浮かべているカールスに向けた。
「絶対に、お前のとこから盗んでやる!」
少し間があって、カールスは優しい笑みをリシャに向ける。
「うん、待ってる」
その答えにリシャはますます顔を赤らめ、カールスに背を向けた、これ以上何を言っても無駄だ。そう判断して、リシャは城下町の人波に身を投じた。
リシャの背中を見送って、カールスは思わず微笑した。前回会った時は、ただ面白い子だと思った。そして、今日、路地に入り込むリシャをたまたま見かけて、話をしたいと追いかけたのだ。自覚はなかったが、やはり惹かれていたらしい。
キスまでするつもりではなかったのだが……。
「やっぱり惚れているんじゃないか」
カールスは振り返り、チャルに微笑を向けた。
「いつから、いたんだ?」
「ほぼ最初の方から」
という事は、カールスがリシャにキスをしたところも見ていたわけだ。なんとなく気恥ずかしくなって、カールスは頭を掻いた。だったら声をかけてくれたらよかったのに、と呟くカールスに、うらまれるのは嫌だ、と返しながら、チャルは人波に目を向けた。
「凄い人だな」
「王国祭が近いから……」
カールスも人波に目を向ける。城下に住むカールスでさえ、ここまで凄い人波を見るのは久しぶりだ。あまり屋敷の外に出ないので、見ていないだけかもしれないのだが。
「それはそうと……私は盗むよ」
唐突なカールスの宣言に、チャルは目をぱちくりさせカールスの様子を窺うようにカールスの顔を見詰める。
「いつもの盗みではなくて……?……まさか、リシャのハートを盗む、とかそういうべたべたなもんじゃないだろうな」
「ハート?そんなものじゃない。私は彼女から全てを盗むのさ。彼女の人生、すらね」
その言葉に、チャルの呆れたようなため息が響く。おそらく、チャルはリシャに同情しているのだろう。カールスは一体以上本当に実行する男だ。時折見せるカールスの強引さに、リシャでは勝つことが出来ないだろう。
「ところで……チャル、何か用か?まさか、覗きだけの為にきたわけではないのだろう?」
カールスは呆れた笑みを浮かべるチャルに苦笑を向けて、考え込むように右手を口元に添えた。
表向き、リゼット盗賊団の頭領代理を務めているチャルは、カールスの屋敷以外の場所でカールスと会うことは皆無といっていい程ない。リゼット盗賊団の頭領でありながら、しかし同時にリブレス伯爵でもあるカールスと馴れ合っているのは、確かに問題であろう。
それがわかっているから、カールスは問う。チャルは真顔になって、懐から白い封筒を出した。
「国王陛下からの勅命」
チャルが差し出した白い封筒を受け取り、カールスは眉をひそめる。国王からの勅命は、いつもこういう形で渡される。それは、公式的なもので使われる封筒ではない。何のマークもついていないそれは、全てが秘密裏に行われる仕事である証。
震える指先で封筒から一枚の紙を取り出し、カールスは文字を目で追う。いつものように、ただ簡潔に命令が書かれている、いつもと同じ命令書。しかし、最後まで目を通して、カールスは命令書を握りつぶし、深くため息をついた。
いつもと違う反応にとまどったのか、チャルがカールスに声をかける。しかし、カールスはただかぶりを振った。命令書を握り締めたまま、壁に体を預け、髪をかきあげる。
「これは、間違いなく陛下からなんだろうね」
それは問いではなく、確認。答えがイエスであるとわかっていて、それでもカールスは訊かずには居られなかった。
「ああ、いつものじじい――陛下の使者殿が持ってきた」
チャルの答えを聞くと、何故か笑えてきた。その命令に逆らいたくて、けれど逆らえなくて、つらいはずなのに笑えてきたのだ。
結局、自分は国王の犬なのだ――リシャが言ったように。いや、犬のほうがほえる事を知っている分、まだましなのかもしれない。嫌だ、と口に出す事が出来ないカールスは、犬以下なのだろうか。
「カールス、ターゲットは……誰なんだ?」
チャルの声が弱弱しい。カールスは息をつき、チャルを上目遣いに見上げる。口の中が乾いていた。
「チャル、リゼットを動かす。……ターゲットは……ルトア伯爵だ……」
チャルの顔が見れなくて、カールスは俯いて呟く。声がかすれていた。
「ルトアって……。おい、カールス!ルトアといえばっ!」
カールスは手でチャルの言葉をさえぎり、声を立てて笑う。
「そう、私の大切な叔父上。たった一人の叔父上だよ」
どうして笑いがこぼれてくるのか、何に対して笑っているのか……カールス本人にもわからなかった。涙のかわりにこぼれたのが、笑いだったのだ。
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