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「ちっとも恋人同士のような気がしない」
紅茶をすすりながら、カールスが憮然とした表情で呟いた。同じく、食後の紅茶をすすっていたチャルは、親友カールスの突然の言葉に思わず紅茶を運ぶ手を止める。
「こういうのを世間では恋人と呼ぶと思う?」
ようやく、カールスの言葉の意味に気が付いて、チャルは再び紅茶を運びながら、適当に相槌を打った。
「ああ、カールスとリシャの関係ね」
確かに、傍目から見ても、カールスとリシャでは恋人同士という関係には見えない。それなりに気の合う友人同士が、適当に時間を潰しているようにしか見えないのだ。
もっとも、リシャもカールスも本気の恋愛経験というものがほとんどないのだから、少々ちぐはぐでも仕方がないとは思う。そもそも、恋愛とは不確かなものなのだから、これ、といった確かな答えがあるものではない。
「立派な恋人同士かな?」
「まあ……気持ちの面ではそうなんじゃないのか?」
カールスは疑い様もなく、リシャの事をかなり気に入っているのだろう。それは、きっと恋と呼んでも間違いではない。だとすればチャルの知る限りでは、カールスにとって初恋である。少々焦りを感じるのは、その為なのだろう。
リシャの気持ちはわからないが、少なくともカールスを嫌っている様子はない。それどころか、リシャが毛嫌いしている貴族のカールスと和やかに会話を楽しんでいる節さえ見せるのだから、相当なものだろう。
チャルは紅茶を飲み干して、上目遣いにカールスを見上げた。
「で、何が不満なわけ?」
チャルでさえ気をつけなければ分からない程、マイナスの感情をほとんど見せないカールスが明らかに不機嫌な顔をしている。滅多にない事に、内心面白がりながらも、チャルは静かに尋ねた。
「不満なわけじゃない。……考えてるだけだよ」
カールスは苦笑を浮かべた。何かを含んだ笑みだ。
チャルは、カールスの考えとやらに悪寒を感じた。聞きたい……けれど聞きたくない。大体、常人からはかけ離れているカールスの考えていることだ。ろくなものではないに違いない。
「リシャって可愛いんだよ」
「そりゃあ、カールスの恋人だからな」
恋は盲目というし……、という言葉は飲み込んで、何の脈略もないカールスの発言に同意を示す。カールスは邪気のない笑みをカールスに向けた。
「だから、いっその事、ここで一緒に住めばなんとかなるんじゃないかと思って」
「それって……つまり……同棲って事……ですか?」
驚きのあまり、思わず敬語になってしまったチャルに、カールスは心外だといわんばかりにかぶりを振った。
「チャルだってここに住んでいるのだし、同棲じゃなくて同居だよ。同居」
チャルは内心首を傾げる。同居と同棲、言葉が違うだけで、言っている意味は同じなのではないだろうか。
「大体、リシャを得体の知れない人間達と一緒に暮らさせてるわけにはいかないだろ?」
「得体の知れないって……」
チャルは思わず苦笑を浮かべた。
カールスの言う、得体の知れない人間というのはリゼット盗賊団の事である。基本的に、リゼットの盗賊団は彼らのアジトに共同で暮らす。それは、リシャとて例外ではなく、その例に当てはまらないのは頭領であるカールスと副頭領であるチャルぐらいのものだろう。
「その得体の知れない人間の筆頭がお前じゃないか」
「私は別格」
しれっと答えるカールスにチャルは脱力した。
カールスがこういう人間であることはわかっていたのだが、改めて素晴らしい性格の持ち主であると理解する。結局、育ちが育ちだけあって、どこか普通ではないのだ。――それを理解してしまう自分も含めて。
「はいはい、同居ね。同居」
それ以上話を続けるのも不毛だ。仕方がないと、チャルは話をリシャとの同居話に戻す事にした。
確かにかなり無茶苦茶な話とはいえ、カールスの家にリシャが同居するとなれば、自然に二人の間の距離も狭まるだろう。何しろ、一日中顔を合わせることになるのだから。
リシャが同居をするにあたって、カールス側の問題は一切ない。大きな屋敷には、使わない部屋が有り余っているのだし、使用人のほとんどいない屋敷なのだから、誰かに許可を取る必要は感じられない。
唯一にして最大の問題点は、同居話をリシャが受け入れているのか、なのだが。
「で、リシャには?」
「まだ言ってない」
予想通りの答えが返ってきて、チャルは嘆息した。とはいえ、カールスはリシャに断られる事など考えていないに違いない。もしリシャが嫌だ、と答えたとしても、あの手この手で丸め込め、結局はリシャの賛同を得るに違いないのだから。
「リシャは絶対、うんって言うよ」
その様子を想像してか、カールスはくすくすと笑った。
「お前って性格ひねくれてるよな……」
「それは誉め言葉?」
凶悪なまでの素直な笑みで問われて、チャルは諦めて頷いた。カールスには何を言っても通じないらしい。いや、都合の悪いことのみ、理解しない便利な耳を持っているのだろう。
「わかった。……わかりました。でも、先に一つ聞いておくけど……お前はきちんとリシャに告白したんだよな?」
ふと思い当たって、チャルは尋ねた。なんとなく、鈍感なリシャがカールスの気持ちに、はっきりと気付いていないような気がしたのだ。それは本当になんとなくで、そんな事はないと信じたかったのだが……。
「キスは一回した」
「それって、あの城下町での?」
何となく嫌な予感がして、思わず聞き返す。カールスはチャルの期待を見事に裏切って、一度大きく頷いた。
これだから恋愛初心者って奴は……。チャルは思わず心の中で涙する。カールスは決定的な事を忘れていたのだ。すなわち、愛の告白、というものである。
もちろん、相手がリシャでなければ、それでも問題はなかっただろう。何しろ、カールスの態度は分かってくださいと体中でアピールしているようにわかりやすい。けれど、リシャはそんな常識が簡単に通じるような人間ではない。
「私は好きでもない人間にキスなんてしないよ」
「だろうな。……でも、きっとリシャはお前にからかわれたんだとしか思ってないだろうな」
カールスは訝しげに眉を潜める。本気でわからないらしい。
「だって、考えてみろよ。一回しか会ったことがない、ほとんど見ず知らずの男性にいきなり唇を奪われたんだぞ?誰が愛の告白だと思うんだよ」
しかも、相手は稀に見る美青年だ。それなりに遊びなれてるに違いないと考えてしまうだろう。もっとも、カールス自身には自分が母親似の整った顔立ちをしているという自覚は、一切ないのだが。
「そういうもん?」
「そういうもんだ」
カールスは、ふうん、と分かったのか分かってないのか曖昧な相槌を打つ。どちらにしても、その事実に気が付いても、大した打撃は受けていないらしい。
「じゃ、告白してくる。で、同居」
カールスは至極簡単に言いのけて、紅茶のカップを机に置き、立ち上がった。チャルは座ったまま、カールスの姿を目で追う。これ以上、カールスに言っても無駄な努力というものだ。だったら、楽しみながら静観しているほうがずっといい。
「ま、頑張って来いよ」
カールスに応援は必要ないとは思いながらも、チャルはひらひらと手を振りながら応援の言葉を口にのせる。その頭の中では、どの部屋をリシャの為に用意しようかと、考えめぐらせていた。
リシャは絶対カールスにおとされる。それはリシャとカールスの両方を知っているチャルにとって、確信に近い予想であった。
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