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リシャはケーキを口に運んで、ほっと息をついた。
リブレス伯爵邸には、いつでも美味しい物が揃っている。それは、全てリシャが毎日のようにリブレス邸に通っているせいである。甘いものが好きなリシャの為に、カールスが用意しているのだ。
「やっぱり、ケーキはマロンだな」
チョコレートも捨てがたいのだが、どちらかを選べ、と言われればやはりマロンを選ぶだろう。リシャは一人で納得して、もう一口ケーキを口へ運ぶ。ほろ甘いマロンの香りが、口一杯に広がった。
そもそも、リシャがカールスのリブレス邸に通い始めたのは、カールスから何かを盗むためである。けれど、今では盗賊業は開店休業中だ。何しろ、自分ではわからないが、カールスからリシャは何かを盗んだらしいのだ。カールスに白旗を揚げられて以来、リシャはなんとなくカールスの様子も気になったこともあって、通い始めて――そして、現在にいたるのだ。
貴族の事は相変わらず大嫌いだが、カールスは尊敬すべきリゼット盗賊団の頭領でもあるのだし……。
「リシャ!」
カールスに名前を呼ばれて、リシャは破顔した。カールスと話すのは楽しい。あれだけ苦手と感じた相手だが、それなりに顔を合わせているうちに、その苦手意識もどこかへ飛んでいってしまったようだ。
「カールス、ケーキありがとう。今日のも美味しかった」
「喜んでくれたのなら、私としても嬉しいよ」
カールスはとても優しい笑みを向けてくる。リシャは自分の頬が赤く染まるのが分かった。
リシャは自他共に認める面食いである。そんなリシャから見ても、カールスは申し分がないほど格好いい。その理想の顔の持ち主が、目の前にいるのだ。赤くなるな、という方が無理な話だ。
「で、リシャ。突然だけど、私は君の事が好きだ」
リシャの頬からほてりが消えた。冷めた頭で、カールスの言葉の意味を考えてみる。
私、とはカールスの事だ。そして、君とは状況から考えて、自分だろう。そして……好き?彼は好きだと言ったのだろうか。……私、が君、の事を?
今度は、それを文章に入れてみる。……カールスはリシャの事が好きだ。
「……私の事を……?」
「そう。好きなんだ」
再び、リシャの顔が火照った。突然の言葉の意味を理解すると、ますますパニックに陥ってくる。慌てるリシャを尻目に、本当に気付かなかったんだ、といったカールスの声が聞こえてきたが、そんな事はどうでもいい。どうすればいいのかわからないのだ。
「私は、どう答えればいいんだ?」
「……」
焦った様子で問われて、カールスは困ったような笑みを返した。
「悪い。つい……。確かに告白した本人に尋ねる事ではないな」
分かっているのだ、そんな事は、それでも、頭の中がショートを起こしていて、電気信号がうまく脳に伝わってくれないらしい。
カールスの事は嫌いではない。むしろ、好きなのだとは思う。それでも、リシャの思う好きと、カールスの思う好きとは、どこか違うように感じるのだ。言うなれば、そう、リシャがカールスに感じているのはきっと兄弟愛とか、そういったものに近いものなのだろう。
「わかった」
リシャはパニックを起こしたままの頭でなんとか考えて、言葉を紡いだ。カールスが奇怪な顔を向けてくる。
「だから、わかった。とりあえず、今のカールスに対する答え」
「上等」
カールスはにやりと笑った。
「じゃあ、同居しよう」
どうして自分の答えが、カールスの「じゃあ」に繋がるのか分からなくて、リシャは小首を傾げた。それに気付いてか、カールスは含んだ笑みを向けてくる。しかし、説明する気は一切ないらしい。
「誰が何処で?」
「君が私の家で」
すぐさま返答が返ってくる。
「何故?」
「好きだから」
言葉が通じているようで、微妙に通じていない。そのもどかしさに、リシャはカールスを真正面から睨みつけた。身長差があるので、どうしても見上げてしまうのは仕方がない。
「私の意見は無視なのか?」
とんでもない、とカールスはかぶりを振る。心底からそう思っているらしい。カールスは微笑した。リシャはただため息をついた。
「私は同居するつもりはない。今の暮らしが気に入っているんだ」
盗賊団のアジトは物心付く前から暮らしてきた大切な家である。共同生活の不便さはあるものの、リシャはその家が好きだった。
けれど、カールスにはその思いが伝わらない。
「悪いけど、私は今の暮らしが気に入らない」
完全にリシャの意見は無視の、カールスの言い草にリシャは憮然とした表情を向けた。どこが、私の意見を無視していないと言うんだ、とリシャが尋ねると、カールスは飄々と笑ってみせる。
「同居後の生活」
つまりは、同居する事に関してはリシャの意見というものはないらしい。そんな事はなんとなく気付いていたものの、それに従うのはやはり癪に障る。だから、リシャは思いっきり不機嫌な顔を作った。
「いつ私が同居を承諾した?嫌だ、といった覚えはあるが」
「この際、承諾なんて事後承諾でいいんだよ」
カールスはにへらと笑う。
「私が同居を望んでいるのだから」
リシャは絶句した。
突然、同居宣言されて――しかも、自分に何の承諾もなく――はい、わかりました、と答えることが出来る程、リシャは馬鹿ではない。けれど、カールスはリシャがいい返事を返すまで、自分を解放してくれないだろう。
これ以上、カールスに縛り付けられるのはごめんだと、リシャは思った。決して嫌っているわけではない。だからこそ、怖いのだ。
今のままだと、ただの友人としていい関係を保っていけるだろう。しかし、同居となれば話は別だ。いつか、自分はこの侮れない伯爵を好きになってしまうだろう。きっと、取り返しのつかない程、深く。それが怖い。
リシャはカールスを知らない。今、リシャの事を好きだと言ったのも、ただの気まぐれかもしれないのだ。そんな不確かなものにのめりこむわけにはいかない。
しかし、カールスを一人で放っておきたくはないとも思った。
今はチャルがいる。カールスの唯一無二の大親友であるチャルの存在が、カールスと共にあるのだ。けれど、いつまでも、それが続くとは限らない。もし、チャルがカールスの前から姿を消すような事が現実に起こったら……。
「条件がある……」
考えて言葉を紡ぐと、カールスが小首を傾げた。
「その……同居を承諾してやってもいい。条件次第だが」
「そういう事なら、何でも聞いてあげるけど?」
カールスは嬉しそうに笑った。おそらく、今のカールスならばこの家の造りは風水上よくないから建て直してくれないと住めない、と口に出せば、すぐさま改築作業にうつるのではないだろうか。
その想像はあながちはずれているわけでもないだろう、とリシャは思わずため息をついた。
「ケーキははずせない」
「もちろん、毎日変わらず屋敷に届けるように手配済みだよ」
「……プライバシーの保証」
「うちは使用人の数も少ないし、問題ないね」
カールスはリシャの条件ににこやかな笑顔で返していく。
「外出はいつでも許可だよな?」
「帰ってきてくれるのならね」
リシャは内心呆れつつも、にこやかな笑みを顔にのせて、最後の条件を口にする。今までの条件と少し毛色の違ったそれを。
その条件に、カールスは笑みを消して唖然とリシャを見つめ、やがて苦々しい表情で頷いた。
「それが君の条件というのなら……了承した……」
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