夢織り達の朝






 スコアがリブレス伯爵家に来るのは、これが初めての経験である。それもそうだろう。何しろ、下っ端の盗賊団員は、先ず、リブレス伯爵家には手を出すな、と教え込まれるのだ。スコアも当然、その教育は受けている。
 だから、リシャに連れられてリブレス伯爵家に足を踏み入れたときも、どこか背筋の寒い思いがしたものだ。入ってはいけない、といわれれば、入りたくなるものだが、誰もが口をそろえて「関わるな」というと、逆に怖くて何があっても入りたくなくなる。きっと、そういわれるだけの何かが存在するのだ。
 スコアはきょろきょろとあたりを見回した。
 人がいない。ふと、スコアは首を傾げる。まがりなりにも、貴族家なのだから、使用人の一人や二人見かけたっておかしくはないはずだ。しかし、正門から堂々とリブレス伯爵家に入り込んだというのに、使用人の姿を一人も見かけていないのだ。
「ねぇ、リシャ」
 スコアは先導するリシャの背中に声をかけた。
「なんで、人がいないの?」
「必要ないと言ってた」
 リシャの答えは簡潔で短い。それに納得はいかないものの、それ以上リシャに訊いても無駄だと判断して、スコアは再び口をつむんだ。
 そんな思いのスコアを無視して、リシャは複雑な回廊を右へ左へと進んでいく。回廊はさながら小さな迷宮のようで、スコアはリシャに置いていかれないように必死で後を追いかけた。
 リシャは自分が迷えば、これ幸いと置いていくだろう。なんとなく、予感がある。そもそも、リシャは他人には厳しいのだ。その分、自分にも厳しいのだが。
「ねぇ〜、リシャ、もしかして怒ってる?」
「怒られるような事、したのか?」
 これまた簡潔な返答に、スコアは言葉に詰まる。
「う〜……」
 怒られるような事。それは、あまりにも候補が多すぎて、一つには絞りきれない。ただ、分かっているのは、リシャを怒らせるような事は、確実にやっている、という事で。スコアは深く息をついた。
「ごめん。ごめんごめんごめんごめんってば。だからいい加減機嫌を直してよ!」
「それは謝っている態度ではないと思う」
「わかってるって。でも、これでも俺なりの本気なんだってば〜」
 リシャは歩みを止めずに、ちらりとスコアを見て、ふん、と息をついた。
「お前の本気は、カールスの本気と同じ位疑わしい。まったく、どうして私のまわりにはそういった男ばかり集まるんだか」
「そりゃ、リシャちゃんがそういうのをひきつけるオーラを発してるんじゃないの?」
 リシャはぎろりとスコアをにらむと、これまで以上の早足で歩みを始めた。スコアは慌てて、半分走りながらリシャを追いかける。
 どうやら、また余計な事を言ってしまったようだ。
 自覚はあるのだ。自分がいつも余計な一言を言ってしまうと。でも、言わずには居られない。けれど、いつだって後悔はしなかった。何しろ、自分に正直であれ、とは兄の口癖であったから。
 スコアは自覚のあるブラコンだ。リシャの事が誰よりも大好きで、それでもリシャが兄の事を好きなのだったら譲ろうと思ってしまえる位には。
 けれど、彼は自分を置いていった。どこにいるのかわからない。それでも、裏切られたとは思いたくなくて、結局リシャを想う事で、その痛みを忘れているのかもしれない。
「リシャ〜、リシャちゃ〜ん。リシャちゃん、こっち向いてって〜」
 リシャは軽くため息をつくと、くるりとスコアを振り返った。そのまま、右手を自らの後方に向ける。
「あそこに立ってるのが、リブレスの伯爵」
 言われてリシャの後方に目を向けると、長身の青年が穏やかな笑みを浮かべてこちらを伺っていた。
 銀色の髪は太陽の光に照らされて、きらきらと輝いている。正真正銘の美青年、というやつであろう。同性のスコアでさえ、その美しさに思わず息をのんだ。
「お帰り、リシャ。……それで、そちらの方は?」
「私の幼馴染のスコア。リブレスを見たいというから連れてきたんだ」
 カールスはにこにこと穏やかな笑みを浮かべながら、スコアに目を向ける。やがて、ふいに視線をリシャに向けると、ケーキがあるよ、と一言告げた。
「何の?」
「マロンケーキ。リシャが一番好きだろう?」
 うん、とリシャは満面の笑みで頷く。それに僅かに嫉妬を覚えて、スコアは憮然とした表情を浮かべた。
「じゃあ、リシャは食べておいで。で……スコアだったっけ?君には部屋を用意するよ。まさか、見たからとっとと帰れ、なんて言えないしね」
 相変わらずの穏やかな笑みを浮かべたまま、カールスは軽く言う。スコアは頷く事しかできなかった。
 リシャとはそこで別れて、カールスに連れられて歩きながら、スコアはちらりとカールスの横顔を眺めてみる。カールスは笑みを絶やすことなく、スコアに目線を向けた。
「……君、私のライバルになるんだよね?」
 ふわり、と微笑まれてスコアは言葉をなくした。突然の青年の言葉が、理解できなかったのだ。
 けれど、すぐにその言葉の意味に思い当たって、スコアは小さく頷いた。
「そういえば、あんた、リシャの事が好きなんだって?」
「……今のところは、ね」
 優しい微笑みの中に見えた、違和感。スコアは内心小首を傾げる。何故自分が違和感を抱いたのか、スコア自身にも分からなかった。
「そうか……だから、ライバルか」
 見た目では負けているし、きっと頭の出来でも負けている。でも、自分ではなく兄であったならば、目の前のカールスに勝つことも可能だろう。
「リシャは兄さんの事が好きなんだ」
「だから?」
 再びスコアを包み込む違和感。しばらくカールスを観察していて、スコアはようやくその答えに行き着いた。
 穏やかな笑みを浮かべていて、とても暖かい雰囲気をもっているのに、その言葉が冷たい。全ての感情を消し去ってしまっているかのように、無機質な響きを持っているのだ。
 本心が読めない。それとも、この無機質な感情が、彼の本質なのだろうか。
「……リシャは今だって兄さんを忘れていないだろうし、兄さんは死んだわけではないよ」
「だから諦めろ、と?余計なお世話だね」
 カールスは歩みを一度止めて、スコアを振り返った。
「それに、少なくとも、私は君のお兄さんよりは先に進んでいる」
 スコアが訝しげにカールスを見ると、カールスは口の端を歪めて、再び歩みを進めた。
 人のいない回廊に、カールスとスコアの足音が響く。それに覆い被せるように、カールスは歩いたまま口を開いた。
「私とリシャはキスまで進んだ仲だ」
「キス……?」
「そう、キス。接吻。口付け」
 わからないの?と言いたげな口調に、スコアはカールスを睨みつけた。しかし、スコアの存在を視界に入れていないカールスには何の効果も与えなかったようだ。
「昔なんて、私は気にしないよ。無論、未来もね。私は今さえよければ、それでいい」
 どこまでが本心かわからないまま、スコアはそれには言葉を返せずに、ただ黙ってカールスについて歩く。ぐるぐると、頭の中でカールスの言葉が回っていた。
「そうしないと、この世界……耐えていけないよ」
 僅かに憂いを含んだ響がして、スコアは我に返った。カールスの表情を読み取ろうと向けた視線は、カールスの何の邪気も見せない笑顔に覆われて読み取る事は出来そうにない。
「どうして……」
 呆然とカールスを見上げたまま、スコアは呟く。
「どうして、リシャなんだよ?」
「さあ。多分、そこに居たから、だろう」
 そんな理由、リシャが可哀想だ。口に出しかけて、スコアは言葉を飲み込んだ。口に出してしまうと、本当にリシャが可哀想になってしまうような気がして。それに、カールスの本心も結局わからなくて。
 代わりに別の言葉を静かにつむぐ。
「どうして、こんなに人がいないんだ?貴族の家なのに、おかしいと思わない?」
「……。……殺してしまうから、かな」
 スコアはぎょっとしてカールスを見上げる。その一瞬、カールスの横顔に、何よりも冷たい笑みが浮かんでいたのが見えて、スコアは思わず、その場で固まった。
「冗談だよ」
 カールスは固まったスコアに先程と同じような優しい笑みを向けた。そのまま、視線を一つの扉に向ける。
「さて、ここで休むといいよ。ここはリブレスの屋敷の中でも特別な部屋だからね。きっと気に入ると思う」
 スコアは固まったまま、探るようにカールスを見つめた。しかし、誰にも見せないように、再び笑顔で覆い隠された内面を読み取ることは出来ない。
(けど、さっきのはきっと……本気だ)
 彼は本当の殺意を知っているのだ、とスコアは思う。自分は手に入れる事が出来なくて、そして、たった一人の兄が手に入れたもの。そして、兄弟の進む道を分けたもの。
 カールスは兄に似ている、と道中言ったリシャの言葉が今ならわかるような気がする。
(でも!)
 だからといって、リシャとの仲の事は別だ。スコアは、カールスを真正面から睨み付けて、カールスが用意した部屋の中へと足を踏み入れた。
 今はカールスから離れて、作戦を練る必要性を感じたのだ。