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一族の意志と、守護の本当の意志は、一体何時からこんなにも食い違ってしまったのだろう。守護が力を得れば得るほど、守護の意志は曲解されて伝わっていく。その理由を、シストは知っていた。
一族が、真の「代弁者」を失ったからだ。だから、守護の言葉は、正しく伝わることはない。それを知りながら、けれど、シストには何も出来なかった。
シストは、遠くを見つめて、一つため息をついた。
一体、何時まで、自分は「傍観者」でいなくてはいけないのだろう。全ての人間が、否応なしにも、その運命に巻き込まれていく中で、たった一人、全てを知りながら、黙って見つめていなくてはいけない。歪んだもつれすら、修正する事も出来ないで。
「せめて――せめて、伝える事が許されるなら……」
せめて、彼らの抱く偽りの感情を否定する事が許されるのならば――全ては変わるかもしれない。しかし、同時に、それをする事が出来ない事は、シストが一番よく分かっていた。
誰もが捕らわれている。
漠然と、シストは思う。自分自身も、チャルも、カールスも、そして、カールスの絶対的な支配者すら、何かに捕らわれていて、そこから抜け出すことは永遠に出来ないだろう。
「君も……ね。君も、きちんと自分の世界にお帰り。捕らわれているのは、全て幻」
シストは呟いて、ちらりと後方に目を向ける。実体を持たない少女は、シストの言葉に僅かに首を傾げて見せた。
「君を呼んでいる人がいる。君が、あれに力を貸しても、彼は帰ってこないよ」
少女は、悲しげに微笑んで、小さく頷いた。
『だけど、いつか、彼も解放されるかもしれない』
少女の、声にならない声に、有り得ない事だと答える事は出来なかった。きっと、それを彼女も知っているだろうから。だから、かわりに、シストは優しく微笑んで見せる。
その微笑に、少女は僅かにたじろぎ、所在無さげに目線を彷徨わせた。
「早く、お帰り。それ以上、君が離れていれば、君も全てを無くしてしまう」
その力を手に入れたのは、偶然だったのだろう。その力が、命の力だと、彼女は知っているのだろうか。僅かな危惧を抱きつつ声をかけると、少女はこくりと頷いた。
少女は、不安を浮かべた微笑を浮かべながら、光の中に溶けていく。本当の世界に――本当の体の中に、ようやく戻ったのだろう。
シストは、どこへともなく右手を伸ばして、苦笑した。
「大丈夫。……きっと、なんとかなるから……。全てが上手くいくから」
そうであればいいと、心からそう思う。
誰も傷つかない、そんな楽園のような世界が存在しない事は分かっているけれど、せめて、「傍観者」として、祈っていたい。せめて、祈る事だけは許して欲しい。
「傍観者」である事を選んだのは、自分自身で――だから、その事に不満を漏らすことはできない。だけど、「傍観者」がこんなにも辛いものだとは、正直、思っていなかった。
(全ての歪みが正された時……彼らは、どんな選択をするのだろう)
その日が怖くて、その選択が怖くて――ただ、彼らがお互いを、そして彼ら自身を傷付けないでいてくれれば、それだけでいいと、シストは思う。
偽りの感情を否定するか、それとも、そのまま、偽りの感情を選ぶのか、どちらの選択をしたとしても、彼らは、その選択に捕らわれたまま生きていくことになるだろう。どちらにしても、結局は誰かが傷付いてしまうのだ。
だったら、せめて、それを乗り越えることが出来るだけの、強さを持っていてくれたならば――。
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サララはしばらく、その場から動けなかった。
ただ、チャルの顔を呆けて見上げて、思わず涙をこぼす。安心したからではなくて、ただ、悲しかったから。どうしてかは分からなかったけれど、とても、悲しかったのだ。
「帰ろうか、サララ……」
チャルは慌てたようにサララを抱きしめて、耳元で囁く。サララは夢中で頷いた。
帰りたい――その思いは、自分のものではない。帰りたいと、心から望んだのは、一体誰なのだろう。――ユーグだろうか、それとも、セラスだったのだろうか。とにかく、その感情が自分自身の者ではないことを、サララは知っていた。
いつか、彼らは帰ることが出来るだろうか。
だけど、その日に、彼らは誰かを失うのだろう。それは、予感。だけど、その予感が正しいことは分かっている。それが、たった一つ、自分が紛れもなくマスクォールの王家の女性である証でもあるから。
予感というよりは、一種の予知能力に近いのかもしれない。他の王家の女性に比べると、短命な、マスクォールの女性が、その命の短さと引き換えのように受け継いだ、とても小さな力。
「帰りたい」
呟くと、チャルが優しく微笑んで頷いてくれる。もうすぐ帰れるよ、と答えてくれる。それが、余計悲しかった。
全てが、まだ始まったばかりのような、そんな気がした。