丘虚幻影








「それに意味があるのかい?」
光は男に尋ねる。
その言葉を理解する事の出来る唯一の男は、柔らかく微笑んだ。
「とても大きな意味があるよ」
光も微笑んだようであった。
ふわりふわりと光がゆれる。
「ならば、私は君を変わらず守りつづけよう。永遠の終わりが来る、その日まで」





  カールスは、一通の手紙に目を落として、息を吐き出した。
  それは、国王からの命令――国王に逆らう者を始末する為に、手駒を動かすための秘密裏に運ばれる、一通の指令書。そこには、まだ名前は書かれていない。
  カールスはそっと指先を、その空欄の名前の上にのせる。何故、人を殺さねばならないのか――その意味がわからなかった。
「逆らうわけにはいかない……」
  それが、自分に課された、たった一つの償いの方法だから。けれど、無闇に動いてはいけないと、頭の中の誰かが告げる。もっと深く考えろ、と。
  そもそも、誰かを殺す事に躊躇いはなかった。否、その気持ちが全て麻痺していると言った方が正しいのかもしれない。そして、たった一人残った肉親を手にかけたとき、カールスは初めて自分のやっていた事に疑問を感じたのだ。
「だけど……」
  疑問を感じてしまったあの日から、カールスは動けないでいる。国王の命令にすら、素直に従えない自分がいる事を知っている。その気持ちを、決して表に出してはならない事もまた、カールスは知っているのだが。
  暗殺に関して、戸惑いを感じた事がないわけではない。その気持ちが何かを、考える時間を周りが与えてくれなかった事もあって、それが戸惑いだったと知ったのは、ずっと後の事ではあったけれど、自分は確かに、人の命を奪うことに対して、嫌悪感を持っていたのだ。
  けれど、その仕事を続けることを選んだのは、紛れもなく自分だ。
  そうしなければ、リゼット盗賊団の団員達に身の危険が及ぶと、そう納得させての結果ではあったが、本当のところ、カールスにそこまで犠牲的な感情があったわけではない。ただ、国王の命令に従う事で、自分の罪が償わられればいいと、自分勝手な思いの結果に、リゼットを巻き込んだだけなのだ。
  しかし、実際はどうだろう。罪は償われるどころか、更に深い罪となってカールスの心の中に、深い傷を刻み込んでいく。
『お前は自己満足の為に、人の命を奪うのか?』
  三年ほど前、仕事をこなして帰ってきたカールスを見て尋ねたのは、チャルであった。
  チャルは答えを知っている。ただ、確認したかっただけなのだろう。酷く不安げに瞳を揺らして、けれどしっかりと問い掛けるチャルに、カールスは力のない笑みを浮かべるだけが精一杯で、強く否定をする事は出来なかった。
  仕事をこなした後は、いつだって誰の言葉も救いにならない程の深い闇に捕らわれてしまう事を、カールス自身も知っている。その時の顔は、相当酷いものなのだろう。チャルでさえ、普段の表情とは全く違う、真摯な表情を向けてくる程には。
『もしも――国王からの手紙に俺の名前が載っていたら……お前はどうする?』
  ありえない事だった。だから、カールスは微笑む事が出来たのだ。それが国王の意志ならば、と。
  ただ、大切だったのは、罪を償うこと。
  それが終わるまでは、自分の感情をもってはいけないのだと、そう思っていた。
  だから、いつだって微笑んでいられたのだ。
『カールス、今はそれでもいい。だけど、いずれ、自分の気持ちに向き合ってみてくれ』
  そんな事を言ってくれるのは、チャルだけだった。
  リシャは、きっと、自分の深い闇の部分を知らない。だから、包み込んでくれる事は出来ても、言葉はくれない。昔から、本当のカールスを知っているのはチャルだけだったのだ。
  それでも、チャルは、いずれ自分のもとから去っていくだろう。彼には、やるべき事があるから。きっと、目の前には、その情景が浮かんでいて、それに向かって歩いていく事しか、チャルは知らないだろうから。
  おそらくは、今が考える時なのだ。国王の思いも、自分の思いも、全てを深く考えなくてはならない。
(もし……導き出した結論が、間違ったものだったら……)
  答えは、目前にあるはずだ。きっと、どんな答えを選んでも、誰かが傷付くのだろう。
  自分が全ての元凶であるというのならば、今、逃げ出すわけにはいかない。
(……それでも、真実を知りたい……)
  それは、初めて国王に逆らう事を決めた瞬間であった。