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村は騒然としていた。一瞬自分達を歓迎してくれているのだろうかと、バカな事を考えるが、そんな事があるはずもないと即座に否定する。そのまま、じっくりと村の様子に目を向けてみると、歓迎というよりも寧ろ焦りに似た感情が渦巻いている事に気が付いた。
チャルは黙ってあたりを見回して、アザードに視線を向ける。アザードは真剣な面持ちで村に目をやって、眉を潜めた。
「タスト様のお姿はないようですが?」
「ああ……」
呟いて、チャルは息をついた。
自分達がこの村に来たのはタストに会う為だ。しかし、今気になるのは、タストの姿がこの村にない事ではない。何故、人々がこんなに焦っているのかだ。
そもそも、この辺境の村はいつだって穏やかで、いわゆるよそ者のチャル達を何時だって暖かく受け入れてくれた。その村の、村らしかぬ様子に、チャルは不安を覚えたのだ。
視線の先に、村長の姿を見とめて、チャルは思わず駆け出した。その後をアザードも追う。
「村長!」
名前を知らないから、村長と呼ぶしかない。それでも、村長はその声に振り返って、僅かに表情を緩めた。
「何かあったのか?」
「実は村の娘が一人攫われましてな……」
一度区切って、村長は縋るような目線をチャルに向けてくる。チャルは思わず顔を顰めた。
村長の言外の望みはチャルにも分かっている。おそらくは、戦いの術を持たない村の男達に代わって、チャルとアザードに娘を救ってもらおうという魂胆なのだろう。しかし、チャルはそういった面倒くさい事は嫌いであった。
冗談じゃない、とチャルは思う。そんな事で時間を潰しているような暇など、チャルにはないのだ。
「それは大変だな」
冷静に告げると、村長は肩透かしを食らったかのように、呆然とした表情でチャルを見やった。しかし、すぐに気を取り直して、チャルに再び縋るような目線を向ける。
「どうか、私どもの代わりにお二人に娘を救って欲しいのです」
遠まわしに言っても無駄だと悟ったのだろう。直球勝負の村長に、しかし、チャルは再び憮然とした表情を向けた。
「嫌だ」
今度は即座に却下する。
「そんな時間はない。俺たちにも一応、決められた時間というのがあるからな」
暗に、貴族の使いなのだと匂わせて。カルゼアン王国において、身分は大切だ。格下の人間は上の人間に逆らう事など出来るはずがない。その事を村長も知っているから、チャルの言葉に目を伏せた。
もっとも、チャルに決められた時間というものはない。カールスには適当にやって来い、と追い出されたわけだし、そもそもカールスの命令など聞かなくても問題はない。チャルはカールスの部下でありながら、監視役でもあるのだから。
「チャストル様、何とか出来ませんか?」
それまで黙って村長とのやり取りを訊いていたアザードが、沈痛な面持ちでチャルに言葉を向けた。アザードがここまで表情を表に出すことは珍しい。
「何とかって何を?」
「……見殺しには……もう、したくないんです」
チャルは、呟いて目を伏せたアザードの横顔をしばらく眺めていた。しかし、それ以上アザードが何かを言うつもりはないのだと理解して、小さく鼻を鳴らした。
「俺はあまり関わりたくない」
それはチャルの本音だから、アザードは、ええ、と小さく返事をする。そうチャルがいう事はもとから理解していたのだろう。無言のうちに責められているように思えて、チャルは居心地の悪さに首をすくめて腕を組んだ。
今は目立ちたくないのだ。せめて、その時がくるまでは。もう一度、ええ、とアザードが呟いた。今度は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと。
「金ならば……金ならば、少しなら用意は出来ます」
渋っている原因が金ならば、と考えたのか村長は顔をあげると、チャルをまっすぐに見上げた。そんな村長に、チャルは冷たい視線を送る。
「生憎、給料ならたんまりともらっているからな。金には困ってない」
村長はがっくりと肩を落とした。
「お願いしますじゃ〜」
そのまま、今度は泣き落としに移る。チャルはうんざりとして、村長をにらみ上げた。つい、剣に手が伸びそうになるのを気力で押しとどめる。
チャルはそんな情にほだされてしまう人間ではない。なにしろ、あのカールスと友人付き合いをしているのだ。それは半端な人間には出来ないものだ。チャルは剣を抜く代わりに、ふいと顔を横に背けた。
こうなっては、チャルの気持ちを再び戻す事は至難の業だ。チャルの性格はアザードにはわかっているはずだ。これ以上何を言われても、俺の気持ちは動かないぞ、とチャルは意思表示も含めて、視線を横に向けたまま、戻す事はしない。横でアザードがため息をついたのがわかった。
「村長、その娘さんはさぞかしお美しいのでしょうね」
アザードが村長に尋ねる。突然問われた質問に、内容が内容なだけに、村長は訝しげな表情を向ける。構わず、アザードは同じ問いを繰り返した。
「ええ。ええ、それはもう……。大きくなれば村一番の美少女になる事は間違いないでしょうな」
ぴくり。チャルが僅かに反応した。
「そうですか。村一番の……」
「それに、その母親は村一番の美人で。……ほれ、あのあそこで泣いておる……」
見ると、確かに整った顔立ちの女性が涙を流していた。チャルは何も言わずにすたすたとその女性に近づいていく。
近くで見れば、その美しさが際立って見える。貴族の女性にも、ここまでの人間はそうそう居ないのじゃないかと思えるほどの美しさと、そして、大人っぽさ。まさに、チャルのタイプの女性だ。
後々問題に発展してしまう事を恐れて、人妻には手を出さないと決めているチャルではあるが、チャルは思わずその女性の手を取った。
母親がここまで、チャルのタイプにヒットするという事は、その娘も将来はそういう女性になるに違いない。
「奥さん、泣かないで下さい。俺に任せてくだされば大丈夫です」
「騎士様……?」
チャルはにっこりと微笑むと、後方を振り返った。
「アザード、ぼけっとするな。準備をしろ」
村長は目を点にして、チャルを見つめていた。そんな村長に、チャルは優しく微笑する。
「この俺が、悪者を見過ごす事など出来るはずがないじゃないですか」
「お……おお、そうですか。それではよろしくお願いしますじゃ。これで、貴族の娘さんも助かることでしょう」
「貴族の娘?」
訊きなれた響き、けれど、この村には似合わないその響きにチャルは女性の事をすっかり忘れて声をあげた。村長は一つ頷く。
「この村の娘が攫われた事を知らせてくれた男性が、貴族の娘も攫われたと言っておられましたからな」
村長がすっと伸ばした指先の更に先に、一人の男性の姿がある。その姿に、チャルは言葉を失った。
男性はチャルとアザードに気が付いて、微笑みながら二人に近付いてくる。がっちりとした体格に、漆黒の髪と茶色い瞳。チャルは、その男性を知っている。タストと共にやってきた、タストが最も信頼する友人の一人だ。
男性はチャルの前まで走ってやってきて、膝を折った。
「ご無沙汰しております、チャル様、アザード様」
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