朝日の昇る丘






「帰る前に一つ教えてくれ」
  チャルはふいに声をあげた。シストは進みかけた足を止め、チャルに振り返る。
「シストはカールスの味方だよな?」
  おかしな質問だとは、チャルとてわかっていた。だが、その質問はチャルにとってとても大きな意味のある質問だったのだ。
  そんなチャルの心情に気付いてか、シストはうっすらと笑った。
「あなたを本気で恨んでしまう位には」
「恨めばいい」
  チャルは本気でそう思う。シストの思いは決して間違ってはいなくて、それどころかむしろ正しいと言えるだろう。カールスの味方である以上、チャルの事を恨んでしまうのは仕方がない。
  そして、シストと同じようにカールスも自分を恨めばいいのだ。チャルは、自嘲した。そうすれば、裏切る事に躊躇いを感じなくてもすむだろうから。
  決して、心から望んでカールスを裏切るわけではない。それに、カールスが納得した上の裏切りだろうから、それは裏切りとは呼ばないのかもしれない。けれど、いずれ来るのは決別の時。その日が来たときに、自分とカールスの何が変わるのか、チャルにはまだ分からなかった。
「恨みます。……でも、私は貴方を嫌えはしないのでしょうね」
  チャルは驚いて顔をあげた。しかし、シストはそれ以上何も言わなかった。ただ、一瞬だけ悲しそうに笑って、再び足を進める。部屋の外に姿を消すまでの間、シストは一度も部屋の中を振り返らなかった。

  しばらくの間、チャルは何も喋らなかった。その雰囲気につられてか、アザードも口を開かない。この流れでは、何の話をしても気まずくなるだけだろう。チャルは、アザードが黙り込んでいるのに、僅かに安心した。
「サララを……」
  しばしの時が経って、チャルはようやく声をあげた。こんな所で黙り込んでいる場合ではない。シストと約束した以上、何をしてでもサララを助け出さなくてはいけないのだから。
「サララを助けなくては」
「ですが、手掛かりがありません」
  ないわけじゃない、とチャルは返す。無いに等しいものではあるものの、全く無いというわけではないのだ。
  攫われたのは、マスクォールの貴族の令嬢ばかりだという。だったら、犯人はどうやって、彼女達が貴族階級の人間だとわかったのだろうか。ましてや、今回攫われたサララは、カルゼアンに向かっていたのだ。一見して貴族だとわかるような格好をする程馬鹿ではないはずだ。
  とすれば、自ずと犯人像が浮かび上がってくる。犯人は、貴族階級に詳しい人間であるとしか思えない。サララに仕える人間の一人か――それとも、貴族の人間か。顔見知りの犯行の可能性だってある。どちらにせよ、犯人が捕まった時、サララを含めた多くの人はショックを受けるに違いない。
「だが……まいったね」
  捕まらなかった場合でも、捕まった場合でも、結局、丸く治まるという事は有り得ないだろう。チャルは一つ、ため息をついた。
「手掛かりが……僅かなりとも手掛かりがあるのですから……」
  チャルの呟きを別の意味に取ったのだろう。アザードが不安げな声をあげた。
  もともと、チャルが今回の件に対して乗り気では無かったことを、アザードは危惧しているのかもしれない。サララが関わっている以上、見捨てる事はしないが、よほど信用がないらしいな、とチャルは思わず苦笑した。
「わかってる。何も見捨てようと言っているわけじゃない」
「だったら……」
「焦るな、アザード。闇雲に動いて、それで攫われた娘達を救えるのなら、俺だってそうしてる」
  チャルに言われて、アザードは口を噤んだ。そんなアザードを、チャルはちらりと見やる。
「動くには、まだ情報が少なすぎるんだ」
  少ない手掛かりでは、どこへ行くのかさえ決めることが出来ない。荒野を当ても無く彷徨い歩くのは、自殺行為に等しい。その上、犯人の目的も、犯人もわからない以上、やたらに動き回るわけにはいかない。それこそ、本当に国際問題に発展してしまう可能性だって無いわけではないのだ。
  分かっています、とアザードは小さく頷いた。チャルは呆れたため息をつく。
「アザードが攫われた娘達に対して酷く同情的になっているのも分かっているが……」
「そういうわけでは……」
「そういうわけだよ」
  チャルはかぶりを振って、何処へともなしに視線を彷徨わせた。
「それなりの作戦を立ててからでなくては、サララ達を救い出す前に、俺たちがやられてしまう」
  そうだろう?と尋ねると、そうですね、とか細い返事が返ってきた。
  確かにアザードが危惧するように、事は一刻を争う。最悪の結果だって有り得るだろう。それでも、危険は出来うる限り避けたい。
  それを分かってくれ、とは言わない。アザードが攫われた娘達を気にしているのは分かっているし、彼が彼女達を助けたいと心から望んでいる事も知っている。その気持ちを、チャルが理解できないのと同じように、アザードもきっとチャルの気持ちを理解は出来ないだろう。
  チャルが心配しているのは、マスクォールとの関係の悪化だ。攫われた娘達の命を全く心配していないといえば、それは嘘にはなるが、少なくとも、アザード程気にしているつもりはない。
  シストが聞けば、怒るかもしれない。チャルは苦笑した。
「……地図がいる。地図はあるか?」
  はい、とアザードが荷物を漁って、一枚の地図を取り出した。
「娘を二人連れて、遠くまでは行かないだろう。恐らくは、荒野の中か……その周りにアジトを作っているはずだ」
「アジト、というと相手は複数という事ですか?」
「それは間違いないだろう。一人で二人の娘を攫えるとは思わないしな」
  相手が幼女であったならば、それこそ可能だったかもしれないが。チャルは地図を広げながら、呟いた。
「この地図、詳しいな。この地図、後でくれよ」
「それは構いませんが……。ところで、何かわかりましたか?」
「絞り込めないな」
  チャルは顔を顰めた。一括りに荒野といっても、それは並外れて広い。荒野が国境の代わりを務めている位なのだから、かなりのものだとは分かっていたが、地図で見ると、それがますます大きく感じられた。
「だが、一つの可能性を思い出した。まずは、それを確かめようかと思う」
  チャルはにやりと笑ってアザードを見る。アザードは瞬きを一度して、眉をひそめた。