朝日の昇る丘






  目を開けると同時に、薄暗い部屋の天井が瞳に飛び込んできた。一瞬、どうして自分がここにいるのかわからなくて、けれど、直ぐにその原因となった出来事に思い当たる。
(そっか……私、攫われたんだっけ)
  逃げ切れたところを、わざわざ攫われに戻っていったのだから、攫われた、というのとも少し違うのかもしれない。そんな事を考えながら、サララは体を起こした。薬か何かを使われたのだろうか、体が酷く重い。
  薄暗い部屋の中は、しかし、手入れが行き届いていないわけではない。サララが寝かされていたのも、きちんとした寝具の上であったし、窓は高くに作られているものの、きちんと喚起はされているようで、空気は思いのほか澄んでいる。
  少なくとも、攫われたからといって、殺されるわけではないようだ。サララは僅かに安心した。
  何としてでも、ここから抜け出さなくてはならない。自分の命が大切とか、そういった思いはサララの心の中にはなかったけれど、何とか生きて抜け出して、兄からの伝言をチャルに伝えなくてはいけない。
  チャルは異変に気が付いてくれただろう、とは思う。少なくとも、チャルはシストに会ったはずだ。自分がまいてきた、兄の友人に。
「助けに来てくれるのが先か……それとも、私が抜け出すのが先か……」
  重い体を奮い立たせて、ドアまで歩み寄ると、サララはにやりと笑った。
「どうせ、鍵が掛かっているのよね」
  呟きながらノブを回すと、案の定、ノブは鈍い音を立てるだけで開く気配はない。もともと分かっていた事だったので、そう落胆はしないが、開いていてくれれば楽だったのにな、と思わず苦笑を浮かべた。
  他力本願になるつもりはない。待っていても何も始まらない。どういう方向に進むにしろ、自分が動かないと何もならないことを、サララは知っていた。
(だから……)
  サララは大きく息を吸った。そのまま、手を振り上げて、ドアに振り下ろす。
「開けなさいよっ!」

******


「何か、嫌な予感がした……」
  チャルは地図を前に、遠くを見つめた。隣で、アザードが心配そうにチャルの顔を覗き込む。
「どうかされましたか?」
「いや……ちょっと嫌な予感がしただけ。強いていえば、サララがとてつもなく無謀な事を企てているような」
「それ、本当に予感ですか?」
  僅かに首を傾げて、アザードが問う。チャルは、ああ、と軽く返事を返した。
  何か根拠があって、そう考えているわけではないのだから、やはり予感だろう。しかし、サララの性格を、今よりも幼い頃の性格とはいえ、知っているチャルにしてみれば、ただの予感には出来ない何かがある。
「まさか、昔のまま大きくなったとも思えないが……」
  少なくとも、サララはいい所のお嬢様だ。それも、半端なお嬢様ではなく、マスクォールの第一王女、という肩書き付きだ。少なくとも、幼い頃のサララとは違って、多少は大人しくなっているはずだ。
  チャルは軽く息をついて地図に目を落とした。
「ま、いっか。それで、一つの可能性ってのはな」
  言いながら、チャルは今いる村を中心に、地図上に一つの円を書き込む。
「この円の中に奴らのアジトのある可能性が高いって事だ」
「どうしてですか?」
  アザードは尋ねた。チャルは眉を上げて、にやりと笑う。相手がマスクォールの人間だからだ、とチャルは言った。再び、アザードの顔に疑問符が浮かんだ。
「カルゼアンの国民は、カルゼアンの王家の人間の顔すら知らないだろう?それが、マスクォールの王家の人間を知っているはずがないじゃないか」
  それに、リスクが高すぎる。チャルは続けた。どこまで親切味に欠けた、簡潔な説明で、アザードが理解出来たのかは分からないが、アザードは納得したように頷いた。
「だから、そう遠くまでは行けないはずだ。カルゼアンの内部に入り込むのは危ない、そして、マスクォールに留まる事も危険。そして、荒野を長く歩くのも危険。となれば……?」
「それで、この円ですか……」
「そういう事」
  地図上の円の中には荒野が広がっている。一見すると何もない、ただの荒野のように見えるが、チャルはある一点を指差した。限りなくマスクォール側に近い、荒野の中の一点だ。
  ここにサララはいる。チャルは何故か確信していた。根拠はないが、そうだ、と自分の本能が告げる。今ある限り少ない情報からは、ここ以外に導き出すことは出来ない。
「もし、ここに居なかったら……」
  もし、居なければ、全ての手掛かりはなくなってしまう。そうなれば、攫われた二人の娘の安全も保障は出来ない。今の状態でも、充分、保証は出来ないのだけど。
「人事尽くして天命を待つ。……とりあえず、行ってみるしかないだろう?」
「ここには、一体何があるのですか?」
  アザードが地図を覗き込みながら尋ねると、チャルは事も無げに言う。
「昔に見放された、小さな採掘場があるんだよ」
「……そんなの、よく知ってますね、チャストル様……」
「俺は博識だからな」
  チャルはアザードの顔をまじまじと見やりながら、にやりと笑った。