6
深い闇であった。太陽の光は、間違いなく部屋の中を照らしているというのに、それでも部屋を支配していたのは、何よりも深い闇であった。
「何を考えている?」
重苦しい雰囲気に、ついため息を吐き出したユーグに、漆黒の鎧を身に纏った男が訊いた。
「特に何も」
ユーグの答えに、男はくつくつと喉を震わせて笑う。その言葉が真実ではないと知っていたのだろう。思わずむっと顔を顰めると、ユーグは男を睨みつけた。
「では、言わせてもらいますけどね、セラス様。……マスクォールの王家を敵に回すのは危険すぎます」
「だったら、カルゼアンを敵に回すべきだったか?」
ユーグは思わず言葉に詰まった。
カルゼアンを敵に回すリスクは、セラスとて知っているだろう。だから、今回狙ったのはマスクォールなのだ。しかし、まさか、マスクォールの王女に手を出すとは思っても居なかったのだ。
「では……何故、ですか?」
「何故、とは?」
「何故、マスクォールなのですか?」
運命だな、とセラスは低く笑った。マスクォールがカルゼアンであったから――自分の一族の住む国であったから。セラスは続けて言う。ユーグは首を傾げた。
ユーグがセラスに仕えるようになって、六年の歳月が経つ。それだけの年月を重ねていて、尚、ユーグにはセラスの考えが読めなかった。
目的を持っているのは知っている。彼が人を探しているのは知っているから。だけど、その人物が誰なのか、そしてセラスとその人物との関係は何なのか、ユーグは知らなかった。
そして、分からないのは今回の事件だ。
誘拐したのは、マスクォールの貴族の子供ばかり。何の目的を持って、そんな事をするのか……。
「これは、犯罪ですよ」
「犯罪、ね」
セラスはユーグの瞳を覗き込む。強い視線に、ユーグは体を強張らせた。本能が、セラスに逆らう事を許してくれないのだ。
「犯罪というが、誰が私達を裁く?人か?それとも国か?……ユーグ」
セラスは酷く優しい声音でユーグの名を呼んだ。
「お前はこの世界に捕われすぎているようだな」
「ですが、我々は確かにこの世界の人間です」
お前はな、とセラスは言う。確かにユーグはこの世界の人間なのだ、と。その言葉に含まれる真実がわからなくて、ユーグは苛立ちを込めてセラスを見つめた。
「……私とて、彼女達を殺すつもりはない。あれが見つかるまで、眠っていてもらうだけだ」
「まさか……それだけの為に、子供達を攫ったのですか?」
「大きな事件になれば、あの方も私の存在を感じ取るだろう」
ユーグは体を震わせた。それは怒りでも、そして恐怖でもあったけれど、それをセラスにぶつけることは出来ない。ぐっと拳を握り締め、感情の波が去るのを耐えようと、ユーグは視線を地面に落とした。
結局、セラスにとって重要なのは探している人の行方のみなのだ。その為にならば、きっと、人の命の一つや二つ、簡単に奪ってしまえるのだろう。でも、ユーグはそこまで残虐にはなれない。
「見つけて……そして、セラス様はその方を攫うのですか?」
気紛れに、自分を攫ったように。その人に自分の存在を伝えるために、子供達を攫ったように。
セラスはくすりと笑った。
「そして、私はあの方を殺すのだ」
冷たい声であった。決して、ユーグには向けない、冷たい感情が、セラスの声には含まれていて、ユーグは混乱する。
探している人がいる、とセラスに告げられて、ユーグはその探している人というのは、セラスにとって大切な人なのだ、と思っていた。どんな事をしてでも、自分の傍に居て欲しいと願っているのだ、と。
「何て顔をしているんだ」
「セラス様……」
声が掠れた。しかし、ユーグは構わず言葉を続ける。今まで、意図的に避けてきた、あの人の事を尋ねるために。
「その方はセラス様にとって何者なのですか?」
セラスは口元を僅かに歪めて――笑っているようだった。
「大切な御方であり……そして、一族を捨てた裏切り者だ」
「……その方の名は?」
「知らん。……あの方が一族を捨てたのは、随分と昔になるからな。……今は、もう生きていない」
ユーグは眉間に皺を寄せた。
「亡くなった人間を探して――?」
「探しているのは、その末裔だ。……あの方の血を外に出しておくわけにはいかないからな」
マスクォールにいるのだ、とセラスはどこまでも冷たい声で告げた。今はマスクォールとなった、その地にその気配があるのだ、と。
「セラス様の一族とは……」
まさか、と思う。カルゼアンの深い深い山の中に、ひっそりと身を隠すように暮らしていたという一族の事を考えた。彼らは、この世界に縛られる事なく、異界の世界の力を従えたのだという。だけど、彼らは御伽噺の中に住む一族であったはずだ。人ならざる力を持つ人間など、存在するはずもないのだから。
「魔獣使いの一族……?」
セラスはふと笑った。
「我々は、守護、と呼ぶがな」
守護、という響きを、セラスはとても大切そうに呼ぶ。セラスは自分の一族をとても大切に思っているのだろう。そして、きっと、自分がその一族である事が彼の誇りなのだ。
「守護の為にも、あの方の血が、そして命が必要なのだよ」
きかなかればよかった、とユーグは思った。きかなければ、何も思わずに――多少の疑問は残したままではあっただろうが――セラスに仕えることが出来ただろう。だけど……
「ユーグ、分かるだろう?」
分かるはずがない。けれど、どうあっても、セラスに逆らう事など出来るはずも無いのだから。従順に、忠誠を誓いつづけるしかないのだから。ユーグは唇をかみ締めて、一つ、小さく頷いた。
一族を逃げ出した、というその人の末裔が見つからなければいいと、心の奥底から望みながら。
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