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アザードの動きは、流れる水の如く、洗練されていた。これが、戦いの最中でなかったならば、誰もがその動きに見入っていただろう。しかし、ただがむしゃらにアザードに襲い掛かる雑魚達には、アザードの動きに目をとめる余裕などないようだ。
チャルは横目にアザードを見て、ため息をついた。
アザードがいれば、安心だから。そう言ったのはカールスであった。彼はアザードの性格を知っていたのかもしれない。どこまでも、穏やかで――だからこそ、恐ろしいアザードの性格を。
「ったく……俺の見せ場がないじゃないか」
チャルは頭の上で腕を組んで苦笑した。
「貴方様は、大人しく守られていればいいんです」
その独白に返したのは、チャルの分まで戦いを引き受けているアザードだ。どこにそんな余裕があるのかと、首を傾げたくなる程、敵を優雅にかつ確実に仕留めつつ、チャルの小さな独白にまで返事を返してくるとは、やはり、このアザード、只者ではない。彼もまたカールスの部下なのだ、とチャルは、カールスが聞いたら憤慨しそうな事を思って、一人納得した。
と、同時に、湧き上がってきた怒りにチャルはむっと顔をしかめる。
「つまり、俺は戦うな、と?」
「剣はただの飾り、暗殺術を使えるわけではない……つまり、今の貴方様は足手まといでは?ですから、さがっていて下さい」
それに、そういう身分でしょう、とアザードは続けた。
アザードの言葉は確かに的を得ていたので、チャルは憮然とした表情を浮かべたものの、アザードの言葉には大人しく従った。
もっとも、チャルは決して戦えないわけではない。確かに、アザードのように剣術に長けているわけでも、カールスのように暗殺術を心得ているわけでもないのだが、それでも、今、目の前でアザードの剣の餌食となっている雑魚と比べれば、まだ戦えるほうである。
(確かに、アザードに比べればお遊びみたいなもんだろうけどな)
チャルにもプライドというものは人並みに存在はしている。それでも、そのプライドに身を任せてしまうには、チャルは多くを知りすぎていたし、そして、自分の置かれている立場を思えば、軽はずみな行動は取れなかった。
思わず剣に手を伸ばしかけて――そして、チャルは俯いて歯噛みする。自分の無力さが悔しかった。
剣は抜けない。自分の持っている剣を抜くには、まだ自分は弱すぎる。身体的にも、精神的にも、そして立場的にも、もっと強くならねばならない。
静かな決意は、心の中にしまって、チャルは顔をあげた。
「アザード、適当に切り上げろ。遊んでいる暇はない」
「心得ました。では、私の強さを見せ付けて見せましょう」
「それ以上、化け物になるなよ」
化け物の部下は要らん、と続けて、チャルは改めて周囲を見つめた。
――無残な光景が広がっていた。
アザードの剣の餌食となった者達は、地面に無造作に投げ出されている。その全てが呼吸をしているところから、アザードが彼らを殺さないように気絶させているだけだとはわかっていたけれど、倒れ伏している彼らの姿は、どこからどう見ても、ただの死体の山だった。
自分が目標としている事に対する犠牲は、こんなものではない。何しろ、チャルの最終的な目的は、あまりにも無謀で、壮大で――人一人捕まえるのとは訳が違う。それは理解しているつもりではあったのだが、、そんな情景を思い浮かべれば、背中を悪寒が走った。
「チャストル様」
突然、鋭い声をアザードがあげた。チャルの意識は、一気に現実に引き戻される。
「どうした?」
「何かがいます」
最後の一人を気絶させて、アザードは剣を構えなおす。空気の質が変わったように、チャルには感じられた。深い緊張感があたりを支配している。それは、今にもチャル達を飲み込んでしまいそうだ。
「……」
その緊張感から、解放されたくてチャルはアザードの横に並び、全身を緊張させて意識を周囲に向けた。集中さえ出来れば、どんな気配でも感じ取る自信が、チャルにはあったのだ。
感じたのは、冷たい気配。けれど、それは、決して憎悪といった負の感情ではない。
「心配するな」
チャルは緊張を解き、ふ、と笑った。アザードはその言葉に、渋々ながらも、剣をおろす。チャルの言葉を信頼しての結果ではないのだろう。その証拠に、その瞳は鋭くチャルを射抜いてくる。
「危害を加えるとかいうつもりはなさそうだぞ?」
にやりと笑って、チャルは視線を暗闇に閉ざされた奥に向ける。まるで、自分を呼んでいるかのようなそれの視線を、チャルは確かに感じた。だけど、その視線の意味がわからない。
「それって、どういう意味ですか?」
「アザードさぁ……お前、見える人?」
視線は奥に向けたまま、チャルは何気なさを装ってたずねる。アザードがぎくりと体をこわばらせたのが、横目でもわかった。アザードはその手の話に免疫がないのだ。
「つまり、そういう事」
チャルはにやりと笑って、アザードに瞳を向けた。アザードの茶色の瞳が、頼りなさ気にゆれている。もちろん、アザードがそういう話が苦手だという事を知っていて、チャルは楽しんでいるのだ。
「見えるっつっても、別に幽霊ってわけじゃないんだけどなぁ」
くつくつと笑いながら、チャルは右手の人差し指を、奥に向けた。そこにいるのは、幼い少女だ。生身の人間ではないようだが、幽霊と呼んでいいものか、チャルは内心首を傾げる。と、いうのも、その少女は生身ではないにもかかわらず、生きている気配がしたからだ。
アザードがチャルの指の先に視線を向けて、首を傾げた。
「あそこに、可愛い女の子がいる」
チャルの説明に、アザードはごくりと唾を飲み込む。しかし、そうやらアザードにはその「女の子」の姿は見えていないようだ。真っ青な顔で、乾いた笑みを口許に浮かべて、アザードは視線を彷徨わせた。
「危害は加えないんですよ……ね?」
まあな、とチャルは難しい顔を作って頷く。煮え切らない答えに、アザードが焦れたような目線を向けてきて、チャルはもう一度、一つ頷いた。
「直接的に、危害を加えるタイプではないと思う。でも……」
それでも、チャルとて、多くの「生身ではない人間」を見てきたわけではない。直感的に、自分達に危害を加えないだろう、と判断したものの、それが絶対的に正しいと、自分の直感を過信しているわけではなかったのだ。
チャルが最初に見た、「生身ではない人間」は、おそらくはカールスの先祖にあたる人物であろう。何故か、彼はリブレスの屋敷に留まり、何時かくるだろう精神的な意味での「死」を待ち望んでいるようだった。
それから何度か、生身ではない人間を見た事はある。ふわりとその辺りに浮かんでいたり、誰かに必死に話しかけていたりと、色々なパターンはあったが、その中の誰一人としてチャルに視線を合わせる者はいなかったのだ。
(だけど、あれは……)
自分を見つめている。感情の浮かんでいない虚ろな視線は、確かにチャルに向いていた。
「間接的にだと、分からない、という事ですか?」
「……一口に間接的といっても、色々あるわけだしな」
チャルは口許だけに笑みを浮かべて、アザードを見つめた。
「結界が張られている可能性も、ないわけではない」
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