The Perfect Excuse
[中編]
人を好きになることって、正直、僕にはよく分からなかった。
きっと、時が経てば、大切に思える相手ぐらいは現れるんだろうなって、漠然とは感じていたんだけど、本当の意味での恋なんて知らなかった。
だって、人を好きになる事を教えてくれる人なんていなかった。母親に似た顔立ちを、かわいいね、と褒めてくれる人はとても多くて、僕を構って、可愛がってはくれるけれど、僕からの言葉を期待する人なんてすごく少なかったから。
僕はいつだって、自分のこの容姿を利用していて、人を好きになる必要なんてなかった。
それとも、だから、なのかな?
そういうのが「自分」なんだって、自分自身を第三者的立場で見ていたから、人を好きになっていても気付かなかっただけなのだろうか。
「シャルズ様?」
ぼうっと歩いていたら、突然声をかけられた。
あたりを見回してみると、どうやら、僕は知らず知らずのうちに騎士団の第三修練場に入り込んでいたらしい。滅多に人がいることはないから、一人で鍛錬するにはうってつけの場所だからなのか、僕は一人になりたい時に無意識のうちにここに向かってしまう癖があるようなのだ。
「賢者様!」
シャルズの名で顔を上げなかったからか、突然賢者という称号で呼ばれて、僕は慌てて声の主を探した。
隠しているわけではないけれど、賢者と呼ばれるのはあまり好きではない。それを知っていながら声にしたのだろう。声の主は僕の目線が彼女を捕らえたのに気が付いて、満足気に微笑んだ。
声の主は、女性ながらアーディル騎士団宮殿内警備隊隊長という長ったらしい名前のものを務める騎士、アルデ・ハイド・カーボニルだった。
初めて会ったときに、名前からしてフォス――つまり、学院の魔法学科のカーボニル教授の事なんだけど――とはなんらかの関係があるのだろうなとすぐに気がついたのだけど、案の定、彼女はフォスの姪に当たる人物らしい。
そういう関係もあって、彼女は僕が一級賢者である事を知っている。もっとも、フォスが話していなくても、自分から話していただろう。なにしろ、彼女こそ、僕の……片思い、なのかな?ともかく、それの相手なのだから。
「シャルズ様?」
僕がぼうっとアルデを見詰めていたからか、アルデは小首を少し傾げて僕に尋ねた。
その姿は文句なしにかわいいものだ。
僕よりも強くて、僕よりも年上で、僕よりも少しだけ背が高くて――それから、僕よりもずっとかわいい人。
キールが言っていたような激しい感情があるわけではないけれど、彼女といれば会話が一つもなくても、なんとなく幸せに思える。それもまた、キールとは形の違う恋かなって僕は思うんだ。
そう、きっと僕は彼女に恋をしている。とても、穏やかな恋を。
「アルデは、どうしてここに?」
「シャルズ様がいるような気がしたから」
分かってるよ。それが本気の言葉じゃないって事。
僕を持ち上げるためだけの言葉なんだって分ってはいるんだけど……やっぱり、その一言だけでも嬉しい。
「僕も、アルデがいるような気がしたから」
本当は、いつの間にかたどり着いていただけの事。だけど、僕の言葉はきっと全てが嘘というわけじゃない。無意識の行動は、自分の望みなんだから。
アルデは僕を見て、くすりと笑った。
「じゃあ、私達、同じ感覚を共有していたんですね」
その何気ない一言が飛び上がらんばかりに嬉しいだなんて、アルデには分からないだろう。
いつもと同じ顔をしながら、彼女の前でだけ必死に自分なんだってこと、アルデには分からないだろう。
だから、僕はいつもと同じように、いたって平静を装って、そうだね、と答える事しか出来なかった。
「そういえば、アルデ、エイジュの特訓していたんじゃなかったっけ?」
エイジュは僕の騎士になりたい、と無理やり騎士団に入団したのだ。当然、魔精である彼に剣術の基礎があるはずもなく、魔精に剣術を教えるなんて、と渋る騎士団の面々を制して、アルデがその特訓役を引き受けてくれたのだ。
僕としては、アルデとの接点が多少なりとも増えるので嬉しかったけど、アルデの訓練は半端なものではないらしくて、エイジュは毎日死にそうな顔をしている。
「それが、訓練についていけなくなって、とうとう倒れてしまったんですよね。だから、暫くお休みなんです」
「ああ……そうだったんだ。じゃあ、アルデも訓練、お休みだね」
「ええ。でも、他にも仕事がありますから」
なかなか休みがもらえないの、とアルデは苦笑を浮かべた。
アーディルの王宮内で一番忙しいとされているのが騎士団の人間だ。魔法使いはいるだけで箔がつくとか、そういった理由で、仕事自体は多いものの、休みを返上してまで働くような事態は滅多にない。反対に騎士団はいなければ格好がつかないとかいう理由で、休みを返上してまで働かなくてはいけないらしいのだ。
「シャルズ様はお忙しいの?」
僕は軽くかぶりを振った。
「賢者は賢者でも、僕はどこの国にも属していないからね。多分、フォスみたいに、どこかの国の顧問賢者になれば、きっと忙しいんだろうけどね」
「だけど、シャルズ様は……」
何か言いかけて、突然アルデは言葉を切った。
「だけど、僕は?」
その続きが気になって、僕は思わず緊張して尋ね返す。
アルデは僕の問いかけに勇気を得たように、小さく深呼吸をしてから、僕の目をまっすぐ前から見詰めてきた。
「だけど、シャルズ様はいずれこの国の顧問賢者になられるおつもりはあるのでしょう?」
メラフィと結婚して、この国の王様になるんでしょう?――てっきり、そう訊かれるんだとばかり思っていた僕は拍子抜けした。
だけど、考えてみれば、アルデがそんな事を尋ねるはずがない。なにしろ、その話は僕がもう少し大きくなるまで進む事はないはずだし、今はまだ国王とその周辺という小さな世界で起きているだけの話だ。アルデがその話を知っているはずがないのだから。
「シャルズ様は、この国を捨てては行かないのでしょう?」
僕は頷けなかった。
どうして、と尋ねられたら、答えることは出来ない。
ただ、アルデが酷く真剣で、僕も真剣に答えなくてはいけないと、そう強く感じて――。
だから簡単に、うん、なんて答える事は出来なかった。
アーディルという国は未だ幼すぎて、賢者として世界を知ってしまった僕が、アーディルを見切らないと言い切れるだけの理由がない。
無条件にこの国を好きでいられるほど、僕はこの国を――生まれ故郷という以上には――知らない。
だけど、ただ、一つ分かっている事は。
「アルデがこの国の事を好きでいる限り、僕も出来る限りこの国を好きでいるよ」
僕が言うと、アルデはどうしてか、ありがとう、と一言呟いた。