こんなことはやっちゃいけない
「言論の自由」「表現の自由」と言い切ってしまうには、インターネット(というかwebページ)はあまりにも怖い、無法地帯です。
ここには公的な検閲制度がいっさい通用しません。
公的、というのは、必ずしも官憲ということではなくて、例えば業界の自主規制などもそれです。
検閲制度と言って悪ければ、チェック機能と言っていいでしょうか。
今、世界中には、一生かけても見ることが出来ないほどの、ものすごい量のwebページがアップされているといいます。
匿名性も高く、どんな悪事でも働くことが出来るというのが現状でしょう。
犯罪行為として成立すれば、本人を捕まえて罰することもできるでしょうが、犯罪行為が成立するまでに多くの被害者が出てるはずですし、僕がここで問題にしたいのは法的な問題とか、犯罪として立証できるかとかそう言うことではなく、ひとの心の問題です。
「特定の個人・団体を誹謗中傷する内容の書き込みを禁止します」
「著作権を侵害する内容の書き込みをしないで下さい」
伝言板などによくこういう注意書きを見かけます。
また、「このwebページの著作権は○○にあります」「○○の許可を得て転載していますから、2次転載を禁止します」などなど、普段著作・芸術活動と縁のない素人の個人がこのようなことを書かなくてはならなくなっています。
この章では、「誹謗・中傷」に関することと、「著作権を主とした権利」に関することに、簡単に触れたいと思います。
誹謗中傷をするなという伝言板の注意書きをあちこちで見たとき、何故そんな注意書きがわざわざ書かれているのか、少し理解に苦しみました。
ネットサーフィンを続け、自分でもHPを持つようになり、そして考え、少しだけ理解できたと思っています。
webページを持つことがきわめて簡単に出来る、ということがまず第一の原因でしょう。
例えばそれは、ショッキングな字体で特定の人のありもしないスキャンダルを流すことが、大したお金も手間もかけずに、いとも簡単に出来るということです。
特定の人とは、有名人・著名人の場合もあるでしょうが、そういう人たちには守ってくれるものがあります。(だからいいというわけではないですよ)
しかし、僕たち個人ページの著者が、それぞれのページを通じて交流している場合は、どうでしょうか?
僕たちはここでは心の交流をしているわけであり、その交流の場(伝言板やチャットなど)で、ひどく罵られて、傷ついてしまったりします。本人は罵ったつもりなど無く、通常の会話であったのに、その受け手だけが精神的にひどくダメージを受けることがあります。
対面しての会話でなら、表情もわかるし、声のトーンもあるし、ボディランゲージもあるしで、ニュアンスが正しく伝わり、それほど傷つかないでしょう。あるいは、後で電話をかけてフォローすることもできます。
でも、web上だけで交流している人たちが、その唯一の交流の場で傷ついてしまったら、救いがありません。それでネットを去っていった人を僕は知っています。
だけど僕は、彼の電話番号も住所も知らないし、メールを読んでもらえなければ、慰めてあげることもできません。
特定の業界や企業に対してボロクソに書かれたページを見たこともありますし、わたしの仕事に関することもありました。馬鹿馬鹿しくて反論もしていませんし、書き方がなってない(批判ではなくて誹謗中傷になっている)だけで、当たっている部分もあります。
もちろん、新聞・雑誌・テレビ・ラジオ・書籍などあらゆる媒体で、特定のどこかをボロクソに書いていることはあります。しかし、これが僕が2番目に言いたいことなのですが、そういったマスコミは、世間に流れるまでに多くの人の手と目を経ている、つまり事前のチェック機能がある程度働いている、ということです。
僕も愛読しているある作家の単行本に、僕の所属する業界のことをボロクソに書いているものがありますが、こういう本の場合は、「嫌なら読まなければいい」という要素もありますし、組織対組織で法的に対決することもできます。
でも、ただの個人がボロクソに書いて、それで多大な影響が出たとしても、犯罪として立証できなければどうすることもできません。プロバイダ契約をキャンセルされれば、クレームのメールすら出せなくなってしまいます。
だから、伝言板の書き込みはもちろん、僕たちがwebページにアップするときには、細心の注意が必要なのです。
多くの人の手と目を経てきた一般的なマスコミでさえ、時々大失態を演じて、謝罪したり損害賠償に応じたりしています。
ましてや個人で勝手にページをアップするわけですから、慎重を要するのは言うまでもないことです。
第3に、日本人の特性なのかも知れませんが、批評・批判があまり日常生活になじみ無く、誹謗・中傷との境目を一般論として理解している人が少なく、また、境目が慣習としてはっきりしていない、という点が上げられるでしょう。
誰かが自分のことについて何か書き込みをしたとします。それが、一般的に見て正当な批評であったとしても、僕自身それを批評として受け止められるかどうか自信がありません。誹謗と受け取って深く傷つくかも知れません。批判しなれていないと言う面に加えて、批判されなれていないと言うことが言えるわけです。
これも、素人とプロの違いがあるのでしょうが、プロなら自分の作品に対してボロクソに言われることになれていても、また「それは君の受け止め方が間違っているよ」と自信を持って笑い飛ばすことも出来ますし、さらに反論する機会も与えられるでしょう。
第4に、ネットサーフィンの特性として、望まないページを目にしてしまうことがある、ということです。
ゴシップやスキャンダルばかり取り上げてる雑誌がありますし、そのうちある程度の割合ででっち上げや嘘が含まれていることも、我々は知っています。そういうのを承知の上で、好きな人はお金を払って買えばいいし、嫌な人は買わなければいいわけです。ところが、リンクを辿ってのサーフィンでは、ページを開くまでわかりません。
野球の好きな人が、野球について扱ったサイトをサーフィンするうちに、自分の大好きな選手が昨日たまたま重大なエラーをしたからと言って、「○○のバカヤロー」などというページをたまたま開いたら、ショックだと思うのです。
第5に、これが一番怖いのですが、こういったインターネットの特性を理解している人がまだまだ少ないのではないだろうか、ということです。
みんなが理解していれば、ひどいことを書いてもいいとは言いません。が、仮に自分自身に対してひどいことが書いてあっても、「インターネットとはこういうものだから、いちいち傷つかなくていい」と割り切れます。頭の中でのそういう理解でなく、本当に心の底からそう思えなければ、やはり傷ついてしまいます。それらが理解される時代が来るまでにはまだまだ時間がかかると思います。
偉そうなことを書きましたが、翻ってそう言う自分自身はどうなんだと問うた時、僕は自分に自信がありません。気を付けてはいますが、誰も傷つけていないという保証は何処にもないからです。
かといって、細心の注意をいつも最大限払って、などという気も実はあまりありません。神経質になりすぎては楽しめないからです。交通事故が嫌なら、外に出るな、という極論に近づいてはいけません。個人ページを媒体とした交流とは、気軽で楽しいものでなくてはならないはずです。
僕がいいたいのは、そういう怖い面があるのですよ、ということを多くの人が理解して初めて、状況が変わってくるだろう、ということなのです。
そういう時代を迎えるために、神経質になりすぎるのも良くないけれど、充分気を付けてこの時代をのりきろうではありませんか。
カセットテープでもビデオテープでも、ダビングを続ければどんどん音質や画像は劣化していきます。
複写機を使っても同じ事で、孫コピー・曾孫コピーと複写を続ければ、文字はどんどん潰れ、逆に白いはずの場所に黒い点やらシミがどんどん浮いてきます。
ところが、webページやEメールの場合はどうでしょうか。
全く劣化しないわけですね。これが。
冷静に考えれば(考えなくても)当然のことですが、改めてこのことに気が付いたとき、僕は結構カルチャーショックを受けました。
つまり、誰かが撮った写真や描いたCGや創った音楽を、そのままの状態で複写して自分のHDDに取り込み(ここまでは認められた行為)、これを自分のページにアップしたりメールでばらまいたり(これはしてはダメ)することが可能なのです。
もちろんテキストならなおさらです。
お気に入りの画像をネットサーフィンで見つけたとき、それをダウンロードして個人的に楽しむことは、法的に認められています。
しかし、再配布はしてはならないのです。自分のページ上で公開することも、再配布にあたります。
もちろん、素材としてフリーでご利用下さい、と言うような場合は例外ですが、それも認められるのは、自分のページで公開するところまで。
そのページを見た人が同じ素材を欲しいと思ったら、直接その素材を提供しているページをまず訪れるべきです。すなわち、フリー素材を使っている方は直接そのページへ行くためのリンクを設定しておくとか、アドレスを公開しておくとかの方法を用いて、その出典を明らかにしておくのが好ましいと考えます。
ただし、法律の解釈としては非常に難しいでしょう。
僕たちは個人ページを趣味で作っているのであって、著作権でいうところの「個人的に楽しむ」範囲内にあると考えられます。誰かが誰かの著作物を無断で自分のページに転載したとして、「個人的に楽しんでいるだけだ」「商用に使っていない」という主張をすれば、それも一理あるでしょう。一方、商用であろうと無かろうと、不特定多数に対する「放送」であるという解釈も成り立つでしょう。
僕はここでは、法律などと無関係に、「そんなことはモラルとしてやってはいけません」と、主張します。
自分の著作物が無断で転載されたりしたら、自分自身はどんな気持ちがするか、そう思うとするべきではありません。
逆に、「転載させて下さい」というメールのひとつでも来たら、こんなに嬉しいことはありません。自分の作品が認められたということですから。
僕はこのような場合、「商用ページでないこと」「出典を明らかにして再配布を禁じる旨明示してもらうこと」を条件に、喜んで転載を認めようと考えています。
もちろん、自分から差し上げたものに関しては、差し上げた方の自由にしてもらおうと思っています。
しかしこれらの条件は人それぞれ考え方次第ですから、各自どのような態度をとるか、決めておくといいでしょう。
「いっさいの転載は認めない。必要ならリンクを貼って下さい」というのも立派な態度です。
これらのことに関する考え方の基本、というか念頭に置いておくべき事は、「いっさい劣化することなく限りなく複写できる」という特性についてでしょう。
さて。引用についてはどうでしょうか。
僕はあるページで「歌詞をそのまま紹介という形で転載している」のを見たことがありますが、感心しません。
ファン心理として、一人でも多くの人に良さを伝えたい、というのはわかりますが。
インターネットはまだ新しいメディアであり、法の解釈としても慣習としても、はっきりした見解が出ていません。見解が出ていない以上、「やりたい放題」などと思ってはダメで、「慎重にやりましょう」ということになります。
僕も沢田聖子さんのファンですから、その詩の全部を引用して彼女の紹介をしたい気持ちはあります。しかし、いま先走ったことをしてしまうと、将来巡ってくるかも知れないそのチャンスさえ潰すことになりかねません。
今、自粛しておくことで、将来ある条件(商用ページでないとか、紹介を目的にしているとか)下で認められるかも知れませんし、一切認められないかも知れません。それら検討がなされる前に先走ったことをしては取り返しがつかないことになるでしょうし、そればかりか著作権使用料を請求されるなどと言うこともあるかも知れません。
肖像権に関わる写真は載せるべきではないと思います。
旅行記として「自由の女神」の写真は載せてもいいと思っていますが、タレントの写真は本人が撮ったスナップでも避けた方が無難でしょう。タレントのみなさんはその顔で商売をしているわけですから。
その写真を掲載することでそのページ運営者がお金を得ていないのならば、タレント業に対してもプラスになるから構わないじゃないか、という考え方もあるかも知れませんが、心ない人がその写真をダウンロードして販売することもあると考えれば、避けるべきでしょう。
そういう意味では、僕は個人的なスナップ写真に関してもちょっと神経質になっています。
写真インスピレーションクイズにおいては、人物写真は「自分も一緒に映っているもの(つまり明らかなスナップ的な記念写真であると苦しい主張をしている)」または「後ろ姿」または「個人の特定がきわめて困難なもの」と自分なりに掲載基準を判断しています。
しかし、思わぬところでご本人に迷惑がかかるかも知れず、リスクを抱えた企画であることは確かです。
お正月のニュースなどで、「明治神宮では○○○万人の初詣客が」などとアナウンサーがいいながら、境内の様子を放送で流したりしており、このとき多くの人物が本人の了解なしに電波に流れているわけですけれども、これと同種のものであるという解釈が果たして出来るのか、どうか。
法的な解釈はここでは述べません。ぼくは肖像権に関しては著作権以上に無知であり、また、個人ページの制作者がそこまで精通する必要もないと思っています。
大切なのは、「行き過ぎにならない」ためには、どうするのがいいか、落ち着いて考えることでしょう。
インターネットはまだまだ新しいメディアであり、その新しいメディアに早々とのっかってしまった僕たちは、その創生期に携わっていると大げさに考えましょう。この大切な創生期にどのような発展経路を辿るかが、今後のインターネットを大きく変えていくことになるでしょう。我々はそれに携わっているのですから、重大です。
いくらメーカーが新しい機能満載のブラウザを登場させたとしても、それを利用するのはユーザーであり、ホームページの制作者でありますから、決して「ただのユーザーである我々は関係ないんだよ」とは思わないことです。
htmlの開発者だけが、インターネットの開発者ではないのです。
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