アメリカ大陸自転車縦断旅日記
by おくっち


「チリもチャリれば」略して「チリチャリ」

「チリもつもれば」はおくっちの自転車旅行のオフィシャルサポーターです。



自転車旅日記はぼちぼち更新します。
97年12月1日に無事日本帰国。



(せめておくっちの旅の様子が少しでもわかるよう、
下線部分をクリックすると、関連Webページへ飛んでいくことが出来ます。)


Ecuadorルート


メキシコ走破ルートへ
ガテマラ走破ルートへ




12月23日。なんと7月21日以来の更新です。
 諸般の都合により、更新が途絶えていました。気がつくと時は12月。その間におくっちはサンチャゴに到着し、この度無事帰国しました。

 リアルタイムとはいきませんが、おくっちからレポートをもらっていますので、後日談を含めて「おくっちの旅」の更新をつづけます。


12月14日、日本にて(97年12月23日アップ)
 自転車もカメラも修理に出し、ようやく一段落ついた感じです。でも、帰国した次の日からさっそく風邪をひいてしまい、それが全然治りません。すっかり南米体質になってしまい、日本の風邪薬が効かなくなったのでは・・・と笑っています。風邪のため食べ物の味が全然わからず、いまだにお寿司とか食べに行っていなせん。

 この前、病院に行ったついでに検便をしてもらいました。結果はまだ分からないのですが、ペルーとチリでなった強烈な下痢の話をしたところ、参考にその時飲んだ薬を見せてほしいと言われ、チリで買った4個で2000ペソした錠剤を持っていきました。その薬の名前を調べてみて、先生がちょっとためらったので、どうしたんやと思っていたところ、なんとその薬は下痢の薬でも寄生虫を殺す薬でもなかったのです。この薬は女性の陰部にできるカビ(そんな病気があるんか) を治す薬だったのです。ぼくはこの薬を飲んで一発で下痢が治ったため、自信満々で病院に持っていったのですが、それを聞いて絶句してしまいました。

 そんな薬をぼくに売る薬局もたいがいやと思いますが、(ロンリープラネットを持っていき、薬の名前を見せて買った)そんな薬で下痢が治ってしまったぼくはいったい何なんや、とかなり複雑な気持ちになりました。薬局の女性に一言。

 「おい、こら。薬局のおばはん。そんなもん俺に売るな。」

 話は変わって、ぼくの写真を現像してくれていた写真屋が、ぼくの写真を気に入ってくれ、近くの郵便局と銀行で来年、写真展をすることになりました。3000枚くらいある中から12枚を選ばなくてはならず、結構なんぎしています。よく考えるとかなり恥ずかしいものがあります。いよいよ写真家デビューです。(笑)


7月16日 エクアドル、ペルー国境の町トゥンベス(97年12月23日アップ)
 エクアドルアンデスから海岸地帯に下るとバナナ園が広がっている。いよいよインカ帝国突入と、わくわくしながらペルーに入国した。インチキそうな両替屋のオヤジの間をくぐり抜け、トゥンベスに無事到着した。

 いつものように、晩飯の材料と明日のパンを買いに市場へ向かった。ポンカンを発見したので買ってみようと思い、お金を払おうとした瞬間、後ろからいきなり腕時計をつかまれた。引ったくりである。ぼくは瞬間的にプッチンして、
 「なんじゃこら。はなせ、ぼけ!」
と、男につかみかかった。ぼくの時計がなかなかはずれず、ぼくは男の首をがっしりと捕まえた。
 “おっ、やった。つかまえた。もしかして俺ってヒーロー?”
 とか、考えていたら、後ろから誰かに背中を突き飛ばされこけてしまった。「待て、こら。」とちょっと追いかけたが、待ってくれるわけもなく、結局逃げられてしまった。向こうは生活がかかっているのである。当然ながらぼくより必死である。周りの人は何で空手でつかまえないんだと聞いてきたが
 “空手なんてしたことないっちゅうねん。”
と心の中で突っ込みながら警官を捜した。

 盗られた瞬間はムカッときたが、しばらくたつと“ぼくもようやく中南米旅行者の仲間入り”と、妙にうれしくなってきた。ぼくがあった旅行者は多かれ少なかれ、みんな何かを盗られていたのである。

 ぼくはニコニコしながら警察署に向かった。警察署は町からちょっと離れており、バイクタクシーで行った。小さな警察署に行くとヒマな警官に囲まれ、この自動車は日本ではいくらするのかとか、日本の警官の給料はいくらくらいだとか関係ないことばかり聞いてきて、なかなか書類を作ってくれない。“警官の給料なんて、知るか。それより早くやってくれ。”と適当に相手をしていると、ようやく調書の作成に入った。やっと終わりかと思ったら、銀行に行って用紙を買ってこいと言う。しょうがないのでまたバイクタクシーに乗って町に戻り用紙を買ってきた。これで終わりかと思ったらその用紙を3枚コピーしてこいと言う。“おい、オッサン。そんなんいっぺんに言うてくれや”と思いながらまた町に戻りコピーしてきた。これで終わりかと思ったら、タイプするオッサンが「今日は終わり。また明日来て。」とぬかす。

 ぼくは今までこの「また明日。」に何度も泣かされていたので、何とか頼み込んでしてもらうことにした。タイプも終わり、“よし、これで保険はOK。”と帰ろうと思ったら、なんとそのオッサンは金をよこせという。ワイロである。ぼくがわからない振りをしていたら、自分の財布から札を出して、これをよこせと何ともわかりやすいゼスチャーをしてきた。ぼくも関西人。ここで一発ボケなあかんと思い、その札を受け取り、一言

 「グラシアス。」

 とギャグをかましたのだが、そのオッサンには通じなかった。オッサンはマジな顔で札をひったくった。なおも要求してくるので、しょうがなくボールペンをやった。

 今日は長い一日だった。泥棒よりも警察の方が疲れた。やっとおれも泥棒にあったでと、変な充実感を感じながら眠りについたのであった。


7月21日おくっちから絵はがき
が来たので紹介させていただきます。

 「チリつも」さん、お元気でしょうか。南米大陸へ無事上陸することができ、 7月8日に エクアドルのキトを出発してやっとクエンカに到着しました。3,000mの山を登ったり下ったり。 寒いし雨は降るし、結構苦しめられています。6月27日から7月1日までは ガラパゴスへ行って来ました。 海岸には海イグアナやガラパゴスアシカがたくさん日光浴していて、アシカと泳いだりしました。 とても楽しかったです。
 ぼくは予定通り進んでいるのですが、坂ちゃんと会うのは9月にクスコでということになってしまいました。
 7月14日 クエンカにて


6月7日アンティグア
 アンティグアに入り日本人が10人余り泊まっているホテルに滞在する。皆で食事を作ったり、 色々な情報を集めたり、スペイン語の勉強をしたりと楽しく過ごす。織物の研究をしている人 (日本人)の家の焼き肉パーティーに招待されとても楽しかった。 ここの日本人は語学の勉強にやってくる人が多いようだ。

 日本からDHL で送ってもらったフィルム・本などはアンティグアで無事受け取れた。 ガテマラシティのDHLの取次店から、アンティグアの店で受け取るのに3日もかかったが、 これがガテマラなのだと言われた。

 ホテルの最上階に日本人達はみな宿泊しており、今自分は屋上で喫茶店を経営している。 コーヒーの豆を買ってきてコーヒーを出し、いくらかづつ頂戴している。 アウトドア用のコーヒーミルを持っているからできる技だ (この子、ちゃっかりしています−おくっちのお母様談)。

 天候は2日雨が続くと1日晴れるといった感じ。また夕方にはいつも雨が降る。夜はかなり寒い。

 今後は6月20日頃に飛行機でコロンビアのボゴタへ行き、乗り継ぎのため1〜2日滞在。 日本人の経営しているペンションササキへ宿泊の予定。エクアドルのキトに飛び、 またそこから自転車の旅にしようと思っている。コロンビアは「チリもつもれば」 読者の方から注意喚起が来たので、1人で旅をするのは不安なので飛行機で通り抜けることにする。


6月4日ガテマラシティ
 ガテマラシティに到着。自転車のペダルの具合が悪くなる。一日市内の自転車屋を捜して付け替えたものの、 すぐ調子が悪くなって困る。仕方がないので実家に頼んで日本から送ってもらうことにする。

 標高1500mのガテマラシティに入る前は高度が上がるため、かなりきつい登りだった。 市内はメキシコシティより空気が悪いらしく、喉を痛めた。ここでは博物館などを見学。


6月2日ガテマラ・チキムラ
 ここからホンジュラスのコパンに日帰りで行って、あごひげのある石碑を見に行った。

 ガテマラに入り、メキシコと違うなと気づいたのは:  自転車のタイヤの溝を測ったら、後輪が2/3、前輪が1/2減っていた。


5月29日ガテマラ・フロレス
 バスで10時間、 ガテマラに入国。フロレスで、インターネットを見ることができるところがあったので、 「チリもつもれば」をのぞく。自分のことが出ていたのですごく嬉しかった。


5月23日チェテゥマル
 ベリーズとの国境の町に着く。ユースに泊まるが泊まり客は誰もいない。 ビザを取るためにしばらく滞在。道路が非常に悪いので、ガテマラへはバスで行くことにする。


5月20日・テゥルム
 ジャングルの中40度以上の気温。でもショートカットの道が出来ていたのでメリダからすぐに到着。 ここに到着するまでには、バジャドリのツェノートで8ペソの入場料を払い泳いだ。 透明な水で気持ちが良かった。ウシュウマルでもチチェンイッツアでも、 1泊200ペソのホテルの庭にキャンプをさせてもらい、プールで泳いでシャワーを使って、 リゾート気分(もちろん無料)。

 カレーを作っていると興味深そうに寄ってくるので、例のごとく漢字・カタカナ・ ひらがなで名前を書いてあげる。これがここでも好評(漢字に点々や丸をつけて苦労してもいるが…)。 みそ・しょう油が日本人の第一の心ならカレーは第二の心だと思う。てなわけでカレーをよく作る。 過食症気味なのか、いくらでも食べられる。

 治安は悪くなく、この当たりの人はちょっとシャイな陽気さで楽しい。 おじさんの顔はショーケン顔が多い。焼き畑農業やマチェット(山刀)をもってマキを採りに行く生活は 都会とは違い、大変そうだ。

 アジア系は皆一様にChino(チノ・中国人)と呼ばれる。 一昔前日本で白人を皆アメリカ人と言っていたのと同じ様なものであろう。 ハポンと言っても、地図を見せても日本を知らない人がほとんど。毎回説明するのが面倒くさくなるほど。

 よーろぱからのリタイヤ組の団体(40人くらい)が多く見られ、ソニーのビデオカメラ、 キャノンのカメラを持ち、すごい迫力。日本人の団体なんかそれに比べるとかわいいもんだ。 とにかく体が大きくてやかましい…。

 大変な暑さのためコーラを1日3リットル飲み、結構お金がかかる。500ミリリットルが2.5 ペソ〜4ペソと店によって異なるので、日本と違っているのが不思議だ。切手代3.6ペソ、 絵はがき3〜5ペソ、これも結構バカにならない。


5月15日・メリダ
 メリダに到着。大都会だ。安宿に荷を解き、暖かいシャワーを浴びてほっとした。 道中では大は牛から小はヘビまで車にはねられて死んでいる。それらの処理は専ら猛禽類だそうだ。

 一時メガネざるのようになっていた顔もサングラスを取ったので全体真っ黒、 ジュースの飲み過ぎで下腹が出てきたような気がする。


5月13日・カンペチェ
 昨日は子供達と遊びなかなか楽しかったが、雑貨屋の庭を借りテントを張って寝ていると、 突然テントが異常に揺れた。驚いてテントから顔を出すとぶん殴られた。 若い男が数人の仲間の方へ走っていった。下手に騒ぐと危険だと思い、早朝に出発。右眼が腫れている。 また、道路を走っていると、唾を吐きかけられたことがある。見上げるとバスから 若い男が薄ら笑いを浮かべ見下ろしていた。どうも若い男に屈折した、陰湿な感情を持った人が多いように思える。 失業問題など、色々な国情がそうさせるのだろうか。ことばは日常会話はだいたい通じるようになった。


5月9日・パレンケ〜アクアカテル
 バハカリフォルニア以来、約半月ぶりの自転車である。バハのサボテン荒野地帯とはうって変わって 緑の牧草地帯を走る。気温はすぐに45度を超える。ジャングル地帯なのでかなり蒸し暑い。

 途中、牧場で水をもらいコップ2杯を飲み干した。ちょっとやばいかなと思ったが暑さには勝てなかった。 これが原因で数日間強烈な水下痢が続いた。

 夕方、川沿いの村でキャンプしようと岸辺に下りていったところ、川で泳いでいた家族が家に招待してくれた。 初めてのことなので喜んで家に行かせてもらった。招待してくれたのはモレロさん一家で、 中学生の娘さんと2人のおばあさん、夫婦の5人家族。シャワーを浴びるかと聞かれたので、 家の裏に行ってみるとたらいに水がはってあった。ハンモックで寝るように勧められたが、 次の日からだが痛くなるのがわかっているのでテントを張らせてもらった。わずか数分で張れたテントを、 皆驚きの目で見つめていた。

 みんなの名前を日本語で書いてあげると、これがとても好評でいいコミュニケーションになる。 特に漢字で書く名前が大好評なのである。例えばペドロさんの場合、「屁泥」と書いてあげると ふーんと眺める。書いているこっちが笑ってしまう。

 夜はダンス大会があるというので行ってみた。周辺の村からも人が来ているようで、かなりの人数である。 小学生達が踊るのだが、終わる度に散らばっている子供達を集めるので、踊り3分、待ち時間20分と いう感じでなかなか進まない。非常にメキシコ的なのでした。


5月1日・メキシコシティ
 メキシコシティのペンションアミーゴの居心地はいいのだが、町の様子や車の無法ぶりがどこか中国を思い出させるものがある。 ちなみに僕は中国に3回行ったことがある:  メキシコシティの物価は1ドル=7.91ペソとして、タコス:4ペソ、コーラ:4ペソ、 定食:10ペソ、安宿:50ペソ、フィルム36枚:35ペソ、博物館:16ペソなど。 スペイン語は頑張って単語を覚えているところだ。

 ここにいると2週間前の事が嘘のようである。バハカリフォルニアを走っているときは、 早くここペンションアミーゴに来たくてしようがなかった。日本語を話したい一心で、 45度を越えるサボテン地帯を乗り切った。メキシコシティに着いて10日が過ぎようとしている今、 もうここはぼくのいるべき場所ではないという気がしてきた。周りは日本人ばかりなので、 確かに居心地はいいのだが、同時に好奇心も吸い取られていくようで、ただ何となく一日を過ごしてしまう。 今日ここを出ることに決めた。夜のバスでオアハカに出発。いよいよユカタン半島の遺跡を巡る旅、 楽しみだ。


4月27日
 4月24日にメキシコシティに到着。ペンションアミーゴに入る。気の緩みからか、 風邪を引いてしまう。しかしTeotihuacan(ティオティワカン)に行き、 その聞きしにまさる遺跡の大きさにびっくり、風邪も吹っ飛んだ。やはり(ペンションで) 日本語が通じることが何よりです。もうちょっとここに滞在しています。


4月20日第一報到着!
 「チリつも」が日本でのんびりしている間におくっちからの第一報が届きま した。おくっちが実家に送った情報をお母様から頂きましたので掲載させていた だきます。

 3月31日に関空よりソウル経由で アシアナ航空にてロス入り。 すぐに南下を開始し、 メキシコに入国(おそらくサンディエゴ〜ティファナで国境越えと推 測)。カリフォルニア半島を1日平均150km走行、Guererro Ne groを経由して4月20日 La Pazに到着。これからメキシコシティに向 かうところ(La PazからMazatranへフェリーで渡り、そこからは 陸路でGuadalajara経由でメキシコシティを目指すと推測される)。 元気だが少し疲れ気味。サボテンの荒野を走り続け、精神的に参った。食べ物は おいしく、今はパン屋へ寄るのが楽しみ。走り続けないと止まってしまいそうで 、とにかく町から町へひたすら走った。La Pazは大都会でほっとした。こ こで少し充電し、メキシコシティに向かう。遺跡を見て回るのを楽しみにしてい る。メキシコシティには約10日ほど滞在の予定、ペンションアミーゴに宿泊の 予定。

 (チリつも解説:まずは記念すべき第一報、無事なようで何よりだ。カリフ ォルニア半島縦断のルート、美しい海岸を一路南へ…と思いがちだが、幹線道路 は半島の中央部を通っている箇所が多く、岩がごろごろした砂漠地帯にところど ころサボテンが生えているといった、単調なつらいルートだったと思われる。L a PazはCabo San Lucasと並ぶ、カリフォルニア半島きって のリゾート都市。おくっちがほっとしたのもよくわかる。カリフォルニア半島縦 断だけでも1500kmの行程だ。のっけからすっげー。)
 

おくっち、「チリつも」と最初で最後の日本での打ち合わせ
3月30日(「チリつも」作者記載)
 来る3月30日、出発を翌日に控えたおくっちがわざわざ名古屋まで「チリ つも」筆者に会いに来てくれました。電話で前日に待ち合わせ場所とお互いの服 装を確認しておいたので、当日は待ち合わせ場所の名古屋駅新幹線口で容易にお くっちを補足しました。初めて拝見するおくっちの第一印象は「さわやかで結構男前(笑)」でした。いやいや、お世辞でも何でもなくて。顔写真をお見せできないのが残 念。

 「チリつも」夫が当日昼過ぎから結婚式という事情により、非常にタイトな スケジュールの中での打ち合わせとなった。名古屋は久しぶりだと言うおくっち に、立ち話も何なのでとりあえず名古屋の市内案内でも、思い、名古屋ドームと 熱田神宮に連れていく。道すがら、お互いの自己紹介やらチリやメキシコについ ての情報の交換をした。実際に会うのは初めてなのだが、すでに何回もメールで やりとりはしているので初対面というわけでもないし、なんか変な感じだった。 おくっちのお母さんが今必死で電子メールの勉強中とのこと。今後のやりとりは おくっちのお母さんを介して行うことが主となるだけに健闘を祈らずにいられな い。

 昼食はせっかくなので何か和食でも、と思い熱田神宮のそばの「ひつまぶし 」の店へはいる。「ひつまぶし」とは一言で言うとうな重なのだが、これを椀に とりわけ、のりやネギをかけた上にお茶を注いでうなぎ茶漬けとして食べる、ち ょっとおつな一品である(実は「チリつも」夫も食べるのはこれが初めてであっ た)。おいしゅうございましたっと。

 昼食が終わったら何ともうタイムアップ。「チリつも」夫が3時からの披露 宴に行かねばならないので泣く泣くこれにてお別れとなる。それにしてもおくっ ち、話し方なぞを見ても淡々としていて全く気負いが感じられない。これからの 長い行程を考えると、あれくらいでないと最終目的地まで持たないだろう。本人 は「ホームページ、友達見てるんですよ。途中で挫折したらめっちゃかっこ悪い やつになってしまうんでいやですねえ」と言っていたが、いやいやどうして。こ うして会ってみてあらためておくっちってすごい、これなら全行程走破してくれ ることだろうと確信したのであった(え、ちょっとおやぢモード入ってる?)。

 BUEN VIAJE! (Have a nice trip!)


四国一周(トレーニング編)
3月3日
 朝6時に家を出た。近くの駅まで自転車に乗っていき、出勤の人たちの目に さらされながら自転車を分解し、輪行した。 東神戸港からフェリーに乗るのだ が、自転車は車と同じ搭乗口から乗船する。自転車を分解しなくてすむのでかな り楽である。 

 高松から西に向かって走りはじめる。道路は広くて走りやすいのだが、ずっ と向かい風である。この日は銭形で有名な観音寺のそばでテントを張った。走行 距離62km。

3月4日
 今日は快晴である。7時すぎに出発した。しかし国道11号線はトラックが 多く、道も狭く、走りにくいことこの上ない。しかも向かい風である。 

 昼過ぎ、さらに最悪な峠が現れた。片側一車線で路肩、歩道なし。交通量多 くほとんどがダンプ。道が狭いので僕をよけることができず、ぎりぎりを通過し ていく。ちょっとでもふらついたら終わりである。自転車、歩行者を完全に無視 した道路であった。 この日は松山市を過ぎ、双海町という町の海岸でテントを 張った。走行距離138km。

3月5日
 自転車に乗り始めて気づいたのだが、やたらと腹がへる。休憩ごとに何かを 食べている。今回、この行動食代がかなりの額になった。 

 四国南西部をショートカットして須崎に抜ける途中東津野村を通った。ここ は四万十川源流の町である。2年前、歩きの旅の時、この村を通ったのである。 ここの公民館の裏でテントを張ったとき、少年がテントに興味を持ち、中にいれ てあげたり一緒に釣りをしたりしたことが頭に浮かんできて、会いたくなった。 時間は3時半をまわって道草をしている暇はなかったのだが会いに行くことにし た。ちょうど遊んでいた小学生に尋ねてみると、その子がその少年だったのだ。 僕のことを覚えていてくれた。なんだかとってもうれしかった。走行距離150 km。

3月6日
 須崎の朝市でポンカンとトマトを買って室戸岬を目指す。途中、歩いてお遍 路さんをしている茶髪の兄ちゃんとすれ違う。僕に向かってした、親指を立てた サインがかっこよかった。僕も何かかっこいいサインを考えなければ。高知の桂 浜をすぎて、海岸沿いをひた走り室戸市に着く。鰹のたたきを買って室戸岬に向 かった。

 今日はあまりアップダウンがなかったが、ずっと平地というのもしんどいも のである。お尻が痛くなるのが早いような気がする。室戸岬で、富山から来た田 中君と一緒にテントを張る。晩飯を食いながらいろんな話をした。彼も四万十川 を歩いたことがあり思いで話がなつかしかった。一人旅はこんな知らない人との 話が一番おもしろい。
 
 と、急に気分が悪くなってきた。さっきの鰹のたたきかと思いながらテント に戻った。そのあとすぐにもどしてしまい、急に寒気がしてきて、風邪をひいた ことに気がついた。だんだん天気は悪くなってきて外は突風が吹いてきた。僕は 頭がくらくらしてきて、これはイカンと思いながら、風邪にはビタミンCと水分 だと考え、ポンカンを食べ、ボトルの水を飲んでひたすら我慢していた。こんな 旅で風邪をひいたのは初めてだったので、かなり不安な夜を過ごした。走行距離 132km。

3月7日
 まだ熱があるようでふらふらする。ほんとならばここからJRに乗っていけ ばいいのだが、あいにく電車は走っていない。 JRの走っている海南市まで5 0km、しょうがないので自転車に乗っていく。8日からバイトがあるのである 。田中君と別れ走りはじめた。しかし足に力が入らず、12〜3kmしか スピ ードが出ない。この50kmが一番しんどかったかもしれない。何とか海南市に たどり着き、自転車以外の荷物は全部家に送って JRで高松まで行き、家につ いたのは深夜1時であった。 

 結局一周はできず、5分の4周くらいであった。でも、距離はそれなりに走 れたし、風邪もひいたし、いいトレーニングになった。


紀伊半島一周(トレーニング編)
1997年2月27日
 今日無事に紀伊半島一周して京都に帰ってきました。和歌山から出発して松 阪まで3泊4日でした。

 道はアップダウンの繰り返しで、平地はほとんどないといった感じ。途中、 鈴鹿峠クラスの急坂が2つありました。ほんといいトレーニングになりました。 手首は痛いし(けんしょう炎?)、帰ってみたらお尻の両サイドから血は出てい るし、いろいろと改良の余地ありです。途2.5kmくらいのトンネルがあって 、トラックが通り過ぎたときにバランスを崩してこけてしまいました。後ろに車 がいなかったからよかったものの、結構冷や冷やモンでした。坂ちゃんとは2日 一緒に走ることができました。二人で走ると気持ちは楽になるけど距離はあまり 伸びないことがわかりました。

 3月3日から今度は四国一周に行ってきます。それでは。






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