モンタレー・ジャズ・フェスティバル


1978年9月

前年にジャズフェスティバルに行けなかったので、カリフォルニアのモンタレー・ジャズ・フェスティバルへのツアーに参加。
旅程は前年と殆ど同じで、ロサンジェルス1泊、モンタレー3泊、サンフランシスコ2泊という日程であった。ハワイで乗り継ぎ、ロサンジェルスではハリウッド通りのホリデーイン泊。
早朝に通りを歩いていると、パーティー帰り風の真っ赤なドレスの女性が反対側からやって来た。どんな美人かと期待してすれ違うとゲイであった。やはりいろいろな人がいるようだ。

モンタレー
ジャズ・フェスティバルを演っているのはドッグレース場のようで、そんなに巨大ではないアリーナ席があり、通常のドッグレース観客席も使っている。金曜日の夜から、土日の昼、夜という5セッションある。確か土曜日の昼がブルースのセッションで、のりのりのブルースの時には会場全体が踊りまくっていた。会場脇には屋台も沢山あり、音楽がつまらない時には屋台を回ると食事、買い物と面白い。毎年来る人も多いようで、頭にカラフルなかつらをかぶっている有名なオバサンがいたりした。
観客席の一番前に座って聞いていた時に、目の前のアリーナ席で大きなワインボトルを飲んで酔っ払っているオバサンがいた。何を気に入ったのかワインボトルを持って、こちらの席に上がってきて、脇で話し始めた。こっちは英語も出来ないのに!そのうちに寝てしまった。

カリフォルニアなのでメキシコ系の人も多く、日本人そっくりだ。

昼セッションが終わり夜セッションまでの間、道路を渡った所のレストランに食事に行って、ギタリストのケニー・バレス家族と一緒になった。奥さんは日本人で、小さい二人の子も片言の日本語を話した。後に離婚したことを雑誌で読んだが、アメリカのジャズミュージシャンには日本人の奥さんが多い。

ホテルから会場までは、歩いて10分程度で、初めての夜に、脇を歩いていたアメリカ人が話し掛けてきた。片言で話にはなったが、最後にロサンジェルスの自宅の電話番号を教えてくれて、LAに来たら電話しろよ、なんて言っていた。実際に行くとどう対応してくれるかは判らないが、アメリカ人は本当に気さくでオープンだ。

泊まっていたホテルは、ヒルトンインとかシェラトンインとかの類のモーテルだと思う。部屋も設備もそんなに良くはないが、カリフォルニアらしい晴れに恵まれて、良いモーテルだと覚えている。ただ夜中に飲んで騒いでいる部屋があり、騒ぎが良く聞こえてしまい、うるさかった。モンタレーの海岸までは歩いて10分位だったと思う。海に入れるほどの温かさではなかったが、漁港での食事などで楽しめた。


カーメル
モンタレーのモーテルからタクシーで30分程度でカーメル。軽井沢のような高級店が並んでいる。日本人は殆どいなかった。カーメルは後にクイント・イーストウッドが市長になって、日本でも知られるようになった。アメリカでは昔から観光地として知られていたようだ。
帰りもタクシーが必要で、英語を出来るという人が電話をしたが、なかなか来ない。再度店の人に電話してもらって、やっとタクシーが来た。英語が良く出来ない時は、ハンバーグなどを食べたレストランで、タクシーを呼んでもらったほうが確実なようです。


サンフランシスコ
モンタレーからの夜行バス。早朝サンフランシスコ着。朝早すぎて未だホテルのコーヒーショップはやっていない。ホテルの受付の人にコーヒーを欲しいと頼み、お湯で薄めた沸かしすぎコーヒーを貰って、一休み。ホテルの人に頼めて、何となくカッコ良いかななんて思っていた。
ホテルは安そうなモーテルだが、ユニオンスクエアに面していて、非常に地の利の良い場所。歩き回れるサンフランシスコではベストのホテルだった。このへんには高級店、有名店が多く、ケーブルカーの終点も直ぐで、観光客には最上の場所だった。

帰国前夜、ツアーの人達と飲み会、寝過ごし、飛行機に乗り遅れそうになった。バスのトイレでヨウタシ、空港便所での洗顔、空港売店のコーヒー(酒臭いと嫌がれる)で眠気覚ましのコーヒー。ハワイ経由の飛行機はガラガラで、真ん中席の4人掛けの肘掛けを全て外して、横になって寝っぱなしで帰国。べろべろに酔っ払った、酷い日本人客だったのだろう。

いずれにしても良い旅だった。



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copyright 1999 Makoto Aida