二晩続けて夜更かししたのでとても眠い。飛行機では曝睡したままフランクフルトへ到着。次の便でも良く寝よう、と思っていると、そこにプロペラ機が到着。私の人生で初めてのプロペラ機である(観光遊覧のヘリコプターやセスナは乗ったことがあるが)。眠気も吹き飛んで無事を祈っていると、機内食にザワークラウト登場。ドイツに来たことを実感させられる。 食後に、パリの空港でもらったL'EQUIPE紙に目を通す。フランス語は読めないので、単語を拾って雰囲気を味わう程度だが、テニスの全仏オープン、F1モナコグランプリ、サッカーワールドカップ、そしてサッカー日本代表特集まで大充実。日本のスポーツ新聞とは趣が全く違う。勿論、エッチなページなどない。
ベルリンはテンペルホフ空港に到着。ここは冷戦時代にはアメリカ・セクターだったと思ったが、まるで旧東欧に降り立ったよう。空港ビルは古く、中は暗い。看板のレトロなタイポグラフィーが完全に旧東独的である。 外に出ると曇天。ロンドンとパリは全日天気が良かったので、いきなり別世界にタイムスリップしたように思える。両替屋のおやじも、タクシーの運転手もどことなく信用できない。 ホテルまでタクシーで行くが、通りには人通りが少なく、建物も古めかしいコンクリートの箱ばかり。連休中の日曜日であることを差し引いても、ベルリンは意外と元気がないのかもしれない。
今回の行程では、個人的ハイライトはベルリンである。戦前の栄華、冷戦の傷跡、そして統合のエネルギーを見ようとベルリン行きを最初に企てた時には、湾岸戦争が勃発して小心者の私は旅行を中止してしまい大後悔。あれから7年(くらい?)経って、ようやく念願が実現したわけだ。今回は視察の合間に精力的に街を歩こうと思っていたのに、いきなり元気がない街の表情を見せられて、少し出鼻を挫かれた感じ。さらに、雨もパラパラと降り出した…冴えない。
クーダム通りに近いホテルは庶民的でナイス。宿のお姉さんは片言の英語を話すし、とても親切。疲れも出てきたし気分も乗らないので、今日は休養することに決める。昼寝して元気回復すべし。 6時過ぎに起き出して、さて夕食をどうしようかと考えていると、突然電話が鳴った。受話器にはストックホルムのYさんの声。メールでは随分と親しくお世話になっていたけれど、声を聞くのは初めて。予想通り元気な声を聞けて嬉しい。やはり、メールのやり取りよりも身近に感じられる。Yさん、今度どこかでお会いしましょう。
夕食前にクーダム通りからツォー駅周辺を散歩。日曜の夜だからか、とにかく人が少ない。 しばらく歩き回ってから、ドイツ人で混み合ったビアレストランを見つけて夕食に入る。店員さんも相席の夫婦も人当たりが良い。日本とドイツ、通じるものがあるのか? 地ビールも大変美味しいが、骨付き豚あばら肉の煮込みが運ばれてくると巨大過ぎて絶句。直径で15cm、長さは20cmはあろうか。ザワークラウトとポテトは全て平らげるが、肉は途中で挫折。隣の奥さんがニコニコ見ているので、「観光客が間抜けな注文しているのを笑っているのだろう」と思ったら、彼女にも同じ大きさの肉のフライが出てきて、逞しくもりもり食べ始めた。ドイツ人には体格ではかなわないはずである。
98年5月25日:旧西側をひたすら歩く
いきなり悲惨な街並を見るのは恐かったので、今日は旧西ベルリンに絞って回ることにする。 まずは、クーダム通りを歩いてカイザー・ヴィルヘルム記念教会へ。原爆ドームのように、戦争で破壊されたまま保存されている姿が圧倒的。 お隣のオイローパ・センターは60年代の典型的再開発で、建物は古臭いが中身は使える。ツーリスト・インフォには観光客が溢れ、カメラ屋ではフィルムが日本並みに安い! その後、動物園は前を素通りして、ツォー駅から工科大学へまわる。 今日は歩行者が多い。また、自転車レーンがものすごくしっかり整備されていて、老若男女を問わず自転車が大活躍している。そう言えば、渋滞は殆ど気にならない(路上駐車場はとにかく多いが)。
この街はヨーロッパの街には珍しく、街並に調和というものがないようだ。戦争で破壊し尽くされたからだろうか? 修復や再現された旧式の宮殿のすぐ隣に、「モダン」を前面に出した箱型のアパートがくっ付いていたりする。ほとんどのコンクリートの建物は退屈この上ない無機質な「箱」だが、中にはバウハウス的な色の切り返しが上手に使われている粋な「箱」もチラホラ。 街路樹を初めとして、町中には緑が溢れているのだが、どれも伸び放題という感じ。建物周りには無意味な未利用スペース(泥だったり、草ぼうぼうだったり)が目立ち、おまけに都心部にも空き地が結構あるため、建物の高さの割には密度がやけに低く感じられる。不思議な感覚。しかし、旧西側がこれでは、旧東側はどうなっているんだ?(←怖いもの見たさ)
ティアガルテンはうっそうとした森。こういうのが都心にあるのは素晴らしい。ブローニュの森みたいに、夜は妖しく、かつ危ないのだろうか? 森の一角にある、50年代の国際建築展で建設された住宅地を見る。世界中から有名な建築家を集めただけあって、「当時の」革新的な住宅タイプがいろいろ見られて面白い。でも、歩行者空間の貧しさはちょっとひど過ぎる。夜は危なさそうだし。 さらに歩いて、「ベルリン天使の詩」よろしく、街を一望しようと戦勝記念塔へ上る。像は映画のままだが、クレーンが立ち並ぶ様には天使も驚いているに違いない。
ランチ休息後、シャルロッテンブルグへ。シャルロッテ妃の離宮に始まったこの地区は、今ではベルリンに飲み込まれた(比較的)閑静な住宅地である。フラットの外見はばらばらでも、高さはほぼ6階前後に揃っているため、どことなく調和が感じられる。でも、道幅は異常に広い。戦災復興のためか?
久しぶりに観光客モードで歩き回ったので足が棒。カフェで休憩後、「まちづくり・建築・インテリア・写真」(←この順番でミシュランガイドに出ている!)の専門書店へ。面白そうな本が山積みだが、ドイツ語は読めない(大学で第2外国語だったのに)ので、地図と英語本のみを漁る。それでも、面白い資料が一杯手に入った。また、郵送費がかかるな…
お腹があまり空かないので、夕食は有名なカフェ・クランツラーのいちごケーキでごまかす。くどくない甘さで美味しい。 夜遊びしたくなったので、タウン情報誌「ベルリン・プログラム」を読んでいると、サッカーのドイツ代表対イングランド代表のフレンドリーマッチが明晩シャルロッテンブルグで行われることを発見!本場のサッカーは是非見たいけれど、8時キックオフでは無理か(ちなみに日本代表情報は毎日チェックしている。) キャバレーにも行ってみたいが、ドイツ語が分からねば意味がないし、無難にベルリンフィルに行ってみるか。
パリやNYCなどと比べて、ベルリンではコスモポリタンの陰の部分が強く感じられる。雰囲気が少し重く、くたびれた感じ。あまり華やかさはない。ドイツ文化へのステレオタイプに通じるものがある。 でも、これが妙に面白くなってきた。もっと突っ込んでこの街を味わうために、フランクフルト行きを一日遅らせても良いかもしれない。
98年5月26日:遂に旧東側に踏み込む
今日は、10年程前に行われた国際建築展の「まちづくり」における成果を考えるため、住宅地を歩き回る日。先にオタクして、観光は後回し(←おいおい、仕事で来てるんだぞ)という作戦である。 昨日の疲れが脚から取れていないので、一日乗車券を使ってバスと地下鉄を1駅でも使おう。時刻表を気にする必要がないくらい頻繁に走っているので便利である。
まずは南ティアガルテンからスタート。どこかの建築関係雑誌で見覚えのある、有名建築家の建物が次から次へと出てくる。50年代の住宅地と比べると、全体の平均点は遥かに高い。居住者や歩行者の視点から設計された事例が多いためだろう。でも、奇をてらい過ぎて周囲から浮きまくっている「勘違い建築」も結構多い。素晴らしいものは、まちづくりレベルから細部のデザインまで総合的にバランス良く考えられている。当然の事実を再確認。
文化地区を抜けてポツダム広場へ。とうとう、旧東側に踏み込む。 ここは現在ヨーロッパ最大の工事現場。建設用タワークレーンが林立して壮観。ほんの10年前には壁と無人地帯が広がっていたとは信じがたい。 雨が降ってきたので、広場および工事の展示施設で雨宿り。この広場のかつての栄華を歴史的な写真で見ると、街の歩みの数奇な運命に圧倒される。人間は愚かさと素晴らしさを合わせ持っている。 屋上へ出ると、旧東側の景色がどことなく寂しい。無機質で単調な建物が並ぶ。反対側の工事現場とは好対照。分断時代の立ち後れを取り戻す日は果たして来るのだろうか? ここでランチ後、Kent Naganoの金曜の公演のチケットを買おうと、ベルリンフィルのチケット売り場へ戻る。がーん、売り切れ! 「ベルリン・プログラム」を読み直すと、今日のサッカーは11時キックオフだった。ベルリンでは娯楽なしで終わってしまいそう…
気を取り直してフリードリッヒ通り南の住宅街へ。この地区は、街の空気がどことなく荒れている。何だか変な人が結構多い。危険ではなさそうだが、いよいよ問題の多い地区に来たようで、「まちづくりプランナー」モードに切り替わる。これでも旧西側なのだから、旧東側の問題地区は想像を絶しそう。 少し行くと、壁の一部が保存されていた。展示とは違い、実物には圧倒的な存在感がある。壁の裏手では、仮設の写真展が行われており、見学者がいっぱい。入ってみると、それはゲシュタポの歴史展。かつてゲシュタポ本部があったこの土地は、来年には再開発される予定であり、それまでにドイツそして世界からの人々にファシズムの悲惨さを訴えるという主旨。戦争問題を抱える日本人として、ドイツの真摯な取り組みを前に言葉を失う。他にもかなりいた日本人観光客は、一体何を感じていたのだろう?
頭の中がヘビーになり、その後の住宅見学は何だか気の乗らないものになってしまった。 夕食はついにソーセージとビール。酔いも回って頭の中がぐちゃぐちゃである。脚は棒。おまけに、ホテルへの帰り道クーダム通りには、妖しい女性が大勢立っていて声をかけてくる。中にはどう見ても元男性らしき人も。最悪。 こんな夜は、さっさと寝てしまおう。
98年5月27日:念願のブランデンブルグ門
郊外の住宅地テゲルへ。国際建築展の中でもバブリーという批判の強い開発を見る。なるほど、中に入ると「計画的な」心地よさはあるものの、隣の地区商店街/住宅団地とは全然噛み合っていない。どことなく日本の住宅展示場を思い出させる。 電車の車窓から、一戸建て住宅地をベルリンで初めて見かけたので下車。肥やしの匂いがきつい。勿論、庭いじりが非常に盛んなためである。さすが、土を愛するドイツ人。
裕福な郊外の次は、問題が多いとされるクロイツベルグ地区へ。いきなり街の匂いも人々の顔も全然違う。トルコ人が多く住んでいるとは聞いていたが、アラブ人、黒人、インド人、アジア人も結構混じっている。ベールを冠った女性が目に付く。意味もなく立っている男と、走り回る子供がめちゃくちゃ多い。怪しい兄ちゃんも多く、少し用心。 当然、街はうるさく、また独特の匂いがあるが、この逞しい生活感は新興住宅地では味わえない貴重なもの。まちづくりプランナーの能力よりも、住民達の生活の知恵の結晶である。
ウンテルデンリンデンへ出てカフェに入る。ビタミン不足を補うべくサラダを食べながら外を眺め、ここが旧東側であることを思う。大勢の観光客が優雅にアフタヌーンティー(厳密にはアフタヌーンビールが多い)を楽しむなど、10年前には想像もつかなかったこと。不思議だ。 そして、念願のブランデンブルグ門へ。深夜にテレビで見た壁崩壊の光景を思い出す。今日では車が次々と門をくぐって行く。ゆっくりボーッとしたかったので、酔い覚ましを兼ねてスケッチ。通りすがりのアメリカ人のお兄ちゃんが「ベリーグッド!」と親指を立てて誉めてくれた。
ウンテルデンリンデンをぶらぶら歩いて鴎外する(舞姫は現れなかったが)。かつてのインテリ青年が憧れたという雰囲気が偲ばれて心地よい。そして、フリードリッヒ通りを南下。新しいビルが立ち並ぶ様に驚く。きらびやかなギャルリー・ラファイエットなどを訪れたら、旧東側の人々は何を感じるのだろう? さらに進むとチェックポイント・チャーリー跡へ出る。かつての監視塔が残され、旧東側の廃虚ビルと最新のオフィスビルが隣接する光景は、不思議な感動を呼ぶ。ここでアメリカと旧ソ連の戦車が対峙したのである。ああ、街が分断されるというのは何と異常な事態だったのだろう。「まちづくり」どころではない。
どうしても米が食べたくなり日本食屋へ。日本で食べる和食と比べても味は申し分無いが、値段も負けていないのが痛い。明日から粗食になりそう…いやいや、食事は充実させねば。店員さんと話が弾み、明後日にベルリンでの生活についてカフェで話を聞くことに。嬉しいハプニングである。
メールはこちらへ
このページは
の提供です。
無料のページがもらえます。