98年5月19日:パリ到着

パリ到着。ヒアリング先のCergy-Pontoise EPAへ直行。重たいスーツケースを持ったままなのでタクシーを使ったが、目玉が飛び出る値段。でも、他に選択肢なし。 EPAに荷物を預けて、中心の商店街を歩く。物凄い人の数で、「ニュータウンの商店街=閑散」というイメージが崩される。建物の密度も高く、住宅もオフィスもスーパーマーケットも映画館も、何もかもが凝縮されているからか? しかし建物のデザインはてんでバラバラである。全体の調和も全く見られない。勝手に造形を競っている感じで、いかにも「(比較的)新しく作られたパリ」らしい。 でも、商店街以外は歩いていて全然心地よくない。歩道の立体交差が多く、歩行者より車に対してより配慮されている。この辺り、多摩ニュータウンに通じるものがある。さすが1970年代である。

フランスに期待するものの第一は食事。久しぶりにゆっくりランチを取ろうとレストランに入る(ロンドンでは公園でサンドイッチの連続だった。それはそれで良いのだが…)。 うーん、メニューを見てもフランス語がチンプンカンプン。外国に来た実感。苦労も楽しむべし。 適当にセットメニューを頼むと、前菜のパテが美味しい、メインの肉が美味しい、そしてデザートが美味しい!幸せ満喫。もう、アメリカのケーキには耐えられない&戻りたくない。

EPAを退職したプランナー、Warnierさんにヒアリング。彼からの手紙は人柄が現れていて大変微笑ましかったが、イメージ通り、大変人の良いおじさんであった(失礼であっても「おじさん」と呼びたくなる人なのです)。 彼は、こちらが手紙を出すと、いつもすぐに返事をくれたのだが、それが手書きなのである。今どき活字以外の手紙をもらうと本当に嬉しいものである。おまけに、彼の英語が素朴そのもの。「Meeting OK.」「Interesting.」と、一生懸命外国語と格闘してくれているのが手に取るようにわかった。偉いのに威張らない人は本当に偉大である。 ヒアリングの最初に「僕の英語はひどいから」とおっしゃるので、「私のフランス語よりはるかに素晴らしいです。」と言うと大受け。結局、ヒアリング&ディスカッションは大変スムーズ。言葉より「共有する何か」で会話していた感じ。

荷物が重くて散策できず、友人Uとの待ち合わせ場所、デファンス副都心へ電車で直行。2時間半を人物観察とスケッチでつぶす。直射日光が顔に痛い。 退屈し始めたところに、ようやく友人U登場。車で彼のアパートへ。2年前に2週間ほど転がり込んだ部屋なので、何だか懐かしい。 夕食は近所で充実の中華。ビールを飲みつつUの近況を聞けば、フランス社会で相変わらずバリバリ頑張っている様子。大学同期生として心強い!

98年5月20日:念願のスタジアム&パリジャン

友人Uは7時から仕事だと朝早く出て行ったが、こちらはゆっくり10時頃に出かける。マイペース、マイペース。 まず目ざすは念願のサンドニ・スタジアム!もうすぐワールドカップ(Coupe de Mondeと呼ぶべきか?)の舞台となる「あの」スタジアムである。遠くからの美しいシルエットは昨日も目にしていたが、間近で見ると感動2倍の美しく洗練されたデザインである。 パリに来てから、何気ないものが美しくデザインされているのが嬉しい。時々勘違いしたやり過ぎもあるのだが、電話ボックスから道路案内図までこだわりが感じられる。人々の服装も平均すればロンドンより上か?「でかきゃいいだろう」というアメリカは論外である。 売店では思いきりミーハーして記念グッズを購入。スタジアムをかたどった腕時計がお気に入りである。

電車で都心へ。数あるパリの「派手な」建築プロジェクトの中で、気に入っているForum des HallesとCentre Pompidouを外から眺めつつぶらぶら歩く。この2つの新しい建物は、古い街並に本当に上手く溶け込んでいて感心させられる。イタリア人の友人が、「フランスの新旧の混ぜ方の上手さにはかなわん」と言っていたのを思い出す。 近くのブラッセリーでランチ。冷製スープに豚肉とトマトのソテーが本当に美味。満足して勘定を頼むとメニューの値段と違う。この野郎、観光客だと思って吹っ掛けやがったな!

APURのStevininさんは、雑誌から出てきたような「パリジャン」。ヒアリング中ずっとジョーク飛ばしまくり。特に、アメリカを皮肉ったりすると大喜び。笑いが絶えないヒアリングというのも粋である。勿論、中身がしっかりしている人だからなのだが。 途中から、部下が入れ代わり立ち代わり打ち合わせの催促にやってくる。こちらが恐縮して「そろそろ終えましょう」と言うと、「今日は早朝からの仕事で疲れたんだ。おまけに次の打ち合わせは厄介なんだよ。」と話を続けようとする。部下には「特別の来客なんだ」などと適当に言い訳しているようである。私も役に立っている(笑)。 いよいよ立ち去ろうとすると、「屋上からパリが一望できるから、5分だけ是非お連れしたい」と言って、さらに15分以上お話。それから更に東京での再会についてお話後、飛び切りの笑顔でお見送り。 こういうのを「仕事をさぼっている」と見るか、「おおらかな人生を楽しんでいる」と見るか?私は後者である。少なくとも一緒に仕事をしない限りは…

ヒアリング後、一番好きな広場であるPlace des Vosges、さらにBastilleの東地区を歩いた後、さっさと帰宅。そう、今からビール片手にEuropean Champions Cupをテレビ観戦するのだ。ああ、世界最高レベルのフットボールをヨーロッパで(テレビだけど)見られる幸せよ!

98年5月21日:マニアックな郊外ドライブ

フランスは休日、私もヒアリングの無いオフの日である。友人Uが「パリの環状道路」という日本企業から委託された調査をするのでつきあうことにする。 車で回るパリ郊外は初めて。それも住宅団地とか産業地域とか、観光とは無縁のところばかり。なかなか新鮮でもある。 パリのドライブマナーは今一つ。ドライバーも歩行者も自分勝手に好き放題。高速では制限速度を50キロオーバーしている。あまり運転したく無い。

私のわがままも聞いてもらって、これまでに見逃していた幾つかの所に寄り道してもらう。まずはParc de la Villette。衰退した地区に近代的な巨大施設をいきなり造って、その地区の再開発の起爆剤にしようというのはパリの常套手段(サンドニ・スタジアムも同様)だが、その波及効果は今一つ定かでは無い。むしろ、きれいな施設の周りに柄の悪い人と警官が大勢いたりすると悲しくなる。

ランチ後、再びサンドニ・スタジアムへ。昨日は閉まっていた情報センターで、地区と施設に関する資料を幾つかもらう。当然、全てフランス語だった…Uか誰かに英訳してもらおう。 その後、環状道路をひた走る。郊外にはヘンテコリンなデザインの高層アパートが一杯。歩行者専用デッキや人工地盤によって、歩行者と車の立体的な分離が図られているのは、70年代の都市計画の遺産。日本でもありふれたコンセプトだが、正直言って快適でないし、夜に歩くのは恐そう。パリの都心は個性的で素晴らしいと思うが、郊外は予想以上に冴えない。 がっかりしていると田園地帯にさしかかる。完全な田舎に来ると、こちらはのんびりとした本当に良いところ。結局、問題は郊外の比較的新しい地区に集中しているようだ。

Euro Disneylandへ。男2人組、中を見る気は無いので、周囲の開発を観察。ホテルやバスターミナル、ショッピングセンターなど、予想以上に人がいる(浦安には遠く及ばないが)。世紀の大失敗とこき下ろされてきたEuro Disneylandも、どうにかビジネスとしては持ち直しつつあるのか?

マニアックなドライブの延べ走行距離は300kmを軽く越えた。つまらない(←結論&本音である)高速道路と住宅地を一日中回って、2人とも虚脱的に疲れ果てたので、夕食はアジア人街でベトナム料理を食べまくることにする。かつての植民地時代の影響か、ベトナム料理屋は非常に多いし、味も総じて良いらしい。我々が飛び込んだ店もとっても美味しかった。 しかし、本格的なフランス料理をまだ食べていない。滞在中に一度はトライしなければ。

98年5月22日:パリでアメリカする

Bayleさんへのヒアリングで10時にSEMAPAのオフィスに行くと開いていない! 路上で待つこと10分、遠くからスーツ姿のビジネスマンが走ってくる。「I'm sorry.」こういう場面で謝りの一言が出る人は、大抵の場合良い人である。 展示用のボードを使ってのBayleさんの説明はわかりやすい。彼は途中からプロジェクトへの情熱が迸り始めて、一を聞くと十の返事が返ってくる。現在の仕事はプロジェクトマネジメントやファイナンスが主でも、いざとなるとデザイナーとしての信念や夢が見えてくる。広い視野を持つ素晴らしい方である。日本のまちづくり事情にもびっくりする程詳しく、意見交換も示唆に富む。

パリ東部のセーヌ河岸は、ようやく最近になって元気になりつつある地区。ベルシー体育館、大蔵省、国立図書館と巨大プロジェクトが立ち並ぶが、人々にとってのまちづくりはこれからが本番である。パリと言うとすぐに「派手な」建築物(ルーブルとか、ポンピドゥーとか)に目が行くが、今回の調査では建築プロジェクトの陰で頑張るまちづくりプランナーの様子が垣間見られて良かった。英語も、心配していたよりも遥かに良く通じたし(さすがに、飛び込みではヒアリング出来なかったが)。この調子でドイツも乗り切れると嬉しいのだけど。

久しぶりにギリシャ彫刻を見たくなったので、ルーブル美術館へ。が、あまりに多い入館者にあえなく挫折。観光客の洪水。連休中の金曜午後、当然である。こういう巨大な美術館は、長期滞在して空いている日を狙わないとだめだ。遅いランチにチーズケーキを食べただけでルーブルからは退散。 そしてセーヌ川でひなたぼっこ。一人でスケッチをしている「絵になる」女性を見つけて、思わず彼女をスケッチ。ここで声をかける勇気が欲しいものだ。

夜、2年半振りにJさんと再会。髪型が変わって一瞬誰だかわからなかったが、「外国でバリバリ働く日本女性」特有の物腰は変わっていない。そして、映画タイタニックを見ることに。映画自体は、アクションは面白かったものの、話の奥行きにアメリカ的な薄っぺらさを感じてしまう。その後、夜食にシカゴピッツァへ。ああ、パリまで来てアメリカしている。 深夜2時のシャンゼリゼには、まだまだ人通りが多い。パリ、ロンドン、NYC、東京といったコスモポリスに暮らしたくなってきた!

98年5月23日:休息日

今日は何もしない休息日である。 ゆっくり起きて、まずはパリで集めた資料を小包にしてアメリカに発送。それから、昨日洗濯したシャツ5枚にアイロンをかける。まぶしい日射しとそよ風が窓から入ってきて心地よい。 昼下がり、近所の路上カフェでランチ。ビールとパテが美味しい。アメリカ人のように見えるふくよかなウェイトレスがてきぱきと働いている。午後は、家で仕事を片付けるUと並んでパソコンに向かうこと約2時間、ロンドンとパリの調査の概要を簡単にまとめる。そして、荷造り。 夕方7時過ぎに、Uの友人であるYさん、Sさん姉妹の家へディナーパーティーにお邪魔する。前菜、お寿司、杏とアヒルの料理、デザートと手料理はどれも大変美味しい。UとSさんがちょっとした余興を披露してくれる。楽しい時間はあっという間に過ぎ、1時にお開き。

パリではのんびりとした時間と美味しい料理を楽しむことができ大満足。充電完了。明日からは、初めての国ドイツ2週間の一人旅である。高まる期待を押さえつつマイペースで行くべし。

<ベルリン編へ続く>

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