大畑町
青森県下北郡

1999年2月12日〜14日に、青森県の北東、下北半島の北側に位置する大畑町にて、まちづくりに関する講演を行いました。今後、町のまちづくりに長期的に関わらせていただくことになりそうですが、このページではまちの第一印象をまとめておきます。
大畑町のあらまし

大畑町は、北部は津軽海峡に面し、南部は恐山山系をはじめとする300〜800m級の山々に囲まれています。気候は、冬は日本海型に分類され、北西の季節風が強く、積雪は平野部で1m、山間部で2m程度です。夏の気候は大平洋型に分類され、春からの冷涼な偏東風と濃霧のため、平均気温も低く、日照も不足しがちです。

私が訪問した1999年2月12日は稀に見る猛吹雪の日で、<羽田→三沢>の便が欠航してしまい、東北新幹線で盛岡を経由して行くことに急遽なりました。盛岡までは順調だったのですが、東北本線が野辺地まで徐行運転、<野辺地→むつ>のJR大湊線が運休で代行バスという羽目になりました。むつまで大畑の皆さんが出迎えて下さった時には、心底ホッとしました(笑)。結局、午後1時の到着予定は午後8時になってしまいましたが、本州の果てまでの距離を体感できたのは、貴重な経験でした。

大畑町のはじまりは古く、縄文時代の蝦夷人の遺跡も多数発見されています。鎌倉時代になると大和との交流も盛んになり、その後は蝦夷・江戸・上方などとの海運交易基地や軍事的要衝として町は発展してきました。昭和9年の町制施行以後も町は発展を続けましたが、近年になって経済の停滞、若年人口の流出、中心市街地の空洞化などが深刻化しており、「町民総ぐるみのまちづくり」を進めようとしています。



大畑町の地理

大畑町の総面積235.59km2の95.1%は森林であり、その大半は国有林です。7km2の狭い平野部は大畑川と正津川により形成されており、中心市街地は大畑川河口付近の1.8km2です。町人口は人口は1955年を境に減少に転じ、現在では1万人強となっています。人口の殆どは中心市街地に居住しており、まちづくりの課題も中心市街地に集中しているため、写真のような中心市街地から離れた集落は今回はゆっくりと訪問しませんでした。


河口付近の大畑川

大畑川は、写真左手の台地と右手の中心市街地の地理的境界となっています。津軽海峡に注ぐ河口付近には、多くの漁船が係留されていますが、(冬だったせいもあるでしょうが)水質は非常にきれいなものでした。


周囲の丘陵と恐山山系

上の写真と同じ橋の上から、大畑川の上流方向を望む写真です。平野部が丘陵に囲まれている様子がよくわかります。奥に見える山々は、大畑川の水源がある下北半島中央の霊峰、恐山山系です。大畑町から恐山を抜けてむつ市に至る道路も整備されていますが、冬場は積雪のために通行不能です。


雪下ろしは生活の一部

今回の来町は吹雪と重なったため、翌土曜日には至る所で雪下ろし(「掻く」のではなく「下ろす」のだそうです)の光景が見られました。老人から子供まで、雪下ろしは生活の一部になっています。


<町の文化資産を御紹介します>

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