1997年10月30日(木曜日)
ゲストブックの方に高橋さんよりコメントをいただきました。はじめまして。どうもありがとうございます。
私は台湾にいったことはないのですが、会社の仕事では台湾のメーカと付き合いもありました(過去形ですが)。昨年はIPC(工業用のPCをIPCといいます)をいろいろと使いました。資料などを大量にもらうのですが、日本語にはなってないものがほとんどですね。OA用は日本語になっているものが多いですが、ちょっと変わった分野や細々としたものになると英語のままの資料がほとんど、という印象を私は持っています。そういう意味で、翻訳者の活躍できる場所、もあるということでしょうか。
残念ながら私の方は、A社とB社とで手いっぱいで全く余裕なし、という状況なので、翻訳をお引き受けはできないのですが、興味のある方は高橋さんにメールでお聞きしてはいかがでしょうか。台湾のメーカですとやっぱりコンピュータのパーツ(マザーボード、メモリ、周辺ボード..... )といったところが、翻訳の対象でしょうか ?
ところで、私のホームページを見て仕事を募集してくださる方がいるのにちょっとびっくりしています。うまく翻訳者が見つかるといいですね。もし、私のページを見ていただいている方が募集されて、うまくお仕事が進むようでしたら、ぜひ体験談などをゲストブックにお寄せください。
高橋さんは、台湾には日本語の翻訳者が不足している... 旨のことを書かれていますが、私がB社から聞いたところでは、(日本でも)「技術もよく知っていて翻訳も優れているという人は非常に少ない」ということでした。
やっぱり実力さえつければ仕事はいくらでもあるんでしょうね。ま、他の業界でも同じでしょうが、サラリーマンよりは実力即収入に結び付く世界で、割り切りやすいような気がしています。
1997年10月29日(水曜日)
9月26日に金髪白人アメリカンの友人の話を書いた。日本語を喋るアメリカンの話。
彼と私は、とある結婚式の披露宴に出席したことがある。これは日本でのこと。披露宴は普通の日本の披露宴で特に変わった披露宴というわけじゃない。
主賓の方々のお話が終わったあと、友人たちのお祝いの言葉がはじまり、友人(日本人)の1人が、ちょっと芸っぽいのを披露した。アフロヘアのカツラをかぶって、顔を黒く塗り(黒人の真似ね)歌を歌いながら、外人の真似をして英語でなんか言ったりする.... と、うまく説明できないがそんな感じだった。もちろん、英語は適当にでたらめを喋っていたが、雰囲気は出ていて面白いし、芸の内容も楽しくて、結構うけて盛り上がった。
そして、この次のスピーチが金髪白人アメリカンの友人だったのだが、彼はマイクを持つと、
「え〜、わたしは、先ほどのかたのように流暢な英語を喋れませんので日本語でスピーチさせていただきます。」
と、流暢な日本語で喋ったので会場は爆笑の渦となった。
やっぱり、こういう人は得だなぁ。いろいろ遊べる。
1997年10月28日(火曜日)
パベル翻訳・外語学院から「通信教育のご案内」が来た。かなり前に一度資料請求のハガキを出したことがあるのだが、それからよく送られてくる。
この「通信教育のご案内」が来るたびに「う〜ん通信教育を受けるべきかぁ〜」と悩んでいる。
やっぱり、どうも一人で翻訳していると、ほんとに自分の訳でいいのかどうかよくわからない。A社からはフィードバックがあるので、とても勉強にもなり反省もできるのだが、B社からはフィードバックがないので、ほんとうにこれでよかったか、に自信があまり持てない。
一応継続して仕事がもらえているので、10点満点の0点ということはないだろうが、10点満点の7点で仕事がもらえているのか、10点満点の3点で仕事がもらえているのか、よくわからない。
今もB社の翻訳はちゃくちゃくと進んでいて、自分なりに工夫や努力はしているつもりだが、それが有効かどうかは謎。1日おいて読み返すとか、他の文章を読んだ後に読む、とかも試しているが、所詮自分が書いた文章なので、完全に客観的に読むのは困難。
しかし、通信教育を受けようにも、今のままでは時間がない。が、 A 社からも B 社からも継続して仕事がもらえているという ラッキーな状態を放棄してまで通信教育を受けなくてもいいような気もする。う〜ん、悩ましい。
1997年10月27日(月曜日)
ゆっくりしようと思っていると、B社から次の仕事が来た。全部で約200ページ、納期は11月10日。14日ほどあるので、1日に14ページぐらい。例によって「どこまでできますか?できるところまでを教えてください。」ということだったので、「全部お引き受けします。」とメールで返事をしておいた。分野は、ファイルシステム、バックアップ装置などの話。得意分野なので特に問題はなさそうだ。
ところで、ゲストブックの方に HIROKI さんから専門書の紹介を、というお話がありましたので、ちょっと書いてみます。
日記のネタがないことも多いので、「ネタ振り」をしていただけてうれしいです。
では、紹介しますと、 「Life with UNIX」( Don Libes, Sandy Ressler著 プリンティスホール出版, ISBN 0-13-536657-7)という本が 7,8 年ほど前に出たのですが、かなり有名になりました。和訳も出てタイトルもそのまま「Life with UNIX」(坂本 文 監訳 アスキー出版局,ISBN 4-7561-0783-4)です。UNIX ユーザ会の会長をされていた坂本 文さんが監訳したものです。和訳では、副題が「UNIX を愛するすべての人に」ですが、まさに、UNIX を愛する UNIX ユーザのために書かれた本です。
これは、UNIX のツウやプロなら誰でも知っている本で、HIROKIさんのご要望通り、「これを知らなきゃ、もぐり」という本です。
坂本 文さんの名前も、この人を知らないようでは、サッカーをしていて「カズ」を知らないようなものです。私も何かの宴会でご一緒させてもらったことがありますが、この時は本がまだ出てなかったので、本にサインをもらえませんでした。
他にも紹介したいのですが、 私が持っている本は専門的な本がほとんどなので、誰でも取っつきやすそうで、なおかつその道のプロが絶賛する有名な本は、 いまのところこれしか知らないのです。
でもこれだけでもなんなので、割りと新しい専門的な本を一冊だけ紹介すると、1995 年に出た本で、「デザインパターン」(ISBN4-89052-797-4)という本があります。この本は最近注目されているオブジェクト指向のデザインパターンを解説した本です。しかし、ライブラリ、フレームワーク、ウィジット、コンポーネントなどの違いが良く分からないようであれば、この本を読むのは苦しいかもしれません。また、ブーチ法、OMT法を少しはかじっている必要もあります。ソフトウェア工学の分野ですね。オブジェクト指向を理解したいという人向けです。残念ながら私は原文を持ってないのですが、元のタイトルも「Design Pattern」です。
この本の監訳は、「本位田 真一」という東芝(株)の方ですが、オブジェクト指向の世界では結構有名な方です。私は直接お会いしたことはないのですが、私の会社の連中でオブジェクト指向の専門家たちは「あちこちでよくお会いする」と言っておりました。
この「デザインパターン」は、オブジェクト指向言語は知っていて、オブジェクト指向開発方法論も一応知っているが「パターン」の研究にはあまり詳しくないという人に最適です。
この本もオブジェクト指向のプロを名乗るなら、絶対に知っているはずの本です。ほかに「パターン」について詳細に解説した本はないと思います。Microsoft Visual C++ をバリバリ使っているので「自分はオブジェクト指向のプロだ」と思っている程度の人は、まだまだ遠いです。
ところで、ここら辺は私の専門ではないので、ちょっと軽めですが、もしご希望ならもっとヘビーな、私の専門の世界にご案内いたしましょう ;-)
1997年10月26日(日曜日)
B社の翻訳の見直しをして、メールで納品した。見直しは、
原稿 「Generally, the files are transferred automatically at night when data is stable and systems are not being used.」
訳 「通常、ファイルは、データの変更がなくなり、システムが使用されていない夜に自動的に転送されます。」
見直し後 「ファイル転送は通常、データの変更がなくなり、システムが使用されていない夜間に自動的に行われます。」
という感じ。メールでの納品はテキストをそのまま添付して送ることもあるが、ほとんどの場合はzip形式に圧縮して送っている。
ところで、昨日は久しぶりにカラオケに行った。他の人が歌う曲を聞いていると、意外なことに私は新しい曲でもよく知っている。なんでか、とよく考えてみると、夜中でもず〜っとラジオを聞きながら翻訳しているからだろう。
逆にテレビはほとんど見ないので、ドラマとかはほとんど知らない。だいたい毎日会社の連中7,8人といっしょに昼ご飯を食べているが、こういう話題にはついていけない。さすがに毎週かかさず特定の番組を見る... というのは無理だなぁ。
でも、今日で一応片付いたので、たぶん明日からはしばらくのんびりできる。雑誌も買ってきてビールも買ってきてテレビも見て..... あぁうれしい。
1997年10月25日(土曜日)
翻訳も完成し、B社にメールで送った。19日からはじめた方は、あともう一回見直して完成にしようと思っている。28日が納期だが、明日見直して完成とする予定。
28日以降にすぐ次の翻訳を頼むかも知れないということで、28日以降の予定を聞かれたので、特にない、と返事をしておいた。
ところで、今日メールで納品したものは、昨日も「ソフトウェア開発管理ツールとそれに関連した話題」と書いたが、どちらかというと、製品を販売する上での販促資料のようなもの。「どうぞわが社の製品をお使いください」というトーン。
この手の原稿は結構難しいと私は思う。というか私には難しい。今回の英語の原稿では、一つのことでもいろいろな言い方で製品を売り込もうとしているので、言葉の言い回しが、いろいろある。
訳す方としても、いろいろな日本語を選んで製品がすばらしく聞こえるような言い方をしないといけないので難しい。やっぱり、このような宣伝用の資料は、流れるような日本語で、かつ、お客さんをぐっと引き付けるような魅力ある文章にしないといけないと思うが、原文にこだわり過ぎると、どうしてもそれほど魅力ある文章にはならず、原文にこだわらないようにすると、なんとなく、言っていることが少し違う、という感じになってしまう。ここらへんが、まだまだ私は修行が足りない。原文の意味は、はずさず、かつ魅力ある文章が書けないといけない。
今週来た「翻訳の世界 12月号」を読んでいると、「挫折学習者のための徹底出直し翻訳講座」というのがあった。ビジネス翻訳ではなく文芸翻訳が対象のようだが、これを読んでいて、文芸翻訳というのは難しそうだなぁ、とつくづく思った。
技術的な資料とかは、もとから日本語で書かれたものを読んでも、それほどいろいろな表現が使われているという気がしない。しかし、文芸翻訳では、「日本語を駆使して表現する」という感じが私にはする。難しそうだ。
その「翻訳の世界」で出てきた例で、
「Going to Indo-China, I felt I was following my deepest instincts, drawn by some inner compulsion.」
というのを
「インドシナ行きは私にとって、心の奥深いところから沸き上がってくる衝動に突き動かされた本能的な行動のように思えた。」
と訳してあった。
私から見ると、見事としか言いようがない。技術的な解説の翻訳、雑誌記事の翻訳、マニュアルの翻訳.... などに関しては、少しづつ、どう訳すべきかというのが見えてきているような気がするが、上の文芸翻訳を読んでみると、なぜこういう言葉が考え出せるのかというのが全く分からない。こういうのは訓練だろうか。たくさん小説を読んでいるのだろうか。「心の奥深い」とか「突き動かされた」とか、口語では使わないような表現を思いつくのは、やっぱり日頃から小説などの本をたくさん読んで修練を積んでいるのだろう。
文芸翻訳はすごい、と思った。やっぱりバベルの翻訳家講座を受けるべきか!? こういう文章を書ける力が身につけば、今日納品した販促資料のようなものの翻訳で、お客さんが「絶対この製品を買うぞ」と言うぐらい迫力があり魅力的な文章が書けるのかもしれないと思った。
1997年10月24日(金曜日)
B社から急ぎの翻訳依頼が来た。約20ページ。内容は一言で言うと、ソフトウェアの開発工程管理ツールとそれに関連した話題。日記にも書いたような気がするがソフトウェア工学は得意分野だ。ただし、ソフトウェア工学自体は好きな学問ではない(単なる独り言です...)。
26日の朝までに納品して欲しいということなので、あまり時間がないが引き受けた。実は明日は会社は休みの日だが仕事で出勤しないといけない。さらに夜は飲みに行く約束をしたので、時間がなくてちょっと焦っている。
明日は毎週いただいているA社からの翻訳がお休みの日だし、現在進行中のB社からの翻訳も半分キャンセルになって、時間ができた、ラッキーと思って予定を入れてしまっていたので、こういう状況になった。
でも、なんとかなるだろう。明日会社に行くまでに、まだ 6 時間はある。気合いさえあればだいじょうぶ...... だろう... たぶん。
1997年10月23日(木曜日)
私のTOEICの最低点が270点と、以前、日記にも書いたと思う。生まれて初めて受けたTOEICだった。
これは学校を卒業したあとのこと。だから、きっかけがなければ、今でもずっと270点だったはずだ。もしかするともっと下がっているかも。いや、270点以下を取るのは難しい。問題は4択か3択だから。
ある日、うちの会社にアメリカの学生が来ることになった。どうもそういう制度があるらしく、数ヵ月間アルバイトをするらしい。それが、困ったことに私といっしょに2人で仕事をすることになった。彼は金髪で白人のでっかいアメリカ人だった。
まぁ会話ぐらい何とかなるだろうと思ったが、彼が言っていることがさっぱり分からない。それで最初は、筆談で会話することにした。書いてもらえば何とか理解できる。辞書も使える。しかし、筆談では仕事が全然進まず、苦しんだあげく、私はある画期的なアイデアを思いついた。
そうだ、彼の発音が悪いから私が理解できないのだ。あの変な発音がよくない。ちゃんと発音さえしてくれたら、私にも理解できるはず。学校で英語は習ったのだ。なんでアメリカ人は素直に日本人のような発音ができないのかなぁ。高校の先生はちゃんと発音していたぞ。
というわけで、その画期的なアイデアとは、私が彼に英語の発音を指導することだった。
それから、いちいち、彼に筆談で書いてもらっては、発音を教えることにした。「Computer」は、「コンピュうタぁ」ね。最後の「あ」は口を大きく開けて「あ〜」。そうそう、その発音ならよろしい。舌をいちいち動かさないっ!! ゴモゴモ喋らないっ!! そうそう。「アイ・ハブ・ア・ペン」の「アイ」は、「あ」と「い」ね。違う違う、「い」もはっきりと喋るっ。「あ、い、は、ぶ、あ、ぺ、ん」ね。あ〜まだまだ、もう一回喋ってみて。「あげいん、あげいん」
私の努力のかいもあり、彼は、だんだんと正確な発音を理解できてきたようだった。発音のコツもつかめたようだ。おかげで1ヶ月もすると、筆談でなくてもちょっとだけ会話が成立するようになってきた。
結局、数ヵ月いっしょに仕事をして、彼の発音はずいぶんよくなった。よく彼は「My English is getting worse.」と悲しそうに言っていたが、なかなか勉強熱心だった。まだまだ彼の英語の発音に変なところはたくさんあったが、私のほうも彼の変な発音にだいぶ慣れてきて、多少の変な発音は理解できるようになっていた。
これが、本当の意味での、私の英語との出会いだった。
1997年10月22日(水曜日)
B社からの翻訳も一通りはできた。あとは見直しをすれば O.K。私の場合、見直しはしばらく時間を置いてからしたほうがよい。いくつか雑誌とか、新聞とか文章にも気を配りながら読んだ後が最適。できれば一日以上たっている方がよい。
どうも自分で書いた文章を読み直すと、すらすらと理解できてしまう。当然書いた本人なので理解できてしまうのだが、すらすら理解できると、それ以上直せなくなる。
一日ぐらいおいて他の人が書いた文章をいくつか読んだ後だと、自分の文章を見て、日本語が不自然なところを見つけやすいような気がしている。
ところで、私の場合、コンピュータ関連の英語のマニュアルや資料を読む機会が多い。最近は日本語の資料が増えてきたが、それでも英語の方が多い。
10年以上前にも日本語のマニュアルはもちろんあったが、読んでもよく分からないものが多かった。そのころの私のまわりの技術者の間では「日本語のマニュアルは頼りにしない」、「日本語のマニュアルがあっても必ず英語版を手にいれる」というのが常識だった。例えばTOEIC 400点レベルの人でも、英語版を読んだ方がよっぽど意味がわかるというマニュアルが多かったと思う。そのかわりに理解するのに時間はかかった。
技術者も、ある程度実力がつくと、「日本語のマニュアルが悪いからよくわからないのだ。原文を読もう。」と判断できるようになるのだが、新人技術者は「自分の理解が足りない」と考えてしまう。なんどもなんどもマニュアルを読んでも理解できないと、自分はなんて理解力がないんだ、と落ち込んだりもする。
今から約10年前の1988年に、私は「プログラミング言語 C++」という本を買った。ご存じの方もいらっしゃるかも知れないが、「C++」というオブジェクト指向言語を解説した世界で初めての本を和訳したもの。いまでは、「C++」はかなり一般的な言語になり、解説書も星の数ほどあるが、この本が記念すべき第一冊目だった。ちなみに、私はこういうコンピュータ業界の超有名な本を集めるのが趣味でもある。
ところで、私もC++を勉強しよう、と思ってこの本を買い、一通り読んだのだが、全く理解できなかった。こんなにもC++は難しいのか。私には無理だ。と思って、それから5年ぐらいはC++には触れなかった。
で、後になって分かったことは、この本の翻訳があまりよくない、もっとズバリ言えば、最悪だということ。この本を訳したのは、この業界では非常に有名で「C言語」を日本に初めて紹介した人とも言われている大学のえら〜い先生。(ちょっと名前は伏せておきます)
いまでは誰でもコンピュータを使う時代なのであまり関係ないが、そのころは、○○先生に逆らったらこの業界じゃ生きていけないよ、というぐらいの先生だった。今でもコンピュータ・サイエンスの世界ではそれに近いかも知れない。
今日もこの本を引っ張り出してきて読んでみたが、C++を理解できている現在でも、この本の内容は理解できない。その意味でもこの本は貴重なものかもしれない。うちの家宝にすることにしよう。
しかし、もしあのころ、現在のようにコンピュータ関連の優れた翻訳者がたくさんいて、翻訳のレベルが高かったら、もっと日本のコンピュータ技術は進んでいたかも知れない。アメリカから10年以上遅れているというような現状はなかったのかもしれないと思う。
1997年10月21日(火曜日)
昨日は昼過ぎから頭が痛くなり始め、会社から帰る頃には激痛の状態だった。結局、晩御飯も食べず、帰ってからはバッファリンを飲んで布団に入り、「ゼーゼー」言いながらも寝ることができた。
私はいわゆる「頭痛持ち」で、よく頭が痛くなる。が、いつもは、耐えられるし、普通の生活ができる。昨日ほど痛いのは2回目。1回目は2年ぐらい前だったと思う。病院に行くのがとても嫌いで、ここ20年ほどを考えても、たぶん、2、3回しか行っていない(病院もお見舞いでは何度も行ってます)が、その1回は2年前の頭痛がひどかった次の日のこと。(さらにその前に病院て診てもらった記憶がないので、もしかしたら、約20年で1回かも知れない。)
その1回目は、前日の頭痛がひどかったので、さすがに怖くなって次の日に病院に行った。昨日もそうだが、このままだと、痛くて気を失うかと思うぐらいだった。頭のCTスキャンを取ってもらったが、特にこれだけでは問題ないとのこと。しかし、お医者さんによると、これで言えるのは、CTスキャンでわかるような腫瘍のようなものはない、というだけで、詳細に調べるには血管一本一本診てみないとわからない、という話だった。
かなり前にテレビで見た話だが、偏頭痛というのは「全然問題ない」というようなことを言っていた。脳卒中とかは、もっとドカーンと来るらしく、喋る余裕があるような偏頭痛はたいして問題ない、とそのテレビは言っていたと思う。このテレビを見て以来、私はすっかり安心している。昨日もかなり痛かったが、ま、だいじょうぶだろう。
昨日は全然訳せなかったので、ペースを上げる必要があるかな、と思っていると、今日B社から、私が引き受けたファイルのいくつかがキャンセルになったと連絡があった。私が引き受けた量の半分ぐらいに相当するので、これで納期的には全く問題なくなった。またしばらくは、比較的ゆったりと生活ができそうだ。
1997年10月20日(月曜日)
頭痛のため日記はお休み。詳細は21日の日記に。
1997年10月19日(日曜日)
A社に納品した。ところで、このあいだの試訳の後、B社からは何も言ってこないので、
のいずれかだろう、と思っていると、B社から別の仕事が来た。今回は、イントラネット、イーサネット、ネットワークインタフェースカード、FDDI、ATM、ネットワーク管理ソフト、Java などの原稿ファイルがたくさん送られてきた。こういう分野は私の超得意分野。
が、分量が多く、納期は28日だそうで、できるファイルを選んで欲しいとのこと。全部で300ページぐらいだったので、今回は弱気にトータルで150ページになるようにファイルを選んだ。今日もいれて9日間あるし、土日もあるので150ページなら余裕だろう。前回は強気で引き受けてしまい、一日に30ページ弱のペースだったのでめちゃめちゃしんどかった。
前回の反省をもとに(何度も反省しているような気はするが...)、一日に16ページぐらい。よしよし。これなら途中で、カキにあたってもリカバリー可能(10月10日の日記参照)。でも、会社の大量人事異動で送別会もあるだろうがカキは食べないようにしよう。
1997年10月18日(土曜日)
A社からの原稿で、
「This tool will offer a host of multimedia features.」
というのがあった。 「host」と言われてもホストコンピュータなどの「ホスト」しか連想できない。「マルチメディア機能のホスト」ってよくわからない、その後の意味も続かない... と思って翻訳ソフト「E to J Pro」にかけてみると、
「E to J Pro」曰く 「このツールはたくさんのマルチメディアの特徴を提供するであろう。」
と答えてくれた。「a host of」には「たくさんの」という意味があるようだ。かしこいぞ、「E to J Pro」。
「a host of」も知らないの? と日記の読者の人には思われそうだが、実際問題、知りませんでした。ははは(笑ってごまかす)。
というわけで私は訳に困ったときには辞書を引く前に翻訳ソフト「E to J Pro」を結構利用する。たしか「スーパーASCII」の9月号で、翻訳ソフトの特集が組まれていたが、「E to J Pro」の成績が最もよかったと私は記憶している。もっと前の何かの雑誌でも「E to J Pro」が最もよいとかかれていたので、このソフトを使うことにした。
翻訳ソフトは、たぶん、翻訳そのものの代用として使うには、まだまだ役不足だが、翻訳のヒントとしては結構使えるのではないだろうか。例えば、翻訳ソフトは、文章を文法的には割と正確に翻訳してくれると思うし、熟語なども辞書からちゃんと引いてくるので、「a host of」などの文章中にある熟語も発見できる。
電子辞書ももちろん使っているが、まずは、翻訳ソフトにかけてその後、電子辞書にも頼る。最終的には「ランダムハウス英和大事典」(これは電子版はないです)というのが私のコース。
私の場合、日本語を考え出すのに苦労するので、少しでも違う言い方をしてくれる辞書があるとありがたい。でも辞書に載っている言葉ってそのまま使えることって少ないような気がする。
ところで、今日最高に苦しんだのは、「flip-book animation」。実は上に書いた文章は長い文章の一部で、正確には、
「This tool will offer a host of multimedia features, including rollover buttons, scrolling and flip-book animations, and sound controls.」
「flip-book animation」は、パラパラ漫画のような動画のことを言っているのだと思うが、うまい日本語が出てこない。15分ほど苦しんだ結果、「アニメーションのコマ送り」にした。結局、
「このツールは,複数のロールオーバーボタン,アニメーションのスクロールとコマ送り,サウンドのコントロールなど数多くのマルチメディア機能を備える予定。」
としたけど、これでいいのかなぁ。どなたかもっとよい訳はありません???
ところで昨日の「なんとかスナイプス」は、「ウェズリー・スナイプス」では、というメールをいただきました。どうもありがとうございます。映画名もスタローンの「デモリションマン」では、ということでしたが、映画名の方は違うかも知れません。スタローンが出てたかどうかあまり覚えてないのです。
1997年10月17日(金曜日)
ランダムハウス英和大事典を引くと、なんと昨日の「Make my day.」が出ていた。しかもクリントイーストウッドがどうのこうのという説明まで付いていた。これにはびっくり。もしかすると「Make my day.」はクリントイーストウッドで有名になったのだろうか。
実は私は、「MAKE MY DAY」と書いてあるカリフォルニアのナンバープレートのおもちゃを持っている。サンフランシスコでおみやげに買ったものだ。なんとなくかっこいいな、と思って買った。
以前に日記でかっこいい言いかた、を練習していた話を書いたが、映画のセリフにもかっこいいと思うものがある。たぶん、あのセリフが忘れられない、というのが誰にでもあるではないだろうか。
私の場合は、映画で見て、一度使ってみたいと思いながらも使う場面がなかなかないセリフが、
「Let bygones be bygones.」
これは、アメリカでアパートを借りて滞在していたとき、テレビのなか(映画をテレビでやっていた)で出てきたセリフ。黒人の俳優「なんとかスナイプス(あ〜、思い出せない、くやしい)」が悪者のボスを演じており、対立するグループのボスに、ドスの聞いた低い声でささやくシーン。
意味は辞書にもそのまま載っているだろう..... と思って引いてみると、ランダムハウス英和大事典には「過去の不和を水に流すことにする。和解する。」とあった。でもたぶん、映画的には「すんだことは水に流せ」ぐらいだろう。
是非使ってみたいが使うシーンがない。会社の仕事で過去にトラブルのある客先に訪問しする... という状況があれば使えるかも知れないっ!とか思うのだが、こんなことを言うと火に油を注ぐだけのような気もする。
他のかっこいいと思ったセリフは、ロバートデニーロが列車から仲間と同時に川に飛込むシーンで飛込む際に、
「See you next lives.」
これの訳はどうなるんでしょうね? 「あの世で会おう」じゃないし、「来世で会おう」というのも日本語としてはちょっと...。「生まれ変わったら会おう」は、飛込む寸前の言葉としてはちょっとかな。ま、なににしろかっこよかった。が、これこそ日常生活では使えそうにない。
あとはバットマンの映画で、
「I'm Batman.」
これはバットマンが悪者の胸ぐらをつかんで言うシーン。いっしょに仕事をしていたベトナム人が、かなり気に入っていた。しかし、彼はなんの脈絡もなく「I'm Batman.」というので、「こいつのまねだけはやめとこう」と心に誓ったので、かっこいいけど使えない。ところでバットマンの映画を見に行ったときには、バットマンのかっこうをしている人がたくさんいてびっくりしたのを覚えている。アメリカというのはなんというクレージーな国だと思った。
他にもありそうだが、思い出せない... あっ、ところで「レスリー・スナイプス」だったっけ? 何か違うような気もする.... 今日は寝付きが悪いだろうな....
1997年10月16日(木曜日)
K.O.さん、ゲストブックの方でいろいろ教えていただきましてありがとうございます。長くなりそうなので日記の方に書きます。
産業翻訳についてのご指摘ですが、なにぶん私は初心者なのであまりよくわかっておりません。ですが一応、私の考えを書いてみます。
K.O.さん;
翻訳の目的にもよると思いますが、雑誌記事では比喩的表現をそのまま日本語に置き換えて意味がわかりにくくなる場合には、読みほどいて、伝えたいことを日本語の文章として書くほうがよいのだと思っています。しかし、その比喩自体が著者が伝えたいことであれば、それは残して、注釈を付けるべきだと思います。前の「upgrade parade」は、それ自体にはあまり意味はないと私は感じました。伝えたいことは文章の後半であって、「the upgrade parade on a different note,」は枕詞的な感じがします。
それと、英語の「韻」は単にそう書いた方が英語としてはうまい文章に見える英語の文化的なもので、日本語には英語ほど「韻」を多用しないようにも思います。ですから、訳す必要はない場合も多いのでは、と思っています。他にも英語の文化的なものは、例えば、英語では同じ言葉が連続して登場するのを嫌いますが、日本語でそのまま訳すと分かりにくくなると思います。
最近訳した文章で、
「A 200-MHz version will have a list price of $359, while a 233-MHz model will cost $449.」
というのがありました。最初の200-MHzには「version」を使っていますが、233-MHzには「model」を使っています。また前半は「have a list price of」ですが、後半は「cost」です。私はこれを、
「200 MHzモデルの定価は359ドル,233 MHzモデルの定価は449ドルの予定。」
と、どちらも「モデル」、「定価」と訳しました。英語では「version(バージョン)」あるいは「have a list price of(定価)」が同じ文章で2度出てくるとよくない、稚拙な文章だ、と考えるのだと思うのですが、日本語では逆に最初を「バージョン」にして、2つめを「モデル」にすると何のことかわからなくなると思うのです。「韻」を踏んでいる場合もこれと同じで、単に英語の文化なのでそれを日本語に持ち込んでわかりにくくするのはよくないような感じがします。
でもこういうのは産業翻訳(実務翻訳)だけではなくて、映像翻訳や出版翻訳でも同じような感じではないかと私は思うのです。
例えば、クリント・イーストウッドで「Make my day!」と言ったのが字幕では「やれるものならやってみろ!」だったり、映画「Die Hard」で悪役が「The quarterback is toasted!」と叫んたのが、同じく字幕で「黒焦げだぜっ!」だったりします。(もちろん、これがベストな訳かどうか、私には何ともいえませんが)
これらは言葉の意味の取り方がすごい、と初心者の私は思ってしまうのですが、原文が比喩的であることを直接伝えてはいないような気がします。
ここらへんが翻訳の最も難しいところでしょうか。「The quaterback is toasted!」をもっと原文に近く、そしてもちろんアメリカ人がこの文章を理解できると同様に、日本人が理解できる日本語に変換できれば「黒焦げだぜっ!」よりもピッタリ来るのだと思います。しかし、これは翻訳というものの限界なのかもしれません。