1997年12月30日(火曜日)

真剣に大掃除をした。特に風呂を気合いを入れて掃除をしたのでへとへとだ。おかげで見違えるような風呂になった。

 

1997年12月27日(土曜日)

B社の翻訳も一通りできた。あと明日見直して完了の予定。

明日もう一日がんばったら年末年始はゆっくりできそうだ。

 

1997年12月25日(木曜日)

A社の本の翻訳も一応納品した。一応というのは、いつ突き返されるかビクビクしているからだ。メールが来るたびに、「もしや、やり直せという怒りのメールでは...」とドキドキしてしまう。

B社の仕事は1月5日納期となった。ところで最近、仕事をはじめてから納期が決まることがたまにある。そういう場合は、希望納期を言えるのでやりやすいような気もする。今回のも、お客さんの希望は12月27日のようだったが、ちょっと無理、とB社に伝えて調整してもらった。納期は1月5日だが、なんとか今年中に終らせて、正月はのんびりしたいと思う。

たぶん、これが今年最後の仕事。それで計算してみると、

というわけで、合計81件。12で割って、1ヵ月に 7 件弱の仕事をしていたことになる。翻訳初心者の私でもこれだけ訳せば結構上達したに違いない。上達してなかったら悲しすぎる。

暇になったら翻訳検定とか受けてみたいとも思う。でも来年、暇ってあるだろうか...

 

1997年12月24日(水曜日)

今日は一日中、外に出ていて結構歩いた。世の中は、クリスマスだ。

以前、出張で海外に行ったときのこと、クリスマスの日に日本に帰ろうとしたが、どの便(どこ経由でも)満席で帰れそうになかった。クリスマス近辺は、移動する人が多いらしい。

それで、どうしようか考えた結果.... 会社に国際電話をして.....

私「もしもし、このままだと帰れません。ファーストクラスで帰ります。」

上司「あ..... そ、それは....」

私「では、そういうことで。<ガチャン>」

というわけで、はじめてファーストクラスに乗った。席はさすがに広い。スチュワーデスさんも一人一人挨拶しにくる。乗り継ぎがあったので途中空港に降りたが、そこでは、航空会社の女性が飛行機の出口まで迎えに来てくれて、特別な休憩所まで案内してくれた。4倍の航空運賃を払うとさすがにサービスが違う。

ちょっとだけラッキーなクリスマスだった。

 

1997年12月23日(火曜日)

以前、アメリカで会社を起こす際の雑用係をした。あれやれ、これやれ、と言われて、あれやこれやをやった。

会社を起こすににあたって技術者を募集したら、かなりたくさん応募があり、履歴書が送られてきた。

このたくさんの履歴書を順に見ていったが、すごい、すごすぎる。

履歴書を見ると誰もが計算機(コンピュータ)の天才のように思える。かなり難しい技術にも造形が深く、分野も幅広い。

しかし会ってみると全然たいしたことがない。それで私が気が付いたのは、アメリカ人は自己主張が強い。ある意味では大げさ。表現が誇大。自分を売り込むために、ち〜さなことでも、かなりお〜きく言う。

私はそれにものすごく感心した。なるほど。やっぱりこうでなければ。これがあるべき姿だ。

「いえいえ、私がやっているようなことは全然たいしたことではございません。」という謙遜はある意味で美徳かもしれないが、世界には通用しない。履歴書の世界では全く通用しないと思う。

翻訳者への第一歩として履歴書があると思うが、履歴書の中の自分は世界最強じゃないといけない。もちろん嘘はダメだが、自分の長所をどこまで強調できるか、が履歴書における勝負だと思う。

あぁ、こんなことはだれでも知ってるか... アメリカ人の履歴書にいたく感動したのをちょっと思い出したので...

 

1997年12月21日(日曜日)

昨日は18時間ぐらい寝た。おかげで今日はちょっとすっきりしている。

A社の本の翻訳はほぼ完了した。B社のほうのは、ここ2日ほど手をつけていない。明日からはこちらに注力する。

 

1997年12月19日(金曜日)

世の中、努力が嫌いな人は多いと思う。努力せずともおいしい話があると思っている人も多いと思う。

それはそうかもしれない。宝くじだって1億円当たる人がいる。結果論でいくとローリスク・ハイリターンだった人は五万といると思う。

別に努力したくない人は努力する必要もなくて、それはそれでいいと思う。

でも、「努力ができない」という人はちょっと違うと思う。「努力は、しない・したくない・するつもりはない」と言ってほしい。「できない」と言われると、「自分が努力しないことは必然であって、それは正しいのだ」と、努力しないことを正当化しているだけのように私には思える。

努力しなくても成功する人がいるとは思うが、私の場合はどうしても、努力しないと成功しないような気がしてしまう。

なぜかとふと考えてみると、長い間スポーツの世界に浸っていたからかもしれない。

ちょっと宝くじを買ってみて、1億円当たる人はいると思うが、ちょっとテニスをはじめてみて、ウィンブルドンで優勝できる人はいないと思う。ちょっと野球をやってみようかな、と思ってプロになれる人も皆無だと思う。

翻訳はどのぐらいスポーツに近いのか、宝くじに近いのか....。ちょっと翻訳をやってみて、成功する人もいるのかも知れない。

私の場合は、翻訳もかなり努力しないと成功しない、と今までの発想の延長線上で考えている。この日記を続けることも成功する確立を上げることになると信じている。

でも、果報は寝て待て、とも言うなぁ..... あぁ眠い、寝ようっと。努力するのがすきなわけではない。そのうち挫折するかもしれない。

 

1997年12月18日(木曜日)

どうも最近、本業のほうも忙しい。ダブルパニックという感じ。実は私のプロジェクトでやっていることを新聞発表した。それで、新聞を見た雑誌社から取材とかが入って本来の仕事が進まない。すると、帰るのが遅くなる。で、翻訳ができない。納期がせまる。あぁ.... 困った。

ところで、雑誌社の記者は、よくまぁ、自分で分かっていない技術をきちんとまとめてかけるなぁ、と前から感心している。昔はよく雑誌社の人と会っていたが、当然ながら向こうは我々の技術を分かっているわけではないが、でもそれなりにちゃんと理解して記事にしてしまう。

なおかつ文章を書くのはやっぱりうまいので、できあがった記事を読むと、たいした技術でなくても素晴らしい技術のような気がしてくる。まぁ、翻訳も同じだろう。英文が悪くても、翻訳者が優れていればよい和文ができるし内容自体が立派に見えると思う。

ところで私の場合、英文を読んでいて、これを書いた人はきっとよくわかっていない、とか、大きな勘違いをしている、とか思うことがしばしばある。私は、翻訳は初心者だが、コンピュータはプロなわけで、英文を書いた人よりも私の方が技術的にはよくわかっていることも多い。

それで、翻訳会社にも何度か指摘したこともある。

一例をあげると、ある翻訳で英文に「Gigabyte Ethernet」というフレーズが何度も使われていた。日本語に訳せば「ギガバイト・イーサネット」だろう。が、しかし、世の中に「ギガバイト・イーサネット」などない。それを言うなら「ギガビット・イーサネット」だ。そもそも一本の線にデータを流すような通信方式は、「バイト」単位では数えない。「ビット」単位で数える。例えば電話線にデータを流したとしよう、それがいかなる新規の通信方式であろうと、ビット単位で数える。もちろん、その通信方式を作った人が「ギガバイト XXXX」と名前を付けることはその人の勝手だが、その場合、その人の感覚はずれていると私は思う。

こういうことを言い出すときりがないぐらい変な英文があるので、そっとしておこうと思ってそのまま訳すことも多くなった。

例えば、アルク出版の「'98 実務翻訳ガイド」にも変な英文が登場し、その変な英文を題材にいろいろな翻訳に関する解説をつけて、訳例を載せているが、(翻訳者ではなく)コンピュータ屋の私から言わせてもらうと、その訳例の日本語も変だ。解説をしている翻訳者のかたが、英文が変だと思っているのかいないのかはわからないが、英文が変だと思うのなら、それをこのような雑誌のサンプルには取り上げないほうがよい。さらにそれを訳して変な日本語にして、「訳例」とは言わない方がよい。

ちょっと長くなりそうなので、この話はまた今度にします。

 

1997年12月17日(水曜日)

みなさん、1日に何時間ぐらい翻訳できますか?

私はたぶん、今までの最長時間で12時間ぐらいだと思う。普通、会社が休みの日で8〜9時間ぐらいじゃないだろうか。

こう考えると、あまり長くない。会社の仕事だと今までの最高で20時間ぐらいだと思う。

会社では忙しいときだと、よく13〜14時間ぐらいは働く。昨年は忙しかったので、出社した次の日に帰ることも多かった。

というわけで、翻訳というのは結構疲れる仕事だと思う。と思うのは最近疲れているからだろう。かなりヘトヘト.... の状態。

# どうも日記も雑になってきた。ちょっと翻訳しすぎ。

 

1997年12月16日(火曜日)

A社の翻訳は、年末年始の 2 週間はお休みになるようだ。雑誌が休刊なので。

うれしい。

これで、本の翻訳(25日納期)とB社の翻訳(たぶん年明け納期)をなんとか一気に終わらせて年末年始はゆっくりと寝たい。ちょっとB社の方は無理かもしれないが...

昨年、はじめてB社からもらった仕事は年末年始に訳す、というものだった。一度、年末に納品したが、私の訳のできが悪く、差し戻しとなった。それで正月かけてやり直して、納品したのを覚えている。それで正月は結構つらかった。

あれから1年もたったのか、と思うとちょっと感慨深いものもある。

この1年でわかったのは、翻訳はしんどい、ということ。会社の方が断然楽。

やっぱり楽してお金もらおうと思ったらサラリーマンになるのが一番いいような気がする。もちろん会社とか仕事とかによるとは思うが、

サラリーマンっていいなぁ....

というわけで、翻訳の方が忙しくなればなるほど、脱サラへの気力はどんどんなくなるのでした。

 

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