1998年12月30日(水曜日)

今(午前6時)やっと年賀状を書きおわった。

翻訳会社にも出すかどうか迷ったが出すことにした。昨年のを見ると いただいていたので(昨年は出さなかった)。

ニュースによると今日中に出せば元日に間に合うかもしれない(間に合わないかもしれない)とのこと。午前中に郵便局に持っていくことにする。

日記も今年はこれが最後。来年は正月三が日が終わったぐらいから再開したいと思う。

今年を総括すると・・

翻訳に関しては、かなり慣れてきたと思う。慣れて慣れて慣れすぎてしまって、バンバン訳すようになって、が、しかし、これでいいのかとも思うようになった。これではどうも知的労働という気がしない。知的労働でないと思うとやる気がしない。

たぶん、ほとんどマニュアル類を訳しているからだと思う。振り返ってみると今年の自分はマニュアルを甘く見ていた。

で、よくよく反省してみて、マニュアルの翻訳にも、もっと究極の翻訳があるのではないか、それを追求するべきではないか、それを追求すれば 新しい世界があるのではないか、と今、ふと思う。

来年のテーマは、「究極のマニュアル翻訳」かな? 技術文書の書き方も来年こそは基礎から勉強しよう。本は買ってあるのにぜんぜん読んでいない。

さらに来年は別の翻訳会社のトライアルを受けよう。トライアルを受ける受けると前々から日記には書いていたにも関わらず、全然その気にならなかった。やっぱり「トライアル」とか緊張感のあることをしないと、どうもやる気が起きそうにない。

 

では皆さん、よいお年を。

 

1998年12月28日(月曜日)

翻訳という業界では、納期は絶対的なものなのだろうか? アルク出版の「実務翻訳ガイド」などを見ても、翻訳者に求めるものとして「納期を守る」というのは かなり上位にランキングされている。

私の本業のコンピュータ業界では、「納期は守られない」ほうが多い。マイクロソフトがWindowsをリリースする時期を思い出してみても、1年遅れることはざら、2年以上遅れることもある。

もちろん、これは不確定要素が多いから「納期は守られない」わけで、誰かがサボっているわけではない(たまにサボっていることもあるけど)。

マイクロソフトほどではないにしても、普通、ソフトウェアを開発する場合には、遅れることが多い。それは品質保証の問題で、ソフトウェアの品質を確保するための試験の段階で不具合が見つかると、それを修正するために前の製造工程に戻されるからだ。なおかつ、修正にどのぐらいの工数が費やされるかはケースバイケースで、予測は困難。 たとえると、家を建てる場合に、最後の最後に、中心となる柱に問題があった場合は建て直す、ということがソフトウェア開発では発生する。

企業が用いるような大規模アプリケーションは、ソフトウェア工場とも呼べるような大規模なグループで、ほとんど機械的に作成される。逆にこういう機械的に進められる体制で開発できないと、まともなビジネスアプリケーションはできない。

こういうソフトウェア開発の「進め方」は現在でも研究の対象で、その研究は「ソフトウェア工学」の範疇に入る。納期をいかにすれば守れるか、を様々な人々が研究しており、いちおうその指標は作られている。ちなみに私はどちらかというと「ソフトウェア工学」よりも「ソフトウェア科学」寄りなので、あまり「ソフトウェア工学」屋さんには近寄らないようにしている。「納期はどうすればまもれるか」を研究するというのには、どうも気が乗らない。結論から言うと、「納期を守る」には、「各製造工程を細かくチェックする」という一言に尽き、チェックの方法が学問の対象になるわけだが、あまり面白くなさそう・・・ に思えて・・・どうも・・・(失礼)。

翻訳は、ソフトウェアの開発ほど複雑ではなく、不確定要素もあまりないので、納期は守られるものだというのが共通の認識になっているのかもしれない。各工程といってもそれほど大して工程があるわけでもない。

私も幸いなことに、今まで いただいた仕事で納期を守れなかったことは一度もない。牡蛎にあたっても、風邪をひいても、頭痛がしても、なんとかしのいできた。これからも、この調子でうまくいくといいなぁ。

 

1998年12月27日(日曜日)

年賀状を必死で作成中。あぁ、時間がない。年明けまでにできるのだろうか。。。

今日は、まずスキャナを PC に接続。パラレルポートに接続したが、双方向パラレルモードに設定することを忘れていて、スキャナからデータが読めないと一人で大騒ぎ。結局 BIOS の設定をしてOK。

次に昨年の住所録を今年のソフトに転送。(昨年使った年賀状ソフトと違うソフト「筆まめ」を使うので)

さらに写真データの読み込み。 デジカメのデータもあるが、普通の写真のほうが多い。

現在 Adobe Photoshop を駆使してデータ加工中・・・ まだまだ時間がかかりそう。

 

ところで、昨年の年賀状を見ていると、翻訳会社からも来ている。それで どうしようかと思ったが出すのはやめることにした。理由は簡単。年賀状の枚数が足りないかもしれないから・・・

 

1998年12月26日(土曜日)

昨日の「サンフランシスコ・ジョーク」は、まったく反響がなく、ちょっと残念。

ところで私が一番 笑ったのは、

Your co-worker tells you they have 8 body piercings but none are visible.

(同僚が体にピアスを8つもつけてると言ったが、見ただけではわからないとき。)

です。う〜ん、どこにつけてるんでしょうね :-)

 

1998年12月25日(金曜日)

ゲストブックにもいろいろとコメントを寄せていただいている 「しあず」さんよりメールで、「サンフランシスコ・ジョーク」というのを送っていただいた。しあずさんのご近所(?)では流行っているらしい。

私もちょっと訳してみたが結構 迷訳になった。みなさんも挑戦してみてください。訳はゲストブックかメールで是非送ってくださいね。 (どれか1つ・・・ とかでもいいですよ)


To all you non-Californians who wonder what it would be like to live in the "city by the bay". Unfortunately, most of it is true....

You Know You Live In San Francisco, when....

Your co-worker tells you they have 8 body piercings but none are visible.

When someone says TENDERLOIN - you don't think of steak. You think of danger.

You make over $100,000 and still can't afford a house.

You can't remember....is pot illegal?

You've been to more than one baby shower that has two mothers and a sperm donor.

You have a very strong opinion where your coffee beans are grown and can taste the difference between Sumatran and Ethiopian.

A really great parking space can move you to tears.

You know that anyone wearing shorts in April is just visiting from Ohio.

You assume every company offers domestic partner benefits.

Your boss runs in "The Bay to Breakers"....it's the first time you have seen him nude.

Your child's 3rd grade teacher has two pierced ears, a nose ring and is named "Breeze." And, after telling that to a friend, they still need to ask if the teacher is male or female.

You are thinking of taking an adult class but you can't decide between yoga, aromatherapy, conversational mandarin or a building your own web site class.

You haven't been to Fisherman's Wharf since the first month you moved to SF and you couldn't figure out how to drive to Coit Tower if your life depended on it.

A man walks on MUNI in full leather regalia and crotchless chaps. You don't notice.

A woman walks on MUNI with live poultry. You don't notice.

You think any guy with a George Clooney haircut must be visiting from the midwest.

You know that any woman with a George Clooney haircut is not a tourist.

You keep a list of companies to boycott.

Your hairdresser is straight, your plumber is gay, the woman who delivers your mail is straight and your Mary Kay Lady is a guy in drag.

 

1998年12月24日(木曜日)

今日は「クリスマス・イブ」。クリスマス・イブに こうして淡々と日記を書いている私にはちょっと悲壮感がただよっているなぁ。ワムの「ラ〜スト クリスマス...」 というのはラジオで5回は聞いたゾ。

ところで日本人は、クリスマスのお祝いをし、正月は神社に行き、結婚式は教会(もちろん仏前も神前もありますが)であげる。

困ったことがあると「かみさまお願い」と言ったりする。「神様仏様。。。」と併用することもある。

こういう無宗教な日本がとても好き。こういう適当で適度な文化の混在が、なぜか私はとてもよいと思う。

では、メリー・クリスマス

 

1998年12月23日(水曜日)

税務署の話の続きだが、会社の名誉(?)のために書いておくと、うちの会社が(積極的に?)「脱税」をしているわけではない。

正確に書くと「脱税」かもしれないが、「管理が行き届いてなかった」とか「税務署との見解の相違」がほとんど。

たとえば、研究に使う物品は必要経費になるわけだが、ある特定の研究に使う物品は必要経費として一括で控除される。1000万円のものを使えば、1000万円がその年の必要経費として計上できる。

ところが、設備として使うと1000万円の物品は減価償却の対象となる。償却期間は品物によって異なるが数年〜数十年。

で、よくあるのが、研究用の物品として購入したが、設備のような感じでずっと使ってしまうこと。これはだめ。特定の研究用に買った物品は、その研究が終われば廃棄しなければならない。

つまり1000万円のコンピュータを、ある特定の研究用に買ったとしよう。その研究が1年で終わったとしよう。すると1年でそのコンピュータは廃棄しないといけないわけだ。もったいないと思うなら、それは設備として購入する必要がある。

特定の研究用に買ったが、もったいないので ずっと使い続けているものがあると、税務署からは減価償却の対象とみなされるので、税金を追徴されるわけだ。ちなみにこれは前者の「管理が行き届いてなかった」という例。 上司は、常に部下が買ったものを追跡しているわけではないので、部下がついつい温存していた物品があだになる。後者の例も書こうかと思ったが、税金の話は興味のある人が少ないかもしれないので割愛します。

 

ところで、税務署にもノルマがあるようで、調査の過程で ある一定以上の追徴額を上げないと とことん調べるようだ。これは会社ごとに目標値が決まっているらしい。それで、会社のほうもすんなりと追徴を認めるのが普通らしい。ちなみに、大手の企業なので納付している税金に対する追徴額はほんのわずかだが。

 

1998年12月21日(月曜日)

会社にたまに税務調査が入る。つまり税務署がやってきて、脱税をしていないかどうかを調べるというわけだ。

個人事業なんかだと、よっぽどのことをしないかぎり(しているところも多いけど) 税務署がわざわざ来て調べる… というのはあまりないのだろうが、大きな会社の場合は定期的にある。

税務署員が10人程度来て、何日間も部屋を占有し、資料も大量に提出させて調べていく。何十人もの社員から事情聴取をする。

もちろん、社員全体の割合からいくと呼び出されるのは ほんの一部で、そういうことが行われていること自体を知らない社員がほとんどだろう。だいたいは、あやしい仕事をしている人が呼び出される。

私もいろいろとあやしい仕事をしている、というか あやしい仕事に加担しているので、何度か呼び出されたことがある。まぁ、「マルサの女」あたりを思い出していただければイメージがわくかも。

最近は、どういうことを言うとまずいか… がわかってきたので、あまり核心に触れるような質問には知らないふりをしているが、昔は純粋だった(?)ので、聞かれたことにはホイホイと答えていた。

すると、いろいろまずいことを言ってしまい、あとで上司に責められたことがある。

上司 「△△△の話、しただろ。」

私「はい、もちろん。私は正直ですからね。うそは言えませんよ、うそは。」

上司「それが、あかんのや〜、それが。」 (と、悲しそうに言う)

私 「人間、正直に生きていかないとだめですよ。こそこそ生きていくのはやめましょうよ。がっはっはっ!!」

というわけで、正直者の上司は不幸なのである。別に税金を追徴されようが されまいが私のお金ではない。がっはっはっ!!

 

1998年12月20日(日曜日)

まずい、年賀状をださないといけない。「筆まめ 9」を買った。いまから必死で作らないと…。

 

1998年12月19日(土曜日)

きょうはビールを飲みすぎて(しかも一人で…) 眠い。あ、おやすみなさい。

 

1998年12月18日(金曜日)

セミナーの講師をして欲しいという依頼が来た。よく私の居所を突き止めてくると思う。

実は 7, 8年前にも、このセミナー会社からの依頼で講師を努めたことがある…。でも、もうそういうことは、きっと今回の担当者は知らないのだろう(知らないようだった)。

セミナーの講師は儲る。 どのセミナー会社でも、時給 2 万円程度は出すようだ(私が知っている限りでは、安いところで時給1万5千円、高いところで時給3万円)。以前、ここのセミナー会社で 1 日とちょっと喋って、結構 大金をもらった。

なので、引き受けてもいいのだが、なんとなく面倒くさいし、私自身のやる気も出てこないので、あれこれと言い訳を言って断った。仕事が忙しいとか、そんなに喋る内容もない… とか。ちょっと断り方が稚拙だったような気もする。

ところで、講師がこれだけの時給をもらえるということは、それなりの収益構造があるわけで、以前 私はこのビジネス自体に興味をもった。今回依頼してきたセミナー会社の社長ともいろいろ話しをしたことがあるが、儲るという意味ではこの業界はおもしろいものだと思った。

 

1998年12月17日(木曜日)

水増し請求をしておいて言える立場ではないかもしれないが(わざとしたわけじゃないですよ)、信頼関係はトラブルを乗り越えてできるものかもしれないと思う。

会社でもトラブルはよくある。たとえば、われわれがお客さんだったとしよう。たとえば何かを発注したあと納品されるわけだが、納品されたものが発注したものと違う、当初の説明と違う、すぐに壊れた、品質が低いなどなど、トラブルはいろいろだ。

でも、会社での私は、トラブル自体で、その発注先の業者を責める気持ちはあまりない。間違いは誰にでもある。新品の商品が壊れることもある。問題は、その後の対応だ。きちんと対応してくれると、逆に信頼関係が増すと思う。適切な対応をしてもらうと、安心して次も任せられる。

ちょっと前に、私が会社から発注した先の翻訳会社の対応は最悪に近い部類だった。

ある技術的な契約書の英文和訳を、うちの会社の翻訳発注部門経由で 翻訳会社に発注した。しかし出来上がってきた日本語を読むと、「ちょっとこれは、英文を読んだ方がわかりやすいのでは…」という感じの翻訳だった。

その翻訳発注部門経由で、「和文を見てもよくわからないので、コンピュータのわかる人にもう一回見直して欲しい」とお願いしたが、翻訳会社から、翻訳発注部門経由で来た回答は逆に、「こんなもんだ」と開き直った回答だった。で、私はあきらめてしまった。お金は払った。

忙しかったのと、社内だけで使う資料だったので、このようなことに時間は取れないと思いあきらめたが、暇だったらもうちょっと翻訳会社と対決してもよかったと思う。

結局、その資料(和訳)を使った会議では、「なんだこれは?」 と私が非難されてしまったが、「ま、英文でも読んで理解してください」 と お茶をにごし、原文も渡して会議を進めた。

すくなくとも今後 私は、社内の翻訳発注部門を使うときには、この前と違う翻訳会社を使えと指示する。違う翻訳会社を使えないなら、その翻訳発注部門は通さず直接 翻訳会社を探して依頼する。

で、視点を変えて…、

翻訳者としての私の立場では、(あたりまえかもしれないが) 翻訳会社からの指摘は素直に受けて、改善するための最善の努力をするというのが基本だろう。もちろん、あまりにも理不尽な要求を受ける必要はないだろうが、翻訳会社は、翻訳者である私にとってはお客様だ。「お客様は神様」とまでは言わないが、顧客の満足を得るのがビジネスをする上での最優先事項だ。多少の理不尽さには我慢しても、顧客満足のほうが大切。(それが次のビジネスにつながる)

これが、お客様を相手にするビジネスマンのプロ意識ではないだろうか。

 

1998年12月16日(水曜日)

し、しまった。翻訳会社への水増し請求がバレてしまった。本来の翻訳料の 20 倍程度の翻訳料を請求していたことが発覚し、「返せ〜」というメールが来た。

って、わざとじゃない。

計算を間違えていた。この請求書はかなり前のもので、すでに私の口座に振り込まれているそうだったが、いちいち口座をチェックしていないので私も全然気がついていなかった。

返金額を、すぐに翻訳会社への口座へ振り込み、お詫びのメールを出しておいた。

ま、こんなこともあるさ。 みなさんも翻訳料には気をつけましょう。お金が振り込まれているかどうか、そして、正しい金額が振り込まれているかどうかは、毎月チェックしましょう。(← 普通の人はチェックすると思うよ)

 

1998年12月14日(月曜日)

やっと全部できた。今月はじめから訳していたお仕事が。電話関係はむつかしいなぁ。イメージがわかない。略称をバンバン使われてもなぁ。困るよ〜。電話局の設備ってどうなってるのよ〜??想像できん。

「call」って、どう訳すか知っていますか? 「呼」 ですよ、「呼」。

でも終わった。量的ではなく内容的に苦しかった。

 

1998年12月13日(日曜日)

「人生 楽ありぁ 苦もあるさ、くじけりゃ 誰かが先に行く。後から来たのに追い越され、泣くのがいやなら、さぁ歩け。」

水戸黄門の詩って、3番ぐらいまであるんですが、よく聞くとなかなかいい詩ですよ。一度、カラオケで歌ってみてはどうですか?

 

1998年12月12日(土曜日)

会社で、とある研究グループと共同で研究をはじめた。このぐらいのレベルになると、わりと多くの人が海外留学の経験がある。もともとコンピュータ・サイエンスは米国が本場なので、研究客員として米国の大学に滞在する人も多い。

最近まで、コンピュータ・サイエンスは、日本の大学では科学だとは認められていなかった。これが、日本のコンピュータ技術が米国よりも10年以上遅れている原因かもしれない。

その、とあるグループには、フランス人もいるのだが、彼の日本語のうまさには驚いた。ホワイトボードに、私が思い出せない漢字もスラスラ書く。

ちょっと漢字を勉強しよう…と思った。読めるが書けない、という漢字が多い、最近。

 

1998年12月11日(金曜日)

めっきり寒くなってきた。テニスのシーズンも終わりかな。でも、明日は行ってみよう。ガットも張り替えたばかりだし、このあいだ靴も買ったし。

靴は NIKE の AIR にした。別に意味があるわけでもない。そう言えば、米国のテレビ、ESPN で NIKE のコマーシャルをよくやっているが、テニス・プレーヤーが出るやつはいつも楽しみにしていた。

最近は見てないので知らない。どういうのやってるんでしょう??

 

1998年12月10日(木曜日)

翻訳会社からの翻訳を引き受けるときに、どのぐらいの分量を引き受けるか?

最近、ペースダウンも定着してきた。非常にゆとりのある翻訳生活を送っている。で、いまの私の場合、自分の最大のパワーを発揮したときの 2 分の 1 程度の分量までを引き受けることにしている。

つまり、1 週間の納期として、必死で頑張ったときに 100 ページできる自信があるとすると、50 ページ引き受ける。ほかの翻訳者の方を知らないので、これが普通かどうかはまったくわからない。たぶん、普通ではないと思う。

初めの頃は、自分のペースがまったくわからなかった。かなり必死で訳していたと思う。日記にも、朝 4 時まで訳している、とか書いていたが、最近は 12 時頃には寝ている。(←健康的)

翻訳は歩合制なので、訳せば訳すだけ (もちろん、仕事があればだが) 収入的には(副業という意味では)かなりの高収入を得られる。しかし、体も精神力も もたないので長続きしないと思うようになった。

最初に がむしゃらに取り組めたのは正解だったと思っている。いい経験だった。それだけ訳せる自信がついた。仕事をたくさんもらえたのもラッキーだった。 でも今は、できるだけ長く続けたい、と思う気持の方が強い。

結局、2 分の 1 ぐらいが妥当と思うようになった。体調が悪くなるときもあるし、本業が急に忙しくなることもある。専業で翻訳する場合は、力加減が違うだろうし、その人の性格によっても違うだろうし、2 分の 1 を勧めているわけではない。私はこうしている… というだけ。

また、これからも考え方は変わっていくと思う。日記を書いていると、そういう自分自身の考え方が変わっていくのがよくわかる。別に変わるのは悪くない、いいことだ。

 

1998年12月9日(水曜日)

K 出版社から「冊子小包」が送られてきた。何かと思いながら開けてみると、大きめの手帳 (1999年用) だった。そう言えば今年は K 出版社には、1 つ寄稿した (翻訳とは関係ないけど)。それで送ってきてくれたのだろう。

中をペラペラめくってみたが、最後に出版社ならではの おもしろいものを発見した。

「校正記号一覧」。

「誤字正せ」、「取り去れ」、「転倒直せ」などの指示を、校正の際に赤字で原稿に書き込むわけだが(というか、私の場合は、「書き込まれる」わけだが)、その記号をまとめてある。

今まで、校正を入れられても、なんとなくでしか判断できていなかった。が、これでよくわかる。さらにこの「校正記号一覧」には、知らない記号もたくさんある。

「ゴシック体にせよ」とか、「少し訂正があるが一任する(責任校了)」 とか、まったく想像のつかない記号も説明されている。

ちょっとこれは完全保存版として取っておこうと思う。

 

1998年12月8日(火曜日)

ひさしぶりにラーメン屋に行った。おいしかった。というのは どうでもよいとして…、

お金を払うときに、店の女の子に「あのぉ… 社会人の方…ですよね。」と聞かれた。「は、はい。」と答えたが、どうもその店は、「学割」があるようで、学生なら100円安いようだった。

ほかのおじさんたちは、何も言わずにお金を払っていたので、

「そうか、ふふふ、私はまだ学生にも見えるか、、、」と、あまり意味のない優越感を感じるのだった。

しかし、よく考えると、もっと若く見えたとしたら、「学生さんですよね」 と言われたのかな??

また行ってみよう。

 

1998年12月7日(月曜日)

昨日のダイエットの話で、ちょっと昔のことを思い出した。

昔、私が、○○○○ (いちおう秘密。コンピュータとか 英語とか、そういう勉強ものではない) を教えていたとき、生徒には わりと看護婦さんが多かった。で、その1人がダイエットをしているというので、聞いてみると、「りんごダイエット」とかいって、りんごだけ食べるダイエットがある、と言っていた。

で、それとは関係ないのだが、あるとき、またべつの看護婦の女の子が大きな鞄を持っていたので、

私 「やぁ、A ちゃん、元気?」

かわいい看護婦さんA 「あっ、先生、久しぶりっ。」

私 「なんで、そんなにおっきな鞄、持ってるの?」 と聞くと、

かわいい看護婦さんA 「これ? 勉強の資料なの。」 という。

私 「へ〜。 看護婦さんって何の勉強するの?」 と また聞くと、「こういうの…」 と言って見せてくれた。

で、見ると、「ノコギリ」 とか 「トンカチ」 とか、なんかそういう工具の資料だった。

私 「何 これ?? 大工にでもなるのか?」 と聞くと、

かわいい看護婦さんA 「あっ、これ?? これでね、人の手とか足とか切るの。」

私 「…… (30 秒ほど固まる) ……」

というわけで、彼女は外科の看護婦さんで、医者が手術のときに使うらしい。

献血するだけでも気絶しそうになる私には、想像に耐えない世界がそこにはある、と脳裏には重い映像が浮かぶのだった。

# 看護婦さんってたいへんですね。でもそこの病院の看護婦さんはやさしい子ばっかりでした。
# こういう病院に行きたいものです。

 

1998年12月6日(日曜日)

ダイエットすることにした。最近ちょっとお肉が つき過ぎ。といってもまだ今までの服が着れなくなるというほどでもないので、軽いダイエットがいいかな。

ダイエットというのは日本語では、「運動をして痩せる」ことなども含むが、英語の Diet は食べるものの制限による療法をいう…… って、私の日記の読者の方々は、私より英語のできる方のほうが圧倒的に多そうなので説明はやめておく(恥をかきそう)。

ところで、ダイエットをあまりしたことがないので、どうすればよいのかよくわからない。(本でも買う?)

甘いものを減らす… と言っても、甘いものはほとんど食べない。嫌いだ。たとえば砂糖のかかったお菓子を見ると背筋がぞっとする。 (が、ケーキはたまに食べる。あまり甘くないやつね。)

間食(かんしょく)を減らす… と言っても、間食はまったくしない。お菓子?? たぶん年に 1 度ぐらいしか食べない。

ビールを減らす…… う〜ん、これはきつい。ビールは大好物なのだ。しかし、ビールってほとんど栄養はないって新聞には書いてあったぞ。 よしよし、ビールは飲んでも OK だ(← 勝手なやつ)。

というわけで、ダイエットするには 3 度の食事を減らすしかなさそうだ。

何か私のような人に有効なダイエット方法がありましたら、ぜひぜひ教えてくださいませ。

 

1998年12月5日(土曜日)

エアコンをつけるぞ、という今年の抱負(?)は達成できず、夏は終わった。

しか〜し、冬はだいじょうぶ。電気温風ヒータがある。が、これだけじゃ寒い。でもパソコンもある。発熱量大。ディスプレイも結構あったかい。さらに天井のライトは、4 連スポットライトだ。

つまり、私の部屋は冬仕様なわけだ。お気づきの通り、この仕様だと夏が暑いのはあたりまえ。(もちろん夏は、電気温風ヒータはつけませんよ。)

冬にも問題はある。

寝るときには寒い。パソコンの電源は切るし、スポットライトも消す。電気温風ヒータがあるじゃないか、と思われるかも知れないが、ずっとつけておくのはもったいない。たぶん、この電気ヒータは、かなり電気を使っていると思う。1時間のタイマもついているのだが、タイマをかけると、ジジジジジジジジジ と うるさい。寝られない(これは、なんのためのタイマだ??)。機械式のタイマで、ダイヤルを回してそれが元に戻ると電源が切れるという しろもの。

というわけで冬は暖かくお過ごしください。

 

1998年12月4日(金曜日)

私は、あるスポーツを、小学校の低学年から、大学4年まで やっていた。十数年やっていたことになる。(もうやりたくない…)

私は器用だと自分で思っている。いや、絶対に器用だ。何かをやりはじめて覚えるのが早い。(と自分では思っている)

そのスポーツを十数年続けて、よくわかったことがある。

まず、小学生。 器用なやつが有利。努力なんて関係ない。器用さがすべて。

中学生。 努力の要素が大きくなる。どれだけ練習したかが勝負の分かれ目。

高校生。器用さではなく、努力が最大の武器。器用さに頼るやつは勝てない。いかに自分で考えて苦労するか。

大学生。努力と根性。さらには精神的な強さ。自分に勝てないやつは勝負にも勝てない。

社会人。 不明(私はこの時点で脱落)

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私は器用だ、が、根性がなかった。だから勝てなかった。自分の意思で努力を継続できなかった。だから勝てなかった。精神的にももろかった。極限状態になると妥協した。だから勝てなかった。

才能、というものがあるとしたら、それは体をうまく動かせるとか、手先が器用だとか、そういうことではないと思う。自分に勝つ、壁を乗り越えられる、そういう苦痛を克服できる能力をもっていること、そういう苦痛を受け入れられること、ほかの人が苦痛と思うことを苦痛と思わないこと、が才能なのだと私は思う。

 

1998年12月3日(木曜日)

翻訳関係のWebサイトなどを見ていると、英語が得意なので翻訳を志している、、という人が多いように思う。

しかし、ちょっと違うような気がする。英語が得意なので翻訳をやりたい、というのは、マラソンが得意なので「トライアスロン」をやりたい、と言っているようなものだと思う。トライアスロンをやるには、水泳も、自転車も得意じゃないといけない。

「英語」、「専門分野」、「日本語」の 3 つの技術で産業翻訳は成り立っていると思う。産業翻訳で、なおかつ英日翻訳の場合、これら 3 つの中では「英語」の比重が最も低いのではないだろうか。

最近、私はコンピュータのマニュアルばっかり訳していたので、そう思う気持ちが強いのだろう。マニュアルに関しては、英語は全然難しくない。英語自体は中学生レベル。ただ用語は難しい。自分の得意分野以外だと調べることが多い。日本語も難しい。修飾語を多用しすぎて判読不明な文章ができあがることは日常茶飯事。見直しにはかなりの時間がかかる。

今訳しているのは、電話関係だが、英語は難しくない。しかし、用語は難しい。単語の意味がわからないので文章全体の意味がわからない。そのシステムがどういうふうに動作するのか想像がつかない。想像がつかないと訳せない。

あぁ、困った。 電話の勉強をしようっと。

 

1998年12月2日(水曜日)

先日、C社から「手違いで原稿料を振り込んでなかった」という旨のメールが来た。そういえばC社からの原稿料は、ほとんどアクセスしない銀行口座に振り込まれてくるので、過去一度しか確認したことがない。

もちろん、今回の振り込まれていなかった件も私は知らなかった。たまには確認した方がいいかなぁと思う。

前に日記に書いたが、例のD社のようないい加減な会社…というか私から見ると「悪徳翻訳会社」であれば気をつけるが、A社もB社もC社も、もう2年越しでお仕事をいただいている会社なので、すっかり信用している。

今回の件も、もちろんC社を悪く思っているわけではない。私の本業の仕事でもこういう失敗はよくある。

「原稿料を振り込んでなかったので、すぐに振り込む」というメールだったので、「ありがとうございます」とだけメールしておいた。

実際に振り込まれたかどうかは…… やっぱり謎。 確認していないので…。

 

1998年12月1日(火曜日)

自転車屋さんから自転車 (※過去の日記参照) のオーバーホールのハガキが来た。特別期間中は1万円程度でオーバーホールしてもらえるようだ。

といってもあまり乗っていない。まだオーバーホールするほどでもない。でも汚れは目立ってきたのでそろそろ自分で掃除しようと思う。

そういえば自転車を買ったのは去年の今頃だった。

 

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