1998年4月28日(火曜日)
ここしばらく翻訳からは離れているが、あいかわらず本業の仕事では英語を読んでいる。これだけ翻訳していても、マニュアルの理解に苦しむ。
今日は、とあるハードウェアのレジスタの説明で、
「The bit 5 must be set to 1.」
という記述があって意味がわからず困った。
果してこれは、「ビット5を1を設定しろ」と書いてあるのか、「ビット5が(何らかの理由で)1になっている必要がある」のか、どちらなのだろう。情けないが結局よくわからず、後者ではないかと想像している。
1998年4月27日(月曜日)
「翻訳の世界」を定期講読していたが、1年間の購読期間が3月で終わった。ところが、今年から「自動継続」とかになったそうで、「購読停止」のハガキを出さない限り自動的に継続されるらしい。
面倒なのでほってあったが、次の号が送られてきた。中に振り込み用紙が入っており、2週間以内に振り込めと書いてある。
この方式には賛否両論ある。停止の通知をしない限り自動継続っていうのはちょっと強引、という意見。もう一つは継続の際に号が飛んでしまうことがあるが、自動継続だとそういうことがないので便利、という意見。
私の知る限りは否定論の方が多いと思う。
このまま放っておくと何号まで無料で送られてくるか多少興味がある。
ところで学生の頃、とある事情により、200円ぐらいの税金を収める必要があったが、面倒なので放っておいたことがある。転居しても督促状が何通も来た。最後には「家財を差押える」という郵便まで来た。もちろん、私が支払う税金より郵便代の方がかかっているわけだが、それでも送り続ける税務署はすごいと感心した。
というわけで「翻訳の世界」のバベル・プレス社に税務署ほどの執拗さがあるかどうか知りたい気もするが、不毛という気もするので代金は近々、振り込みに行こうと思う。
1998年4月26日(日曜日)
以前は海外出張のときには、日本から直接現地のホテルに電話して予約していた。旅行代理店を通して予約もできるが、ビザを持っていたので海外で航空券を買うことも多く、ホテルやレンタカーも直接予約していた。
最近は、Webで予約ができるので便利。今日もホテルとレンタカーを予約しておいた。
1998年4月25日(土曜日)
あいかわらず体調は悪いが、今日はA社の原稿を翻訳。
The upgrade will offer rendering with textures.
という文章を訳すのに悩んだ。
さて、みなさん、どう訳します? ちなみに「The upgrade」は、ソフトウェアツールの最新版という意味です。
1998年4月23日(木曜日)
どうもやっぱり体調が悪い。体温調節ができず、汗がでたり、寒くなったり。
いつもの風邪とは違うような気がして不安になっている。会社では、回りの連中に「自律神経失調症では?」とかおどされてますます不安になった。
月曜日までこの状態だったら病院にいこうと思う。私は病院が嫌いでほとんど行ったことがない。月曜日に病院に行くとすると、3年ぶりぐらい。それより前は記憶にないので10年以上前かな。(前にも日記に書いたような気がする)
この状態で連休のテニス合宿が始まると、もう突入するしかない。それまでに直ることを祈る。
1998年4月22日(水曜日)
いつもは毎日、翻訳の仕事が来ているかどうかドキドキしながらメールを読む。仕事が来ると納期に追われるから。でも来週は休むことを翻訳会社には伝えてあるので、しばらく仕事はこないと思う。
それで、安心してメールが読める。「お休み宣言」もたまにはいいものだ。今までたぶん、4、5回「お休み宣言」をしたことがある。旅行とか海外出張とかのとき…。
家に帰っても特にノルマのない生活がつづくと、これがサラリーマンの日常生活だ、という気がする。
いつもは忙しすぎる。
1998年4月21日(火曜日)
3日間ほどアメリカに行くことになった。また延々と飛行機に乗らないといけない。苦手だ。
一人で行って一人で帰ってくるので気楽という意味ではよい。
何人かで行って、海外初めて…という人がいたりすると気を使う。観光ぐらいは付き合わないといけないだろうか、食事はどういうのがいいだろうか、などなど。
でも今回は、たった3日間で帰ってくるので、ほとんど飛行機に乗ってくるだけ、という気もする。今までの最短時間は2日間だった。
ところで、空港などで一人でぼーっとしていると、たまに話しかけられる。アジア人が多い。
たとえば、シカゴのオヘア空港で、一人でぼーっと CD を聞いていると、暇そうなおばさんが話しかけてきた。出身はビルマでアメリカに住んでいるらしい。ビルマって聞いたことがあるのだが、地理に弱いので、どこにあるか思い出せなかった。
「ビルマってどこにあるのか知らない。」というと「同じアジア人でしょ!!」といって叱られた。
そう言えば、日本人に喋りかけられたことはあまりない。
とある田舎で、レンタカーを借りたときに、出口のゲートを管理しているおばさんが日本人だったということがあった。
私を見て、「日本人か?」と聞く。田舎なので日本人は珍しいのだと思う。「そうだ」と言うと、「日本人のかっこうも変わったね」という。私は確かそのとき、髪が長く、ピンクのポロシャツを着て、サングラスをかけていた。
レンタカー屋の出口のゲートだったのだが、後続の車も来なかったので、しばらくそのおばさんと喋り込んだ。
話によると、おばさんは30年ぐらい前にアメリカに来たので、その頃の日本しか知らないらしい。30年間一度も日本に行ったことがないそうだ。昔は「カマクラ」に住んでいた、と言っていた。私は「いまどきの日本人は、みんなこんなかっこうだよ。」と言っておいた。
そのおばさんは、「日本語は忘れてしまった。」と言って、最後まで日本語では喋ってくれなかった。ほんとうに忘れてしまったのかも知れない。
私はなんとなく哀愁を感じたのだが、なぜかはわからない。別におばさんが暗かったわけではない。明るくて楽しいおばさんだった。
今回はあまり時間がないので友人には会えないかも知れないが、できればまたベトナム料理でも食べに行きたいと思う。
1998年4月20日(月曜日)
また、懐かしい友人からメールが来た。結婚するらしい。日本人の女性と結婚するそうだ。日本の教会で結婚するので、私にも出席して欲しい、ということだった。よろこんで出席します、とメールしておいた。
その友人はアメリカ人で、アメリカで仕事をしているので、結婚後は、たぶん、アメリカに住むのだと思う。詳しい話は聞いていない。
彼は、日記にも一度登場したことがある。
「The quarterback is toasted!」(黒焦げだぜっ!)を私に教えた友人だ。他にもいろいろ悪い言葉を教えてもらったが、あまりに品がないので、ここでは割愛する。
悪い言葉で思い出したが、昔、スタンフォード大学で変な用語集を買った。
SEXのときに言う言葉を、英語<->日本語で対訳してあった。たとえば、「いく、いく」は、「Coming、Coming」となるわけ。
こういうのがたくさんあって、「これは面白いっ」と思って購入し、知り合いのアメリカ人(上の友人とは別の人です)に見せると、大ウケで爆笑だった。
しかし、困ったことにそいつは、しばらくのあいだ、その本に書いてある日本語の方を連発するので、私は友だちじゃないふりをしていた。
まじめな話をしているときに「いく〜」とか言われても困る。
# 今日の日記は品がなかった…
1998年4月19日(日曜日)
B社の翻訳も完成したので納品した。まだ納期までには何日かあったが、できてしまったので。連休はしばらく遊びに行くので、B社にはその旨を連絡しておいた。長い間 家を離れるときにはB社には連絡している。
A社には来週分の翻訳が終わってから連絡することにする。