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[日本国家による若者皆殺しの第1歩]
1939年(昭和14年)7月、ノモンハンの戦場に放り込まれた若者たちは虫けらのように殺されて行った。
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7月5日
戦争とはこれか、惨烈の極みだ。
目、鼻、耳、手足のないのが続々と来た。
苦しむ声を聞くと、胸がつまる。
7月7日
もう1回でよい。家に帰りたい。家に帰って父母に逢いたい。心残りだ。すべては夢に過ぎぬ。僕の人生が二十五年の長い夢に過ぎなくなってしまふのだ。憶へば平凡だった。生き甲斐のある人生だったらうか。戦友は皆、夢を見て死んだんだ。
7月11日
死んでなるものか、これまで折角の親の苦心を、水の泡にしてはならぬのだ。生きて必ず帰る。俺は帰ってきっと成功して、親を安心させて見せる。それまで必ず神様よ、生かしてください。
7月20日
愈愈明日は総攻撃だ。取っておいた間食は、皆食ってしまふ。果たして生き残るだらうか、負傷くらいですむだらうか、神様に祈りたい、無事であって欲しい事を。
7月25日
写真も見たくない。只眠いのだ。砲はどんどん撃って来る。もう思ひ残すことはない。これが僕の二十五年の終局なのだ。然しこれが約束の寿命なんでせう、すべてをあきらめて。
昭和十四年七月二十五日
(「大高豊治陣中日記」)
第23師団歩兵第26連隊所属
・同日戦死
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