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上海・南京
1937年の奴隷兵士


ノモンハン
1939年の奴隷兵士
 

ノモンハン1939   
破廉恥皇軍指導部


若き記者虐殺  
1987年言論襲撃


昭和11年
1936年狂気への日々  



オカルト兵士への道     
1943年の出陣



サマワへの道
侵略強盗共犯兵士     



磯部浅一
ヒロヒト罵倒将校の慙愧    



目次
侵略カルト兵士生産     



掲示板
2001年愛国者     

[日本国家による若者皆殺しの第1歩]


1939年(昭和14年)7月、ノモンハンの戦場に放り込まれた若者たちは虫けらのように殺されて行った。







7月5日

戦争とはこれか、惨烈の極みだ。
目、鼻、耳、手足のないのが
続々と来た。
苦しむ声を聞くと、胸がつまる。


7月7日
もう1回でよい。家に帰りたい。家に帰っ父母に逢いたい。心残りだ。すべては夢に過ぎぬ。僕の人生が二十五年の長い夢に過ぎなくなってしまふのだ。憶へば平凡だった。生き甲斐のある人生だったらうか。戦友は皆、夢を見死んだんだ。

7月11日
死んでなるものか、これまで折角の親の苦心を、水の泡にしてはならぬのだ。生きて必ず帰る。俺は帰ってきっと成功して、親を安心させて見せる。それまで必ず神様、生かしてください。

7月20日
愈愈明日は総攻撃だ。取っておいた間食は、皆食ってしまふ。果たして生き残るだらうか、負傷くらいですむだらうか、神様にりたい、無事であって欲しい事を。

7月25日
写真も見たくない。只眠いのだ。砲はどんどん撃って来る。もう思ひ残すことはない。これが僕二十五年の終局なのだ。然しこれが約束の寿命なんでせう、すべてをあきらめて。
昭和十四年七月二十五日

(「大高豊治陣中日記」)
第23師団歩兵第26連隊所属
・同日
戦死