古代日本のクリスチャン

 8世紀頃の日本で勢力を誇っていた泰氏の首長・秦河勝(はたのかわかつ)は、クリスチャンであったじゃろうと言われておる。彼が弓月国から持って来たという胡王面が正倉院に保管されておるが、それには景教(ネストリウス派キリスト教)の十字架が刻まれ、四翼の天使(ケルビム)が彫られておるのじゃ。
 景教は、中国では大秦教とも呼ばれておった。古い時代には「大」と「太」は混用されたから、これは「太秦」と同じ字じゃ。
 この字をなぜ「ウズマサ」と読んだのか、景教研究の大家、佐伯好郎博士は、アラム語のイェシュ・メシャ(イエス・キリスト)から来たのじゃろうと言っておる。
 『日本書紀』には、「ウズマサは神とも神と聞こえくる。常世(とこよ)の神を打ちきたますも。」とある。これは、「ウズマサ様は、神の中でも神だとの評判だ。常世の神を打ち倒すほど強いから。」という意味じゃ。事実、皇極天皇の時代、蚕に似たある虫を「常世の神」と呼んであがめることが流行しておった。人々はその神に財産を捧げたが、何の利益もなく損害は広がるばかりじゃった。秦河勝はこの邪教の流行に激しく怒り、虫を神と教える人々を懲らしめた。こうして秦氏の信じる「ウズマサ」の名が神々の神として日本中に聞こえるようになったのじゃ。
 太秦にある「蚕(かいこ)の社」と呼ばれる神社には、「元糺(もとただ)すの池」と呼ばれる池があり、この真ん中には全国でも珍しい「三柱鳥居」が立っておる。“元を正しくする、誤りを直す”という場所に立つ三本柱の鳥居は、三位一体の神を信じる景教徒たちが、神観の誤りを正そうとしたためと考えられておる。
 ザビエルによって西洋まわりのキリスト教が伝わる一千年近くも前に、東洋づたいのキリスト教が日本に来ておった。京都を中心に、多くのキリスト教徒がおったんじゃな。(今回はシンプルすぎたかのう?)

参考:「古代日本のキリスト教徒たち」(月刊『レムナント』第100号)


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