『記紀』の中にへブル語?

 『記紀(きき)』(お猿のことではないぞ)とは、『古事記』と『日本書紀』のことじゃ。
 ユダヤ人、ヨセフ・アイデルバーグ*氏は、この『記紀』の中にへブル語起源と思われる言葉が実に多いと言っておる。
 『日本書紀』によると、神武天皇は甲虎(キノエトラ)の年に芦原の国の中心である大和に旅立った。によると、これは、昔イスラエル民族がカナンに旅立ったときのことを思い起こさせるというのじゃ。彼らは律法を授かった年(「律法を授かる」はヘブル語で「キニヤ・トラ」)に、カナン(「カネ・ナー=葦原」の合成語?)に向かったのじゃ。
 さらに、神武天皇の正式称号「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」は、へブル語として読めば、「サマリヤの王、神ヤハウェのへブル民族の高尚な創設者」の意味となると氏は言うのじゃ。
 神武天皇は即位したのち、種族の長たちに「県主(アガタヌシ)」の称号を与えた。へブル語で「アグダ・ナシ」は“集団の長”の意味なんじゃ。神や天皇のことを「ミコト」と呼ぶが、へブル語「マークート」は“王”という意味じゃ。また、天皇は「ミカド」呼ばれておるが、「ミガドル」は“高貴なお方”という意味なんじゃ。
 『古事記』において、イザナギとイザナミは「あなにやし」と言いながら柱をそれぞれ反対の方角から回り、出会ったところで結婚の契りを交わしたとある。ユダヤ人の結婚式には、きれいに花で飾った柱を巡り回り、出会ったところで結婚成立という伝統があり、今でも行われておるそうじゃ。「あなにやし」は国語学者などによって「ああ、ほんとにまあ」など、いくつかの説が挙げられておるが、アイデルバーグ氏はヘブル・アラム語の「アナ・ニャサ(私は結婚します。)」から来たのではないかと言っておる。たしかに、この場面にはふさわしいことばじゃな。
 日本は古来から「ヤマト」と呼ばれてきた。これには「大和」「倭」「日本」など、いろいろな漢字が当てはめられておる。つまり、「ヤマト」という音が先にあったんじゃろう。へブル語で「ヤ・ウモト」は“ヤハウェ(旧約聖書にある神の御名)の民”のことじゃ。
 これらの類似点は、単なる偶然じゃろうか。ある人々は、唯一神ヤハウェを信じる集団(イスラエル人)が、日本の建国に携わったからだと見ておるのじゃが...。
 聖書が日本(ヤマト)人に関係のないものではなく、むしろ関わり深いと言われる根拠は、他にも山とあるんじゃよ...。

参考:「古代日本人はヤハウェを信じていた」(月刊『レムナント』第97号)、「日本神道のルーツは古代イスラエル宗教」(月刊『レムナント』第91号)

*ヨセフ・アイデルバーグ:元イスラエル国防軍陸軍少佐。8ヵ国語を話す。京都・護王神社で見習いを許され、日本の言語、風習、神道について学んだ。著書に『大和民族はユダヤ人だった』(たま出版)。


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