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日本神話と聖書記事(2)
古代イスラエルの王ダビデと崇神(すじん)天皇にも物語に類似性があるのじゃ。聖書には、ダビデ王の時代に三年間の飢饉があり、それに続き悪疫で7万人が死んだと書かれておる。日本書紀によると、崇神天皇の時代に悪疫が3年間続き、人口の半分が死んだとされておる。ともにこの惨状の責任を感じ、神に罰を求めたのじゃ。『古事記』によると崇神天皇はイドミの地で戦った。ダビデ王はエドムの地で戦ったのお。
ダビデ王の子ソロモンは、初めて神のために神殿を建設した。崇神天皇の子、垂仁(すいにん)天皇は、初めての神社−伊勢神宮を建設しておる。両者には他にも興味深い対応関係が見られるそうじゃ。
イスラエルの初代王サウルと仲哀(ちゅうあい)天皇の間にも類似が見られるのじゃ。仲哀天皇は「容姿端正で、身丈は一○尺(約3メートル)あった」とされておる。彼は「アナト」の地で天下を治めておった。一方、サウルも「美しい若い男で・・・民の誰よりも肩から上だけ高かった」とある。彼の出身部族ベニヤミンの領地には「アナトテ」という有名な町がある。仲哀天皇が戦った相手は「クマソ」であり、サウル王の戦った相手は「ケモシュ(モアブ)」じゃ。二人とも、神の言葉に従わんかった。そして早死にしたのじゃ。
ほかにも、大和民族が戦ったという「蝦夷(エビスまたはエミシ)」は、古代イスラエル人が戦った「エブス」に似ておるのお。
これらイスラエルの有名な王たちとの類似に、オォーッ!と思うじゃろう?
これは単なる偶然かのお?これが古代日本に来たイスラエル人に起因するのならば、彼らの影響力はかなり強かったと言えるじゃろう。
| 参考:マーヴィン・トケイヤー著「日本・ユダヤ封印の古代史」(徳間書店) |
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