■ 多国籍軍、中東に展開
まあ、そんなこんなで中東に出動したアメリカ軍を中心とした多国籍軍はイラクを包囲し、今度はイラクがプレッシャーを受ける立場となりました。アラブの国がこの多国籍軍に加わった事に憤慨していても何も始まりません。イラクは外交を駆使してアラブを味方に取り戻そうとします。
しかし、ついに多国籍軍が設定した撤退勧告の最終期限1991年1月15日がきてしまいます。
イラクは・・・黙殺。
■ 多国籍軍、空爆開始
1991年1月17日、中東に展開している多国籍軍は、イラクに対して空爆を開始します。
イラクは多国籍軍に加わったアラブ軍団を分離させようと、イスラエルに対して地対地ミサイル”アル・フセイン”を射ち込みます。
これに対してパレスチナアラブ人は喜んだようですが、イラクの狙いはイスラエルとアラブの問題を今回の戦争に重ねて、アラブの支持を取り付けたかったのです。
フセイン大統領はイスラエルを挑発し、イスラエルと多国籍軍のアラブ軍団がいっしょにイラクを攻撃すると言う事態を起こし、そんな事ができるはずも無いアラブ軍団を多国籍軍から離脱させようと計ったのでした。
しかし、これは見事に外れました。イスラエルはアメリカの要請で多国籍軍に加わる事も、イラクに対して報復攻撃に出る事も我慢したのでした。
イラクは計略が外れた事を悟ると、今度は矛先を多国籍軍に加わっているサウジアラビア、バーレーン、カタールに向け、報復としてミサイルを射ち込み始めます。この無差別ミサイル攻撃に対し、イスラエルもいつキレるかわかりません。アメリカはこのミサイル攻撃の迎撃にパトリオット地対空ミサイルをイスラエルやアラブの国に配備します。
ミサイルをミサイルで撃ち落すというのは雲をつかむような話ですが、実際ほとんど役に立ちませんでした。するとアメリカは、ステルス攻撃機F117でイラクのミサイル発射サイトを徹底的に破壊する作戦に出ます。ついに秘密兵器ステルスが世に現れたのでした。
■ 地上戦開始 2月24日
イラク軍に対する空爆が終了し、あたりに静けさが戻りました。しかし、実戦経験豊富なイラク軍将兵には、この静けさの意味するものは分かっています。
そうです。味方の人的被害を最小限に抑えるため、空爆で徹底的にイラク軍事施設を叩いた多国籍軍は、ついに地上戦へと突入したのです。
空爆で及び腰になっていたイラク軍はすでに多国籍軍が次の一手、つまり地上戦を開始してくる事を察知し、士気が下がっていたのです。そのため、多国籍軍地上部隊はたいした抵抗も受けず、クウェートからイラク軍を追い払います。
そして、連合軍はたった100時間と言うきりのいい時間でイラクを降伏せしめたのでした。ただ、アラブ軍団はさすがにイラク国内まで軍を侵攻させることは拒否しました。
これにより湾岸戦争は終結したのですが、地上戦開始たった100時間でイラクが停戦してしまったので、イラク国内の政治体制が崩れる前に戦争が終わってしまい、フセイン政権は存続してしまったのです。
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