The Gulf War
仁義なきペルシャ湾岸戦争


クウェート : 地図提供 CIA

■ 湾岸戦争

      中東最強国 イラク
                      V.S.
                              クウェート、多国籍軍
イラクのサダム・フセイン大統領はイランとの8年にも及ぶ戦争で疲弊しきった国力の回復のため、石油を狙ってクウェートに攻め込みました。

 

■ イラク、クウェートに文句を言う

■ ペルシャ(アラビア)湾岸の事情
 クウェートと言う国があります・・・。
 首長制の国で王様がいます・・・。
 そして、石油がたっぷりあります。

イラン・イラク戦争時に、クウェートはイラクを支持していました。その理由はイラクがアラブの国で、イランはペルシャの国だからなどという単純なものではありません。

本当の理由はイスラーム原理主義が怖かったからです。王制だったイランで、イスラームによる革命が発生し、国王が追い払われたという事件(イラン・イスラーム革命)がありました。こうして、原理主義国家となったイランを率いるホメイニ師の、革命の輸出と称し”我に続け”と世界に向けて発信する過激な発言が国王制にとって脅威だったからです。

このイスラーム原理主義に対する砦となってもらおうと、クウェートはイラクを支持をしていたのです。そのため、戦争に参加していないクウェートもイランから敵視され、タンカーが攻撃されていました。

■ 湾岸危機
イラン・イラク戦争はどちらも決定的な勝利を得ずに停戦となりました。戦利品も得られなかったイラクは戦費の返済に困ります。

イラクは石油を売ることが一番儲かるので、せっせと汲み上げて外貨を稼ぎ出し、債務の返済に充てようとがんばっていました。実はクウェートも石油を売っているのですが、OPECで取り決められている原油採掘量以上にくみ上げ、売りまくり、ほかの原油産出国と比べてもかなり荒稼ぎをしていました。

その分、イラクや他の原油産出国が損をしているわけです。さらに、イラクとクウェート両国にある油田は地下で繋がっており、クウェートがそこの油田からくみ上げる事はイラクの石油をくみ上げている事になる。とイラクは憤慨していました。

そして、ついにイラクはクウェートに対し、油田からくみ上げた盗掘分を返せ、さらにイラン・イラク戦争での借金を棒引きしろ!と因縁をつけたのでした。

これこそ、中東の秩序はイラクが守ると言うところです。そして世界の秩序を守っているアメリカはどう出るでしょうか。それに対しサダム・フセイン大統領はどう動くのでしょう。

 

■ イラク帝国主義、アラブの秩序を守る

■ イラク、クウェートに最終通告をつきつける
サダム・フセイン大統領はクウェートとの国境付近に軍隊を集結させ、プレッシャーを与えます。

『え!?マジなんですか?』

アラブ諸国は驚きます。うろたえるばかりのクウェートを見て、エジプトのムバラク大統領やアラファト議長などが仲裁にあたりました。

アラファト議長はフセイン大統領との会談を終え、『イラクとクウェートの戦争は避けられ、この問題は平和裏に解決するだろう。』と発表しましたが、モサドはこれを鼻で笑った!

フセイン大統領にしてみれば所詮子飼のPLOごときが、えらそうな口をきくようになった。といったところです。和やかに抱き合ったのはただのパフォーマンスであったことが証明されるのに24時間かかりませんでした。

■ イラク、クウェートに侵攻
さて、そろそろだな・・・。とフセイン大統領はクウェートへの侵攻を下令します。1990年8月2日、イラク軍は国境(と言っても砂漠地帯ではっきりと分からない)を越えてクウェートに侵攻します。

中東最強のイラク軍に対しクウェート軍だけでは持ちこたえられるわけがありません。国王はサウジアラビアに脱出し、クウェートはアッサリと首都を占領されてしまいます。

国連は安全保障理事会を召集し、イラクの即時撤退を求める決議を採択します。これに対しアラブ諸国も10日に首脳会議を開きました。

この会議ではっきりした事は、イラク支持の国が多かったと言う事です(アルジェリア、リビア、PLO、ヨルダン、イエメン)。このため、アラブの意思としてははっきりとする事ができません。しかし、一応イラク非難と言う程度で決議をします。

■ アラブ諸国の憂鬱
会議でイラクを非難したところでイラクはクウェートから撤退するそぶりも見せません。このまま放っておいたら、フセイン大統領はサウジアラビアなどへも侵攻してきかねません。

そして、イラク非難の国は苦しい選択に迫られていました。もし、イラクが攻め込んできたら、自国の軍隊だけでは追い払えるわけがないのです。

ではどうするか?

誰かに守ってもらうしかありません。守ってもらうなら世界の警察、イーグルステイツ・アメリカしかないでしょう・・・。アラブの敵であるイスラエルを支持しているアメリカしか・・・。

これはまさに究極の選択です。

サウジアラビアなどはイスラームの2聖地を守護しているはずなのに、もう1つの聖地を占領しているイスラエルのバックにいるアメリカを受け入れると言う事になるのです。

サウジアラビアの苦悩は目に見えます。当然フセイン大統領はそれを読んでいました。サウジやアラブがアメリカの味方をするはずは無いと・・・。しかし、恐怖にとち狂ったサウジアラビアは、アラブ軍も含めた多国籍軍を受け入れると言う、微妙な行動を取ります。

 


サウジアラビア上空を飛行するアメリカ海軍のF−14トムキャット

アメリカ陸軍の戦車エイブラムズ

 

■ 多国籍軍つまり連合軍、イラク軍を攻撃

■ 多国籍軍、中東に展開
まあ、そんなこんなで中東に出動したアメリカ軍を中心とした多国籍軍はイラクを包囲し、今度はイラクがプレッシャーを受ける立場となりました。アラブの国がこの多国籍軍に加わった事に憤慨していても何も始まりません。イラクは外交を駆使してアラブを味方に取り戻そうとします。

しかし、ついに多国籍軍が設定した撤退勧告の最終期限1991年1月15日がきてしまいます。

イラクは・・・黙殺。

■ 多国籍軍、空爆開始
1991年1月17日、中東に展開している多国籍軍は、イラクに対して空爆を開始します。

イラクは多国籍軍に加わったアラブ軍団を分離させようと、イスラエルに対して地対地ミサイル”アル・フセイン”を射ち込みます。

これに対してパレスチナアラブ人は喜んだようですが、イラクの狙いはイスラエルとアラブの問題を今回の戦争に重ねて、アラブの支持を取り付けたかったのです。

フセイン大統領はイスラエルを挑発し、イスラエルと多国籍軍のアラブ軍団がいっしょにイラクを攻撃すると言う事態を起こし、そんな事ができるはずも無いアラブ軍団を多国籍軍から離脱させようと計ったのでした。

しかし、これは見事に外れました。イスラエルはアメリカの要請で多国籍軍に加わる事も、イラクに対して報復攻撃に出る事も我慢したのでした。

イラクは計略が外れた事を悟ると、今度は矛先を多国籍軍に加わっているサウジアラビア、バーレーン、カタールに向け、報復としてミサイルを射ち込み始めます。この無差別ミサイル攻撃に対し、イスラエルもいつキレるかわかりません。アメリカはこのミサイル攻撃の迎撃にパトリオット地対空ミサイルをイスラエルやアラブの国に配備します。

ミサイルをミサイルで撃ち落すというのは雲をつかむような話ですが、実際ほとんど役に立ちませんでした。するとアメリカは、ステルス攻撃機F117でイラクのミサイル発射サイトを徹底的に破壊する作戦に出ます。ついに秘密兵器ステルスが世に現れたのでした。

■ 地上戦開始 2月24日
イラク軍に対する空爆が終了し、あたりに静けさが戻りました。しかし、実戦経験豊富なイラク軍将兵には、この静けさの意味するものは分かっています。

そうです。味方の人的被害を最小限に抑えるため、空爆で徹底的にイラク軍事施設を叩いた多国籍軍は、ついに地上戦へと突入したのです。

空爆で及び腰になっていたイラク軍はすでに多国籍軍が次の一手、つまり地上戦を開始してくる事を察知し、士気が下がっていたのです。そのため、多国籍軍地上部隊はたいした抵抗も受けず、クウェートからイラク軍を追い払います。

そして、連合軍はたった100時間と言うきりのいい時間でイラクを降伏せしめたのでした。ただ、アラブ軍団はさすがにイラク国内まで軍を侵攻させることは拒否しました。

これにより湾岸戦争は終結したのですが、地上戦開始たった100時間でイラクが停戦してしまったので、イラク国内の政治体制が崩れる前に戦争が終わってしまい、フセイン政権は存続してしまったのです。

 

■ 湾岸戦争の終結

1991年2月28日、クウェートを多国籍軍が取り返します。そして、3月3日停戦合意。これで湾岸戦争は終結しました。

湾岸戦争がアラブ諸国へ与えた影響は以下のような事です。

・シリアやサウジアラビアの基地からは多国籍軍機が飛び立ちイラクを攻撃していたので、イラクとアラブ諸国の関係もボロボロになり、イスラエルはちょっとしたり顔です。

・PLOはイラク支持ではなかったのですが、そう勘違いされサウジアラビアからの援助が途絶えてしまいました。(PLOはアラブのもめ事には常に中立を取る)

・イスラエルはアメリカからイラクへの攻撃を思いとどまった見返りに、兵器の供与を受けました。

 

■ イラクの戦後

クウェートの国境から次々と敗走してくるイラク軍将兵達でしたが、誰が始めたか自分の国に帰るなり、この戦争を始めた張本人の肖像画に向かって銃撃を浴びせます。

この行動でついにフセイン大統領に対しての暴動が始まります。この暴動には市民、クルド人、シーア派の人々も加わり、フセイン大統領は失脚するかと思われました。

クルド人やシーア派のバックにはCIAがついていたのです。これは、アフガンでソ連を追い払ったムジャヒディンと同じ状況でした。

が、なぜかイラクに興味が失せたCIAは事態を黙殺・・・。

フセイン大統領は機を見るに長けた人でした。アメリカが動かないと悟ったフセイン大統領は、温存してあった親衛隊を投入し、全国的な暴動を奇跡的に鎮圧したのです。

土壇場で裏切られたクルド人やシーア派の人々はアメリカに対して深い恨みもったのでした。

そんなこんなでフセイン政権は続きます・・・。

toranosukeandumanosuke