文学雑誌「メランジュ」日本語web版
メランジュ第4号
2001年12月

編集者より
Not 'Art for art's sake'(「芸術のための芸術」ではなく・

重大発表


Invisible Things/みえないもの(

For King and Country(王と国を懸け・
On the Way Home(家路・
We・21st Century・Youths(僕ら・21世紀・若者/

マルチリンガル・ページ
中国語

ガオ・シャオダン女史とのインタビュー(英)
中国語学習者とのインタビュー(英)


リレー小説
カフェ・エバーグリーン 第2章(英)

エッセイ
Identities on the move: society, borders and me/
境界線とアイデンティティ(日・

著者陣について

エッセイ


identities on the move: me, society and borders
- a ramble in the calm before the storm
境界線とアイデンティティ
ーあの日,世界が全て変わる前の ある夜に

蟹江 恵貢観

※これは米国同時多発テロ事件が起こる前の2001年8月に書かれたものです。

夜は何故だか眠れなくて,時間潰しに使い古しの紙の裏に何かを書こうかな。どうしてなかなか眠れないのかな…社会的価値でしか自分の価値を認められないと考えている者は社会というものに対して身構えてしまう為何らかの症状が出やすいってある心理学者が言っていたけど,医学的な観点だけじゃなくてそういうのもあるのかな,確かに自分にはそういうとこあるのかも知れないな,何もしないでいても人間は存在しているだけでそのこと自体に価値がある,ってこと,他の人には言えても,自分自身にはまだ受け入れることが出来ていないかも。

これは宗教でよくいわれることだけど,善行によって人は救われるとする宗教と,何もしなくても神などを信じるだけで救われるとする宗教…私は努めに励んでしまう人間かも…おそらく今よりも以前の方がずっと「社会的正義感」みたいなもの強かったと思う。社会の為に〜しなきゃいけない,よりよい社会の為に働かなくちゃとか。それは東洋的価値観とでもいうのかな,社会第一主義の流れを汲んでいるのか。

NGOに強い関心を持ったのも,高校生の時のあの強い焦燥感もそこから来てるような気がする,世界でこんなことが起きてるのにどうして自分はこんなところで無意味なことしてるんだろう,みたいな。だけど最近はその「社会」というものが解らなくなり始めてる…社会って一体何者? どうして社会の為に働かなくちゃいけないの?って…移民について調べてくうちに,そんな迷路に入り込んでしまったみたい。

が初めてその世界的現象を目の当たりにした,ニュージーランド第一の都市オークランドはアジアの何処かの都会みたいだったという印象,その衝撃がずっとこの私を捉え続け3度もこのお題で論文を書かせてしまったのだけど,この国のアイデンティティはどうなっちゃうんだろう,って,日本をまともに出たことなかった人間はそのとき,考えた。ニュージーランドがニュージーランドらしくなくなっていくんじゃないかっていう,危機感,恐怖みたいなもの…あとで'Asian invasion'(アジア人による侵略)という言葉があることを知ったんだけど。

でも調べていくうちに,そもそも「ニュージーランドらしさ」というものさえ決められないことに気づいた。この国は元々植民地支配という正当化できない歴史の上に成り立っていて,先住民族マオリは侵略されて,でも彼らもこの無人島に移り住んできたって歴史があるわけで,それはともかく南太平洋に英国を再生産するみたいな形で,英国人だけ特別扱いされてこの移民国は形成されてきた。

それは当然一アジア人から見て不公平で,人種・国籍によって入国を制限すべきじゃないって思うのは自然なこと。でも現実白人系の移民はキウィ(ニュージーランド人)になれるけどアジア人はニュージーランドに来てもそうはなれない。(それが今回の論文のテーマだったんだけど)ニュージーランド社会がそもそも移民で出来ているのに移民反対とか移民による社会問題だなんて矛盾してて,それでいて大抵白人系の移民は問題なんかにならないで自由に国境を行き来して,逆にブレーンドレーン,頭脳流出なんてことになってる。

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