めぐみ的こころ(^o^;;


浅草おんまいまいんど


ますますだっせんして、私の思い出です



東京の街がクリスマスの緑と赤に包まれる季節に、浅草の街は師走を迎えます。松屋さんだけはやはり
クリスマスなのですが、一本路地を入るとやはり「年の暮れ」の雰囲気が濃くなります。
「お酉様」の熊手を飾った帳場の前で、節季の掛け取りの為のそろばんの音が響き、そして新年を
迎える準備も進んでゆくのです。

私たちは、ちょうどそんな浅草の雰囲気の中で育ったおしまいの世代かもしれません。帳場はレジになり
商売に成功された方のお宅はビルになり、そして、街を去って行く方も多くいらっしゃいました。
当たり前のように商家に出入りしていらした、「いなせなお兄さん達」の姿を見かけることも少なくなり
東京が少しづつ江戸を飲み込んでいきました。

朝起きて私がしなければならないことは、神棚の榊の水を取り替え、三方に炊き立てのご飯を少し盛り
お灯明を点け柏手を叩いて、頭を下げる事からでした。そして、仏壇のお水も換えやはりご飯を供えて、
お光を灯して線香に火をつけて鉦を鳴らします。ご先祖様にご挨拶をしてから、食卓を囲んで一日は始
まります。

街には、吉原でお仕事をされているおねぇ様だけではなくて、銀座や新橋で働いていらっしゃる方も多く
住んでいました。
そして、三味線、長唄、常盤津、新内等の芸事のお師匠さんもいらっしゃったり、髪結いさんが道具箱を
手に歩いていらっしゃたり、地方の方や芸人さんもいらして、日曜日の昼下がりなどは、仲見世通りの雑踏
の音を身近に聞きながらも、独特の雰囲気を醸し出していたのです。

私は小さい時から、父に連れられて、蕎麦屋さんや小料理屋さんで、食事を採る機会が多くありました。
母が病気がちであった事もありますが、その雰囲気が好きになってからは、せがんでついて行くことも
多かった記憶があります。
和服の襟をきちんと合わせて、背筋を伸ばし、お蕎麦に手を合わせてから召し上がる、商家のご隠居さん。
前帯にして思い切り着崩して、ちゃんちゃんこまで着ているのだけれど、えもんが綺麗に抜いてある粋な
おねぇさん。
若さを武器に、綺麗な足を惜しげも無くミニスカートから出している、でもちょっと目の下に隈ができて
しまった、吉原勤めのおねぇさん。
若い頃は、どんなに美しかったろうと思わせる、色気を失ってはない年配の芸事のお師匠さん。差し向か
いで召し上がっているのは、カシミヤのコートをきちんと畳んだツイードの背広の紳士だったりします。
真冬なのに汗を拭きながら駆け込んで来る、印半天を着た職人さん。いつも酔っ払っているとしか見えない
テレビで見た事もある芸人さん。
顔見知り同士は、目礼をしたり、節季の軽い挨拶をしたり、ある時は1合徳利を差し合ったりしました。

不思議な事に、本当に家に近いお店には、出前はお願いする事はあっても、こちらから出向く事は稀でした。
子供の足で10分くらいは歩いて行く距離が、完全な下町とは違う浅草界隈の距離感だったような気もします。
そういう場所で、声を掛けてもらう事や、頭をくしゃくしゃと撫でられる事が、私は好きでした。
そして、媚びもせず、かといって威張りもしない人と人の距離を、とても好ましく思っていたのだと思います。

父の不満は、私が遅く生まれた娘である為に、何処へいっても「お孫さん?」と思われていた事だと
随分後になって苦笑しながら話してくれました。
「親ばかよりゃぁ、じじばかの方が、見た目はいいかもしれねぇと思ったしよ」
っていう、父が私は好きです。

今はその頃のお店に行っても、お客さん同士のその微妙な距離感はなくなってしまったような気がします。
街は今でも好きなのですが、私が大好きだった空気は、随分薄くなってきています。
って、私が年を取ってしまっただけなのかなぁ?
頭を撫ででもらえる年じゃないし(笑)


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