「俺が掟だ」独断流GSランキング

1997年12月25日更新

こんな早くにやってしまっていいのかどうか心配ですが、第3回目にして早くも変な歌ランキングです。まあ、変な歌が目白押しの迷盤は購入の時点で避けているので、本当に変なものはあまり知らないんですが(本当ですよ)。

ともあれ、レッツゴー!(ちょっと恥ずかしいね)

1 「お宮さん」 The Toys

2 「星の王子さま」 The Skeltons

3 「えんぴつが1本」 The Outcast

4 「野菊のようなあの娘」 The Youngers

5 「レッツゴー・レンジャーズ」 The Rangers

6 「天国からのお迎え」 The Sky Hawks

7 「All Day And All Of The Night」 The Tokyo Beatles

8 「サハリンの灯は消えず」 The Genova

9 「シーサイド・バウンド」 The Jaguars

10 「長い髪の少女」 The Golden Cups

次点 「ラリラリ東京」 三浦正弘とアロハ・ブラザーズ

現在の私の1位はトイズの「お宮さん」。タイトルからして危険とわかる曲です。ボーカルは日本人ではないんですが、このロックアレンジの寛一お宮の歌を日本語で歌っています。その微妙にズレた日本語発音が中毒性のある響きで実に危険です(この耳に残る「覚え易さ」というのは、GSを考えるにあたって重要なポイントだと思いますが、一旦保留しておきます)。リードギターの不気味なうまさ(当時としては)など、なぜこのバンドでこんな曲をやらねばならなかったのかはわかりません。当時の日本では、こうした和風の歌とロック、あるいはエレキインストとの折衷はしばしば行われていました。例えば、スパイダースは「越天楽ゴーゴー」をやってますし、寛一お宮の歌はトイズ以外にもやっています。こうした和風ロックも、当時はそんなにおかしくはなかったようです。後にまた触れますが、ロックの独自性を確かめるプロセスだったのですね。トイズなど、一見勘違いに見えることをやっていたバンドも、実は、ロックという極めて西欧的・商業的な音楽の中でどこまでやっても許されるのかを(無自覚ながらも)検証していたと考えられます。しかし、何十年経とうとも、これが再評価される日は来ないでしょう。

スケルトンズはローリングストーンズ・フリークによって結成されたバンドらしいのですが、「星の王子さま」を聴くと、そんなことはきれいさっぱり忘れてしまいます。この曲は導入部だけでも5回は死ねるという怪作です。1回目は濃厚な少女趣味イントロ、2回目は冒頭の語りが始まる所、3回目は語りの声に深いエコーがかかる所、4回目は女性のセリフが入る所、そして5回目は歌が入ってくる所。もちろん、その後も歌は続きます。聴き終えるころには全身がむず痒いです。そういう歌が聴きたい人には好適でしょう。

アウトキャストの「えんぴつが一本」。どんなセレクションであってもランクインしてしまうとは、恐るべし器用貧乏アウトキャスト。こうして軒並みランクインしながらも、決して桧舞台には上がれない日陰者集団、それがアウトキャストなのでしょう。こんな日陰者のアルバム復刻をも成し遂げてくれたP-VINEに感謝! 私は未だに彼らの顔と名前が一致しません。ちなみにアウトキャストは1曲もチャートインはしていません。彼らはオリコンチャートが出来るか出来ないかの頃に解散してしまったのでした。まあ、仮にチャートがあったとしてもランクインしたかどうかというと微妙な所ですが。この童謡風ほのぼのソングを、彼らは1度でもライブで演奏したことがあったのでしょうか?

「天国からのお迎え」は脱力モノの最低アイテムです。どこでレコードを止めるかを考えてしまいます。こういうのは笑ってなんぼの曲なんだけれども、笑うこともできません。この生殺しC調ソング(死語?)がどこまで続くのかと、きっと誰しもが感じることでしょう。バンド名はスカイホークス。なぜ「スカイ」が付くのかは謎です。多分、偉大なるザ・バンドに敬意を表して単なる「ホークス」は避けたのでしょう(ないない)。

「レッツゴー・レンジャース」は、レンジャーズならではの熱いビブラート・ヴォーカルが味わい深い曲です。このバンドもまたセンスとしてはトイズと似たものがあります。若干古くさくも熱っぽい曲を、ひたすら濃厚に演奏するという芸風、これはこれでただものではありません。GS期のバンドの大半はエレキインストとは感覚が違うのだけれども、この曲あたりはまだエレキの影をひきずってますね。欧米のシーンで言えばリバプール・サウンドからサイケデリックへの過程の中のどこにも収まらない奇妙なノリが、ブリティッシュビートよりエレキ・インストを母胎としていることを物語っています。

ヤンガースは素晴らしいデビューシングルを出したにも関わらず、ご多分に漏れず変な方向に向かってしまいます。この曲はバンドの代表曲であるものの、今聴くと結構変ですね。この歌詞を当時の人はおかしいと思わなかったのでしょう。特にソフトロック調の華麗なイントロが終わって歌が入る瞬間は必聴です。もしこれが冗談であったなら、相当にハイレベルですね。でも、彼らは至って真面目にこれをやってのけたのです。バンド名はもちろん変です。

東京ビートルズは、その名前からして既にニセモノという悲惨な人たちです。しかし、スパイダースとともに日本のロックの始祖として、長く歴史にその名を残すことは間違いありません。1965年頃すでにリバプールサウンドを指向していたバンドは、本当に極少数だったんです。さて実際の音はどうだったかというと、最初は名前の通りビートルズのカヴァーをしていたものの、バンドで演奏していたのではなくコーラスグループだったようです。しかし、その後楽器を持って演奏することに挑戦、見事日本初?のリバプールサウンドを実現しました。しかし、このキンクスのカヴァー「All Day And All Of The Night」を聴いてもわかるように、どう聴いてもロックらしくないんです。リフを弾いているギタリストなど今にも死にそうな状態で、ミス・トーンやもたつきがはっきり聞こえます。リズムに全くのれていません。彼らのカヴァーした他の曲では、ハーマンズ・ハーミッツの「ミセスブラウンのお嬢さん」で、ほとんど三味線のようなギターを弾いているらしいです(私は聴いてないんですが)。こうなると「ロックらしさ」というものがいかに会得しにくいものであったかを、彼らは記録として残してくれたという見方もできます。それでも好んで聴くものではありませんね。彼らは、その挑戦意欲を讃えて語り継ぐべきグループです。

ジェノバは一連の樺太ソングで知られる雄々しいバンドです。なぜGSが引揚者の心境を歌わねばならないのかという根本的な疑問は「日本ロック紀GS編」で黒澤進氏が指摘している通りですね。これまた当時の人たちはあまり変には思わなかったようで、マイナーヒットを記録してます。当時はまだ「演歌」というジャンルすら確定していなかった時代ですから無理もありません。しかし、ストイックなイントロに導かれて登場する男臭い演歌調の歌には、インパクトこそ感じるものの、今、愛聴するのは困難に思えます。

ジャガーズをここに登場させてしまうのは気が引けるのだけれども、この「シーサイド・バウンド」のイントロを買って、敢えて忍び込ませます。叫び声に不協和音というサイケデリックなイントロで引っ張っておいて、突然「ら〜ら〜ら〜」と始まった時の喪失感ときたら、やはり結構くるものがあります。

ゴールデンカップス「長い髪の少女」は、通常カップスの代表曲とされますが、私はむしろ変な歌だと思うんだけどなあ。こんなのがカップスの代表曲とされているのは絶対に不幸なことです。もっと変な曲は世の中にいっぱいあるけど、この曲も相当変です。今、この曲がテレビやラジオの懐メロ番組以外の場で演奏されたらどんな反応があるでしょう? もはやマジメに聴ける歌ではないと思いますね。

最後、GSとは呼べないために番外となりましたが、GSと同時代を駆け抜けたカマイタチ的不条理ソング「ラリラリ東京」。ものものしいイントロに導かれるサイケデリック・ムード歌謡です。「ラリ・ラリ」のコーラスもしっとりねっとりと、トリップ感と慕情の区別すらないままにすべてをラリラリの一言で片づける1968年の東京。「ラリラリな女の心境を吐息混じりに歌い上げたラガ・ロック風サイケデリック・ムード扇情歌謡」とでもいうべきでしょうか。この作品を残した三浦5兄弟は、本来ハワイアンのグループらしいですが、これはスペシャルな1曲です。ところで本当に全員が兄弟なんだろうか?


さてさて、こうしたおかしな歌が生まれた背景には、やはり当時(1964〜1967年)の日本における「ロック」の受け止められ方という問題があります。30年の歳月をおいて、今日の目で見れば、上記のリストアップした曲など、どうしようもなくおかしいものばかりです。しかし、彼らは最初からおかしなものをつくろうとしていたのではありません(一部例外もあるが)。それが「おかしい」ことに気づかなかったというのがむしろ正解でしょう。

録音が残っているようなグループしか伺い知ることはできませんが、1965年当時、日本でロック・グループと呼べたのは、スパイダースぐらいではないでしょうか。エレクトリック楽器とドラムからなる小編成のバンドで歌が入るものは、当時は本当になかったのです。エレキギターは既にあったのですが、ベンチャーズやアストロノーツ、シャドウズのようなインストルメンタルのバンドでした。1965年当時、スパイダースはそのようなエレキ・バンドから脱皮し、マージービート・スタイルのバンドに生まれ変わろうとしていました。同時期に東京ビートルズというグループがありましたが、こちらもまたビートルズなどのヒット曲をカヴァーするヴォーカルグループであったのが、楽器を演奏するスタイルに変わろうとしていました。彼らが日本のロックのパイオニアでした。

スパイダースは楽器演奏の能力もあり見事に開花しましたが、東京ビートルズの方はというと、残された録音を聴く限りでは、どうにもロックらしくならない現実を前に、もだえ苦しんでいる様子がうかがえます。スパイダースも楽器をもたないヴォーカリストが2人という編成ですね。かまやつひろしも歌うことを考えると3人のヴォーカルとバック・バンドという構成であった点など、彼らもまた古いスタイルを引きずっていました。やはりスパイダースも過渡期の存在だったんですね。

1966年以降、ブルーコメッツがヒットを出すようになり、タイガースのヒットなどもあって、にわかに起こったバンドブームを受けて、マスコミはグループサウンズという新しい呼び名を日本のロックバンドに与えました。しかし、「ロックバンド」として定義がなされたわけではなく、小編成のエレクトリック楽器を用いるバンドは何でもかんでもグループサウンズと呼ばれたのでした。おかしなGSがたくさん生まれたのは、このような事情からでした。

アウトキャストの「えんぴつが一本」のように、レコード会社主導でつくられた録音が非常に多いのも、GSをわかりにくくしている元凶です。スパイダースやアウトキャストのようなバンドまでもが、歌謡曲(=保守的な流行歌)をやるグループになることを求められたように、レコード会社はGSの独自性をあまり尊重しませんでした。その結果、どのグループも、シングルは大体歌謡曲風で、アルバムにもそういった曲が差し挟まれるためにぶち壊しになってしまったのです。ゴールデンカップスやダイナマイツのアルバムが、本来のレパートリーだけでつくられていたら、もっと良かったはずなんですが・・・。

GSブームが本格化すると、音楽的にもファッション的にもロックとは異質なグループが、このブームにのって新奇なものを出してきました。彼らはロックバンドとは言い難いものが多かったのですが、ひとくくりにしてGSと呼ばれたのです。彼らのほとんどは売らんかなという山師だったんですが。フォーク・クルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」の2番煎じ、3番煎じが世に溢れ、フリルの付いた少女趣味の服装に身をまとったグループが現れるに至って、GSという無闇に高揚したブームは終わりに近づいていきました。

棚橋勝敏(イージーファン)

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