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その1:タイから友好橋を通ってラオスへ |
その2: |
その3:メコン川を遡ってパークベン経由でファイサーイへ |
その4:タイに戻って帰国 |
ラオスが素朴でのどかに感じられるのは乞食をめったに見ないのと、貧しくても人心がそれほど殺伐としていないのがあると思います。それに、この国の托鉢システムが大きく貢献してるんじゃないかと感じました。ルアンプラバンからファイサーイまでのスローボートによる旅は時間はかかりましたが、ゆっくり時間を過ごせるのでお薦めです。 |
7日目 (8月14日) 朝5時半に起きて托鉢を見物する。子供から大人まで僧侶が一列になって托鉢する姿は感動的。ラオスでは乞食を見ることがほとんどないが、それはこの托鉢システムの機能の一つなのだろう。6時を過ぎると托鉢はほとんど終了。今日はボートでファイサーイへと向かう。スピード・ボートならその日のうちに着くのだが、私はスロー・ボートなので1泊2日かかる。今日はまず中間地点のパークベンまで。7時半にチケットを買い、出発は8時半。スロー・ボートとはいえ、なかなか速い。途中、何艘ものスピード・ボートが爆音をあげて我々を追い抜いていく。メコン川を遡りながら周りの景色をのんびり眺めるのも悪くはない。気まぐれに変わる天気と流れる時間とともに変化するメコンの景観を堪能しながら、食事したり昼寝したり全ては順調に見えた。ところが、17時半頃になると船は減速し始め、船長の奥さんや息子さんがエンジンのまわりで騒ぎ始めたと思ったら、エンジン停止。船を岸に繋ぎ止め、救援を待つ。船の屋根は普段は上がることを禁じられているのだが、停船している今は大丈夫らしいので、上に出てひとはしゃぎ。すると、突然「なんじゃ、ありゃ!!」の声が同じ船の日本人、桜田門さんから。彼の指す方を見ると、なんと水死体が流れている。その土左衛門は死んでからずいぶん経つのか、風船のようにふくれている。その土左衛門は我々の船を通過したあと、まるで我々に何かを言いたいかのように船の後ろに回り込み、そこで止まってしまう。船の故障も彼が我々を呼んだかのように思えてしまう。 |
8日目 (8月15日) なんらかの虫が布団にいたらしく、体中刺されてしまう。夜中、ネズミが出て走り回っていたり、なかなかの宿。朝からマーケットに行きユウコさんと朝食を食べる。小さなマーケットだが、なかなか面白い。そこで運良く山岳少数民族の人たちに会う事ができる。何族かはわからないが、とっても素敵な民族衣装と髪型。写真を撮らせてもらう。船は朝8時に出航。昨日の船は結局直らなかったらしく、今日は我々を救出してくれた船。今日は無事に着けると良いのだが・・・。船はメコン川沿いの村々に寄りながら、メコンを遡っていく。15時過ぎ、「ガガガガ」という嫌な音と共に船が推力を失う。流木か何かにプロペラをやられたらしい。エンジンをふかしても、船は無情にもメコンを流されていく。このままではいつ座礁してもおかしくない、かなり危険な状況。ライフジャケットと命綱を着けた船長がメコンに飛び込み、岸の立木にロープをかけてきてなんとか船を岸に寄せることができる。その後、船長一家による必死の修理。頑張ってシャフトを外そうとしている。いったい、いつまでかかるのやら・・・。 |