・ゲーム秘宝館本館
ここでは、大作ソフトの影に埋もれてしまったり、忘れさられようとしている マイナーゲームを 取り上げます。入手困難なものもありますが、中古屋でみ つけたら「保護」してやってください。
謎のオープニング「父よ」「母よ」「妹たちよ」「生きていてくれ」(台詞の
間に一枚絵が挿入される)という筆者には謎のオープニングの後、スタートボタン
を押すとブロンドらしき女性の運転するジープに乗って敵の制圧している(?)
都市に強行突入(違っていたら訂正します)という。往年のデータイースト魂(?)
が溢れんばかりの一作。「戦死よ集え」というポスター(AC版のみ)や終盤の
「お兄ちゃん助けて」という台詞。脳を吐き出す最終ボスなどが、筆者の記憶に残って
います。「BEEPメガドライブ」によると、「レンタヒーロー」が真性の
バカゲーなのに対して、これは仮性のバカゲーなのだそうであります。前述した
オープニングにピンと来た人は「仮面ライダーV3」世代だそうなのですが、
筆者にはよくわかりませんでした。誰か教えてください。
なお、誤解されている方が多いかもしれませんが、バカゲーはくそゲーではありません
詳しくは(キルタイムコミュニケーションズ)「バカゲー専科」や、「BEEPメガドライブ」の
「バ王」のコーナーを誰かから借りて読んでください。 「・・・これはひどい」
知る人ぞ知るMDのヒロイン、アネット嬢が画面狭しと活躍するアクションゲーム。
筆者は、オープニングでエンパイアステートビルを「魔術建築」とよんだことや、
一枚絵を使った秀逸な演出が、「アークスオデッセイ」のオープニングともども
気に入っています。ストーリー展開はというと邪神ハスターを復活させようと
する謎の秘密結社に闘いを挑み、アル・カポネやアーネストの協力を得て、結社
を追いつめていくというものです。難易度も易しめなので、ストレスも溜まらず
話に没頭できるのではないかと思います。結末はあなたの目で確かめてください。
このゲームは「アーネストエバンス」(多間接キャラが動くアクションシーン
(人形みたい)とアネット=皆口裕子でアニメファンの気を惹いている?ゲーム)、
「アネット再び」(ヴィジュアルシーンしか見所のないファイナファルトもどき)
と続編が作られていきますが、「13日の金曜日」(一作目が最高傑作のこと。
ゲームではサムライスピリッツ等)と化してしまい、「アネット再び」で匂わされて
いた続編もでませんでした。しかし、ウルフチームも再び動き出したことですから、
みんなで「あねぇーとふぅたたぁびぃぃ」とアネット嬢の復活を嘆願しましょう。
でも、ポリゴンにはしないでね。ウルフチームさん。
先にいっておきますが、筆者はこのアニメをフィルムブックでしか観たことがありません。
そのため原作との比較はできかねますが、ゲーム版はあの悪名高い後半のだだっ広い
マップをのぞけばサクサクと進みますし、ストーリーも原作にほぼ忠実でその話もとても
面白いものとなっています。ナムコの面目躍如とでもいいましょうか。(下請けかもしれ
ないけど)
他機種版はやっていませんが、ゲームとしてはMD版が最高であると信じています。
PC-ENGINE版やFM-TOWNS版等をプレイされたことのある方は、MD版との比較、感想を
ご一報ください。
MEGA-CD初期に発売されたRPGで今となっては、アニメーションする戦闘シーンもたいしたことは
ありません。このゲームの見所はゲーム部分にあるのではありません。CDに録られた
サウンドにあるのです。そう、これはゲームとサウンドトラックの両方がたのしめる一石二鳥
な一枚なのです。そのサウンドのクオリティは筆者の知る限りでは、5本の指の入ると確信しています。
文で説明しても仕方ないので、中古屋で探してください。1000円以下で手に入る筈です。
このゲームの作曲をされた方をご存じの方は当方までご一報ください。
業界の奇才、遠藤正二朗氏の出世作。魔法の国からやってきたリップ
とイザベラが引き起こす一年間の楽しくもあり、せつなくもある出来事を全十一話
で綴ったゲーム?。アニメ的な作りをしたゲームはいくつかありますが、意図的に
そうしたのは筆者の知る限りではこれが初めてであります。ゆめゆめ、お間違えのな
きように。後にLIPシステムと呼ばれた会話シーンと、だだっ広い(?)マップ
を歩いて、ゲームを進めていきます。LIPシステムとは相手の台詞に台詞の選択ではなく、
感情の選択によって返すというものです。感情は蓄積されるので、リラックスしない
と同じ感情しか選べなくなります。また、正しい(?)選択をしないと女王候補として
の評価がさがり、エンディングにも影響します。ゲーム的な部分は殆どそこにしか無いと
言っていいかもしれません。あとは、往年の魔女っ娘アニメ特に、「魔女っ娘メグ」を
現代的(といってもゲーム中に「もうすぐ1981年の始まり」という台詞がある。
だが、ゲーセンの前にUFOキャッチャーがあったりする)、現実的にアレンジした内容のものです。
現実的というのがこのゲームの特色であり、後の遠藤氏の作風をも決定づけます。
氏特有の社会諷刺が劇中ところどころに垣間見えます。例えば、最初、リップが
「人間なんて単純ね」と言ったり、「どうしてバレンタインなんてあるの?」
と言ってお目付役のケチャが「それはお菓子会社の販売戦略と受け取ってもいい」
と言った塩梅です。皆さんは、小学校時代どんな風に過ごされたでしょうか。学校で
仲のいい友達と喋ったり、女子生徒と衝突したり、放課後どこかにあそびにいったり、
夏休みはどこかに探検したり、冬はバレンタインがあったりはしなかったでしょうか。
そんな何気ない出来事や友達との会話や、何かが起こったときの対処の仕方によって、
プレイヤーが次期女王に相応しいかどうかの判断がされる野心的とも独創的とも言える一作です。
たしかに「魔女っ娘メグ」ではあります。メグは主人公だからなのかはしりませんが、
次期女王に選ばれました。が、リップが女王になれるかどうかはあなたの一存にかかっています。
さりながら、リップの行く末を決めるのはあなた自身でもあるのです。
これを制作した当時、氏は弱冠二十二歳でした。筆者も若い内に、こういったゲーム
を制作できたらと思います。因みにこのゲームはある雑誌において、「究極のギャルゲー」
などと評されたことがあります。そう、この時代ギャルゲーとは恋愛ゲームではなく女の子
が主人公のゲームを指す言葉だったのです。男性は、必ず一度女になりたいと思ったことが
あるといいますが、そう言った願望を叶える媒体でもあったのです。恋愛ゲームはギャルゲー
の本道にあらず。
最近、ギャルゲー冬の時代に突入した感がありますが、制作者はそういった
閉塞状況を打破するためにも、原点に還って企画の練り直し、具体的にはギャルゲー=
恋愛ゲームとか、登場キャラ全員と恋愛できて当然といった、ここ数年の固定観念から
脱却する必要性に迫られています。一度にいくつもの恋愛を同時進行するのは、心も体も
一つしかない以上に困難であります。だが、それ以外の感情や関係であれば無限
に対象を増やすことができます。たとえれば、いくつもの少女漫画や小説を同時に
読むようなものです。古の時代のギャルゲーはそうすることによって、少ないパイ
ではありましたが、共存関係ができていた様に思います。二桁以上の数字の恋愛ゲームをすると
必ずどこかに飽きが来ます。ギャルゲーは適性がありますので、百万単位の人間が
プレイすることは決してありません。ユーザー層が限られているのは宿命なのであります。
その限定されたユーザー層が次に求めているのは何かというのを真剣に検討しなくては
ギャルゲーは滅びます。そこで筆者は、まずはギャルゲー=恋愛ゲームという考え。
ひいてはギャルゲーという呼び名自体を捨てよと主張したいのであります。大体ギャルゲー
の定義ってなんですか?恋愛ゲームですか?それとも女の子が主人公のゲームですか?
女の子が多数出るゲームですか?どれかひとつの定義を採用すると、
必ずその定義では説明できないゲームがあらわれます。例えば、恋愛ゲームだとしたら、
PCエンジンのゲームはギャルゲーではないし、EVEも、ラングリッサーもギャル
ゲーではない。女の子が主人公のゲームだとしたら恋愛ゲームはプレイヤー自身
を主人公とするので、それには当てはまらない。女の子が多数出るゲームだとしたら
一人か二人しかでないルームメイトはギャルゲーではないし、女の子の存在が強調される
ゲームだとしたら、ヒロインが設定されていて必ずと言っていい程、恋愛過程が描かれる
RPGもギャルゲーなのです。四角い会社もそれを前面に押し出しているでしょう?
では、女の子しかでないゲームだとしたら「パワードール」はギャルゲーですか?
明確に区別できるとしたら精々、女の子しかでない「ヴァリアブル・ジオ」や「あすか120%」
に冠せられているギャル格闘ゲームという言い方しかありません。だが、
これも純粋にギャルゲーとは呼べません。もうおわかりですね?
ギャルゲーという呼び名は所詮主観的な判断で決められる、ある意味差別用語なのです。
ですが、それに異議を唱え、新しい呼び名を提案したいくつかの雑誌がありましたが、
どれも定着していません。コロコロが「裏技」とよんで、それが世間に定着していったように、
最初についた呼び名を覆すのは困難なことでありましょう。こういったゲームが好きな人間は、
その特殊性故に世間にも、一般ゲーマーにも、迫害される運命にあるのかもしれません。
自分の存在を脅かす、異質のものだから差別するのか否かは定かではありません。
とにかく原点に還ったギャルゲーの登場を切望し、私は往きたいと思います。
追記
筆者はこれをプレイしたあとに、リメイク版「魔法使いサリー」を観たことがあるの
ですが、声優が同じ山本百合子さんだったので、イメージがダブりました。しかし、
筆者にはサリーよりもリップの印象の方が強く感じました。
PC版はアフレコが終了していたにも関わらず、発売には至りませんでした。
しかし、あのテーマ曲「リ〜ラルル〜 ラ〜リルル〜 リ〜ラルル〜 リップ」という
名曲をこのまま埋もれさせるにはあまりにも惜しい。一度聞いたら必ず歌いたくなります。
諸般の事情で発売できない続編をバンプレストあたりが「AZITO」や
「BATUGUN」の時のように発売元となってシリーズを復活させて欲しいものです。
「魔女っ娘大作戦」程は売れないでしょうが、プリティ某よりも正統派ですし、
くるみなんたらやなんとかCoco等のよくわからない魔女っ娘ものよりは
必ず売れるでしょう。
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