![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
■10月16日■ ■10月17日■ ■01:22 生理痛のような鈍痛が下腹部にあり、軽い出血が続いている。血の塊などは出ていない。濁りのない鮮血なので、やはりおしるしではなく内診時についた傷だと思う。 ■05:55 下腹部の痛みで目が覚める。 ■06:20 まさしく生理時のような、熱いものが降りる感覚。下腹部がまたもや鈍痛で痺れる。鮮血混じりの水が多量に降りており、念の為に看護婦に検査してもらう。子宮が開いてきたと言うことで、カルテに何やら書きこんで医師の回診待ち。 またあの内診か。熱いアールグレイを一杯入れて、気を落ち着ける。歯を磨いて顔を洗って「本日」に備える。ガッツだ、私。しかし「本日」中に決着が付くものなのだろうか。 夜中にうめいていた19号ベッド妊婦、担架で分娩室へ移送されていった。 ■07:10 胎児心音確認。音が小さいのは私のハラの皮が厚いからなのか? ■08:15 ペッサリー型の陣痛誘発剤兼子宮口弛緩剤を入れてもらう。効果を見つつ、4〜6時間ごとに3回まで入れて陣痛がおこらなければ誘発失敗で、分娩室へ移送されて別の薬を点滴で入れるとのこと。それで10時間たっても満足の行く効果が得られなければ帝王切開。こうはっきり時間を切られると、かえってラクである。 一時間は横になって身動きをしないように命ぜらる。内診の間に、朝食が私を素通りして行ってしまった。本日は食事しちゃダメってことなのだろうか。さっき相棒差し入れの蒸しパンを盗み食いしちゃったぜ。 ■09:30 分娩監視装置をつけられ、陣痛の波をチェック。自覚はほとんどないのだが規則的な子宮収縮の波が来ているとのこと。ただし、間隔はまだまだ。出血は続いている。チョコレートを盗み食い。 ■11:00 相棒、来る。 ■11:30 相棒が、下の職員食堂が昼と夜のピーク時を除いては職員以外にも開放されていると言うので、病人食では食べ足りない私はさっそく盗み食いに行くことにした。老人向けスペシャルの豆腐と湯葉と大根の煮つけを食べて、ご機嫌で帰ってきた。 ■12:30 痛みが強まってきた.陣痛促進のため、動物園のマレー熊のように、廊下をうろうろとうろつきまわる。エレベーター前の窓わくにつかまり、ストレッチ体操。腰の痛みがかなりやわらぐ。30分ほどうろうろで、小汗をかく。 ■13:15 昼食。私の分もちゃんとあった。してみると朝食が内診の間に素通りして行ったのはただの不幸な事故であったのだな。安心してこれも平らげよう。満腹。 陣痛がかなり明確になってきた。しかしながらまだ30分間隔程度である。そういえば快食快便を誇る私が、昨日今日とお通じを見ていない。この分だと陣痛室で生まれて初めての浣腸体験か?楽しみだ。 ■13:30 相棒、帰る。 ■14:00 2度目のペッサリーを入れる。入れる前の内診がまた痛かった…。しかし子宮口は指一本分しか開いていないと冷酷な事実を告げられ、がっかり。それにしても鮮血が止まらないんですがコレ、ほんとにOKなんスか?看護婦はおっけーと言うがしかし。 どんぶりめしを2杯も食ったせいで、爆睡。 ■15:15 監視装置、16:45分まで身動きが取れず、腰が痛くなった。 ■17:00 日本の実家に電話。明日になりそうと伝える。 ■17:10 少し年のいった指導医師(といっても私より若そうだが)と、私の担当医師、もう一人インターンらしき3人が回診に回ってきた。なにか特別なことは?と聞かれたので、すかさず出血のことを述べる。医師はナプキンを調べた上で、確かに多い、そして羊水が混じっているようだと、またしても例の器具内診。うひゃあ、やぶへび。しかし今回は指導医師によるものだったのでさほど痛まず、しかしながら私にはすでに恐怖の先入観があるので、どうしても体がこわばってしまう。 医師は分娩監視装置のグラフを見て、今すぐ陣痛室へ移送しますと私に告げたが、立ち会っていた看護婦が「ここのところとここのところは向かいの妊婦がケータイを使っていて作動が正常じゃありませんでした。ここからここはOKです。」と口添え、医師は考えて、では明日の朝まで様子を見ましょうと方針を変えた。ケータイ、やっぱりあかんねやん! ■17:30 病院の食事内容を知った相棒が、カステラ持って見舞いに来た。 ■18:30 陣痛、かなり明瞭になってきた。10分ほどの間隔。必殺技「もまずに暖まる金鳥どんと(貼るタイプ)」を腰と下腹部に装着。気持ちいいー! ■20:30 陣痛は5−8分間隔。しかしながら子宮口はあいかわらず1センチ。なんでやねん、昨日の朝から変わってないやん。私の子宮口は鋼鉄製か。そして鮮血は量、色ともにびびるほど降りており、内診後の医者の手は血まみれだ。 ■21:00 相棒、帰宅。陣痛室への移動は明日の朝である。 ■22:00 うつらうつらしていると、胎児心音検査にて起こされる。探し当てるのにしばらくかかり、どきどきする。顔洗って歯磨いて、体を拭いてパジャマを着替える。破水しているのでシャワーは浴びられない。眠ると陣痛は弱まるようだ。やはり自発的な陣痛ではない分、根性なしである。 ■10月18日 ■01:00 相棒、家でじっとしていられなかったらしく、病院に来た。来てくれるのはありがたいが、痛みをだましだまし眠っていたところなので、こんな時間に起こされると結構ツライ。現在、5−8分間隔で30秒程度。 ■02:00 廊下の相棒には悪いが寝なおす。眠りが浅く、変な夢ばかり見る。メガネをかけた年配の男性医師(そんな医師はここにはいない)に、「イデアの饗宴のためにもがんばりましょう〜、ラララ〜♪」と、朗々たるテノールで励まされながらいきみを我慢してる夢とか。なんだ「イデアの饗宴」ってのは。 ■03:00 私がふうふう言ってるので、回ってきた看護婦さんが念の為に体温測定。平熱。 ■05:00 破水でナプキンがずぶぬれ。死ぬ思いでお手洗いに立つ。歩いているうちに痛みがマシになってきたので、廊下の木のベンチで寝ている相棒のところへいき、腰をさすってもらう。 ■06:00 熱いお茶を入れ、相棒と飲む。3−5分に一度、30秒から50秒程度の陣痛。 ■06:30 相棒、食事調達に外へ。 ■06:40 内診。陣痛はしっかりついているものの、子宮口は全く開いていないとのこと。出血はマシになっている。 ■07:30 朝食後に分娩室に移送になるので、食べたら荷物を整理して、この服に着替えてくださいと後開きの分娩服を手渡された。実際のところ体(子宮口)には全く変化がないのだが、状況がかわるっつーのはいい。 朝食は米つぶが全く残っていないほどドロドロに炊きこまれた皮蛋痩肉粥。それになぜか焼いてないブラウンブレッドが一枚ついていた。 ■09:00 ついに分娩室へ。車輪のついた担架にのせられ、まるで病人のように移送されてちょっとわくわく。相棒がついてきてくれた。分娩室はERに出てくる大きな緊急治療室のようで、花模様のカーテンで各分娩台が区切られていた。相棒はこの時点では入れてもらえなかった。 医師のチェックを受け、「ペッサリーでの陣痛促進に思うような効果がないので、子宮口を軟らかくする効果の高い陣痛促進剤を点滴で投与します。破水からかなり時間がたっていますし。」との説明を受ける。血を二本抜かれ、血圧体温その他をチェックしてから、右手の甲に長さ5センチほどのぶっとい点滴用針を装着された。手の甲っスか〜、へにょへにょへにょ。意外な場所にけっこうな太さの針を刺され、痛ェのなんのって。 まずブドウ糖点滴を入れられる。横たわっていると、院内実習のキャピキャピ看護婦の卵3人に囲まれ、いろいろ質問される。香港どうですかとか香港人どうですかとかこの病院どうですかなどなど、全く実習にカンケーなさそうなこと。各科を回る院内実習って、英語でジャーナルというのはやはり正式な英語なんですね。確か日本でも院内実習はそういうはず。 彼女等が去り、替わってやってきた助産婦に麻酔を希望しますかと聞かれ、一も二もなく硬膜外麻酔を希望。選択肢1が笑気ガス、2が注射による会陰麻酔、3が硬膜外麻酔と最後の選択肢であったため、なぜかと聞かれて「日本で最もポピュラーな麻酔法だから」とはったりをかます。実際のところは、日本では麻酔自体があまりポピュラーではないでしょう。硬膜外麻酔を施術できる麻酔医が充分にいるわけではないため、希望が通るかどうかはその時にならないとわからないと事前に聞いていたが、ラッキーなことに本日は医師がいた。ではのちほど、ということで助産婦は去った。 私の分娩担当の医師が来て、「では促進剤を入れます」と、点滴のパックをもうひとつ右手の甲の針につなげ、なにやら栓をひねった。血圧計を左腕に巻かれ、3分おきの血圧を計り始めた何回目かに、突然岩石で殴られたような衝撃が。がががーっ!!!これが本物の陣痛かぁーっ! 右手に点滴、左手に血圧計、腹には陣痛監視装置と体中ベッドにつながれていたような状態だったのだが、思わず体を丸めてベッドのへりにしがみつき、目を一杯に見開いてうなり声をあげてしまう。次の波でベッドのへりをがくがくとゆすり、叫び声にならないよう必死で声を押し殺しつつ、「麻酔、今すぐー!!!」 子宮収縮グラフがてっぺんで振りきれっぱなしの平らなグラフになり、血圧体温心拍数その他が急上昇したところ、白衣を着ていない男性医師が走ってきた。しかしながらこれもインフォームドコンセントというやつなのか、硬膜外麻酔の作用と副作用をきっちり説明し、受諾書に私のサインを取るまで始めてくんないのであった。陣痛の波が来ると、声を出さないように目を見開いているのが精一杯で、情けない話だが他人の声なんか耳に入らない、ペンなんか持てない。思わず出た言葉が「神様〜」… ■11:05 背中に麻酔を打たれ、陣痛の合間に脊髄の硬膜外に穴をあけてカテーテルを通す。管を接続し、麻酔液をゆっくりと入れてゆくと、冷たいものが背中に入ってゆく感覚がはっきりとあり、2−3回の陣痛の後に左下半身の感覚がなくなり、右下半身の鈍痛のみが残った。劇的な効果であった。 陣痛がひどい生理痛程度の痛みになったところで、相棒が入ってきた。なんか気楽な顔をしているのでむかつく。今さっき私がキングコング並みの暴れっぷりを見せるぐらい痛い思いをしたというのに、これで二人とも同じように「親」だというなら、なんて不公平なのだろうか。 ■12:35 麻酔追加の後、内診。二日かけて、薬を入れても全く開かなかった子宮口があっと言う間に4センチ。すばやい。痛いはずだ。相棒としばらく話をしたが、なにしろこやつも夕べは廊下で寝てたことでもあるし、助産婦も「まだまだかかりますよ」と言うので、せめて昼食にマシなもんでも食べてきてくれと、一旦外に出てもらう。 あちこちから叫び声が産声が聞こえる。医師と助産婦の叱咤・励まし・リードの声も。 ひとつ置いた隣の分娩台で出産が始まった。さっきの私よりさらに見事な取り乱しぶりで、あれだけ叫んだら2・3日は声が出ないだろう。産声が聞こえてきた後も叫び声が続いているので、後産がそんなに痛いのかと思ったら、しばらくして産声が二重奏になった。双子だあ。おめでとうございます。 ■14:45 麻酔が切れて激痛の波が襲ってきた。二度目の麻酔追加。 ■14:50 内診。子宮口なんと9センチ大に。「一時間後に分娩に入ります」との宣告。押忍! しかしその一時間、なんと私はぐうすか眠って過ごしてしまったのであった。麻酔はすごいなあ。つーか、ちょっと効きすぎてたみたいで、見回りに来た看護婦に起こされて血圧計見たらずいぶん下がってました。冷や汗やんけ。 ■16:00 内診。子宮口ついに全開。カテーテルで導尿されて(浣腸は無しか…)、いよいよ大股おっぴろげポジションに入る。ずいぶん苦しい態勢だ。股を広げたまま「あのー、主人呼んでもらえますか?」と言ってみると、「今7人が同時に分娩に入って、とてもそんな余裕がないの。悪いけど我慢して」とさくっと言われてしまい、ありゃりゃのりゃ。そーゆーこともアリか。しかしながらもともとどっちでもいいやというスタンスだったので、成り行きでそうなら仕方ないっすねとあっさり納得。 助産婦の指示を受け、いきむ。しかし最後に追加した麻酔が非常に良く効いており、陣痛が全く感じられない。感じられないだけではなく、分娩監視装置の陣痛曲線グラフが波を描かなくなってきた。いくらがんばっても肝心の子宮の収縮がないため、胎児の頭がそれ以上降りてこず、隣からもその隣からも向かいからも次々に産声が聞こえてきたというのに、私の状況だけ止まったままである。膠着状況(そして大股おっぴろげ状態)のままなんと一時間以上経過。普通は子宮口全開、いきみ開始から15分〜30分程度で勝負がつくものなのだ。 とうとう医師の決定で、麻酔を切った。徐々に回復してくる感覚。つーか痛覚。いってぇー!あっあっあっー!!! 陣痛曲線が甦ってきた。もう私の声も止められない。ヨソのお産が済んで人手に余裕ができたらしく、今ならご主人をお入れできますがどうしますかと陣痛の合間に聞かれ、「ぷりーずれっとひむすていうぃずみー…」と、死にそうな声でお願いする。お願いするなり「うーうーうーーーーっ」… 「声出しちゃだめ」「息止めて」「頭上げてあごつけて」「プッシュプッシュプッシュ!」 赤鬼のような顔(推定)で滝のような汗を流しまくっているところに、相棒があたふたと入って来た。ほぼ17:30。 「おまえ!頭が見えてるぞ!」「痛いよう、痛いよう」「もうちょっとやからがんばれ、がんばってくれ!」「痛いよう、痛いよう」などのかみ合わない会話を交した後、相棒に頭を持ち上げられていきみ再開。しかし胎児は子宮口から2センチ下地点で止まったまま、降りてこない。尖沙咀の産婦人科医が言った通り、骨産道の1箇所に狭くなっている部分があり、邪魔をしているらしい。 このあたりから私は全くの半狂乱。いきみの合間に眼鏡がすっとぶほど首を振りまわし、汗だか涙だかわからないもので顔中をべとべとにしながら、さらにいきむ、いきむ、いきむ。 耳まで出た頭が、医師の手を滑って再び戻って行った。ぎゅるぎゅるぎゅるという音と感覚とともに、医師の手が手首まで私の中に入り、胎児の頭径を模測する。 「大きいわね。もう猶予がないから、吸引にしましょう。」 そんなやり方は危険ではないかとうろたえる相棒を尻目に、私は「もうとにかくなんでもいいから出してー!」と口には出さなかったがあからさまにそういう感じで承諾。またしても受諾書にサインをさせられ(後でカルテに挟まれていた受諾書を見たが、サイン欄には案の定何書いてるのか全くわからんへにょへにょが…)、医師と看護婦が手早く真空吸引器具を準備するとともに、次の陣痛で即吸引開始。 「こんなものはただの手助けにすぎないのよ!あなたの努力だけが、赤ちゃんをこの世に送り出すのよ!」という医師の叱咤と、あちこちのお産が無事終わって集まってきた何人もの助産婦・看護婦たちの「Push! Push!」「Hold your breath!」「Push!」「Come on!」と口々に励ましてくれる声と、「大力!大力!快要出来了、出来了!」という相棒の大声にすがって、気が遠くなるほどいきんだ瞬間、ごぼり、という感覚が足の間を通り抜けて行った。続いて私のおなかの上にどさりと置かれたのは、赤黒い、でっかい、肉のかたまり。このとき17時48分。 ―――ついに会えた。涙がふきこぼれるようにあふれてきて、息ができなくなった。突然呼吸が自由になったための過酸素状態からだろうか、この後の記憶はしばらく途切れている。産声を聞いた記憶もない。気がつくと赤ん坊は産着にくるまれて看護婦に抱かれており、私の枕元に立った彼女が尋ねてきた。 「男の子か女の子かあててごらんなさい。」 「男の子よ、私は知っているの。」 「その通り。」 産着のすそをめくって、急須のさきっぽのようなかわいらしいものを見せてくれた。ちびは―ちびと呼ぶにはあんまりなでかさだが―しっかりと目をつぶっていて、まるまる太ったくちびるもほっぺにも、きれいなおでこにも新生児らしいしわひとつない。「何グラムありましたか?」「3,975グラムよ。」ああ、ほんとうにでっかい。 初乳をふくませてやりたかったが、破水から時間が経ちすぎていて感染症が心配なためそれは許されず、このまますぐ新生児治療室へ送るとのこと。せめて寝顔にキスをしてあげた。連れ去られようとすると目をつぶったまま泣き始めたので、「不要哭、不要哭、Mama等一会児去ZhaoNi」(泣くんじゃないの、すぐに会いに行くから)と声をかけると、私の声がわかるのだろうか、ぴたりと泣き止んだ。不思議な感動が全身を満たす。 相棒が私の汗を拭き、赤ん坊に付いて去った。 会陰の処理が始まった。実に長い時間がかかった。局部麻酔は打ってくれたものの、やはり縫われるたびにチクチクして跳びあがりそうである。タオルをかみしめてうーうーうなってやりすごす。医師が切開した部分以外にも、内部に無数の裂傷があるらしい。「何針縫ったんですか?」と医者に聞くと、「そういうことは気にしないほうがいいわよ、これが最後の傷口だから。」と軽くいなされ、ぱちりとはさみを鳴らして糸を切った。 ■18:30 背中のカテーテルを抜かれ、毛布を掛けられて私は眠った。ちびに会いたいと想っては目が覚め、またうつらうつらし、相棒はちゃんと晩ゴハンを食べただろうかなどと考え、そーいえば私も朝しか食べてないや、などといらんことに思い当たり、またウトウトし…していると、自分のくしゃみで目が覚めた。下腹部から胃のすぐ下までじんじん響く衝撃にびっくり。これって、からっぽになったけどまだ縮んでいない子宮? ■20:00 担架に載せられて回復室へ。回復室は二人部屋、相客はいなかった。以外と疲れていない自分に少々驚く。体は確かに疲れているはずなのだが、やはり一仕事追えた興奮のせいか。病室の世話係のおばさんが用意してくれたお茶とおやつをばくばく食べる。しばらくして相棒がやってきた。ちびぞうは感染症の有無の検査結果待ち。血糖値がやや低く、新生児治療室でプラスチックの箱に入れられ、点滴を打たれているのだそうだ。点滴…やっぱり手の甲なのだろうか。あんなに小さいのに…(でかいけど…)。思うと気が急いてしょうがないが、本日はこの部屋から出ることを許可されていない。 「夕食食べた?」「子供見てたら、食べる気なんかせんかった。目も鼻もほっぺたも口も、おまえそっくり。」「それ、どっちも大肥猪(おデブさん)ってこと?」「いやいや」 鼻と耳はともかく、目は相棒に似てほしい。だいたい私に似た男なんてヤダ。コーフン冷めやらぬまま、同室者がいないのをいいことに病室から日本へ電話。私の元気っぷりに、両親はやや驚いた模様。 元気ついでに「おなかすいたよー、なんか買ってきてよー。」とリクエスト。看護婦に尋ねると食べられる分だけどんどん食べなさいとのことなので、相棒、買出しに。水分も飲めるだけ飲みなさいとのことなので、ポットの湯ざましをがんばって飲む。 相棒、出産直後の経産婦にいいものをと考えて考えて買ってきたのが「脂ぎらぎらトンカツに辛い黒胡椒ソースたっぷりかけごはん+まっかっかボルシチ セット」 考えェっちゅうねん。 ■11:00 相棒、帰宅。 私は電気を消して眠ろうとするも、さあ大変、局部麻酔が切れてきた。ズキンズキンした不吉な感覚が、潮がひたひた満ちてくるように次第にその衝撃力を増してゆく。会陰補修のあと。痛みの感覚からいうと、どうやら一本肛門近くにまで達しているヤツがあるらしい。相棒に手鏡でも持ってきてもらって見てみたい気もするが、医者の言う通り考えないことにして忘れてしまうのとどっちがいいでしょう。しかし、忘れてしまえる痛みじゃないぞ、これ。 ソフトボール大の熱い鉄球を無理やり中に押しこんだ、灼けるような痛み。しかもその鉄球に金平糖のようなイガイガがまんべんなく生えているところをご想像ください。 ■22:40 耐え切れず、ナースコールをして痛み止めをもらう。最初にくれたのがパナドール(パラセタモール)で、こんな生理痛にも効かんような薬、役にたたんがな。とはいえこれ以上の効き目の薬は看護婦の配量の範囲外で出せないと言うことなので、とりあえず飲んでおく。 ■23:45 激痛のあまり涙が止まらなくなってしまい、とうとう泣きながらナースコール。別の看護婦が私のカルテを調べた上で、ドクターに相談しますと言ってカルテを持って去った。私が突っ伏してえぐえぐ泣いていると(体重がかかると余計痛むので仰向けになれない)、「効き目は短いけれど、良く効く薬を出します。但し4時間に一回、一日4回までしか処方できません。」と、Dologesicという薬を出してくれた。飲み、またしばらく泣き、泣き疲れ、今日会ったことを思い起こしてさらにどっと疲れ、そうこうしているうちに薬が効いてきたのでマンゴーが草むらに落ちるように眠った。 ■10月19日■ ■03:00 灯りが付き、相客がチェックイン。って、病室ではそうは言いませんね。は、いいのだが、そのままずっと灯りを消さず、大きな声でしゃべりつづけている。潮州語。主に付き添いのおばあ。がっでーむ。 せっかく薬が効いて眠っていたのになんてこと。怒りと絶望で気が狂いそうになりながらも、ナースコールをして薬を頼むも、次の薬まであと40分ありますとキッチリしたことを言われててしまい、ベッドの上で油汗を流す。30分後、隣のベッドに血圧を測りに来た同じ看護婦に「40分経ちましたか?」と聞いてみたりして、お情けにすがり、03:40、薬をもらう。 ついでに灯りを消して静かにしてくれるよう言ってもらえませんかとお願いしてみるも、「この人たち、広東語が通じなくて私たちも困ってるのよ。あなた、マンダリンで言ってもらえない?」と言われ、がっくりする。せめて電灯だけは看護婦に消してもらうも、看護婦がいる間は黙りこくっていたおばあが、彼女が去るなり暗闇の中でおしゃべりを再開したので、「静かにしてください。お願いですから眠らせてください。」と英語でピシャリと言ってしまう。我ながらわざわざやな感じだが、でもこういうときは外人と思わせた方がきくんだもーん。だいたい付き添いが病室で夜を過ごすことは許可されてないんだぞ。だから相棒だって帰ったのに。 何を言われたかはわかんなくても、ピタリと口をとじてくれたので、この場合この方が効果的であったのは確実だ。薬を飲んで、眠る。 ■07:00 着替え配給。分娩服から普通のパジャマに着替える。トイレに行こうとベッドを降りたところ、くっくー!歩けねえ。(1)あそこが痛い(2)尻が痛い(3)尾低骨が痛い(4)恥骨が痛い(5)下半身全部の筋肉が痛い、特に(1)。 とはいえ、この世のたいていのことは愛とガッツでなんとかなると我が身を叱咤し、壁づたいにヨロヨロ歩く。痛みに油汗、貧血感に冷や汗を流しながらなすべき用を足し、愛とガッツで傷口を消毒してベッドに戻った。 ■07:45 薬をもらって起きあがり、日本のドーナツクッションにかわる香港のお便利グッズ「子供用浮き輪」に空気を入れる。入院前に相棒が買って来てくれたやつがなんとくっきり「黄色と黒の阪神タイガース」浮輪だったので、笑った。なんで香港でトラやねん。愛とガッツではどうにもならんことがこの世にはあるとでも言いたいのか。 <続く> ■戻る■ |