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普陀山で病に倒れる



1996/04/19
本日は移動日。 7時半のバスで紹興から寧波に向かう。これが失敗。高速を走るのではなく、下の道を客を拾いながらちんたら走るバスだったのだ。12時に寧波到着。 バス停前で軽食を取る。先に食べおわった相棒が外に出て行った。何事じゃいと待っていると、 体重を記録したキップを持って帰ってきた。道端で計ってきたらしい。 55kg。あいかわらず骨皮筋衛門なやつよ。

寧波から普蛇山(山といっても、実際は島)行きの船が出る。高速船のチケットが売り切れていたので、 4時間かかるフェリーで行くことになった、昼の2時発。

待合室で船を待っていると、民宿の客引きがどっさりやってきた。 いずれも島の漁民で、今は自宅を民宿に改造しているのである。相棒は適当にあしらっていた。 こういう時の対策も決まっていて、「教師だ」というのである。客引きはてきめんに引いてゆく。 教師はビンボーの代名詞だ。私が南寧大学にいたころ、私の給料は1500元で、 なんと校長より高給取りであった。教授はみなベトナムとの(密)貿易を副業にしていた。

さて、島について宿探し。あちこち見るも、どこも衛生面でツライものがある。 相棒は民宿に泊まるのに気が進まなさそう。シーツや枕カバーを換えてないに決まってる、と言う。 この辺の漁民は相棒が前回来た1989年のころはまだ米が満足に食べられず、 サツマイモを主食にしていたほど貧しい地帯だから、5年や6年で衛生観念が育つわけはないと言うのだ。 中国人が中国人について言うんだから、まあそうなんでしょうね。 中国人、歯ブラシ家族で共有してたもんなあ。(南寧にての見聞ナリ)

もっとも、中国人にとっての漁民は、ワレワレにとっての被差別部落民的存在である。 かつては非漢民族でも受験できる科挙を、受ける資格を与えられていなかったという。 そういうのもあるのかも。

海軍招待所へ行くも、80元で風呂無し。部屋ももヒトツである。 本日はひとつ安さを追求してみようと、結局民宿に泊まる。相棒の指示により、 シェラフを使用しての就寝となる。実際寒い夜だった。


1996/04/20
さて、しつこく納得の行く宿探し。無い。こんな田舎なのに、観光地はオソロシイ。

どうしてリーズナブルな宿が発達しないかというと、中国人、 そういうところへ自分の金で泊まる人があんまりいないからである。 発票(領収書)一発で経費で落とせる階級の人間しか、観光旅行なんかいたしません。 自分のフトコロが痛まないため、コストパフォーマンスの追求なんかしないのだな。 こういう場合、市場原理は働かない。

探している間にも、前日から具合の悪かったワタクシ、目が眩んで一歩も歩けないほどの体調になる。 相棒が考えて、220元のバス付きの宿にゴーインに決定した。 山の上のガラガラホテル、350元を負けさせてきたという。チェックイン。 持病のB胱炎(とくに伏せ字とする)を併発したワタクシ、750mlのミネラルウォーターを2本飲み干して、 10分に一回の割合でトイレへ行く。本日は観光どころではない。

楽しみにしていた風呂の湯は出ない。水道管が破裂したというがほんままいな。 宿泊客が我々だけなので、手動のボイラーを沸かすのを面倒がったのだろうなあ。 ポットをいくつも持ってきてもらい、水で埋めて風呂にする。3日ぶりの風呂である。


1996/04/21
本日も湯はないそうなので、別の宿をさがす。 なんで宿ごときでこんなシンドイ思いを・・・ヨソの国では考えられん。

融来小院というお寺の隣に掘り出しもものを発見! 90元(120元から交渉)、農家の庭先といった風情、花壇に花が植わっていて、 洗濯スペースと洗濯干しスペースがある。やったあ。

相棒となにやら山寺をめぐるが、体調のためあまり楽しめない。 不肯去観音院もたいしたことなかったし。清代の「自殺禁止」の碑がややめずらしかったぐらいか。





相棒によると、地蔵観音は朝鮮の王子で、中国の九華山で修行して悟りを開いたが、「地獄未空誓不成仏」との請願をたて、菩薩として人間会と地獄界で衆上を救い続けているという。 (とおばあちゃんが言ってたのだ!と力説。おばあちゃんっ子め。) 中国人、弥勒菩薩も布袋さんにしてるしなあ・・・。 それだけは太秦の弥勒半伽思惟像を国宝に持つ民族からは許せない所業ではある。

あとひとつ、閻魔大王が地蔵に懸想していると日本で聞いたことあるが、ほんまだろうか?だいたい、どこで聞いたんや、そんなこと。

歩くのがツライので、宿に戻り花壇を謹賞しながら日光浴。

夜、シャワーの湯は申し分ない水量、温度だった。聞くと隣の融来小院の僧侶の宿泊施設から、 こっそり引いてきているのだという。中国人、なんでもありか。

消灯後、壁が薄く、隣の声が丸聞こえなことが判明。世の中うまくゆかんもんである。


1996/04/22
夜、死ぬほど苦しく、廈門の悪夢再びであった。寒気がしてやりきれん。 おなかもぐるぐる鳴り出した。夜中に起きだして、中山医院でもらったクスリを飲む。薬、これで終わり。 ほどなく、腹痛と喉の痛みがあっという間に引いていった。よほど強い抗生物質なのだろう。やだなあ。

しかしながら熱が下がらず、鼻水ズルズルである。朝7時、風邪薬を飲んでまた寝る。 ふたたび寒気が始まった。セーター着て靴下はいて、ふとん2枚重ねて眠っているのにこの始末。 どうしたわけだ。腹痛がおさまったのはありがたいが、悪寒が全身をはいまわっている。

昼ごろ、相棒が砂糖たっぷり甘甘コーヒーを入れてくれたので、パンを流し込む。 もう一杯、甘甘紅茶を入れて寝る。

2時、相棒さしいれのみかんを、寝たまま口をあけて入れてもらう。

風邪薬をもう一度飲んで、寝る。寒気がだんだんおさまってきた。 いいぞいいぞ。熱のある時は汗をかいた方が勝ち。(何が勝ちなのだろう?) 相棒に布団の上から按摩をしてもらう。痛さの余り、汗が吹き出てきた。

寒気が飛び、汗がどんどん出てきたので、天気もいいことだし外を歩いて直すことにする。私としては食事に出るつもりだったのであるが(<どこまでも食い意地のはったヤツ)、相棒につれてゆかれたのは、医者。わたしは中国の医者に行くのは嫌なのだ。注射がこわいもん。

案の定「注射しましょう」というので、それだけはかんべんしてもらう。だって、どうみてもその注射器は使いまわし。薬をもらってびっくり。45元。 廈門一の大病院で留学帰りの医者にみてもらって14元だったというのに、この田舎の開業医はなんなのだ。全島上げてぼったくりな島め。

ちなみに熱は38.5度もあった。にもかかわらず夕方6時の船で上海へ発つ。3等99元なり。二段ベッドが4つ入った8人部屋であった。一番下の等は部屋無し、その上は「筵席」といってござの上に雑魚寝である。

まわりがみんな上海人で、言葉が全くわからん。寝る。


1996/04/23
早朝五時、スピーカーから愉快な台湾演歌が流れ出す。熱がまだ少しあるようで、医者でもらった薬を飲む。解熱剤と抗生物質だということは聞いたが、あまり飲みたくないものだ。

7時半、上海到着。三角屋根の和平飯店を横目に見つつ通り過ぎ、鑑真号で着く国際埠頭とはまたちがった所に着いた。埠頭前から駅までミニバスが出ていたので、早速乗る。5元。駅で荷物を預け、上海第二医科大学へ電話をかけるも、S氏は不在。なにやら事情で日本へ帰ったそうな。どういうこっちゃろう?

S氏不在となれば上海に長居する理由もないので、桂林行きのキップを購入。人民料金で買ってみよう。チャレンジ!>没有。 外人料金で買ってみよう!>硬臥没有。

では軟臥をと購入してみると、ナゼか二人分で600元と格安である。なんと、いつのころからか、中国の列車チケットでは悪名高き外人料金制度が廃止されていたのだ。ひゃっほう! あっさり、しかも以前の半額で当日のキップが買えた我々は大喜び。私なんか、外人料金対策に陽朔で偽留学生証つくらなきゃなーと考えていたのに。

なお、気になる手数料はたったの5元。CITSの手数料といえば、以前は30元とか50元とか、ひどいぼったくりの値段がだったが、ここは良心的。

さて、バスで豫園へ。6年前と同じように、湖心亭で茶でもしばこうと2階へあがったら、最低消費がおひとりさま弐伍元となっており、すごすごと引き返す。さっき皮蛋痩肉粥、猪肝粥、揚げ豆腐と湯葉のスープ、おつけもの、雪菜包、もち米の包子を食べて14元だったのに、お茶いっぱいに25元も払えません。場所代なのはわかるけどさ。

すぐに豫園を去る。人がいっぱいであった。 図書館へ行くも、入り口で荷物を預けよと言われ、相棒のカメラバッグの中にはニコンの一眼レフとソニーの8mmビデオが入っており、心配なので預けられず、入れずじまい。

歩いて南京路の新華書店へゆくも、期待していたより小さくてややがっかり。上海の都市規模からいうと、どこか他にもっと大きな書店があるはずだ。

林語堂名言集を購入。5.5元。

相棒は南京路に第一百貨大楼で消毒セッケンを購入。(こやつは消毒セッケンを使うと虫刺されが早く直ると信じている。そんなはずないと思う。)私は玉蘭という香港ではよく見かけるメーカーのUVクリームを買った。SPF15で40元。

4時、駅に戻る。駅の外文書店には目当ての日本語書籍はなかったものの、香港で出版されている「中国旅遊」(25ドル)のバックナンバーが7元で売られており、2冊購入。

5時、食料調達。書店で立ち読みした時刻表によれば、36時間の旅になるはずなので、パン・水・その他オヤツを買い込んで備える。軽い食事をとって6時に駅に入る。

実は私は軟臥に乗るのはこれが始めてなので、ちょっとわくわくする。さすがに硬臥よりキレイだ。しかし相棒がいうには、今回の列車のように上海から広西省に向かう場合、上海鉄道局が管理する、乗務員からコックまですべて上海人の列車と、反対に広西鉄道局が管理する列車の2種があり、乗務員の質、食堂車の味、列車のきれいさ新しさ、どれをとっても上海の方が「当たり」なのだそうだ。

そんなんことはいままで考えたことがなかったわい。してみると今回は「はずれ」か。枕に「柳州客車」と書いてある。(柳州は広西省の工業都市)

しばらくだれも乗ってこなかったので、4人コンパートメント貸し切り状態か、しめしめと思っていたら、杭州から一人、二人と乗り込んできた。

林語堂語録を読む。


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