2003/12/23
相棒が「体もうなんともないからどっか行く」と言い出した。どっか行くってどこよ。いまから行ける所って大陸ぐらいしかないやん。
ここ数年、陜西人民出版社がいい旅行の本を出している。なかでも「中国古鎮遊」というガイドブックはお勧めだ。そこに広東省の古い鎮
(町や村)の紹介がいくつかあり、500年ぐらい歴史のある三水市楽平鎮大旗頭村に出かけることにした。それだけだと地味すぎて小僧が
かわいそうなので、できれば蕃禺の野生動物園をプラス。とりあえず広州に宿を取ることにして、一泊するか二泊にするかはそのとき決めよう。シャツとパンツと靴下をさささとデイパックに詰めて、さくっと出発。
というわけで小僧、初中国。回郷証は持ってないので、菊パスで過関。意外と順調。すぐに広州行き急行(途中石龍停車)で広州東站
へ。70元。小僧は35元。安いところに泊まってその分いいものを食おうと意見がまとまったので、230元のOriental Silk Hotel(三星級)とやらに投宿。早
速タクシーで白天鵞へゴー!。99年の旧正月にここに泊まったときのメシが印象深い、二階のレストランへ。香港の中級レストランの値段
で、とってもデリケートなお味。がつがつ食う。なに食ってもうまい。そんでまた内装の古び具合がおもっくそ私の好みで、こんな内装の家に住
みたいと切に願う。
食後、沙面を歩く。沙面賓館とやらを除いてみると、夜景の見える部屋が280元、それ以外が250元。改修済みで部屋は十分にキレ
イ。沙面に泊まりたいなら次回はここもいいかも。沙面の向かいに大きな中薬(漢方薬)市場があり、嗅いだだけで病気が治りそうな匂いが
あたりに充満していた。楽しく見物(主に相棒)。その横の通りが寵物(ペット)市場になっており、犬、猫、うさぎ、カメ、金魚、熱帯魚などを
楽しく見物(主に小僧)。
歩きつかれた小僧が眠ってしまったので、人民路の養生堂へ。上に穴を開けたココナッツにうずら一羽を丸ごと沈めて燉した、名物の一品
を楽しく欣賞。うまっ。たったの10元ですよコレが。日も暮れたし、小僧が重いので宿に帰って休憩。それから歩いて近所の王府井百貨へ。8階に王府井酒家があ
る。ひらめは我が家では比目魚とか左口魚とか呼んでいたが、広東では多宝魚と呼ぶようだ。一斤多のを清蒸に。帆立のにんにく蒸し。小僧に何が食べたいか聞く
と「えびごはん。」と断言。昼もはーがう(蝦餃)三つ食ったろジブン・・・。半斤白灼蝦、空心菜、大根をパイ皮でくるんで揚げたもの。工夫茶
で粒粒鉄観音。食べすぎで口から出そう。
2003/12/24
さて本日は本来の目的の大旗頭古村に出発。「中国古鎮遊」によると、広州汽車站から大溏行きのバスで途中下車とのことだが、省汽車站にも市汽車站にも大溏行
きがない。客運站はほかに何箇所もあるが、ひとつひとつ当たるわけにも行かないので、とりあえず三水行きに乗る。久しぶりの老爺車。小
僧、「あっちのきれいなくるまのるー!」と正直に騒ぐのであった。三水まで一時間弱。途中、高速道路沿いに譚秋という古鎮を見た。素敵だった。自前の交通があったらなあ。
三水で氾湖行きのさらにぼろっちいミニバスに乗り換えて40分、楽平鎮を過ぎて少しすると大旗頭村到着。村の前に小さな池があり、
溶樹が両端をふちどっていた。その下には石造りの腰掛が並んでおり、いい憩い場となっている。池の右には三階建ての塔、左は駄菓子
屋。村の正面には廟がいくつも並んでいた。
門票5元。ピカピカの自家用車で村の中まで乗りつけ、すんごくでっかいサイバーショットでばしばし妻子の写真をとりまくっていた中国人が村人にどう催 促されてもその5元を払わず、見ていた私たちは絵に描いたようなさもしさに苦笑せざるを得なかった。でも今の中国で金を掴んで成り上がっていこうと思ったら、
このくらいえげつない神経の持ち主でないと淘汰されるのも事実。やですね、どうも。
城壁に囲まれた村はすでに住居として
は使用されておらず、農機具などの物置として使用されているようだ。門には見事な木彫りの装飾が残り、家と家の間には滑らかに磨り減
った石畳が敷かれていた。
一時間ほど見物してで帰途につく。村の前で広州行きのバスを止めた。本来乗る予定だった広州-大溏路線の反対方向。行きのバスよりさらにボ
ロで、しかもところどころ舗装もされていない土の道を走るのでケツの皮の薄い相棒はさあ大変。でも私と小僧は爆睡しました。眼が覚める
と広州で、沙面対岸の芳村汽車站が終点であった。路線バスで広州站(旧駅)前に。昔、中国旅行を終えて広州まで帰ってくるたびに食
べていた、懐かしの駅前の民航酒楼で昼食。改装して典型的な広東菜から中国各地菜なんでもありに変わっていて、その分味が落ちていた。それともこっちの舌が肥えたか。
この時点で人民元の懐が乏しくなり、両替に向かいの流花賓館へ。しかし両替所はつぶれていた。ホテルに聞くと中国大酒店まで行けというが、こないだ出張でここに泊まったとき、泊り客ではない日本人が両替を断られたの見たことがある。駅前には闇屋も多いが、信用ならんのでやめておく。なにしろ民航酒楼から流花賓館まで歩くだけでひったくりを2件も見た。香港とは違って、誰も犯人を追っかけない。公安も見てみぬ振り。相棒は小僧を抱え込み、私はカバンを抱え込んで歩いたが、なかなか気が気ではなかった。流花賓館からタクシーで動物園へ。郊外の野生動物園は次回にしよう。ごめんね小僧。
せっかく入った動物園だが、入るなり象が寝る時間。きりんさんなどを見る。「きりんさんねー。くび、ながいねー。ごはん、たべてるねー。くさいねー。」ま、そのとおりといえばそのとおりなのだが。
2003/12/25
時間が遅くなったらイミグレが込むのが分かりきっているので、チェックアウトしてすぐ広州東站へ。今度は深セン直行で75元。小僧の子供
切符を買おうとしたら、「今釣りが無いので買わんでいい。それにその大きさならヒザに乗せとけば切符はいらん」と言われた。直行列車は
正味一時間で深セン到着。北京同仁堂で相棒好みの漢方薬をどっさり買い込み、その近所の福建老板の飯屋で太子鶏、白灼蝦、
阿仔煎、菜心などを食して帰宅。ここの太子鶏、相棒が深センに行くたびに手土産に持って帰ってくるが、すんごく美味い。
がっつり食って食って食いまくった三日間であった。小僧に赤いジャケットを着せていたため、あちこちで「小妹妹」と呼ばれたが、
中国人の男の子は赤は着ないのかなあ。ウチは赤と紺のコンビネーションばっかり着せてるよ。
帰って久しぶりに新聞を見たら、「広州発現今冬最初沙士懐疑案」。どっひゃあ。広州に行ってたことは会社には内緒にしておかねば。
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