2004/01/27
朝、ドアを開けるとカブトムシが落ちていた。あまりでかくない。小僧は都会の子なので、「むいむいがぁ!むいむいがぁぁあ!!!」と、天変地異のような騒ぎ方である。
小僧の人生で、ゴキブリよりもでかい昆虫を見る機会はこの先もさほどおおくはなかろう。という私だって大阪の子。初めてのカブトムシは八百屋で買ったのだ。メスいっぴき600円であったよ。相棒はもっと都会の子。コオロギだって売りに来た農民から買ったことしかないそうだ。
今夜のお宿はこんな感じ。部屋は普通である。コ・ハイでの宿と大差なし。こっちの方がやや広いかな?500バーツの部屋がもっと広いというので、空きが出たら移ると告げておく。
ああ、のんびりまったりぐったりほげほげ。しに来たはずなのだが、子供が3歳ではゆっくりもしてられませんな。とりあえず小僧を水につけて遊ぶ。最初は「うみ、こけてくる!こけてくる!」としり込みしていた小僧も、すぐに慣れてばちゃばちゃ遊びだした。しかしおかしいのはそれ以降、海パンはかせて連れてくると、波打ち際でかならず立ち止まり、玄関で靴を脱ぐように行儀よくパンツを脱いでしまうことだ。(よって写真のほとんどは公開できない)
「なんで脱ぐのよー」「ばっちなる、から」「ばっちくないよー。海の水こんなにきれいじゃない。」「べちょべちょ、なるから。」「べちょべちょになっていいのよー。それは海パンなんだから。」「アカン。」巨大な風呂かなんかと間違えてるにしても、プールでは脱がないのになぜだろう。
夕食はBBQレストランで。バラクーダ、いか、トムヤムクンなどなど。私には十分うまかったが、魚にはうるさい相棒は満足しなかったようだ。
2004/01/28
日中の一番日差しの強い時間は、椰子の木の木陰で小僧を遊ばせる。昼食に入った椰子の木下のバンガローレストランでゆっくりしていたら、老人が話しかけてきた。かなりふるぼけたマンダリン。このバンガローのオーナー、バンコク生まれの広東人であった。
広東人といっても、広東語はほとんど話せない。小さいころに中国に送られ、華僑学校で教育を受けたのだそうだ。10年前にコ・ランタに土地を買い、4-5年前からバンガローを経営。といっても悠々自適の引退生活と変わらんといった感じ。ここは空気もいいしねえ。うらやましい生活だ。孫や子供はすべてバンコクに住んでいるという。
小僧を連れて水遊び。例によって自分ですっぽんぽんになった小僧をだっこし、少し深いところへ連れてゆく。腕につかまらせて歩く。本人は足をばたばたさせて、泳いでいるつもり。きゃあきゃあ言って喜んでいたが、遊ばせすぎたらしく夜になって熱が出た。私をなじる相棒。
うぇーん。明日の昼の便でトランに戻るから、今夜が南の島での最後の一夜なのに。とは言うものの、私はあまり深刻には考えていない。だって機嫌悪くないもん。熱だけで、風邪の諸症状も出てないし。「おでんじじゅうす(オレンジジュース)、ちょうだい。」と、宿の台所に勝手に入っていくほど元気。
手絞りのフレッシュオレンジジュースが不潔なのではないかと考えて、相棒がマーケットまでヤクルトやヨーグルトを買いに行った隙に、私はオレンジジュースに子供用熱さましを溶かして小僧に飲ませてしまった。
熱さましのせいで熱は下がったが、それはやはり一時的だったらしく、夜も遅くなるとまた熱くなってきた。相棒はあわててマーケットに氷を買いに行き、ジップロックで氷嚢を作って小僧の頭を冷やしていた。「うしろあたまの首の付け根のところと、両脇も冷やすとすぐ体温が下がるよ」と気楽に言い放ち、私は先に眠ってしまった。相棒は夜中まで小僧のあちこちを冷やしていたが、氷が水になったので怒ってうーうー唸っている。私が替わりに起きて、小僧の顔をバンコクの地図で明け方までぱたぱた仰いでやった。すしめしを冷やす要領で。
2004/01/29
小僧ラブラブ過保護大将の相棒、いてもたってもいられず、朝起きるなり12時の便をキャンセルして7時半の便に変更してきた。トランで医者に駆け込むのだと。急いで荷造り。ワゴンで出発。コ・ランタは北島と南島に分かれていて、島と島の間、北島と本土の間を10台も乗れないような小さなカーフェリーが結んでいる。私たちが泊まっていたのは南島。ワゴンはあちこちで客待ちをし、北島を出たのは結局9時過ぎであった。
そこからトランまで94キロ。ワゴンは100キロ近くで突っ走り、一時間半強でトラン到着。駅前の旅行代理店で事情を説明して一番大きな病院の名前をタイ語で書いてもらう。Rachadamae Hospital。TukTukに乗ると、トランホテルのすぐ近くであった。東南アジアで医師にかかると、医者はほぼかならず診療に十分な英語を話してくれるほか、中国語が使える可能性もかなり大きい。つまり医師には華人が多い。おまけに田舎ではガイジン患者が珍しいので、懇切丁寧に見てくれる。
というわけで今回も大当たり。小児科の劉碧芳女医は小僧を丁寧に診察してくれた。「厳重な問題は見られません。熱が高いですね。38.9度あります。喉に炎症が見られますが腫れてはないです。心音はクリアで、下腹部の触診でもなにもありません。腸音はやや活発ですので、ひょっとするとこの後に軟便になる可能性があります。口臭がすこしあるので、胃が荒れていると思います。食後に吐くかもしれませんね。」
「どの症状も深刻ではないので、これ以上の検査には回しません。対処療法で熱が下がらないようであれば、三日後にもう一度来てください。でもたいしたことないと思いますよ。」と三日分の薬をくれた。パラセタモールのシロップ、抗生物質、吐き止め、電解質飲料の粉末。「風邪の諸症状がなく、単独で熱が高いので、パラセタモールがよく効くと思います。抗生物質は下痢が始まったら飲ませてください。一旦飲ませたら、残さず全部飲みきってください。吐いて薬を受け付けないようであれば吐き止めを一時間前に。電解質飲料はおいしくないので、スプライトなどを少し混ぜて冷やして飲むといいですよ。」
あとは「よろしければちょっとおしゃべりしていって〜」と、雑談になった。彼女は中国系三世。祖父の代に潮州から来たそうな。祖父は五人兄弟で、曽祖父は先祖代々の墓守のため、長男だけを残して後の四人を連れてタイに移住してきた。残留した長男はその後の中国情勢で辛酸を舐め、そのことを心苦しく思った四人の弟たちは数十年間仕送りを欠かさなかったそうだ。
「ここ10年は先祖の土地もかなり発展して、農村とはいえいい水準の生活が出来るようになったそう。祖父と父はしょっちゅう里帰りをしていたけれど、私は行きたいとは思わない。私の意識はタイ人で、それ以外のなにものでもないから。だからほら、中国語だって英語よりずっと下手。清明節(墓参り)だって行ったり行かなかったり。」典型的なタイの華人家族のストーリーだ。父親の代に事業が成功し、兄弟たちはビジネスマンに、彼女は町で一番大きな病院の勤務医に。
丁重に例を言って辞した。診察室で飲ませてくれたパラセタモールシロップが劇的に効き、診療費を払って病院を出るころには小僧の熱は下がってしまっていた。メシでも食うべし。街のぶっかけめし屋で二種類のおかずをのせたしろごはん。一皿15バーツ(おかずが一種類なら10バーツ)。コーヒー8バーツ、アイスコーヒー10バーツ。あああ、我々は島でなんて高くて不味いメシやらコーヒーやらを口にしていたのだろう。小僧は大好きなしろごはんを食べ、ヤクルトをちゅうちゅう吸っておる。
コーヒーは南タイの名産である。バンコクや北部では見られないコーヒー屋がたくさんある。そしてネスカフェではない、豆を挽いて入れたコーヒーを指すのに、タイ語の「カファエ」ではなく福建語の「コピ」を使う。これは街の古いコーヒー屋。店先で包子(肉まん)を蒸していたので座り、私たちはコピ、小僧には肉まんを注文した。すると驟雨。雨宿りがてら列車までの時間をつぶし、オヤジにお勘定をいうと、私たちの会話を聞いていたようでマンダリンで答えが返ってきた。
店の名前は裕昌。椅子も壁もオヤジもすべてが古ぼけていた。テーブルは大理石の表板だった。相棒が子供のころ、南洋帰りの家にはかならずこのテーブルと、カバンのように大きい二枚貝(シャコ貝)が置いてあったという。
街には華人の同郷会がたくさんあった。これは潮州のもの。いずれは消え行く運命なのであろうなあ。
トラン駅のプラットフォームにて。手前は「写したくないからそこに座らんでくれえ」と念じていたのに座ってしまった、身重のタイ人妻を気遣う白人夫。
さて乗車。隣にマハティールそっくりの顔の、しかし小汚いおっさんがすわり、しきりに英語(つたない)で話しかけてきて、しまいに小僧にちゅうを強要するので、私はニコニコ笑いながら小僧の目を見つめ、「ぜったいしたらアカンで。」と厳命。小僧「アカンの?」私「アカン。ぱぱとまみーとじいちゃんとばあちゃん以外は絶対アカン。」小僧「・・・のんのんは?」 のんのんとは幼稚園の同級生、目下のところmost likely小僧のガールフレンドである。人間と言うのは3歳にしてすでに色気づくものなのだなあ。
小僧は下痢はしなかったが何度も吐いた。一回目は内容のあるものを突然吐いたが、二回目以降はわかっていて自分で胃を洗っているような感じだった。「おみず。」と起き上がってきて水を少し飲み、横になる。起き上がってきて「まみー、ぺー。」と言う。ビニール袋をあててやるとそこに吐き、横になる。また「おみず。」と起き上がってきて水を少し飲み・・・のくりかえし。しかし熱はない。がんばってくれ小僧。来たときの熟睡とはうってかわって、まんじりともせず夜を明かす。
2004/01/30
バンコク帰還。小僧の熱は下がり、吐き気も無し。例の宿へ直行し、荷物を降ろす。MBKをちょろっとうろつくも、小僧が「ここ、こわい。かいじゅう、おる。」と泣き出した。先週ここの映画館フロアで、恐怖映画の人形が飾ってあったのを覚えていたらしい。結構いい記憶してるやん。小僧用にポカリスウェットを3本購入。韓国版でハングル表示。なんと31ドルと、ビールより高い高級飲料なのであった。
恐怖に怯える小僧がかわいそうなのですぐMBKを出て、TukTukで動物園へ。あにはからんや臨時閉園。園内でカラスの死骸が見つかったので、家禽インフルエンザの蔓延を防ぐための閉園ですと。とほほ。乗ってきたTukTukでバンランプーへ。私は小さいコイルヒーターが欲しくてカオサン近くでちょこっと探してみたが見つからない。こんなstinkyな地区に長居はごめんなので、さっさと近所の寺院を通り抜けてかつての定宿へ。ビールを一杯。うまっ!
それからまたしてもチャオプラヤ・エクスプレスでぶーんぶーんとタークシン橋まで。小僧だいまんぞく。対岸の暁の寺ワットアルンを見やり、次いつ来られるかなあなどと思う。
中国寺もいくつかあった。こんなんとか、こんなんとか。
けっこう疲れてしまったのでBTSで宿へ帰り、死に寝。ややあってゴソゴソ起き出し、夕食をスリウォンのふかひれ屋で豪勢に食そうと、住所も電話番号もないのにとりあえずBTSに乗る。降りて探せばいいだろうという馬鹿な考え。果たして目当ての店が見つからない。己のまぬけさ加減に嫌気が差しつつもMBKまで戻り、フードコート(←極端)でいきなり500バーツ分の食券を買う(←やはり極端)も、もちろん使い切れない。ぶっかけめし3種類、魚の内臓の羹、たけのことと豚血のスープ、まるごとココナッツなど。ココナッツ以外全部中華。しかしMBKでは小僧がそわそわと落ち着かない。オバケ(小僧語で「かいじゅう」もしくは「もうぐゎい(魔鬼)」)が怖いらしい。かわいいやつ。
会社へ持っていくおみやげなどをちょこっと購入して、部屋に帰ってテレビ見て寝ました。中国語の字幕つき時代劇などをやっているので、香港と変わらん感覚(広東語もタイ語もどうせ全然わからん)でテレビを見てしまう自分がわびしい。
2004/01/31
ああ残念本日が最終日。起床。ちんたら朝ごはんを食べて、徒歩ですぐちかくのジム・トンプソンの家に行く。以前にも来た筈なのだが全然覚えておらず、また楽しめた。すばらしい家だなあ。こんな家に住みたいなあ。タイ骨董、中国骨董が並ぶ中、日本の伊万里焼もひとつだけあった。手水鉢?(ジムトンプソンハウスの中は撮影禁止)
ショップの上の展覧室では、19世紀の宮廷服を展示していた。当時は三つの政権があったそうで、サイアムとシャンともうひとつ(忘れた)。「王様と私」時代の服なのかな?パンフレットは500バーツちかくしたので購入をあきらめた。
ショップでゆっくりお買い物をしようと思ったが、小僧ときたらおとうちゃんそっくりで、私の買い物が大嫌いなのだ。服をひっぱってひっぱって、「おそと、いこうよー。おそと、いくー。」と駄々をこねる。相棒に外へ連れて行ってもらうが、また駆け戻ってきて引っ張るのだ。結局自分用にはたいしたものを選べず、小僧&小僧イトコ用象Tシャツ、おともだち用象カードに象ハンカチなど。相棒「象ばっかりやな」 そうですね。ベタですね。
さて部屋に戻ってチェックアウト。ロビーで友人夫妻を待つ。昼食をご一緒するのだ。新聞をのぞくと動物園の臨時閉園の記事もあった。そして家禽インフルエンザは南部のパンガ県(プーケット県の隣)まで飛び火しているそうな。中国はどうなのだろう。やってきた友人夫妻と、てっきりそのへんでお食事かと思っていたら、車はどんどん走り出して高速に乗ってしまった。「これ、どこ行くの?」「市街と空港の間ぐらい。」「えー!」
そんなつもりじゃなかったのに、空港まで送ってくれると言う。そっちが香港に来たときに同じように歓待できるとは思えないのに。(ウチ車ないし。)確かに友人Aは我が家に泊まりに来たことがあるが、小僧が生まれた今となっては、親兄弟ならともかくお客様をお泊めできる余裕はない。ましてやご夫妻。運転してくれてるご主人に悪いよ〜。
などと言っているうちにレストラン到着。タイ旅行中にこんなおサレで高級そうなところで食べたことがありません。前回は中華だったので、今回はタイ料理で。辛くないトムヤムクン、えびすり身の揚げ物、ガルーパの甘酢あんかけ、なまずに似た魚のフライ、野菜炒め、イサーン風の豚肉サラダ、野菜炒めなどなど。写真とるの大忘れ。
食後は一路空港へ。車を降りるとまたしてもサプライズ。「荷物になるけど持ってって」と、おみやげまで手渡されてしまったのだ。くくく(嬉泣)。ちょっとタイ人になってませんか友人A。日本人の感覚ではここまでしてもらえるとは全然予想してませんでした。つか、訪問するほうの私たちが手土産何にも持ってこなかったのに(←買った中国茶を会社に忘れた)。わずかに私がもう読んでしまった日本語と英語の本を何冊か持ってきただけだ。次回にリベンジするわね。次回ね。<言葉の使い方間違ってます。
というわけで帰路に着く。今回の旅もまあまあであったことよのう。ああ写真の現像が楽しみだ。どっとはらい。
おみやげ特集
まずはメデタイ模様のでかい箱。友人夫妻が空港で持たせてくれたもの。ポークスキンのカリカリ揚げ、タイ名物兼私の大好物です。おいしいよう、おいしいよう、おいしいよう(泣)。嗚呼体重。
相棒が自分用に買ったのは、ティースプーン分量目盛などのついた小さな計量グラス。MBK東急にて、6バーツでした。
イルカのピアス。一応シルバーだがなんと25バーツぽっきり。トラン駅前のしょぼいスーパーにて購入。消毒してから使いますです。
象Tシャツ。小僧と小僧のイトコ用。子供用Sサイズだがまだ少し大きく、この夏は着られそうにない。ということはイトコくんには再来年以降か。「お義姉さんてば貧乏性・・・」と、義妹は思うに違いない。でもこのシャツ、海辺で泊まってた宿一泊分より高いの。だから許してイトコくん。ジム・トンプソンにて。
出発前にとんでもない不義理をしてしまったおともだちに、ごめんね象カードとシルクの象ハンカチ。ジム・トンプソンにて。
暑中見舞いに使おうと、インドシナ半島の古い地図の絵葉書を。地図の複製はジム・トンプソンハウスの壁にも飾ってありました。
素敵な素敵なティークの家。大金持ちになって、私もこんな家に住みたい。とりあえずは絵葉書とメモパッドで我慢我慢。
なお、今回の総費用はHK$16Kほどでした(うち10K強がエアチケット(怒)
念のため、「イタリア旅行でも中華屋を探す中国人のページ」なんてのは存在しません。
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