ブエノス・アイレス市(アルゼンチン)
アルゼンチンといえばブエノス・アイレス、この街は常にアルゼンチンそして南米の代名詞的な存在として君臨して来ました。ブエノス・アイレスは「奇麗な空気」を意味するスペイン語です。位置はほとんど日本の東京の反対側に在り、日本から一番遠い大都市と言えるでしょう。これだけの大都市でありながら日本からの直行便さえありません。
ブエノス・アイレス市は以下の8ページで構成されています。
01・ブエノス・アイレス・概要
02・ブエノスアイレス・市街地
03・ブエノスアイレス・繁華街
04・ブエノスアイレス・その他
05・ブエノス・アイレス・ボカ
06・ブエノス・アイレス・食べる
07・ブエノス・アイレス・商売
08・ブエノスアイレス地下鉄・物語
ブエノス・アイレス・概要
アルゼンチンに関しては南米リンク集をご覧下さい、多くの現地発信のページを紹介しています。例えば相川さん 、並びに江頭さんのページなどがあります。ここでは旅行者、第三者の無責任な目で見たブエノス・アイレスを紹介してまいります。
個人的にはアルゼンチンの国旗のデザインは好きですね、爽やかなとても素敵な国旗だと思っています。真中にある太陽がとてもユーモラスな顔で両側の空色とマッチしているように思います。
(写真)大統領府にはためく国旗:美しい空色、中央には太陽がきらめく
ブエノス・アイレス市は、南米第二の大河である「ラプラタ河」の河口に位置しており、対岸はウルグアイ、地図で見ると近いように見えますが対岸のモンテヴィデオまでは100キロ以上は離れています。気候的にも地理的にも恵まれている為か古くから南米の中心都市の一つと栄え、20世紀前半にはその栄華は頂点を迎えます。南米の国力は常にABCと称され(アルゼンチン、ブラジル、チリ)南米では抜きに出た先進国であったようです。
北半球の主要な先進国が二つの大戦争に巻き込まれる中、戦争の圏外に在り、また南半球である為に穀物などの出荷時期が主要国とは反対になる有利な点も在り、輸出で大いに稼ぎ欧州文化を極め「南米のパリ」と称せられるまでに発展しました。しかしながら、その後20世紀の後半になり、日本・欧州などの北半球先進国の復興に対して政治の混迷、インフレ、英国との戦争(フォークランド戦争:アルゼンチンの完敗)などもあり、次第に国力は落ちて行き、現在では一般的に「プライドある2等国」と言った感じに受け取られているように思います。
実際にブエノス・アイレスに行くとそのたたずまいはヨーロッパそのままと言った感じです。新大陸の都市の中で最も欧州的なのではないかと思います。パリのシャンゼリゼ通りを歩いていますと多くが外国人それも非ヨーロッパ人であるのに対して、ブエノス・アイレスはヨーロッパ系の比率が非常に高いように感じます。人口は市内は8百万くらいで大都市圏では1600万人にも達するそうです。実際歩いてみてもパリ、ロンドンと比較してもブエノス・アイレスの方が大きいように感じます。市内には大きな公園が多く堂々とした都市です。人口の上では南米にはサンパウロ、リオなどがありますが、「都会」さを感じるという点ではなんと言ってもこのブエノス・アイレスが一番でしょう。
(写真)随所に美しい公園が在る
公園には多くの人がおり、犬と散歩したり、ジョギングをしたり、デートしたり、また集まって犬の調教とかダンスはたまた太極拳などをしている人も見掛けました。
(写真)公園で太極拳
ブエノスアイレスを歩くとパリかマドリーのようなヨーロッパの都市というような感じがします。高層の住宅が連なり手入れが行き届いた町並みを散歩するのは気持ちの良いものです。ただ新大陸にありますので、欧州の大都市のような歴史的な観光地というのは無く、パリ、ロンドンやマドリー等と比較して観光地には乏しいように感じます。
(写真)欧州の都市のようなたたずまい
大統領官邸も非常に精巧な造りの建物です、全体がピンク色になっていてホワイトハウスならぬ「ピンク・ハウス(カサ・ロサーダ)」と呼ばれています。
(写真)大統領府:ピンクハウス
(写真)大統領府の衛兵
大統領官邸から少し歩くと「5月広場」に着きます。市民とハトとがゆったりと時を過ごしています。コインや国旗を売る人、本を読む人、絵を描いている人など散策にはもってこいの場所です。
(写真)5月広場
(写真)土産物売り
またこの広場にはカテドラル(大聖堂)があります。ローマのサンピエトロ大寺院にはとてもかないませんが、厳粛な雰囲気です。訪問した時にも多くの市民が祈りを捧げていました。
(写真)大聖堂
ブエノス・アイレスの街は比較的碁盤目に出来ており、比較的分かり易い街と言えます。道の名前には歴史上の有名人、南米・欧州ならびにアルゼンチン各地の地名などが付けられています。パラグアイ通りは街の中心部にあります。
(写真)通りの名前を示す:パラグアイ通り
とにかくブエノス・アイレスは大都市の風格と気品を備えた街と言えます。市内はよく整備されており、また携帯電話を使用している人が少ないのには驚きました。市内至るところに綺麗な公衆電話が整備されている為だと思います。電話に関しては民営化される以前はそれはひどいものであったそうで、新規回線の設置には長い時間と多額の賄賂が必要であったようです。現在は多くの企業が民営化されてかなり効率的な経営を行っているようです。
(写真)整備が行き届いた電話、バス停
ブエノスアイレスは発展しており、郊外には次々に高層のアパートが建設されています、長い経済の停滞を経て、現在は物価も安定し、民営化を推し進め、外貨の導入、ブラジル等周辺諸国との経済統合を目指すメルコスール構想も進行して明るい面がある一方では、失業が増え物価高に苦しむ庶民も多いと聞きます。経済の2極化が進んでいるのかも知れません。ドルとペソの1:1が何時まで保てるのか、世界中からアルゼンチン経済が注目されています。
「ブエノスアイレス」についてのご意見、感想、
質問等ありましたら。
田中 宛メール送信願います(パラグアイ共和国
アスンシオン市)