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 I believe
 in
 Father
 Christmas


Nast's Santa1
Who's Santa Claus?
Part 2
いろいろな民話とニコラス

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Part 1 セント・ニコラスについて
● Part 2 いろいろな民話とニコラス
Part 3 アメリカでのセント・ニコラス
Part 4 現代のサンタ・クロース

 




● いろいろな民話と結合したニコラス像
前回は「サンタ・クロース」のモデルとなった、セント・ニコラスについてのお話でしたが、今日はそれがどんな風に各地に伝わって行ったかをご紹介します。

一般に文化や伝統の伝播には、非常に長い年月がかかるものです。例えば14世紀初頭にイタリアで端を発したルネサンスは、ドイツなど北方ルネサンスとして開花するまで2百年あまりを要しました。しかし、いったん受け入れられると、各地方の土着の習慣と混ざり合って、非常に堅固な伝統や信仰にもなります。

セント・ニコラスについても同じでした。
もともとはトルコ地方の聖職者であったニコラスは、実にヴァラエティーに富んだ「変身」をします。これがすべて「セント・ニコラス」であるとはもう言えないかも知れません。きっとセント・ニコラスは、人々の「優しさ」「慈しみ」「守護」を映す鏡となり、覗き込んだ民衆の姿をその身にまとったのでしょう。

それでは、その鏡に映し出された像を見てみましょう。



● ダークな面も持つ Weihnachtsmann
St.Nicholas3
The Weihnachtsmann というのは、セント・ニコラスのドイツでの世俗的な民間伝承で、アメリカには1800年までに紹介されています。

彼もやはり、クリスマス・イブに背中に贈物の詰まった袋を背負い、国じゅうを巡って子供たちにプレゼントを配ります。しかし、一方の手には杖を持ち、悪い子供にはそれで罰を下すと言われています。これは前回ご紹介した「ニコラスのダーク・サイド」の反映の一端です。

子供たちに「罰」を下す、という発想はセント・ニコラス自身の伝説にはなかったもので、土着の他の信仰や伝統を取り込んだものだと言われています。この役割は、次第にニコラス像から分離され、それ専門の別のキャラクターに移しかえられて行きますが、ただ優しいだけではない、底の知れないキャラクターとして、Weihnachtsmann は民話などにもよく登場します。

一般に細身で腰の曲がったおじいさんとして描かれ、ペンシルヴァニアのオランダ人たちの間で今もささやかに信仰されているようです。



● 異教の酒宴の精だった Father Christmas
Father Christmas
ファーザー・クリスマス (Father Christmas) は英国でのサンタ・クロースに当たるものです。しかし、明らかな違いがあります。

ファーザー・クリスマスはニコラスの伝説から生まれたものではなく、英国中世の仮面劇 (mummer) から派生した、異教徒のキャラクターでした。ですから、もともとは子供たちに贈物をするというより、むしろクリスマスの酒宴 (wassail) やヤドリギ (mistletoe) に関係が深いものでした。

ファーザー・クリスマスで誰もが思い出すのは、チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」でしょう。第2夜目に「現代のクリスマスの精霊」として登場するのは、まさしくこの意味での「ファーザー・クリスマス」です。

それが次第に親切な贈物をする性格を与えられていったようです。

A Christmas Carol
映画「クリスマス・キャロル」より
彼はイギリスからの移民によってアメリカに伝えられ、そこで定着しました。今ではファーザー・クリスマスはほとんどサンタ・クロースと同じような性格・体型を与えられています。


「お薦めサイト」に、このクリスマス・キャロルの映画サイトへのリンクがあります。興味のある方はぜひ遊びに行ってみてください!



● フランスの Father Christmas: Pere Noel

ペール・ノエル(Pere (Papa) Noel) はフランス版の贈物をするキャラクターで、同じ頃にアメリカ、それも主にルイジアナで出現しました。

彼はゴール人の伝統を受け継いだサンタ・クロースのような雰囲気で、クレオール (Creole:リジアナ生まれのフランス系アメリカ人) の間で広がりました。

彼はたいてい同じような太ったお腹をしていますが、ウイットに富み、女性については目が高い、と言われています。祝いの席に到着すると、冗談を言いながら一人一人にささやかなプレゼントを手渡します。(フランスでは、りっぱな贈物はクリスマスではなく新年に配られることが多いようです)



● 宗教改革から生まれた Krist-Kindl (Christ-Child)
Christ Child
クリスト・キントルは、歴史家の指摘によると、宗教改革後プロテスタントの多いドイツで、人気の衰えないセント・ニコラスの代わりとして創造されたものだと言うことです。つまり、老人の姿ではあまりにもローマ・カトリックの「聖人」を思わせるので、プロテスタント信者はそれを嫌ったのだろう、と言われています。

だからというわけではないでしょうが、クリスト・キントルは、老人とは正反対のケルビムのように愛らしい子供 (少年の時も、少女の時もあります) の姿で、ラバの背中に贈物を載せて運こんで来る、と言われています。

子供たちはバスケットを用意し、そこにははるばるやってくるラバのための干し草をいっぱいにし、贈物を心待ちにします。

クリスト・キントルは クリスト・キント (Krist Kind)、クリスマス・エンジェル (Christmas Angel) などとと呼ばれることもあります。

● 楽しいクリスト・キントルの習慣
ドイツでのクリスト・キントルの習慣としてとても楽しいのは次のようなものです。

クリスマス前に、家族全員が「クリスト・キントル」になります。降誕節 (Advent Season:クリスマス前の4週間) の期間、この「謎」のクリスト・キントルは、はげましのメモや、ほんのちょっとした贈物を、ありとあらゆる方法で提供することになります。

お母さんが衣服をたたもうと部屋へはいると、もうキチンとたたんであって、上に「K.K.」とイニシャルが書かれた紙がのっていたり、靴に足をつっこんだら中にキャンデーが包んであった、という具合です。

クリスマス・イヴのミサの後、家族はテーブルを囲み、卵酒を飲みながら一体だれがどれをやったのか、種明かしが始まります。家族のあたたかい絆を体験できるこの習慣は、今も多くの家庭で楽しまれています。

このクリスト・キントルの信仰は、ペンシルヴァニアのドイツ人によりアメリカに渡りました。1860年までには、この愛らしい「サンタ」はクリスマスの祝いからほとんど消えてしまいましたが、テキサス州では毎年大規模な「クリスト・キントル市(いち)」が開かれています。また、オハイオ州にある The Zoar Tavern & Inn でも毎年12月にクリスト・キント (Krist Kind) のイベントが催されています。

link [Kristkindl Market]
カンサス・シティで毎年12月の第1週に開かれる「Kristkindl Market」の公式サイトです。ページの下の方には扱われる商品が紹介されています。

link [Kristkindl Market]
上でご紹介した「The Zoar Tavern & Inn」の公式サイトです。
Zoar Village はドイツ系分離派(イギリス国教会からの分離)の人たちが 1817年にオハイオ州に建設した村でした。1898年に解散し、現在では閑静な保養地として有名です。Zoar Garden をはじめいろいろなお店があります。




● アメリカに受け入れられた名前:Kriss Kringle

しかし、「クリスト・キントル」という名は、「クリス・クリングル」と形を変え、「サンタ・クロース」その人をさすニック・ネームとして英語に浸透しました。

老人に「キント(子供)」はおかしいですが、茶目っ気たっぷりなサンタ・クロースにはむしろピッタリな感じがするし、逆にサンタのイメージも、「子供っぽい無邪気さを残した老人」として、民衆に受け入れられていったのでしょう。

クリス・クリングルは、アメリカ映画などにも時々登場するので、みなさんも耳にされたことがおありだと思います。

こうして、クリスト・キントルの「贈物を運ぶ」という役割は、その元々の名前にふさわしい陽気なおじいさんにバトンを渡しました。



● フィンランドのセント・ニコラス像、ユールプッキ
フィンランドでのファーザー・クリスマスの名前はユールプッキ (Joulupukki) といいます。Juolu は Yule のことで「クリスマス」、Pukki は「牡ヤギ (= bucca [古代英語])]ですから、そのままの意味は「クリスマスの牡ヤギ」となります。古いフィンランドの異教の伝説でしたが、時とともにヨーロッパの他の地方と同じく、キリスト教の影響を色濃く受けるようになりました。

12月には、一年を通して最も短い日(冬至)がある──これはもちろんフィンランドでも同じです。そして、古代のフィンランド人は、異教の神を信じ、毎年この時期に悪霊を封じ込めるお祭を開きました。

フィンランドでは、こうした暗闇に棲まうまがまがしい霊は、ヤギの皮と角を持っていました。最初はこれは贈物をするどころか、逆に人々に貢ぎ物を求めました。その代わり酷い災害を起こさない、という交換条件がついていました。「クリスマスのヤギ」は子供たちを怖がらせ、文字どおりあらゆる意味でおぞましいものでした。

それがどうして180度性格転換をしてしまったのか、はっきりはわかっていません。しかし、それはたしかに、今日ではファーザー・クリスマスのように、善行を行う良き者のシンボルのようなキャラクターを身につけてしまったようです。

結局、今日フィンランドで残っているのは「ユールプッキ」という名前だけで、中身は全然違うものである、という方が正しいように思えます。恐らくは、いろんな伝説や民話や信仰が混じり合い、こういう変貌を招いたのでしょう。

このユールプッキに限らず、多くの民話の中の「セント・ニコラス」のような性格のキャラクターは、一部はキリスト教的な、そして一部は土着の(時には異教的な)伝統や信仰の両方が含まれている、というのが正しい見方だと思います。

ですから、白いおひげをしていたり、聖人であったり、または悪魔的な存在であったり、家に棲まう小人たちであったりするわけでしょう。

今日では、フィンランドのユールプッキは、アメリカのサンタ・クロースのようなイメージになっています。これには、フィンランドで人気のあったラジオ番組、"Children's hour" が大きな影響を与えました。これについては パート4 で詳しくご紹介しますが、ユールプッキの住んでいる「耳山 ( Korvatunturi)」、トナカイたち、などがこの番組で紹介され、それが定着したのです。じっさい「耳山」の附近はトナカイがたくさん住んでいるので、リアリティーもありました。

しかし、フィンランドのユールプッキはアメリカのサンタ・クロースより少し恐い面があるかも知れません。フィンランドでは子供たちは実際にユールプッキと出会い(雇われた専門の役者とか、子供の実のおじいさんなどが扮します)、面と向かって一年間「いい子」だったかどうか尋ねられるからです。そして、ちゃんと「はい」と答えなければ贈物はもらうことはできません。
子供たちはこれがとても恐くて、贈物はほしいけど、その質問に答えることは結構勇気が必要です。(と言っても、はにかみ屋の子供には、もちろん、お母さんが横から手助けしてくれます)



● 似ているがどこか違う文化
いろんな国の「セント・ニコラス」像を見てきました。
結論として思うのは、どの文化、どの民族にも「セント・ニコラス」は存在するのであり、ある意味で、やさしさと贈物のイメージを持つものは、その民族にとって「セント・ニコラス」にあたる存在だ、ということです。

けれど、ここで注意が必要だと思います。
今まで見てきたような色々な信仰を吸い取って、「現在のサンタ・クロース像」が出来上がった、という考えは正しいでしょう。けれど、逆にその民族の信仰が「すべてサンタ・クロースである」と言ってしまうのには危険がともなうかも知れません。

それは、たとえば「クリスト・キントル」を指差して、「つまり、これもサンタ・クロースなんだね」と言ったとき、その地方の人の顔に浮かぶ、戸惑ったような表情に読み取ることが出来ます。現にその人たちの信じているのは「クリスト・キントル」であり、決して私たちの「サンタ・クロース」ではないということでしょう。

文化が違えば、自ずから「親切」「優しさ」「贈物」の精神は変化します。ましてや、宗教や信仰の分野となると、大きな隔たりが生じるようです。ですから、単純に「あれもこれも、全部サンタである」などと言うと、それを信仰する人に対して、いらぬ混乱や誤解を生むことにもなりかねません。

上のご紹介も、民族の誇り・独自性の中で捉えて戴けるなら、それが一番現実に近いものになるでしょう。そして、その中にある共通の精神や信仰の、ヴァラエティーあふれる協奏曲を楽しんで下されば、セント・ニコラスの日にとって最も相応しい音楽になると思います。


次はアメリカへ渡ったセント・ニコラスのお話です


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