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まあ、ぽろぽろと。
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時々ふと触れる事の出来た、芝居関係のこぼれ話や耳寄り情報など。
チラシ「月刊WING HOT PRESS. 1992 2」裏面
『感無量寿経』、劇作家シリーズその14
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感無量寿経 其ノ弐拾六
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「愚痴」
その上に劇評なんかでゴチャゴチャ訳の分からないことを書かれる必要はない。
それも大抵は感想文のような印象批評。じゃ劇評なんかいらないんじゃないの。
本来劇表とは創り手すらも気づいていない弱点や良いところを指摘し、
分析展開してみせ、またまたそれを演劇の世界に閉じ込めることなくこの社会の、
この世界の中で果たしている役割を指し示すものだと思う。
それをやるには相当の力が必要だ。
まず劇評をする人は観客としての柔軟な感受性をもち、
その上でその感動の源をキチンと言葉にする知性が必要だ。
観客という名の下では自由は保証されるが
劇評家と名乗るなら観る才能と書く才能を有していることが
条件とされるべきだと思う。
でもねぇ。そんな事はいいんです、僕は。
だけどせっかく劇評を書くのであれば
何かしら演劇を潤わすものであって欲しいと思う。
……ある劇評によって観客の入っていない小さな劇団が注目されるとか、
ある劇評によって演劇をやめようかと悩んでいた才能ある創作者が
勇気を持ったとか……そういう美談を関西では聞いたことがない。
これだけのことでも演劇にとっては有意義なことでしょ。
少なくとも僕は劇評によって勇気づけられたことなんかほとんどない。
ま、褒められていると少しは嬉しかったりするけど、その程度ですよ。
僕はとにかく周りの評価が気になる質で、
一々傷ついては落ち込むんですがそんな時に励ましてくれたのは
ほとんど同業者ですね。
好きでやって来ている劇団活動ですが京都でだけ公演をしている時には
まず劇評を書いてもらったことは一度もない。
メンバーが次々に抜けてもうやめようと悩んでいたときに
あるホールのスタッフから声をかけてやめないで欲しいと言ってもらいました。
それで思い留まりました。それからしばらくして、
ある人から戯曲賞を取ったばかりの松田さんと比較して
「土田君は書く才能がないから役者だけやったら」と言われました。
気にしないように努めましたがもうヘロヘロでした。
そんな時に「あなたには才能がある。やめちゃ駄目だよ」
と言ってくれたのはその松田さんでした。周りが戯曲賞ラッシュだった時期、
僕は再び落ち込んでました。もちろん表向きは平静を装っていましたけど。
個人名を出していたら切りがないのでやめますけど、
そういう時に励ましてくれたのは全て同業者だと言っても過言ではありません。
で、やっと安定した頃、「最近、いいんじゃないの」
と劇評してもらたりしましたけど。
演劇と言ったって血の通った人間がやってることなんですから。
大体生活だって苦しいし。自身を失えばすぐやる気がなくなる。
そんな時にその創作者に勇気を与えるくらいのことは出来るんじゃないですかね。
ただの観客と違うのであれば、みんなが褒めるものを安心して褒めたりする前に、
自分の力で才能を発掘してその活動に付きあうくらいの心意気を持って欲しい。
別に意味なく勇気を下さいと言ってるのではなく、
己の眼を信じて人と違う評価を下してくれていれば
自ずとそういうことはあるんじゃないかと思うんです。
悪口でもいいんです。ただ徹底的にその作品や創作者にこだわって欲しい。
別に演劇地図に詳しくなる必要はない。冒険をして欲しい。
少なくとも最近注目されているから俺もちょっと観に行くか
というようなことでは意味がないと思うんですけど……どうでしょうか。
《俺の感想》
俺的にこれを一読した後の感想は、肝に命じる半分、怒り半分。
謎を思って再び読む。
読む程に判らなくなる。これ、文章としてあんまりうまくないね。
キーポイントは、これは劇評を生活の糧としてる人、つまり「商売」
としている人達へのメッセージだ、という事。
所が同時に。同時にだ、本人が文中で「観客という名の下では自由は保証されるが」
と、確かに明言、確かに俺(=観客)を除外しているにも関わらず、
やはりこの文は俺をも批判の対象としているらしい事。
大体、そうでなきゃ(=観客を主要対象としたメッセージでなければ)
チラシの裏に載せたりせんわな、うん。
ここで私は自身の怒りに正統性を見い出したのであった。
そう思ってこれを読み直して下した感想。
「いらんお世話じゃ。客は黙っとれいうんか、ふざけろ」
「覚悟のある奴しか芝居観たらあかんのかー、ほなら観んわい勝手にしとれ」
俺の立場が曖昧なんだ、「プロ劇評家」ではなく「アマ観劇感想屋」
だからそんな適当な事になるんだ、
と言われると一刀両断返す言葉なしなんだけどねまあ
どんな仕事にも作業にも趣味にも「道」がある。求道とでも言うべき道がある。
究めんとすれば覚悟とシンシな姿勢が必要だ。それが何事であれ、だ。
それで金を取るというのなら、尚更にだ。
だが、エンタテイメントにおいて、客にとって、と姿勢を取ると、
それはちょおっと違う。客は金を払う側なのだ。
金を払う側に、金を取る側が何を求めるのだろうか。何を求めても許可されるのだろうか。
マナー。
うん、それはそうだろう。だが、これとて、「金を取る側」への配慮ではない、
同じく金を払って快楽を求めに来ている、隣席の人々、「金を払った側」
への配慮なのだ。よって除外。
では、何が……何もない。
「金を払う事」だけしか拘束がない。
もし客がつまらないと思ったら、そして周囲にその行為を迷惑に思う
「金を払った」人が居なければ、
客はその芝居の最中に寝てもヤジッても卵ぶつけてもいいのだ。
再び問う。
「金を払った」人に、何を求めるのだ、土田さん。
いや。俺に何を求めてこの文を書いたのだ。
徹底して芝居を分解解析できる技量のない俺に。
謎は気持ち悪くこの心にくすぶり続けている。
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化石オートバイ
第一回公演
『地球最後の夜』
で使用された曲について
私一歩が
一部改行等の変更や字句の修飾を施しHTML化しました。
ミスなど見つけられた方や、より耳よりな情報をお持ちの方は、
一歩
まで御一報願えると有り難いです。
文責
一歩
そして、山浦さん、トムさかいさんに感謝を。
開演前に流れていたのがこのアルバム。
音響系+ビーチボーイズの天才。出したレコードは全てケッ作。
(from "If you're feelingsinister" album)
この曲とともに舞台が幕を開けます。
ここで鳴らされる音は、その後の芝居全体の空気を決定するものであり、
始まりの予感を喚起するものであります。B & S はバッチリでした。
(from "COLD AND BOUNCY" album)
音響系はその呼び名の通り、アトモスフィアをつくるのが非常にうまい。
スパイシーな雰囲気で、宇宙人のシーンを盛り上げてくれました。
(from "If you're feelingsinister" album)
少年のモノローグ。及びラストシーンでも使用。
フォーキーだけど空気はオルタナティブ。
これがサイモン&ガーファンクルなんかだとベタベタになっていたことでしょう。
グラスゴーのインディ・シーンはすばらしい。
(from "Spicy Remix" album)
やっとちがう人の曲。ブルテリア登場。ベタですが OK。
(from "colossal Head" album)
ロス・ロボスを未だに誤解している人もいるんじゃないでしょうか。
彼らはラ・バンバだけではありません。コロッサル・ヘッドはすごいアルバムです。
そうとうヤバイ人達だと思います。アーシーで且つヤバイ空気。
故にブルテリアのモノローグです。
(from "FRANK'S WILD YEARS" album)
青年の回想シーン及びお葬式のシーンで使用。
走馬燈を見ているような歌。名曲です。
映画「スモーク」のラストシーンでもお馴染み。
(from o.s.t.of "LE MARI LA COIFFEUSE")
「髪結いの亭主」のサントラより。
五十嵐とエコーのシーンで多用。
ピアノやオルガンの音がぼくの頭にあって、いろいろ聞きましたが、
結局ナイマン。
ベタな選曲ですが、切ないが決してクサくならないところはさすが。
(from o.s.t.of "UNDERGROUND")
名画「アンダーグラウンド」サントラからの1曲。
ヒグマの部屋でかかっている曲。
アビシニアンにもピッタリでした。
(from "DEJA VU" album)
若き日の作家に群がるインタビュアーたちのシーンで使用。
48 才になった風采の上がらない孤独な男の歌。
中年作家にあまりにもピッタリ。即採用。
(from "NEON" album)
昔のソフトロックのバンド。そのサウンドは万華鏡。
少年が夢の中で父親に会うシーンで使用。
(from o.s.t. of "A ZED & TWO NOUGHTS")
グリーナウェイの映画「200」より。
五十嵐とエコーがピンチにおちいるシーンで使用。
それまでの流れから、ここもナイマンに決定。
(from "Colossal Head" album)
メロンマスク登場。
イントロのかっこ良さ! これでサンプリングを一切行ってないなんて驚き!
(from "At Your Birthday Party" album)
ブルテリアとチワワがバイクで走る
→ イージーライダー
→ ステッペンウルフという連想でした。
映画「ブエノスアイレス」で一躍有名になったピアソラ。
「タンゴ」なんてジャンル分け無用のかっこ良さ。どうしても使いたかった。
(from "Winter Pageant" album)
ソフティーズ! 好き好きソフティーズ! 完全にぼくの趣味。
キュートで且つ切ない歌の数々。
逃走中の五十嵐とエコーが部屋で聴いていました。
(from "FRANK'S WILD YEARS" album)
またトム・ウェイツ! 彼のレコードはどれも最高。
しかも映像喚起力がズバ抜けているので、ついつい使ってしまう。
チワワが悪酔いして撃ち殺されるバーでかかっていまいた。
(from "I CAN HEAR THE HEART BEATING ASONE"album)
昔の声たちにさいなまれる中年のシーンで使用。
虫の声も入っててイイ感じでした。
(from "DEJA VU" album)
エコーと五十嵐の最後の夜。
その望みの無さ、救いようの無さは中年の心と同じでした。
そして彼はこれじゃ駄目だと思うのです。そこでこの曲もカットアウト。
(from "Johnny Marr" album)
悩む中年にブルテリアが呼びかけるシーン。
この曲を使ったのは次の曲とのつながりが良かったから。
(from "Johnny Marr" album)
それもそのはず。この2曲はレコードでもつながっているのでした。
こっちの曲は大詰めの戦いのシーンで使用。
(from "Winter Pageant")
ソフティーズ! 好き好きソフティーズ!
ラスト近く、五十嵐とエコーのお別れ 〜 ポモドロが足音を見つけるところまで鳴り響いてました。
切ない!
カーテンコールを終えて、このレコードを聴きながらお客様をお送りしました。
パステルズの"ILLUMINATION"のリミックス盤。ぼくの最愛のバンドです。
グレート!
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