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東急リバブル・東急不動産に欠けているCSR

東急リバブル及び東急不動産に決定的に欠けているのは、不動産業者としての社会的責任である。日経ビジネス「2005年版CSR総合ランキング」に東急グループの企業は一社も入っていない(「2005年CSR「力」総合ランキング」日経ビジネス2005年8月22日号42頁)。

企業統治(コーポレート・ガバナンス)の在り方が問い直される中で、あまりにも無自覚である。近年、これだけ社会問題化しているにもかかわらずだ。問われているのは、社会的責任を視野に入れた企業活動である。社会に何も貢献しないどころか迷惑しかかけていない企業を支持する消費者はいない。

余りに閉鎖的で秘密主義的な東急リバブル及び東急不動産の体質は、利益優先を二の次にしても良質な企業を目指しCSR・コーポレートガバナンスに取組む企業と比し、企業理念や資質に大きな開きがある。これでは早晩、社会や投資家から見放されるであろうことは明白である。

社会的責任CSR

会社は株主や経営者、従業員だけでなく、債権者、仕入先、得意先、もっと広く言えば消費者(顧客)、地域社会まで利害関係は及ぶ。「企業はさまざまな利害関係者が関わる社会の公器である」(若杉敬明「企業不祥事 日本的慣行が根本原因」読売新聞2005年3月2日)。会社は社会のトータルシステムの中のサブシステムである。だから全体系を考えないで行動しても成功しない。下手をすると反発を招くだけである。

企業が利潤を追及するのは当然であり、わざわざ言うまでもないことである。ポイントは、その利潤をいかに得るか、にある。不正、犯罪、非合法、虚偽情報などで利潤を得るか、社会に貢献し、人々に利便、快適、幸福などを提供して利潤を得るか、それでその企業の価値が決まる。

企業は社会貢献や環境対策などの面でも一定の責任を果たさないと地域社会から孤立し、存続すら危うくなる。「企業は利潤と成長を第一に考えるが、それよりももっと大事なのは共に暮らす人々だ」(金辰明著、琴玲夏訳、バイ・コリア、ダイヤモンド社、2003年、353頁)。地球が企業を乗せて勝手に回ってるんであって、企業が地球を回しているのでない。

企業には社会的責任があり、現在では消費者や地域住民ないし一般公衆に対しても経営責任を負担する(山下知志「“反社会的企業”は死滅する!」財界展望2004年12月号)。「社会的責任を全うし消費者に支持されて初めて、企業は成長していける」(「企業不祥事 倫理確立へ課題を残し」信濃毎日新聞2004年12月28日)。企業には社会の一員としての覚悟と時代の変化を読み取り、機敏に対応できる能力が求められている。

社会的責任を果たそうとしないばかりか、環境を破壊してまで、営利を追求しようとしようとするのは、許されるものではない。「宅地建物取引業者は、取引の関係者に対し、信義を旨とし、誠実にその業務を行なわなければならない」(宅地建物取引業法31条)。自己の利益のみを先行させる悪徳業者に住宅を販売する資格はない。制度以上に重要なことが各企業が制度の不備にもかかわらずモラルを重視する姿勢を持つことである。

企業倫理の確立なくして、企業の発展はあり得ない。社会に対し無責任な行為を繰り返す企業に未来はない。違法な商行為や商道徳に反するような商売のやり方は、消費者の支持を失い、結局、自分の首を絞めるだけである。モラルを失った企業は命運を断たれる。「企業の利益のためなら不正工作もやむなし」といった企業の滅亡は不可避である。

「自分の会社の利潤だけを追求する会社というのは長続きしませんから。世のため人のために貢献してきたことの代償としてお金がもらえるシステムが会社です」(門井大介「お客様へのサービスが先、利益は後からついてくる」ベンチャー通信13号、2005年、53頁)。

世界中の貧しい人々に対して、企業は何をしてきたのだろうか。優れた技術や経営のノウハウや投資力を持ちながら、世界中に広がる貧困や公民権剥奪の問題に貢献できないのは何故か。何故、あらゆる人々に恩恵をもたらす資本主義を作り出せないのか。巨万の富を抱えながら文化にも社会にも還元しようとしない、税金すらまともに納めようとしない日本の財界の体質は軽蔑に値する。外国の土地を買い漁って現地人民に反感をもたれるような企業は尊敬に値しない。

関心の高まり

「グローバルスタンダードに準拠した経営をめざす企業はもとより、日本国内でもこのところ「企業の社会的責任(CSR)」への関心がにわかに高まっている」(小泉明正、ウェブメソッド革命、日経BP企画、2004年)。

例えばダイエーは「よい品をどんどん安く」とした創業以来の企業理念を見直し、企業の社会的責任(CSR)といった視点を盛り込むなど時代に即した内容に改める方針を示している(「創業以来の理念を見直し ダイエー、中内イズム決別」共同通信2005年6月15日)。

コンプライアンス

至る所で「コンプライアンス(法令遵守)」という単語が使われているが、裏を返せば三菱自動車の例を出すまでもなく、それだけ法律が守られていないということである。

「わが国にもようやく市場メカニズムにもとづいたコーポレート・ガバナンスの動きが出てきたようである」(二上季代司「コーポレート・ガバナンスの新たな展開」財団法人日本証券経済研究所大阪研究所・証研レポート1630号、2005年、1頁)。

「コンプライアンスや企業統治が不十分だと融資を受けられない時代がいずれ来るかもしれない」(磯道真「CSR評価を基に金利優遇」日経ビジネス2005年8月29日18頁)。

企業不祥事が企業経営に与える影響

企業不祥事が企業経営に与える影響は大きい。記者会見で経営者が謝罪する光景が報道されていたことや刑事事件への発展、厳しい行政指導などの経緯は今までにない大きなインパクトを与えている。目先の利益を優先させる姿勢やモラルの低下が、消費者の不信感を増幅させることは確かである。

不祥事は企業・組織にとって社会的・経済的に大きなリスクであり、場合によっては数億円、数十億円もの損失を発生させる。ブランドと社会的信用の失墜、営業自粛による機会損失や被害者への対応など、収益に大きく影響しかねない。既存顧客は離れ、新規顧客の開拓は難しくなる。投資家の株投げ売りを誘い、株価も急落する。牛肉偽装の雪印食品が消費者の買い控えで一気に解散まで追い込まれたのが好例である。

信用失墜

築城三年落城一日。不祥事が起きれば、築き上げた信用は、あっという間に崩れ去る。信用を失うことは簡単だが、再度信用を得るのは非常に困難である。地に墜ちた信頼は一朝一夕には戻らない。不祥事企業が消費者の疑念を解消し信頼を取り戻すのは容易なことではない。世間一般的な常識から考えれば、一度失った信用・信頼を取り戻すことは非常に大変なことである。

消費者重視

東急不動産や東急リバブルには企業にとって消費者の信頼が最も大切であるとの大局的な見地が欠けている。信頼は法を守ること、顧客を公正に扱うこと、自己の言動に責任を持つこと、当然の倫理観が守られることから生まれる。会社の置かれた状況を冷静に見つめ、法が求める以上の責任を自覚し、ステークホルダーと対話する力が今後一層求められてる。

産業界・企業は存続を賭けて消費者重視に本腰を入れざるを得なくなっている。組織・企業を取り巻く環境は、日々変化している。消費者と企業の関係は大きく変わった。「住民と共存する企業、消費者と共存する企業にならなければ、これからの時代に存在する場所を見つけられない」(中島洋・小泉明正、勝者のIT戦略、日経BP企画、2005年、168頁)。

企業の発展を望むなら、消費者との対話に力を注ぐしかない。経営者から従業員に至るまでいかに消費者重視に頭を転換できるかにかかっている。消費者の声を真摯に受け止め、それに的確に応えていくことが、求められている。企業は消費者について「彼らは力を秘めた創造的な起業家であり、価値を重視する市民である」と認識を改める必要がある。

消費者の理解と信頼を最優先すべきである。消費者感情の理解と活用が社会の共通基盤をつくり、明日の発展を確かなものにする。消費者軽視を続ける限り、企業不祥事が再発するのは目に見えている。消費者の声を聞き、じっくり考える時期にきている。

企業の在り方、評価にもっと消費者の意見を取り込むのも一つの方策である。広報担当者は広報プロセスで得た社会の声を組織内部にフィードバックする循環作用を担うべきである。「企業のブランドイメージを傷つけるかもしれない事態」を想定し、その芽を見つけ出し、顧客と情報をやりとりしながら解決していく。

クレームから学ぶ

クレームは改善のための宝の山である。国際市場で活動するメーカーは、顧客のクレーム処理の重要性を嫌というほど認識している。そのようにしなければ厳しい国際競争を生き残ることができない。信頼できる企業は顧客に誠意ある対応をするし、そのクレームを商品開発に的確にフィードバックする。駄目な企業はクレームを担当する部門から的確に情報が製造現場や開発部門に流れない。

消費者の怒り

消費者の怒りは不正に対して向けられるだけではない。不正を生む体質にメスを入れようとしない経営姿勢に対しては、より一層厳しい批判が向けられることを覚悟しておかねばならない。身勝手な隠蔽体質がどんな結果を招くかはいうまでもない。雪印食品や日本ハムの牛肉偽装問題に対しては、偽装そのもの以上にその後の対応の不手際が槍玉にあがった。

客商売である以上、消費者感情に火をつけてしまった時点で負けである。消費者と業者との関係は、常に信頼を大前提にして成り立っている。信頼が裏切られれば怒りとなり、不買運動となって、業者らにハネ返るのは、至極当然の成り行きである。真摯で誠実な対応こそが消費者の怒りを静める一番の術である。

消費者を馬鹿にした不誠実な対応

東急不動産や東急リバブルには本質を考えもせず、都合の悪い意見は、自分達の都合のよい解釈で片付ける体質がある。「消費者の声を聞く良い企業」を装っても、イメージの良いポスターを貼り表面だけ取り繕っても、根本は全く変わらない。変えようともしていない。

東急不動産や東急リバブルのように消費者を馬鹿にした不誠実な対応を続けていれば、やがては消費者にそっぽを向かれ、消え去ることは必定である。今のように消費者を疎外し続けるならば、その反動は必ず大きくやってくる。消費者の不満は、いつ火を噴いてもおかしくない状況にある。消費者への対応が不誠実な企業が消費者から背を向けられるということは、今までも何度となく起こったことである。

社会は悪徳業者が考えるほど甘くはない。不遜な言動を永久に続けることができると思っているならば大間違いである。不正をしてでも利益を得ようとするような卑しい連中に幸福な未来が待っているはずなどない。自己の行動は自己に帰結する。「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。A person will reap only what he sows.」(ガラテア人への手紙)。

破局は栄華の極みに突然襲いかかる。月夜の晩だけではない。気付いた時にはとっくに夏が終わって冬になっている。その時に後悔しても遅い。身から出た錆である。世間を舐めてかかった償ないをしなければならない。自らの社会性や順法精神の信じられない欠如が招いた危機は甘んじて受けるほかない。

悪徳不動産業者の現在の繁栄はタイタニック号船上の舞踏会と変わらない。巨大な氷山が近づいていることも知らず、歌とダンスに酔いしれる。ハイヒールを履いてタップダンスを踊るようなものである。すぐに転倒して骨折する。あのエクセレント・カンパニーが、あっという間にピンチに陥り、外国人がトップになるという事態を予見できた人はほとんどいない。

殴った人間はすぐに忘れても、殴られた方はいつまで経っても忘れない。「すぐに忘れるから」と思っているのは加害者だけである。被害者の悲しみや怒りは時間の経過による薄まるものではない。むしろ、時の流れとともに、益々強く深くなっていく。一度燃え始めたものは余程のことがない限り燃え続けるものである。


不正の解明

疑惑は晴らさねばならない。不正の全容は徹底的に解明されなければならない。正義は貫かれねばならないし、全うされねばならない。悪事を栄えさせてはならず、悪徳企業の跋扈を許してはならない。それが自然の摂理である。仮に深刻な被害が発生しないものであったとしても、不正がまかり通る社会であってはならない。

正義のために泣き寝入りではなく、告発していくべきである。「騙される奴が悪い」と言わんばかりのあまりにも問題の多い不動産業界のあり方を野放しにしてはならない。暗闇が訪れれば明るさが消え、明るさが訪れれば暗闇は去っていく。悪徳不動産業者と消費者の関係がまさにこれである。企業の不祥事はあちこちで起きている。国民が厳しい目で注視することが必要である。

悪徳不動産業者は反省して改心したり、行動パターンやものの考え方を変えたりすることはない。自分が悪いことをしたことにも、自分の値うちを下げていることにも気が付かないため、何度でも悪事を繰り返す。せいぜい「今度こそ、ばれないようにうまくやろう」とするだけである。これまで長く消費者を欺き続けてきた悪徳不動産営業が数日間の教育を受けたくらいで心変わりすることはあり得ないし、心変わりしたならしたで気持ちが悪い。

自浄作用が著しく鈍っている人や組織には常識的な判断は通じない。自浄作用を失った会社に未来はない。内部浄化能力が破綻して悪癖が蔓延し、社会的な害悪の側面が勝ってしまった組織は滅ぼされるまで止まらない。たとえ存続が延びたとしても、一時的な先延ばしにすぎない。特に日本の組織はチェック体制が機能していないため、バブルを見れば分かるように、問題があっても大混乱になるまで放置される傾向にある。調子の悪い機械は油を差せばいいが、壊れた機械は廃棄するか専門家に任せるしかない。

悪徳不動産業者に情け容赦は無用である。悪徳不動産業者を相手に遠慮するのは天道に背く。礼節は礼儀正しい相手に対して守っていればいい。魯迅の名言に「打落水狗」(水に落ちた犬は打て)とある。「もし人を咬む犬なら、たとい岸にいようとも、あるいは水中にいようとも、すべて打つべき部類だと私は考える」(竹内好編訳、魯迅評論集、岩波文庫、76頁)。

悪徳不動産業者も、まともな感覚があれば、自己の悪事に対する報復を全く予想していないわけではないだろうから、あまり長く待たせては気の毒というものである。悪徳不動産業者は随分多くの人を破滅させてきた。そろそろ悪徳不動産業者の番である。

悪徳業者の淘汰による健全化

悪徳不動産企業の消滅は不動産取引市場の健全な発展に資する。非効率な企業が市場から退出することによって初めて経済全体の生産性は上がる。違法行為者の撤退は健全な事業者のビジネスチャンスを広げることになる。役割を終えた組織、あるいは自浄作用を失い、社会的な弊害が肥大した組織はこの世から消え去るべきである。

東急リバブルや東急不動産のような悪徳不動産業者を放置すると、不動産取引市場全体の公正性が喪失しかねない。悪貨は良貨を駆逐する。腐ったリンゴが一個あると籠の中のリンゴは全て腐ってしまう。一匹の死んだハエによって香水の容器が悪臭を放ってしまう。

悪徳不動産業者は、知らぬ間に徐々に体を蝕む癌と同じである。放置すれば、やがては社会を滅ぼす。東急リバブル及び東急不動産の闇はあまりにも深刻で、醜怪で遠くにまで及んでいる。このままでは、あらゆる光が姿を消してしまう。今日輝いている光も明日は隠されてしまうかもしれない。腐敗ガスを発する悪徳の沼地が全てを呑み込み、残るのは首まで泥沼につかって温泉気分で鼻歌を歌うような悪徳不動産業者だけとなる。

過去の清算

東急リバブル及び東急不動産は、過去に引き起こした事件と正面から向き合い、謝罪し、清算した上での出直しが必要なのであって、それがコーポレート・コンプライアンス(企業の法令順守)の基本にも適う。早期に自らの責任を認め、被害者に謝罪しなければならない。

過去の真実を究明し、心から謝罪し、賠償することがあれば賠償しなければならない。被害者らに対し心身のケアや補償の面などで、具体的に誠実さを示し、不祥事に関する情報は自社に不都合なことでも開示することである。えりを正し、何故不祥事が相次ぐのか、謙虚に反省しなければならない。

消費者の信頼は言葉だけで回復するものでない。悪しき企業体質を洗い出し、過去と現在に厳しく向き合う必要がある。本音と建前が分離され、形式ばかり重視する「大企業病」「日本病」を治さない限り、抜本的解決はない。膿を一滴も出さずに薬を塗っても効果はない。膿を出し切ってから薬を塗らなければ意味がない。腐敗した食べ物は洗っても食べられない。腐った部分を取り除く必要がある。信頼回復への道はそこから始まる。

自社の不正から目を背け、過去を歪曲し塗りこめようとする悪徳不動産業者に未来はない。消費者は最早三歩歩くと記憶がなくなってしまう鶏のように愚かではない。消費者に損害を与えてしまった場合は、嘘をついたり、騙したりせずに、事実に基づき社会通念に照らした処置をとらなければならない。悪い情報があっても、公開した上で信頼を取り戻す努力をしなければならない。

過去に目を閉ざす者は未来にも盲目になる

目をつむっていると、いつかまた過ちを繰り返す。いくら時が過ぎても歴史を変えることはできない。過去を学び未来へとつなぐ。焼け野原から経済大国にしてしまうような前に進むことしか出来ない発想は随所で行き詰まりを見せている。バックミラーを見ずに運転するのは危険である。だから事故が起きる。過去の清算が終わらないことには、新たな出発はありえない。

日本人は過去を水に流してしまう非歴史的な民族と軽蔑されてきた。「自国・自国民が他国・多民族が受けた痛みはいつまでも覚えているが、他国・他国民に対して与えた痛みは忘れてしまう」(佐藤優、国家の罠、新潮社、2005年、119頁)。それどころか「日本人は加害者でありながら被害者に向かって「すんだことをいつまでもガタガタいうな」と言ってのけることができる民族なのだ」(田中芳樹、創竜伝4四兄弟脱出行、講談社、1994年、138頁)。この点は大いに反省する必要がある。

「「過去にこだわるよりもこれからどうするかが大切だ」というような考え方はいかにも前向きに聞こえるが、過去を引きずらない現在はない。歴史を無視したのでは、現状に至る本質の認知が半端だから、将来への正しい路線・目標を設定できなくなる。外国からいちゃもんがつくとか何とかの問題ではない。国民性、資質の問題である」(奥井禮喜、労働組合とは何か、ライフビジョン、2005年、33頁)。

政治学者・丸山真男の呼ぶ「無責任の体系」を許してはならない。もともと日本は個人の責任というものが厳格に追及されることのない社会である。第二次大戦の指導者から、いじめの首謀者に至るまで、皆が決めたことに自分は従っただけで自分に責任がないと主張する。その結果、「皆が平等に悪かった。皆で反省しよう」と言い出す者が出てきて、責任の所在は不明になり、まともな反省はなされず、事態も何ら変わらず、誰も罰せられずに終わってしまう。

マイケル・ジャクソンの裁判では、過去にマイケルと数億円で和解した被害少年も証人として出廷する。和解したとはいえ、その事実は消えない。アメリカのこの姿勢は高く評価できる。おかしいのはあくまでも日本なのだ。そこに目を向けない限り、問題はけっして解決しない。

断固たる制裁

悪徳不動産業者に厳しい態度を示すことは、社会全体の課題である。2005年は悪徳リフォーム業者による詐欺事件が相次いだ年として、おそらく長く記憶されることになるであろう。住宅会社自身もこの事実を忘れてはなるまい。消費者の権利を明確にすることが求められている。

不動産は購入者の人生に大きな影響を与えるものであり、悪質な業者は厳しく摘発する必要がある。市場を混乱させ、信頼を損なわせた悪徳不動産業者の行為は決して許されない。厳しい措置は当然である。被害を拡大させないためにも積極的な処分に踏み切るべきである。

東急リバブルや東急不動産のような悪徳不動産業者は不動産取引の免許取り消しにしなければ消費者は安心して不動産を購入することができない。三菱自動車(クレーム隠し)の対応を想起すれば容易に理解できるが、悪徳業者は裁判で判決が出た場合に免許取り消しにするくらいでないと少しも反省しない。悪徳不動産業者に免許を保持させたままにすることは国家への信頼を貶める、許されざる冒涜である。

前科が明らかになった企業には三菱自動車や雪印乳業(集団食中毒事件)、東芝(クレーマー暴言事件)、日本ハム(牛肉偽装事件)のような断固たる制裁が必要である。空が晴れ渡るのは台風が通過した後である。悪徳不動産業者への処罰は峻厳とならざるを得ない。

徹底した追及

行政当局には、被害者が量産されることのないよう、消費者の利益を第一に活動されることを期待する。悪徳不動産業者の無法に断固たる処分を課さなければ市民からの信頼を失いかねない。卑劣な犯罪の真相を明らかにできないならば、その責任は極めて重大である。不満が臨界点に達する前に国民に実績を示すことが肝心である。

関係機関は事件の真相を徹底解明し、不正責任を徹底追及すべきである。長期間隠蔽されてきた違法行為に捜査のメスをさらに入れ、疑惑の全容解明を急ぐ必要がある。徹底捜査で奥深く切り込む必要がある。取り締まりの手を抜いてもらっては困る。都道府県や市町村も手をこまねいてはなるまい。さらに監視の目を注ごう。

事実関係をはっきりさせる必要がある。霧のかかった部分が解明されない限り、問題の解決にはならない。直接の原因にとどまらず、それをつくり出した人の問題にも立ち入って究明すべきである。「何故不正が行われたのか」という細かな分析は、「どうすれば不正を防げるか」という対策につながる。

個々の従業員の不正へのかかわりなど、はっきりさせなければならない点は多い。消費者を裏切るごまかしはいつ、どのような経緯で始まり、続けられてきたのか。どのような意図で誰が指示・命令したのか、どうして誰も止められなかったのか。

政策転換

日本では行政による企業、業者、供給者側の保護が行われており、一般消費者は軽視されてきた。悪徳不動産業者が政治献金を行うことで、自社に不利益な法律や条例の制定を抑制していた面もある。マスメディアが騒がなければ、行政は業者優先で見てみぬふり、とまで言われる。

「監督官庁の指導に従えば業者は保護してもらえるために、消費者との間で適正な契約を締結しようとする努力が損なわれることになり、事業者の無責任を助長することになります。現実に、こうした業法に偏った業界保護の姿勢は、監督官庁と事業者との癒着を生み、銀行スキャンダルなどの形で大きな問題となったものです」(村千鶴子、Q&Aケースでわかる市民のための消費者契約法、2001年、17頁)。

従来の事前規制を中心とした行政による保護政策では十分な対応ができない。日本で戦後長い間継続的にとられてきた成長優先、企業・生産・供給側優先の政策、国民一般に植えつけられた社会正義よりも組織内の調和を優先する意識・風潮は全て廃棄しなければならない。

消費者主権こそが、自由市場経済の原則である。供給者保護では、物価が高くなり、サービスも改善されず、消費者の方が我慢させられてしまう。また、経済発展も完了した状態での企業・業界保護は、ついには企業、供給者自体の国際競争力も衰退させてしまう。今後は、より一般消費者優先の原則を確立していくべきである。

現実を前に、政治が何を為すべきかは明白である。手をこまねいた不作為は許されない。悪徳不動産業者は政治家には政治献金し、役人には天下りポストを提供する。政官財のトライアングルが日本における悪の枢軸と言える。「不正をなくすためには、厳罰しかない。そのためには厳正な捜査と、監督官庁の厳しい姿勢が必要だ」(「職業倫理の退廃」紀伊民報2005年11月30日)。

企業が自社の都合の悪いことを隠すために権力と結びついて守るべきことを守らない国には未来はない。国が正当な権利を有する消費者をないがしろにするならば、世界中から「ならず者国家」と侮蔑されても仕方がない。「官の保護が厚かった規制業種や天下りが多い国内型業種の高齢経営者に、倫理的進化への対応を求めるだけでは十分でない」(刈屋武昭「リスク管理の理念明確に」日本経済新聞2005年6月12日)。

度重なる交通機関の大型事故、地震・津波などの自然災害の多発、食への信頼性低下、個人情報漏洩による世界的な詐欺事件など、今ほど「安全」「安心」「セキュリティ」が脅かされている時代はない。しかも、その範囲は仕事と生活の両面に及んでいる。国民の権利を守るシステムさえ作れなければ、宇宙開発や核融合に予算を割り振る資格はない。

司法

裁判官の判決の基準が変わってきている。結果の重大性よりも、手段や動機が許せないという素朴な感情が重視されている。被害者感情や社会の関心を反映するようになった。治安や被害者に対する社会の関心の高まりは無視できなくなっている。裁判所が被害者に目を向けつつある現れである。厳刑を求める被害者の活動が活発化した。被害者の猛烈な抗議によって不起訴が起訴になった。今までなら無期だったものが、死刑になっている。

情報公開

企業経営の透明度がますます厳しく問われる時代である。企業に対する不信感を払拭するためには企業が健全であることを証明しなければならない。これからの企業活動は、情報公開を大前提とする必要がある。徹底した情報開示をしない業者は消えていくしかない。「手間とカネのかかる作業ではあるが、コンプライアンスなき会社に明日はない」(久保利英明「法令順守の思想明白に欠如」読売新聞2004年10月27日)。

社内や仲間内の論理だけでの経営は最早成り立たない。臭い物に蓋をするという、隠蔽主義は許されない。隠蔽行為で目前の利益は得られたとしても、高度情報社会の現在、いつまでも都合の悪い情報が隠し通せるわけがない。

大きな組織では複数の階層を経て情報が上層部に伝えられ、報告の過程で、都合の悪い情報は報告から除外される傾向にある。たとえ組織は組織内の不正を把握していたとしても隠蔽しようとする傾向にある。特に日本の組織は大本営発表、更に遡れば記紀の記述に見られるように都合の悪い事実を隠す傾向が強い。昔は「よらしむべき知らしむべからず」で誤魔化せたかもしれない。

しかし、今や企業を批判する者の声は大きく、消費者・ジャーナリスト・従業員は互いに交信を続けている。蓋をしても、そのうち噴きこぼれる。インターネット時代においては個人レベルで情報を発信することが可能である。情報がいったん漏れると、あっという間に広がってしまう(e.g. 東芝クレーマー事件)。情報があっちでも、こっちでも取れるようになったことが企業活動に影響を与えていることは否定できない。

隠蔽のリスク

会社の隠蔽工作が露見したら、その損害は計り知れないものになる。「組織ぐるみの悪質な不正」と人々に認識された途端、企業の存続にかかわるほどの社会的制裁を受ける時代になった。旧態依然の組織は隠蔽を続けるが、隠蔽によって問題が拡大した時に更に大きな隠蔽をしなくてはならず、最後は破綻するという、子供に避けるように諭すパターンに陥った例も枚挙に暇がない。

タイムリーにかつ適切に公開しなければ、損害の拡大を招くことになる。「すぐに事実を公表することが鉄則です。想定している以上に問題の根が深かった場合にも、迅速に公表することで、上手く作用するケースが少なくありません」(「セキュリティ・ソリューション」日経Windowsプロ200年4月号44頁)。背景やいきさつを明らかにすることである。隠蔽は必ずしもセキュリティを強化するわけではない。

危機管理

危機管理においては「事故や災害は必ず防ぐことができる」ではなく、「事故や災害は必ず起きる」という考えを採るべきである。「ミス自体より、「ミスがあり得る」という危機意識を持っていないことの方が、より重大な問題だ」(紺谷典子「ミスへの備え危機感欠如」朝日新聞2005年12月17日)。事故を完全に未然に防ぐことは不可能である。障害の抑制・防止対策を適切に行っていたとしても、事故は起こりうる。

事故が起きてしまった場合に適切に対処できるように体制、手順が確立していなければならない。事故は100%防ぐことはできないという前提に立ち、被害箇所や被害規模、種別などを正確に想定し、それぞれに合った対策手段を予め用意することが重要である。

緊急事態が発生した際の業務の復旧や継続についての対応方針、対応要領を予めコンティンジェンシープラン(緊急時対応計画)として定めておく必要がある。リスクを回避するだけでなく、事故が発生した時にどうするかの対策を立てる。計画は一度定めたら終わりではなく、適度に見直しを行い、状況に合わせて改善することが重要である。

大抵の事故は以下の人為的要因により、発生する。
危険を危険と気付かない(感受性の欠如)。
つい、うっかり、ぼんやり(注意力の欠如)。
危険を避けることへの意欲に欠ける。

有名なものにタイタニック号の沈没がある。タイタニック号は氷山に衝突するまでの間、別の船から何度となく「氷山に注意せよ」という警告が出されていた。にもかかわらず、タイタニック号はそのまま進み続け、氷山に衝突した。警告が無視された最大の要因は「沈むはずがない」という、船長以下の思いこみであった。

日本中で欠陥を把握できたにもかかわらず、実際に事件として発覚するまで何もしようとしない風潮が蔓延している。事件や事故が起こる前には数十倍もの小さな事故が起きるものである。その情報が会社のトップに伝わらないことが大きな事件や事故の火種となる。あるいは知ってはいても責任逃れのために知らなかった振りをする。

事故が起きた際は、事故に至るまでのプロセスを解明し、再発を防ぐ。事後処理として、原因を究明することは非常に重要な作業である。原因つまり「何故?」を追求することにより、どのようにしたら、その事件や事故を未然に防ぐことが出来たのかを考えられるようになる。

告発

古今東西、不正発覚の端緒は告発である。まさかあの大手企業が違反はしないだろうという社会的通念が崩れている現在では、私達市民の監視が大切である。事実に基づく企業の体質は常に消費者の目にさらされるべきである。消費者の信頼を裏切る行為は世間に公表されるべきである。「水面下での日本的な紛争解決は、不明朗なものと強く批判されるようになってきた」(「紛争決着は裁判で」日経ビジネス2005年8月1日号33頁)。

企業名の公表は不正の抑止にも効果的である。不誠実な対応は、どんどん情報公開し、悪徳不動産業者を市場から追放していきたい。悪徳不動産業者のヤリ得とならないように、不正は必ず暴かれるとの認識が広がることを期待する。

自分の権利を主張することは当たり前のことである。納得できるまでどんどん行動していこう。シンプルかつ当たり前のこと、とはいえ、深くて終わりのない追求を、淡々と、楽しみながら進めていくことが自分自身、ひいては世の中全体を幸福にし、楽しく暮らしやすい社会を創る一翼を担うことになる。

時代の転換点

時代は今、大きな曲がり角にある。素晴らしい世界が来る気配がする。個人が世の中を変えていく時代になる。歴史が作られる時には必ず民衆が動いた。影響力のある人間が一人動くのもいいが、一人一人が何かしないといけない。

豊かな社会は誰かが創ってくれるものではない。一人一人の手で創りあげていくものである。ガンジーは「世界に変化を望むのなら、まず自分たちがそれを体現しなければならない」と言った。

時代のうねりに翻弄されるのでなく、力強くリードしていくためには、各人が教育、仕事、生き方において、価値観を主体的に転換しなければならない。一人一人が自分の生き方を大切にし、社会的存在としての個性を育てる基本に立って、時代を精一杯生きるようにしたい。

思いをそのまま述べてそれが名誉毀損になるなら、もう何もしゃべれなくなり、警察国家を招くことになる。権力が国民をズタズタにし、毎日脅えて暮らさなければならないならば真の国家とは言えない。悪徳企業によってどのような被害に遭っている人がいるのか、国民には知る権利がある。

「適法な表現行為であれば、訴訟上の書類はもちろんのこと、訴訟外の交渉過程であっても、非公開とする約束を特にしているのでない限り、インターネット等を通じて世に問う行動は許されるべきである」(町村泰貴「東芝クレーマー事件の問題の核心」1999年8月5日)。

ドイツのルター派神学者マルチン・ニーメラー

「ナチスが共産主義者を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者ではなかったので、何の行動も起こさなかった。その次、ナチスは社会主義者を弾圧した。私は更に不安を感じたが、自分は社会主義者ではないので、何の抗議もしなかった。それからナチスは学生、新聞、ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、そのたびに私の不安は増大した。が、それでも私は行動に出なかった。ある日、ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして、私は牧師だったので、行動に立ち上がった。しかし、その時はすべてがあまりに遅すぎた。」

風説の流布

風説の流布(証券取引法)とは株価の動きを操作する目的でデタラメな情報を流すことである。事実を述べることは風説の流布には該当しない。風説の流布の例として「あらかじめ特定の株式を買いつけ、ホームページ・掲示板・メールマガジンを使い、「急騰銘柄」、「ストロングバイ」等の表現を使って買い煽る行為」があげられる(東洋証券株式会社Webサイト「お取引のルール」)。

実際、破産した通信事業会社「ジャパンメディアネットワーク」(東京都港区)が、実現見込みのない携帯電話サービスの事業計画を公表し、東証二部上場の親会社の株価をつり上げた事件がある(「「携帯電話事業」風説流布、株価つり上げ30億利益」読売新聞2005年10月1日)。具体的な根拠なしに「東急不動産は誠実な会社です」「東急はかなり良い方です」と投稿することも、株価上昇を見込んでのものならば風説の流布に該当する。根拠がないにもかかわらず、異常なほど必死に東急電鉄を擁護することは止めた方がいい。

Whistle Blower

直訳をすると「口笛を吹く人」「警笛を鳴らす人」であるが、内部告発者の意としても使われる。告発を笛の音に例えている。密告者というと日本では負のイメージ(e.g.後ろめたい、裏切り、陰険)で捉えがちであるが、組織が悪い方向へ進んでいる時に警告を発する人としてポジティブな位置付けをしている。

内部告発は組織を良くするためのものである。資本家の立場で、いかにして経営者を管理するかと考えれば、労働者に監視させる、問題があれば、内部告発させることが最善の方法であろうとする見解さえある(唐澤豊「これからの労働組合のあり方――情報技術(IT)と組織論(1)」日経IT Business & News 2004年7月9日)。

告発の効果

多くの不正行為、不祥事が内部告発によって明らかになり、社会に大きな衝撃を与えている。隠された不正を目の前にいて早く、かつ詳しく知る内部の人間や関係者が暴く事件が増えている。内部の腐敗や問題点は外部の人間では知ることが難しい。その多くは内部告発によって、初めて外に出てくる。

告発者の存在がなかったら、多くの悪事は闇の中に葬られただろう。不祥事が組織ぐるみ、会社ぐるみで行なわれていたとすれば、簡単には発覚しない。仮に問題意識を持った人がいたとしても、上司に訴えて解決する問題ではなくなっている可能性が高い。不正は益々巧妙化し外部の監査機関との癒着もあって、外部が発見し摘発することが困難になっている。

告発増加の背景

内部告発の増加の背景として、昨今の経済的、社会的、文化的な変化があげられる。終身雇用制や年功序列制は崩壊しつつある。その結果、企業への帰属意識が薄らいでいる。長引く不況がこの傾向に拍車をかけている。

加えて企業の行動に高い社会性が求められるようになっている。商品の欠陥を隠すなど、社会倫理に反する仕事を上司から命令された場合、トップは「できるだけしないようにする」39%で、「はっきり断る」29%を合わせた社命不服従派は七割弱になった(「社会倫理に反する社命"不服従派"7割弱」読売新聞2005年7月28日)。

かつて多くの日本企業では「おらが村」的な共同幻想が存在していた。や教師に与えられた課題をこなし、社会に出てからは与えられた仕事をまじめにコツコツとやっていれば、安泰な人生を歩むことができると言われてきた。 組織第一主義の日本人は外国人からは以下のように揶揄されている。「周りの目を気にする日本人は常に、枠からはみ出した行動は何事も慎まなければならないと自分を縛る。たとえそれが理に適ってなくても…納得のいかないことでも建前、形式である以上、そこからはみ出すことはしない」(「「NYから眺めたフジヤマ」byマイク・アキオステリス(日本通米国ジャーナリスト)23 日本の「クールビズ狂想曲」」情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)2005.06.13)。

しかし共同幻想は崩壊し、多くの従業員は、どうすればいいか迷っているのが現状である。自分の頭で考え、自分の責任において行動することが求められている。命令されてしたことでも、責任は免れない。会社のためにも自分のためにも事実をきちんと報告することが最低限の常識である。社内の違法・不正行為をかばったり、見てみぬ振りをしたりすれば失業や更迭のリスクが高まる。

「たとえ命ぜられたことであっても、私がやったことは私がやったことなのだ。私の責任は、単に私の個人的な行為についてのみ当てはまるのではなくて、「私がやったこと」である限り、すべての行為についてあてはまるのだ」(1945年8月6日、広島上空を偵察して、「広島への爆撃を勧める」と報告した米軍パイロット、イーザリーの発言)。

アメリカ合衆国

米国ではWhistle Blowerは、不正を糾弾する勇気ある行為として称賛される。告発者は密告奨励法に守られ、冷遇されることはまずない。Time誌が2003年新年号に「今年の顔」として社会を揺るがした2002年のテロ事件や粉飾決算・倒産に関して組織内から内部告発に踏み切った3名の女性を選び、この問題についての関心の高さを示した。

法曹界では1970年代から「口笛を吹く権利」という概念が形成された。ベトナム戦争反対運動やWater Gate事件などを通じて、公的部門、金融・証券など個別分野毎に不正告発者を保護する連邦法や州法が制定された。自分の所属組織の行った不正や法違反を告発した場合、告発を理由として不利益を受けないだけでなく、それに対する報償まで認めている(福島瑞穂「ホイッスル・ブロワー」部落解放2002年04月号)。

企業に対してもコンプライアンスに対して飴と鞭の法制を採る。1991年に制定された連邦量刑ガイドラインでは社内不正を抑止する仕組みを構築している企業であれば、不正を犯しても刑法上の量刑が減刑されるが、取り組みを怠れば課徴される。1995年に発覚した大和銀行ニューヨーク支店を舞台にした不正取引事件は量刑ガイドラインが適用された。大和銀は不正を組織ぐるみで隠蔽したとして、ニューヨーク連邦地裁から当時としては最高の罰金を科された。


悪徳不動産業者の淘汰

マンション業界は今後淘汰されていくことが予想される。強い業界は競争によって弱い企業が淘汰され、強い企業だけが生き残ることで生み出される。時代環境に最も適合し最も有用な企業が繁栄し、変化に適合しきれずに効用を失って無用となった企業は滅びる。

従来のやり方を続けていたのでは、先に進むことができず、時代から取り残されてしまう。環境変化に対応するための柔軟性が必要になる。次の時代に進むべき準備を怠った悪徳不動産業者が時代の終わりと共に姿を消すことは必然である。

時代の変革期に対応できない企業は滅びるしかない。資本主義の原則を無視し、政治力で生き残っている会社がまだまだある。不良債権は基本的なところで処理されず、現実には赤字が温存されたままになっている。

「90年6月、日米貿易摩擦の決着として海部俊樹首相は米国の要求を呑み、総額430兆円の公共投資が決められている。これで地価下落でダメージを受けた建設・不動産業は救われた」(「川又三智彦の「こんな日本に誰がした」」財界展望2005年11月号134頁)。

価値重視

消費者のライフスタイルや価値観が多様化し、市場が急速に変化している。市場は好むと好まざるにかかわらず、確実に変化する。ニュービジネスが上場し、オールドファッションが消えていく。象徴的な例が上場企業の減少である。2000年以降、株式市場から消える上場企業の数は40社、50社と増え、2004年にはなんと84社が消えた。

技術が発達・成熟した現代では製品間の機能・性能の差が減少しており、消費の決め手として有形価値よりも無形価値が重視される傾向にある。既存市場にある製品やサービスの価格を下げて提供するなどといった単純なことでは対応できない。「勝ち組」「負け組」の差が生じつつある中、消費者ニーズをうまくつかまえることが求められる。対象に的を絞って徹底した差別化を図る戦略が要求されている。

消費者は急激に賢くなっている。マンションが持つスペックや特性によって、選ばれるもの、選ばれないものとの判断が顕著になる。差別化と言いながら、日本ではまだ業界横並び意識が強い。今までの無個性で一般向きの集合住宅は大きく後退する。マーケティングでつかめる大局的な潮流と一つ一つ異なる顔を持つ顧客のニーズは必ずしも一致しない。

住宅が工学系の研究テーマとされてきたことが、日本の住宅問題研究を貧困にしていた。大体、日本には生活騒音に対して何の対策も講じていないマンションが多過ぎる。従来の一戸建ての豪邸とは程遠く、マンションではなくアパートメントと訂正すべきである。

供給過多

マンションは現状ですら供給過多の状態が続いている。ワンルームからファミリー型の全タイプに渡って供給過剰となっている。ここ数年首都圏(1都3県)のマンション供給数は10万戸を越えている(建築統計年報)。今後も不動産ファンドによる物件の供給などにより、益々供給過剰が進むものと予想される。

都心回帰とはいえ、人の数は減っていくのだから、需要の伸びは期待できない。ワンルームの借り手になりそうな大学生や独身者は少子化で減っている。日本の人口が減少に転じ、経済成長が保てないとなれば、地価の長期下落が現実味を増す。人口の減少が止まらなければ、下降することは間違いない。構造的にも将来、日本の地価が上昇することはない(橋本淳司「土地はまだ下がる」財界展望2005年9月号)。

売れ残りマンション

巷では住宅は「買い時」と喧伝されているが、郊外の一戸建ては暴落、都心の高級物件でさえ大幅な値引きという始末(橋本淳司「いま、絶対に「家」を買ってはいけない!」財界展望2005年1月号)。「安かろう悪かろう」物件や、ターゲットが明確でなく物件のコンセプトが中途半端なマンションは販売が苦戦している。

収益重視で作るマンションは売れ残っている。立地や商品企画に問題があると、完売しない。地型や向きが悪いと極端な安値がつくか、いつまでも売れ残る。土地仕入れに多額の資金を費やす一方で、すぐに建てて販売にこぎつけなければ、土地価格の下落による利益低下にも巻き込まれる。ただでさえ都心の土地の奪い合いが続いており、既にコスト高になっている。

オフィスビルの供給過多

オフィスビルの需要も期待できない。企業は景気回復が実感できないほど厳しい状況である。雨後の竹の子の如く新たな企業が出てきているわけでもない。製造業は生産を海外にシフトし、事務部門もスリム化している。

団塊世代が定年退職する2005年〜2010年に約10万人のオフィスワーカーの減少が見込まれ、最悪の場合は370万m2分の需要が消失する(ニッセイ基礎研究所、アトラクターズ・ラボ「東京オフィス市場の『2010年問題』」2002年6月6日)。

需要に比べて供給は過多である。交通至便な一等地に多くの巨大なオフィスビルが立ち並ぶと、古いオフィスビルは立ちゆかなくなり、皆シャッターを下ろすことになる。

消費者には割高

不動産業界を取り巻くユーザーの目は、より厳しくなっている。消費者はデフレ意識を有しており、品質と価格の両方を要求する。価格に敏感な消費者イコール低所得者という図式はもはや成り立たない。マンション選択眼も厳しい。バブル期に比べ、選別色は強く、消費者の理性は保たれている。まだまだ日本の住宅は他の資産に比べ割高である。世界の一流料理を食べ尽くし、高級ブランドを身にまとう人物が通勤一時間超のウサギ小屋に住むのは滑稽である。

マンションを今買わなければならない理由は、市場性からは存在しない(今買わないと価格が上昇し買えなくなるなど)。今、住宅業界では、低金利をうたい文句に「購入するのは、今!」と営業する。高金利になったらなったで、所得も増える可能性が高いため、低金利を理由に購入することはない。

ほとんどの住宅ローンでは実行時金利、つまりは完成引渡し時の金利となっている。今後、金利が上昇していく可能性が高い。新築マンションで完成まで一年や二年もあるような物件は、決して無理な資金計画で判断をしてはならない。

住宅売却で約2800万円の売却損

新築マンションを購入することは、人口減少時代の中古マンションホルダーになったということを意味する。需要と供給のバランスのみで価格が構成される中古不動産市場では、資産として相当のリスクを抱え込む。

住宅を住み替えた世帯の71.2%は今までの住居を売却しており、そのうち86.6%の世帯で売却損が発生している(不動産流通経営協会「2005年度不動産流通業に関する消費者動向調査結果」2005年度)。売却した住宅の竣工年代別に見ると、一番損失が大きかったのは、1989年〜1993年竣工(築10年超〜15年以内)の住宅で、平均売却損益額はマイナス2824.0万円だった。また、1999年以降竣工(築5年以内)の住宅でも、平均1121.5万円の損失が出ている。

不動産投資の落とし穴

「ファンド数の増加は、オフィスビル、マンションなど組み入れ物件の過当競争につながって利回りの低下をもたらし、目標資産額も減少するなど、ファンドの小粒化をもたらしている」(田村賢司「年金運用が市場動かす」日経ビジネス2005年8月22日号117頁)。

「インカムゲインに当たる賃料は、物件の老朽化や周囲の環境変化で下落する恐れがあるし、物件の売却益であるキャピタルゲインも当然、下落の恐れがある」(竹下さくら「高利回り投資商品の「落とし穴」」日経ビジネス2005年8月29日79頁)。

競争激化

業態間、地域間の競争は激化する一方である。市場が拡大しない以上、同質な競争を続けていても消耗するだけである。ライバルと同じ市場で戦う限り、どれほど巧妙に戦略を練ったところで、いずれ消耗戦になる。競争相手が増えれば増えるほど、利益や成長の見通しは厳しくなり、市場は赤い血潮に染まっていく。

価格破壊を通り越したようなデフレの中で、採算割れも覚悟した厳しい価格競争を余儀なくされる。実際、家電製品(テレビ、エアコン、炊飯器、洗濯機、電子レンジ、冷蔵庫など)は、より良いものがより安くどんどんと値崩れを起こし、採算が難しくなってきている。

電機各社がこぞって製品や部品を増産した結果、在庫が積み上がり、2004年秋から販売価格が大幅に下落した。そのため、ほとんどのメーカー(ex.パイオニア、富士通)では、薄型テレビは赤字事業化している(木村秀哉「「新三種の神器」市場に異変」R25 No.39(2005)11頁)。

ソニーは、DVDレコーダーが前年比40%、大型液晶テレビが30-40%値下がりしたため、2005年3月期の連結営業利益を下方修正した(2005年1月20日)。パイオニアやビクターも業績予想を下方修正した(「メーカー薄利に泣く」読売新聞2005年1月26日)。

ソニーの2005年9月中間連結決算は、ブラウン管テレビの不振などで売上高は3兆2624億円(前年同期比1.6%減)、最終利益は212億円(同72.3%減)の減収減益だった(谷口崇子「<ソニー>ブラウン管テレビ、映画不振で減収減益 9月中間」毎日新聞2005年10月27日)。

東芝の2004年10-12月期連結決算では、デジタル家電の過当競争による価格下落や半導体の大幅な売価下落などで営業利益は93%減の9億円である(「東芝、営業益93%減」東京新聞2005年2月1日)。

三洋電機の05年3月期連結決算はデジタルカメラ事業の不振などで過去最悪の1715億円の最終(当期)赤字となった(田畑悦郎「<三洋電機>国内外で1万人超削減へ 今後1〜2年で」毎日新聞2005年7月1日)。


悪徳不動産業者

不動産取引は扱う額が大きいために金蝿や銀蝿がたかりやすい。不動産業界は参入障壁が低いので、他の職種ではNGの人でも務まってしまう。不動産業界にはブローカーや下請の介在もあり売り主の企業規模が大きくても安心できない。

不動産業界、建設業界には昔から余りいいイメージがない。犯罪や事件等を起こした人物の職業が不動産業とか不動産ブローカーなどと報道されることが多いため、社会的イメージはあまり良くない。不動産関係の人に怖いイメージを抱く人も少なくない。

不動産業界・建設業界は「本当に正しいのか」「ごまかしていないのか」と性悪説で考えなければならない業界である。以前からこの業界には様々な悪い慣習(談合、キックバック、手抜き工事)が多々存在していた。これほどに建前と実態が異なっては、消費者保護の観点から供給体制を抜本的に見直す必要がある。

悪徳不動産会社の特徴

成長限界に達した企業である。全ての企画は消費者への価値提供でなく、社内ニーズの充足が目的となっている。何よりも仕入れ担当、建築の人間、そして社長をはじめ、営業部長たちの頭が昔のままだから、新しい発想が出てこない。長年、前例踏襲型の活動にどっぷり漬かっていたため、現状を建設的に否定する自己否定ができない。ひたすら前例踏襲の頸木にとつながれていて、ジリ貧になっている。

バブル経済の後遺症を未だに引きずっており、不良資産が多い。年商の何倍もの借入金・負債を負っている。借入金は全てグループの親会社の債務保証がないと続行できず、保有資産の流動化・資金回収にやっきになっている。とにかく一刻も早く資金回収をしたいため、無理な販売を重ねている。

特に代理業は巨大な自転車操業のようで、リターンも少なく、来る日も来る日も営業し続けなければならなく、なかなか楽にはならない。トップに近いレベルから末端まで、ギリギリまで追い詰められており、お金のかかることは一切やろうとしない。無理に契約を取って信用低下を引き起こし、長期的には業績を落とす結果となる。

悪徳不動産企業は透明な四匹の怪物に支配されている。恐怖と不安と焦慮と疑惑である。この四匹が従業員の首筋に冷たく生臭い息を吐きかけて回る。

イエスマン体制

悪徳不動産会社は怒鳴ることしか能力ない役員、胡麻すり管理職、同級生、体育会集団、息子からなるイエスマン体制である。「見ざる、聞かざる、言わざる」で、裸の王様の機嫌だけ伺っていればいい。信念・自分の意見を持っている役員はいない。金でピラミットを作り、保身の考えしかない。「自分の責任を明確にしたくない」という態度が露骨である。

会社の将来性に対し、焦燥感もなければ危機感も感じず、職制が執念を燃やすのは異常なまでの労務対策である。これが彼らの企業活動の根幹である。何を言ってもだめな会社で、提言・提案すると首になる。与えられた条件の中で、ひたすら波風立てず、横並びして、疑問や不満があっても言わないことが無難という風潮にどっぷり漬かっている。

金儲けしか考えない集団で、問題が多く、内部告発が必要な会社である。上から高圧的に抑圧する過剰な管理主義で、「役立たずの部下を苛めることは上司の義務」と考えている会社である。異質な者や順応しない者にはレッテルを貼り、排除する。一般にだめな上司はだめな部下を選ぶ。自分に似ているからだ。違法行為が発覚すると個人の独断による不正行為に見せるための口裏合わせが行われる。

過酷なノルマ

キッタハッタの金の世界で、奇麗事は一切抜きで、稼ぎ高次第で評価する。売上をベースに評価されるため、チームとしての仕事意識は低い。会社の使命や意義を考える者はいない。自分の欲望の赴くまま、弱い者からの金儲けに走る。稼ぎが落ちれば、最初は同情されるが、間もなく軽んじられ、馬鹿にされるようになる。

上司は自分の成績を考えて、ひたすら部下の尻を叩く。「売るまで客宅を出てくるな!」がモットーになっている。毎日のように「見込み出せ!!」と怒鳴られる。理論や計算が無力な世界である。押しの強いのが評価された時代はもう過去のものになっているが、悪徳不動産業者の中では、まだまだ生き残っている。契約が取れない営業は上司から「買えよ」と命令され、マンションを強引に買わされるケースが多い。コストダウン、叫ぶ部長がコスト高。独り言、無視していたら指示だった。切れる人、今と昔で意味違い。

大量の退職

離職率は高い。この売れない時代に、上は売れた時代の考え方を変えないから、ついていけず、どんどん辞めていく。研修に参加すれば、おかしさがわかる。若い人が多いのは三〇前後の人が会社に将来性を持てずに辞めるからである。残る人は他に行く所がないから居残るだけである。

激務体育会系企業

激務体育会系企業である。身体を壊してまでサービスを提供する事が大事なのだろうか。「身体あっての労働」「健康第一」が労働者の根底にあるはずなのに、「身体壊してでも売りにいけ」と言われる。

従業員は新卒だろうと関係なく奴隷状態で超過勤務を命ぜられ、呆れて辞めていく。入社するとまず「家どこ?終電何時?」と聞かれ、その通りの勤務状態となる。休日出勤は頻繁にあるが、振り替え休日はない。一ヶ月休みなしなんてザラである。有給休暇は絶対に使えないシステムである。

裏社会との関係

ヤクザかぶれが多い会社で、強い者が偉いという発想に染まっている。「ひと暴れしようぜ」というのが合言葉になっている。土地を転がしていることを自慢気に話すアホさ加減にはゲンナリする。

バブル期に裏社会の人達とつるんで地上げをしたものの、バブル崩壊時に面子を保つためにそういった人達との関係を無理やり断ち切ろうとしてトラブルになり、今や仕返しの対象となっている。

仲介業者のバックマージン

デベロッパーが仲介業者に販売代理を委託するシステムが消費者の利益を損なっている。販売能力に欠けるデベロッパーは販売業務一切を仲介業者に委託する(販売代理)。これだけならば普通の契約であるが、彼らに間には裏の取引が存在する。例えば仲介業者の営業が契約をとる度にデベロッパーから担当の営業に数十万円支払われる。本社には正規の取引の収入分だけ計上し、裏の収入はポケットマネーとなる。

このリベート分は本来の物件価格に上乗せされ、実際より割高な価格として販売されている。しかも物件価格には既にデベロッパーが仲介業者に支払う委託販売の代金まで含まれている。このようなバックマージンがあるので、営業は必死になって売ろうとする(高橋達夫、悪徳不動産業者撃退マニュアル、泰光堂、2000年、96頁)。

法の無視

悪徳不動産業者は法律の境界線上を片足で歩くような真似をして利益をあげる。何でもカネの力で通ると考えている。それにもかかわらず、不正を正当化するために法律を持ち出す。悪徳不動産業者は法を嘲笑し、法の精神を汚す。都合の悪い手続は全く履践せず、徹頭徹尾無視し続ける。人に迷惑をかけないことより自分の権利・利益が優先、法律に書いてないことは何やってもいい、自分様に注意する奴はとんでもない、という発想である。そして自分が汚したはずの法の陰に隠れて不当な利益をむさぼる。

判例・学説には、積極・消極の対立する判例・学説が存するが、自社にとって都合の良いものしか引用しない。他の部分は自己の都合に合わせて削除、挿入、変更を加える。改竄という言葉がぴったり当てはまる行為である。自己に都合の悪いものに対しては、都合のいい理屈をつけて、完全に無視する。それだけでも、不当であるが、ご都合主義であるため、矛盾する場面もある。一方で、自己に都合の良い場合は、悪法であっても従えと言い、他方で都合の悪い場合は、当該法令を即刻改めよと主張する。

就職活動を行う学生の方へ

悪徳不動産業者の問題は、企業だけの問題ではなく、そこに働く人間の問題でもある。悪徳不動産業者に就職すると、法律・条令違反の仕事は当たり前で、不正など歯牙にもかけないような人格に作り変えられてしまう。会社に飼いならされ、会社でしか通用しない人間になる。就職当初のピュアな気持ちはすっかり忘れてしまう。まともな恋愛もできず、友達からも見放され、今後ずっと不幸な人生を歩むことにもなりかねない。

自分の時間を大事にするタイプや何かポリシーを持ってる人間には勤まらない。虫けらのような扱いをされる。休みなしの連日の飛び込み営業では思考能力も衰えてしまう。悪徳不動産業者にとって有能な従業員は必要ない。大人しく上司の命令や発想を実行に移すだけでいい。

分らないことを聞きに行っても馬鹿にされて終わり。問題が起きた時は全部自分に降りかかる。このような環境で働いていると人間が腐ってしまう。人間も植物も腐ってしまったら、元には戻らない。ダークサイドから戻るのは困難である。何があっても不思議ではない。墓の下の先祖を嘆かせることになる。

会社の方針を盲信(妄信)していると後で必ず裏切られた気持ちを覚えることになる。近隣住民や購入者からは一生恨まれ、人格が世間の常識と乖離した後、辞めていく。怨念のエネルギーにより、残りの人生は抑圧され、自由は奪われ、常に命の危険を感じながら生きざるをえないだろう。

人間には、見える世界と見えない世界というものがあって、悪徳不動産業者のような消費者感覚とは離れた職業に就くと、見える世界がどんどん狭まっていってしまう。次の就職先を探す時にも不利になる。あまりにも悪評が多い会社には何かがある。噂が立つのにも理由はある。しっかり調べて納得してから応募すべきである。

「人はパンのみにて生くるにあらず」という言葉がある(新約聖書「マタイによる福音書」)。人間には物質的な食物だけではなく、精神的な食物が必要である。人生をより有意義に生きるためには、経済的・物質的な目標とは別に、価値観や思いが必要であると考えています。悪徳不動産営業のように金儲けだけをエネルギーとして人生を生き抜ける人は非常に稀であると考えている。

「働く方々にとっては、賃金が同じであればどんな働き方をしてもいいということにはならない。「いかに働くか」が最大課題である。同じ質の労働力であって一定時間に成果を出す場合、合理的な働き方であるか、不具合な働き方であるかによって、本人の達成感には大きな違いがある」(奥井禮喜、労働組合とは何か、ライフビジョン、2005年、212頁)。

リストラ、倒産もあり得る。一年目の時は金の卵であったが、三年目になるとリストラでクビでは泣きたくなるだろう。

悪徳不動産企業で悩んでいる従業員へ

悩んでいるならばスパッと辞めた方が良い。自分のために働いていた筈が、いつの間にか組織のために働くことにすり替えられ、大事なものを犠牲にしてはいないだろうか。社内の人間関係の中で「じっと我慢の子」を強いられていないだろうか。社会常識と乖離した自社の殻に閉じこもっても何にもならないし、誤解を生むだけである。

不快感や自責の念に耐えながら働きつづけるくらいなら、辞めた方が余程気が楽になる。辞めて「やっぱり辞めるんじゃなかった」と後悔する人は聞いたことがない。死んだ組織にしがみつくのではなく、自分の足で生きる術を身につけて、外に飛び出て欲しい。自分自身の成長のために立ち止まり、振り返る時間を作る工夫をしよう。


悪徳不動産営業

ビジネスマナーは全くなっていない。営業のやり方があまりにも汚い。他の業種では考えられないような対応を平然とする。目配りもなければ目端も利かない。独身女性の客に対し、「何故一人なの。いい人いないの」「家を探すより、旦那をみつけた方がいいんじゃない」とセクハラまがいの暴言を吐く(木原和代、女性が安心してマンションを買える本、コモンズ、2000年、77頁)。

強引な販売

売りたい欲が強く、売るためには手段を選ばない。脅迫じみた電話攻撃や、モデルルームでの長時間における監禁、ストーカーまがいの営業を行う。その卑劣な手段には反吐が出る。目的のためなら、どのようなあくどい手段でも躊躇なく用いる。利益や儲けのためならどんなに汚いことでも平気で行う。嘘の塊で営業する。人に知られなければ何をやってもよいと思っている。バレなければ違法行為も辞さない。上役から命令されているだけの実行者でも、嫌々ではなく、出世のために率先として悪事に手を染める。

細かい説明は全くなく、買わせよう光線を発している。何とかうまいこと言って買わせようとする。自分からは不利な事柄を説明しないし、質問しても絶対、不利なことは言わない。肩書きを振りかざして相手をねじ伏せるような説明である。自分にとって具合の悪い質問には素っ気なく突き放す。加えて言葉が軽く乱暴でさえある。

大人同士、社会人同士の会話が成り立たない。何度言っても、のらりくらりと、ごまかすことしかしない。「調べて連絡します」と言うが、一向に連絡はない。腹が立って会社に電話したが、ほったらかしの状態である。

強引なセールス

悪徳不動産業者は組織的に強引な営業手法を展開する。夜遅く(22時以降)に「マンションのご紹介で・・・」と営業電話をかけてくる。他の従業員からも同じ内容で電話がかかってくる。「何時だと思ってんだ」と言うと「それじゃ明日の朝にでも・・・」と悪びれない。途中で聞いてるのがダルくなってきたので、「もう切る」と言ったら、「無理矢理切るなんて相手に失礼じゃないか」と逆ギレされた。仕事の時間が不規則だから、ファックスかメールでのやりとり希望しても、しつこく電話をかけてくる。

電話で「ウチは家が有るから要らない」と答えたにも関わらず、いきなり直接訪問食らう。しかもドアの向こうでは違う社名を言っている。ちょっと曖昧な返事をしてしまったら、直訪といって、夜遅くでも、ピンポンと夜訪する。突然家に訪ねて、他社の悪口を並べ立てる。他社の営業の人は必ず尋ねてくる前に連絡を入れるし、同業他社の悪口など決して口にしない。

いい加減な応対

お金にルーズ、時間にルーズな仕事が多すぎる。物件は小出しをして相手側の資産状況を確認する。相手によって金額(指値交渉)バラツキがある。建物が築40年以上前でも平然と高値をつけてくる。社内の情報伝達の在り方にも疑問を覚える。組織の風通しは悪く、従業員同士の横の連絡ができてない。

クレームには逃げてばかりで、若手の平従業員に対応させる。ペーペーの従業員で決定権は皆無のため、まともな対応はなされない。その場しのぎの口約束、責任のなすりつけ、謝罪もろくにできず、まともに話せる人間がいない。回答につまると開き直ることもある。電話の保留音は社歌で、客にまで、会社を洗脳させようとしている。

年始の営業日が4日からと留守電で案内されたので出向くとやっていない。店頭告知も3日までとしっかり表示されてるのに休みである。それでも日を改めて出向いて物件を見たいと言うと「物件の管理会社が休みで案内出来ない」と答える。いつなら案内できるとも言わない。おかしいと思い、こちらで調べて管理会社と直接話すと、「部屋は空いていません。退去の予定もない。ましてやこちらでは契約していないのでどういう経緯でページに記載されてるのかわかりません」と回答された。

別の物件を問い合わせをしたところ、「まだリフォーム中なので終わり次第ご連絡します」と回答。中々かかってこないので電話をしたところ、「他社がもっと高い値段で貸すので無理になりました〜」。連絡の一本くらいすべきである。顧客に伝える努力をほとんどしていないくせに、連絡先を探そうとして見つけられなかったと言い訳する。

いい加減な宣伝広告

ネットの不動産情報を頼りにあちこち内見などに出向いても、希望に合う物件がなかなか見つからない。そもそもネット情報がいい加減である。いい物件と思い問い合わせると「既に決まってしまって空いていないので他の物件を紹介します」。しかしその後もその物件のページは数ヶ月に渡り、更新されている。

他人の住居へ無断で入り込み、新築マンションのセールス、チラシのポスティングを行う(住居侵入)。 「もういらん」と叫びたくなるくらい、DMを送りつける。三日続けて同じDMが送られてきたこともあった。頼んでもいないのに大量に物件資料をファックス送信する。しかも資料はネットで掲載されている物件ばかりである。実際、個人情報取扱事業者を対象とした調査によると、不動産業は個人情報保護対策が最も遅れている業種である(アビームコンサルティング「個人情報保護法に関する企業の対策状況分析レポート」2005年、7頁)。

魅力のない物件

いくつかモデルルームを見学したが、惹かれるところはなかった。立地は好条件なのに、特長がなく、売ったら売りっぱなしという業者の体質がうかがえ、とても残念である。モデルルームでは、大きな鏡を使って、空間がたくさんあるように見せたり、小さな家具を使って、部屋を広く見せたりしていた。

間取りや設備は中途半端で特に惹かれる個性がなく、市場のニーズから外れている。デベロッパーは間取りプランを持っておらず、施工を丸投げしている。DENを作ったり、1階の天井高を上げてステップフロアにしたり、小手先の仕掛けはするが、基本は田の字のウナギの寝床。南面の半分しかベランダがないなど、どこかせせこましい感じがする。内装は何の変哲もない。

値段は強気である。コストパフォーマンスが悪くて買う気にはなれない。名前はあげないが、「これは酷い。これで4000〜7000万円の買い物をさせるつもり?」と絶句した物件も数限りなくある。まだまだこれから、という土地の割りには価格設定が高いところもある。マンション建設現場では、赤く錆びた鉄骨が目立つ。

内覧

作り手の神経を疑うような物件が目立つ。ぱっと見は綺麗だが、細かい部分はメロメロである。忘れちゃったとかのちょいミスではない。これだけのものが事前の検査で気がつかないんなら、検査の事実すら怪しい。明らかにおかしい、やってはいけないのを知っていながら施工している。一週間後に再内覧をしても何も改善されていない。

実際の間取りとパンフレットの間取りが反対で、コンセントの場所もパンフレットと異なる。キッチンの使い勝手は悪そう。壁紙や建具は明らかに安っぽく、部屋の壁・天井も出っ張った梁でデコボコだった。

建付け、クロスの張り合わせ等、雑なところは枚挙に暇が無い。クロスの仕上がりが、あまりにも雑である。波うっていたり、乾きが微妙なままクロスを貼っている。乾きが微妙な所は、将来的に結露やカビの原因になる。

バルコニーの壁はタイル張り仕上げが施されているが、ひび割れやタイルが欠けている部分がある。

閉まらないドアが二枚。玄関のドアが歪んでいるため、ドアを持ち上げて浮かせないと鍵が閉まらない。扉と扉の干渉もある。こっちの扉を開けると、こっちの扉が開けられない。

サッシは、レールが歪み、アルミがえぐられている。ベランダのフェンスを固定するはずのボルトはくるくる回っている。窓の養生無しで外壁吹きつけをしたために、フローリングに外壁吹きつけ時の塗料が霧状に付着している。

リビングの床は揺れる。床の上にビー玉を置くとコロコロと転がっていった。床には見たこともないくらいのキズがあった。床(フローリング材)と下地材との接着剤の塗りむら及び釘の打ち漏れ多数。防音、断熱もなってない。床は歩くと太鼓を叩いたような音がする。

騒音が発生する場所でも立地のマイナスを、建物がカバーしていない。土地の仕入れの時点で判っていたマイナス要素を無視して建てたマンションである。サッシや給気口には防音対策がなされていない。コンクリートの範囲が大きいにもかかわらず、それを支持する梁が少なく、コンクリートがバウンドし、音が振動となって階下に伝わってしまう。

二重床になっておらず、上の階の音がぼろい賃貸マンション並みに響く。水周りの場所を変えるなどの大規模リフォームの場合で、配管を引き直す時には二重床のほうが融通がきく。家族が生きていく上で必要な改造にも、物件は対応できなければならない。

オプション会

オプション会は割引と書いている割には値段が高めである。比較的高額なものばかり売りつけられる。誰もが新築購入を機にインテリア関係に金を使いまくるとでも思っているかのようである。他人の金はどんどん使わせないと損だとでも言いたげである。

フロアコーティングを8〜10年でしても、2〜3年後にははげてしまう。10年持つのは、床に家具が置いてある場所だけである。そもそもフローリングを張り替えるのとコーティングの値段はあまり変わらない。

トラブル対応

売るまでは異常に頭を下げるが、後は知らんぷりである。顧客はお客様ではなく、カモとしか考えない。最初から獲物を騙すことを目的に行動する連中である。従って物件も欠陥だらけである。変な物件を売ろうが、良心の呵責など微塵もない。欠陥物件を売りつけて、「ザマーミロ」とニコチンに毒された歯列をむき出しにして嘲笑する。「この問題を伏せておいたら、後々困るかも…」と思っても、平然と問題物件を売りつける。他人を苦境に追いやっても平気で、「お前の苦労なんぞ知ったこっちゃない」と嘯く。

説明不足は棚に上げ、一切の責任を客側の調査不足に責任転嫁する。一方的に話し合いを拒否したにも関わらず、マスメディア対策として口先だけは「相互理解」などとふざけた発言をして平然とする。事実を捻じ曲げ、自己正当化・既成事実化を図る。都合の悪い約束は全て忘却という名の川に流し、「言った言わない」の水掛け論にして誤魔化してしまう。細胞から遺伝子DNAまで嘘とホラで固められている。

悪徳不動産営業の人格

悪徳不動産営業には事実も真実も必要ない。自己満足さえあればよく、自分一人が納得できればよい。主観だけで生きられる人種なのである。自分の立場を客観視するという心理的な姿勢が完全に欠落している。都合の悪い言葉は理解しようとさえしない。いつもこせこせと同じことばかり考えている。言葉にも行動にも独創的なものは何一つない。勉強する意思は皆無で、重説に出てくる遵守(じゅんしゅ)を「ソンシュ」と読んで平然としている。

自分一人にしか真の関心がなく、他人は道具か障害物か、そのどちらかでしかない。悪徳不動産営業の歩いた後には犠牲となった人々の身体が累々と横たわっている。仕事に対する誇りは全く存在しない。道徳的に破綻しており、良心のかけらも感じられない。心のたがが外れている。悪徳不動産営業の人となりにはこれっぽちも共感できない。

悪徳が服を着て歩くと、悪徳不動産営業になる。悪徳不動産営業が演じられるのは悪人の役だけである。本来ならば人は社会的な害悪になってまで生き延びることが潔いとは思わないが、悪徳不動産営業は異なる。不正を躊躇させる良心や良識は全く機能していない。「渇すれども盗泉の水を飲まず」の対極の精神で、盗泉の水を喜んで、がぶ飲みする人間である。

微笑を浮かべながら、目だけは笑っていない。何とも形容しがたい粘っこい爬虫類の目である。生気はないが不潔な欲望は人一倍満ち溢れている腫れぼったい目。笑顔を浮かべて近づいて来るが、腹の中では何を考えているか分からない人の笑顔には妙な不自然さが伴う。冷静に観察すると、その視線には何かしら敵意のようなものが感じられる。血管に氷水でも流れていそうな冷血動物めいた不気味さがある。作り笑いには誠実さが感じられない。

気まぐれで何一つ信念を持たず、目先の利益や楽しみを追い求め、弱い者は利用し、強い者にはへつらう。爬虫類めいた不気味さを他人に見せつけ、それを武器にしているが、実態はただの卑劣漢、弱いもの苛めの卑劣な悪党である。言ってはいけないことを言い、やってはいけないことをやり、平気で他人の心を土足で踏みつけ、他人の心に傷をつける。

世のため人のためよりも自分のためが第一で、欲望は限りなく追求する。自己の懐を肥やすことしか考えていない。嫌なことは人に押し付け、わがままを押し通す。止まることや負けることは不幸を招き寄せることだと思い込んでいる。譲り合う気持ちはなく、譲るのは相手と決め込んでおり、自分の都合だけを押し付けてくる。他人の都合は頭からない。卑怯なことをする。ずるいことをする。恥ずかしいことをする。嘘をつく。正直ではなく、誠実でもない。

まるで何処かのテロリスト集団のようであり、この先何をするか分からないといった不気味さがある。自分に不都合であれば、感情を爆発させて襲いかかる。それが、どんな結果になるかを想像できていない。本能のままに突進し、とどまるところを知らない。

際限なく取り乱し、心底疲れきるまで平常心には戻れない。興奮のあまり、目が底から赤く光りだすほどである。かつて戦いの終わった戦場には必ず、そのような目をした狼の群れがうろついていた。JR福知山線のように列車自動停止装置(ATS)を頭の中につける必要のある人格である。

若造でもエラそうな態度をとる。鼻につく感じで気分が悪い。悪い奴ほど図々しい。毒素の塊であり、近寄って来るだけで、空気が銅臭を帯びたものに感じられる。下水にも似た耐え難い臭いである。悪徳不動産営業が退出すると、空気に清浄さが戻る。愛情に恵まれ、何の傷も受けずにすくすくと育った人間を妬む。

守銭奴

金銭が絡まない分野では途端に理解力が乏しくなる。通常は臆病なのだが、お金に関わることになると大胆かつ攻撃的になる。卑小な人間でも巨大な悪を為し得ることの実例である。「マンション販売の場合、営業マンはほとんどがリベートになっており、その率も高いため、彼らも売るためには何でもするし、何でも言うという状況になっています」(根来冬二、買ってから泣かないマンション選び、築地書館、2000年、24頁)。
東急グループの厳しい経営、悪質さ 東急コミュニティートラブル
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