Sendai仙台を拓いた伊達政宗の兜…
“弁慶堂”の立て札…宝物殿、金堂で少し疲れた気分で参道を下った…
すると、上りの際は気に留めなかった立て札が眼に付いた…
“弁慶堂”とある…

観光地によくある…観光地にはよくある、穴から顔を出して写真を撮るというものである…
これはあの武蔵坊弁慶である…

弁慶堂…
全国各地で源平の戦いが繰広げられた12世紀末、源氏の嫡流で後に鎌倉幕府を開く源頼朝の弟であった源義経は、自らの軍勢を率いて源氏陣営に加わって大活躍をした。京都の鞍馬山で育ったという義経が率いた軍勢は、恐らく京都周辺の無名の土豪や野武士や僧兵など、雑多な人々から成る傭兵部隊のような異彩を放つ軍団であったことであろう。平家が壇ノ浦で滅亡するまで、全軍の先頭に立つかのように華々しく戦った義経の軍勢に加わっていたと伝えられるのが、武蔵坊弁慶である。
武蔵坊弁慶なる人物が、実際に居たという記録はあるらしいが、この人物に関しては、複数の人物の活躍を総合して練り上げた“幻の豪傑”という感がしないでもない…京都の五条大橋で武士に喧嘩を売って刀を巻き上げるような真似をしていた折り、幼名の牛若丸を名乗っていた義経に出会い、以後は義経に献身的に仕えたという…誰もが畏れをなす怪力無双で、歌舞伎の『勧進帳』のように機転が利き、“立ち往生”という言葉が伝わるように鋼のような意志を持っている武蔵坊弁慶…
その武蔵坊弁慶の等身大と伝えられる約185センチの木像がこの堂に納められていた…

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