Sendai仙台を拓いた伊達政宗の兜…
弁慶が最期を遂げた古戦場…源平の戦いで目覚しい活躍をした義経と弁慶ら家臣は、戦いの後は京都に止まった。その際、当時の京都で“黒幕”的存在だった後白河院らは、義経の“取り込み”を図るかのように、彼に官位を授けるなどの行動に出た…
これが鎌倉に伝わると、義経を領袖とした、大きな力を持つ“非主流派”が台頭することが警戒されるようになり、義経は“お尋ね者”になってしまった…弁慶らは彼の逃走に伴い、『勧進帳』の挿話で知られるように苦心しながら、当時は未だ幕府の力が余り及ばず、“独立王国”の感も残っていた奥州へ至り、藤原氏の保護下に入る。
義経が奥州へ逃げ込んだことを聞きつけた鎌倉幕府は、義経捕縛の追っ手を奥州へ差し向けた。その追っ手の軍勢と、義経を護ろうとする人たちの最後の戦いが行われた場所が、弁慶堂から見下ろすことが出来る、このあたりだという…
観光客の談笑する声が途切れた時、武蔵坊弁慶の断末魔の叫びと、死して尚軍勢の前に仁王立ちする鋼の意志に戦慄する人々のどよめきが、時間を越えて聞えてくるような気がした…

一関駅にて思っていたよりも賑やかで、多少疲れたことは否めないが、武蔵坊弁慶が最後を遂げた平泉の歴史に触れられたような感覚が、非常に快かった…
些か間の抜けた経過で盛岡へ足を運ぶ羽目になり、そこで見つけたポスターや、案内所のスタッフから得た情報で偶然にも立ち寄った中尊寺であったが、もしかすると弁慶が招いてくれたのかもしれない…
そんなことを考えながら、一関駅へ戻って来た。新幹線ホームへ上がる広い場所に、郷土芸能で使うものと見受けられる龍が居た…

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