N君の話、離婚
6月のある日曜日、家に帰ると留守番電話に、なつかしい声が入っていた。
大学時代の友人N君である。彼は、2年前まで、隣りの国ベルギーのアントワープに仕事で駐在していた。夫人と一緒に、ヨーロッパの暮らしを満喫していて、日本に帰りたくないと、しきりにこぼしていた。
彼の結婚式の時は、私はすでにドイツに移っていて、出ていなかったので、夫人にはこの時、初めて会った。なんでも東京-大阪をはさんでの長距離恋愛の末、口説き落としだそうだ。
日本に帰国してから、彼からは、一回クリスマスカードが来ただけで、音信が途絶えていた。
一週間だけ、出張で再びアントワープに来ていて、ホテルの部屋から掛けてきたらしい。なんとか会えないかという、要件だった。
勿論、遠来より友来る、となれば何をおいても駆けつけるのが私の信条。
さっそく折り返し電話をし、火曜日に晩飯を食おうという事にした。
アントワープは、ベルギーの北部、私の住むロッテルダムはオランダ南部のため、すぐ近くである。ワロン語のブリュッセルと違い、フラマン語が公用語になっているアントワープでは、オランダ語が通じるので、なおさら遠くに行くという気がしない。
火曜日は5時きっかりに、仕事を終え、車でアントワープを目指した。
道すがら、彼が帰国後に寄越してきた、カードの内容を思い出した。
「元気ですか、私は再び独身になりましたが、元気でやっています。今年もベルギーに行く予定です。今度は連絡するよ、ムール貝を食おう」
文面から察するに、離婚したのか、別居中であることは明らかだが、会ったらどうやって切り出そうかなと、車の中で余計な気をもむ。
普通、旧友に会ったら、まずは、どうだ調子は、家族は元気か?最近XXと連絡はとってるか?という話から始まるからだ。
まぁ、いいか。奴に話させようと決める。日本では、離婚というと結構大騒ぎする筈である、やはりなんとなく、唐突に聞くのは憚られるものだろう。
そんな心配は無用だった。待ち合わせ場所近くのレストランに入って、腰掛けると彼は一気にしゃべりだした。「いやぁ、忙しくてねえ、今回も前もって連絡すればよかったんだけど、悪いな、急に呼び付けて。来週はこのまま、アメリカに出張なんだ。そんで日本に帰ったら、すぐ結婚式が待ってるんだ」
なんだ、こちらが気を遣って、離婚した事をどうやって確認しようとしてたのに、もう次の結婚式の話になっちゃった。前の夫人とは、日本に帰国してまもなく別居して、離婚したそうだ。子供もいなかったから、すんなり(かどうかわからんが)と別れた様だった。
彼が、特異なのか、それとも日本でも離婚が珍しくなくなってきたのか、判断できないが、確実に離婚が増えている事は間違いないらしい。
ヨーロッパの中でも北の方では、結婚して入籍すること自体の意味が希薄になっている傾向がある。
ドイツやオランダをみるかぎり、実質夫婦同様の暮らしをおくり、子供が生まれても、入籍しないカップルは結構ある。逆に、もう何年も別居して、それぞれが新しい恋人と生活を始めているのに、離婚していないのもある。入籍する前に一緒に同棲するのは、普通のパターンであるし、現に私も結婚する前には、半年間程同棲していた。
ふと思い出してみると、私の身の回りには、別居夫婦、離婚夫婦、未入籍の実質夫婦だらけだった。また、それを理由に社会生活で、不利を被る事はまずない。
私の場合は、子供が出来た場合の国籍問題が絡むので、迷わず入籍したが、安易に入籍しなければ、別れる時に簡単だという合理的理由には、思わずうなづいてしまった。
ドイツに来て、最初に借りたアパートの大家は、入籍していない実質夫婦だった。アパートの所有も共同名義になっているらしく、賃貸借契約は、両者連名になっていた。
2年後に、その大家が自分で暮らすからといって、追い出されてしまったが、その時には大家の相手の女性は違っていた。その間に破局を迎えたらしい。
次に住んだアパートの大家は、別居している夫婦。私の住んだ階の上に、夫の方が住んで、妻の方はどっか別の所にいるらしい。ところが、これも名義が共同になっているらしく、なにかと妻の方がでしゃばってきて鬱陶しかった。済み心地が悪くて、結局ここも引っ越す事になった。
その隣りの部屋に越してきた隣人は、上品な、中年のビジネスマンだった。
妻と別居する事になって、追い出されてきたという。立派なマイホームを建てるため、がむしゃらに働いてきて、あまり家庭をケアしなかったと自省していた。
豪邸を建てて、狭いアパートから移り住んで、家族も喜んでくれたが、その途端に家庭がぎくしゃくしてしまったそうだ。俺はなんのために、豪邸を建てたのかわかりゃしないと、酒を呑んでぼやいていた。
次に借りたアパートの大家は、私と同い年位の妙齢の美女であった。自分でそのアパートを買って住んでいたが、恋人が出来て今度は、彼氏のアパートで同居する事になった。アパートのローンも残っているから貸しに出したという。
じゃあ売ってしまえばいいと思うのだが、彼氏とうまく行かなかったときに、戻る場所は確保しておきたい(ってことは、俺は追い出されるのか、、、)と言う。でも、こんな美女なら私も同居したいな、と馬鹿な事を考えながら賃貸借契約書にサインをした。
そういえば、私の妻の両親も離婚して、別居している。
しかし、お互いに行き来しているし、普段は普通に接しているので、傍目には、何故離婚したのか不思議だ。でも、離婚して別居したから、冷静にある程度距離を置いて接しているようでもある。
こんな状況だから、別に離婚や別居の話、既婚者でも、新しい恋人が出来たなんて話は、気にしているときりがない。長くヨーロッパに住んでいるお陰で、次第に鈍感になってしまった。
今日、職場で今度採用するアシスタント候補者の、応募書類、履歴書、質問票に目を通していてひとつ気がついた。
質問票の最初の記入項目が、こうなっていた。(もちろん原語はオランダ語ですが)
氏名:
生年月日:
性別: 男/女
国籍:
婚姻: 既婚/未婚/同棲/離婚
さすが、婚姻の所は、さりげなく選択肢が4つ用意してありました。
1997年8月4日
©1997
copyright Hiroyuki Asakura