■ イスラエルによる第1次レバノン侵攻(リタンニ作戦)
1978年、イスラエルがレバノンに侵攻してきました。これはファタ・ランドを狙った攻撃で、レバノンを攻撃したというよりPLOを攻撃したのです。その際イスラエルは、レバノン人であるがPLOと戦っているレバノン正規軍のハダット少佐に目をつけ、同盟を結びました。 そしてイスラエルはこのハダット少佐の支配する南部レバノンを”安全保障地帯”と呼びました。これにより、PLOゲリラがイスラエルに越境して侵入する事が難しくなったのでした。
■ 1982年イスラエルの第2次レバノン侵攻(ガリラヤ平和作戦)
PLOが安全保障地帯を越えてカチューシャ・ロケットをイスラエル国内に撃ち込み始めると、イスラエルは北部のガリラヤ地方の安全を守ると言う名目で、再度レバノンに侵攻してきました。これについてはレバノン戦争をクリック
この作戦によりPLOはレバノンから追い出されたのですが、シリアは依然軍隊を駐留させレバノンを支配していました。イスラエルもこの作戦間にシリアと戦闘を行ったのですが、PLOを追い出すために侵攻したのであり、シリアと本格的に戦争を始めたわけではなく、シリア軍までは追い出してくれませんでした。
この時シリアはPLOと仲が悪く、イスラエルによって北部に追いやられてきたPLOと戦闘をし、PLO撤退に一役買いました。
しかし、PLOは追い出されたのですが、かわりにイランのホメイニ師によってレバノンに送り込まれたイラン革命防衛隊の指導でヒズボラが生まれます。シリアはこのヒズボラをイランと共にバックアップをしています。
■ ハダット少佐が病死
1984年、ハダット少佐がガンで亡くなってしまいます。これにより自由レバノン軍は消滅するかに思われましたが、レバノン政府からラハド准将が派遣され、政府の意向はどうあれ自由レバノン軍はイスラエルの傀儡になりました。 ■ 2000年イスラエル完全撤退
イスラエルはバラク首相が公約してきたレバノンからの撤退を実行に移し、ついに国防軍がレバノンから撤収しました。 イスラエルの庇護が外れると、SLAとしては今まで敵対してきたヒズボラと正面きって戦えるのか?自分たちだけで支えきれるのか?SLAはそれが無理なことは分かっていました。隊員達はイスラエル国防軍が撤退した後、身分を隠し潜伏したり、イスラエルへ亡命したりしたのです。 |