約束された満足 感動はどこへいった?
想像して下さい,最近どんなことで大変感動したか。なにもかもが予想された世界に飽き飽きしてはいませんか?
映画のTVCM では,ほとんど内容が知らされて,おまけに「これをみて感動しない人は変だ」とでも言わんばかりに大げさにいくつかのシーンを盛り上げてみせます。そしてその映画を見に行くと,すでにみたことのある「感動的な」シーンがスクリーンに現れるのです。海外旅行に行く時も,ガイドブックにはどこに「感動スポット」があるか,親切にかかれてありますね。それをわたしたちは追って,紹介された感動を追体験するのです。まさに満足が保証されているかのようです。しかしわたしたちは,それらのことから本当に深い感動を受けているのでしょうか?
わたしの経験からすると,答えは、いいえあまり,です。30ドル払っていったコンサートよりも,ウェアハウスで家具のセールを見つけたときのほうが,感動しているかもしれません。
では,わたしたちはどんな芸術やエンターテインメントに、満足するのでしょうか。それは,自分で探し当てた宝箱のようなものかもしれません。人に知られていない,自分だけの,突然の発見です。人が用意した,ある程度予想されたものではない、あなたの脳を心地よく刺激する良質の創造物。
わたしが日本に住んでいたころ,電車で一時間半かけて東京の中心部まで,単館上映の独立系映画をよく見に行ったものです。どこででもやっている,お決まりのパターンの大衆映画よりも,友達の誰もが見に行かないような,でもみる価値のある映画をわたしは好みます。
わたしの好奇心が,そうさせるのです。
このわたしたちの雑誌メランジュも,ある意味「人に知られていない」ちいさな世界です。この雑誌の発見を,宝箱と思うかただのガラクタだと思うかは,まったくあなたの自由です。満足も感動も保証されていません。しかしもしあなたに好奇心があれば,あなたの日常を揺るがすような言葉をこのなかで探してみてはいかがですか。
たかみね あかり