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売人における差別的分類

 (売人達の明日)

何故かは解りませんがひと頃まわりにやたら売人が多い時期がありました。
おそらく時代的なものもあったんでしょうが主流はやはりマリファナ(はっぱ)やハッシッシ(チョコ)、LSD(カミ-もともとは茶褐色のラクダの糞みたいなものだったけどガンガン出回ってた頃は紙に染み込ませたものが多かった)コカイン位で覚醒剤とかヘロインみたいにハードなやつはやはり専門の薬屋さんたちが扱ってたようです。
それ意外のブロンだとかハイミナールみたいな薬局系は本当の薬屋サンで普通に買えましたし、マリファナもイナカにいけばその辺に生えているモノでしたのでよくハイキングがてらみんなで取りに行ったものです。
価格的にも大体のものはリーズナブルで手に入り易く、少なくとも薬環境はいまよりずっとおおらかで当時は少なかったジャンキー達もそんなに殺伐とはしていませんでした。
個人的に言わせてもらえるならジャンキーを増やし薬系ヤクザ組織を肥え太らせた最大の元凶は無策無能な薬物政策と只の得点主義でしかない警察の無差別検挙に拠るところが非常におおきかったように思えます。少なくとも管理側にジャンキー出身者が一人もいないというあたりが日本の薬物行政の難点のひとつといえるでしょう。
ケース1
ミュージシャンの末路型売人
ケース2
松田優作型売人
ケース3
ヨガ行者的売人
ケース4(10/5)
ジャンキー(麻薬中毒者) ムラ
ケース5(10/13)
クロウリーの悪魔
new!ケース6(12/26)
付き合いのいい白鳥(アル中)
 

ケース1ミュージシャンの末路型売人

 

ヤマは米軍ハウスに棲んでいた売れないロッカーでした。
包茎短小のうえに才能にも恵まれていなかったヤマは仲間たちがバンドを組みやがてハウスを出ていく中、ひとり悶々とした日々をすごしていました。
でもかつてアメリカ人の女房と米軍相手に商売をやっていた経験の持ち主であったヤマは卓抜な英語力と基地内部の米兵たちとの太いパイプをもっていました。もう女房はとっくにヤマを見捨て子供を連れてさっさとステイツへ帰っていましたがその時知りあった米兵たちはすでに古参兵となり基地のなかでもそれなりのポジションについていたのです。貧乏性の彼女とともに日々の生活にも窮していたヤマがそのかつてのネットワークを生活の糧にするまでに、たいした時間はかかりませんでした。
商品を一番捌きやすくて後腐れのないはっぱとチョコにしぼり、知りあいのミュージシャンを軸にビシバシ売りまくりました。
ベトナムから空輸されるヤマの商品は新鮮で質が高く価格(よく末端価格ウン千万円といいますが、あれは考えられるかぎりで一番高い値段で全部売り切ったらの話です。実際には試供品を配ったり、顧客がパーティなんかを開くときには只であげたりしなくちゃいけないし、値段もヤクザなんかと違ってうんと安いもんですから実際は末端価格の10パーセントにも及ばないようです。)もリーズナブルで結構売れていましたが、保安面での苦労を思えばあまり効率のいい仕事ではありませんでした。

ある日ヤマが友人宅でのクリスマスパーティから家に帰ってみると玄関にやたらデカイ黒のビニール袋が山積みになっていました。
当然の如く中身ははっぱでした。おそらくクリスマス休暇を前にした米兵たちがなかばサービスのつもりでワザワザ配達してくれたんでしょうが、つい2〜3日前にガサ入れをくらい辛くもかわしたヤマにとってこれはとてもヤバイ状態を意味しました。
ヤマの最近の羽振りの良さに貧乏性をとおりこして守銭奴と化していた彼女はそのあまりの量にハイになって小躍りして喜びましたがヤマはそれどころではありません。すぐに仲間のバイヤーたちと連絡をとり、兎に角自慢のジープに積めるだけ積み、残りを裏の浄化槽を改造した隠し場所にたたっこみ即行で家をでました。なにしろ末端価格にすれば下手すりゃに届こうかって量ですから、この状態で捕まろうものならシャレでは済みません。仲間内でばらまき、できる限り早いうちに量を減らさないとまたマークされ、家には犬が放たれることでしょう。ヤマは必死でジープを飛ばしていました。道を選びできるだけ交通量の少ない暗いところを走っているうちにタマガワの土手沿いの道にでていました。するとこんな時間にこんな場所だっていうのになんだかクルマが詰まっています。「ナ、ナンデジャイ!!」焦るヤマの目にポリの大軍が飛び込んできました。検問でした。おそらくはよくある年末の飲酒検問だったのでしょうが、ヤマの脳裏に走ったのは朝刊を華やかに飾る自分の姿でした。ヤマはいきなりギアをバックに叩き込み後ろのクルマを撥ね除けスザマシイ音に驚いて集まってきたポリたちを尻目にそのまま一気に土手を下り川へジープを突っ込ませました。ジープはひどい音を立て水しぶきをあげ派手に揺れましたが守銭奴の彼女が大事な荷物を必死で押さえていたのではっぱ一枚落とすことはありませんでしたが、守銭奴はびしょぬれのアザだらけになりました。ジープもこんな使われかたをするのはベトナム以来だったでしょうが、川が渇水期であったのも幸いしなんとか向こう岸に辿り着くことができたそうです。でも商品がだぶついていたこともあり仲間うちに足下を見られたため苦労のワリにはさしたるカネにはならず、守銭奴の努力は水泡に帰してしまいました。此の一件は、ヤマにとって青春のデカイ1ページだったらしくこの話はいまだにヤマの自慢話になっています。今ではすっかり売人からも足を洗ってホソボソと印刷屋を営むヤマ。相変わらず生活はあまりラクとはいえないようですが一度もポリの世話になることなくヤクザと絡むこともなく終わったのだからラッキーだったといえるでしょう。そうそう、守銭奴だった彼女はあれだけの苦労のなか結局一度も大金を掴むことなく終わったせいか今はひたすら浪費家になってヤマの少ない稼ぎを容赦仮借なくビシバシ使いまくってるそうです。

 

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ケース2松田優作型売人

 

フクにとって松田優作は理想そのものでした。つね日頃彼のようにありたいと願うフクは仕草や口癖をマネ、同じようなファッションに身を包み優作が出演している全ての映画やテレビにチェックをいれ、メモまで取り、日々松田優作になるための努力を惜しみませんでした。
そのうち徐々に現実と映画の差が解らなくなってきたのか、新聞配達をやめ、自称探偵になって用もないのに歌舞伎町や新宿2丁目や3丁目界隈をうろつくようになっていました。
私と知りあったころはホモやストリッパーのパシリをやって生計を立てていたようです。

兎に角見えっ張りですぐバレルようなウソを平気でつく男でしたがどこか憎めないところがあり、そのうち仲間内のパンクバンドのマネージャーをやるようになっていました。勿論そんなもので生計が成り立つ程世の中甘く在りませんから、もっぱらライブハウスの売り上げをぱくったりした生きていたようです。
そんなフクが売人になるのにたいした時間はかかりませんでした。
売人になるケースで一番多いのが客がスライドしてなってしまうパターンでフクの場合は本当にそのままでした。
当時ブロンから初めて何故かシンナーにはまっていたフクはそんなもの少しアタマを使えばうんと安く大量に手に入ることにある日ふと気がついたらしく、それからは自分が売人となって街頭にたつようになりました。ただ、生来どこかアタマの足らないこの男は上野の駅前で修学旅行の学生にまで東京みやげだといって売りつけたりしたので警察よりさきに焦った地元のヤクザがフクをら致、事務所に連れ去ってしまいました。
あまりにも大胆不敵なフクのバイにあきれ果てたヤクザたちはフクに懇々と説教したもののなんの意味もないことにすぐ気づき、結局再教育して組の売人にしてしまいました。
しかしこの所為で一番迷惑を被ったのは当の組の人間達でした。組の売人になるを就職と正しく理解したフクはをもらったわけでもないのに家の保証人からカードの保証人揚げ句にサラ金の保証人までこの組の組長の名前を無断借用におよびしかも組から持ち出した顧客名簿を堂々と紛失しさらに警察に紛失届ま出だしてしまうという念の入れようで組を恐怖のどん底に叩きこみました
バイにまわっては組ですでに水増ししてある覚せい剤をまた勝手に水増ししてジャンキーたちの廃人化により一層の拍車をかけ友人関係者はいうに及ばず実の高校にあがったばかりのイトコまでシャブ中にしてしまうという鬼畜同然の所業にでていました。
そのうち団地のスーパーかなんかで実演販売でもやりかねないこの男に流石の組も恐怖しフクとの契約をフリーにし、更にインドへ行きはっぱとチョコの仕入れをしてきてくれと依頼しました。これにはいろんな含みがありました。この1年フクの活躍のおかげでガタガタになった販売ルートの建て直しと劣化した薬によってボロボロになった信用の回復、目立ちすぎたバイのせいでそろそろ押さえられなくなり始めていた警察の面目を守るためにも比較的うるさくないドラッグ系で新しいルートを開発する必要に迫られていたのです。
だがそんなものはただの建前で本当は使い込んでしまった上納金を誤魔化すための口実に過ぎませんでした。
もともと薬のようにハイリスクなものを扱おうなんて組は弱小団体であることが多いのです。従って彼らは自分たちの権益を守るために上位団体に上納金を収めることが通例になっています。その上納金が収められないということはそのまま組そのものの死活問題に直結します。
フクは松田優作の姿をしたイケニエでした。うまく薬を買ってくれば良し、駄目な場合はそのままなんでもかんでもフクのせいにして落とし前をつけてしまえばいいとこの三流の組は考えたのです。そんなこととはツユしらぬ我らがフクちゃんは組に100万円の支度金をもらって意気揚々とインドへと旅立っていきました。勿論インドでもフクのパワーは衰えるところを知りませんでした。大体フクはそれまで100万円なんてカネを持ったことなどなくそれはフクにとって非現実的なシュールな金額で彼の理解の範囲を遥かに越えていました。更にインドというお国柄も手伝ってか、いくら使っても絶対なくならない金額だとフクは思いこんでしまったのです。
フクはインドで考えられる限りの贅沢を尽くしました。一番高い服を買って何故かガンジス川で泳いでみたり、高級ホテルのスイートルームを一度に三部屋も借りてバクシーシオジさん(ようはインドのプーのことでバクシーシは物ごいをするときのおまじない)の大軍を泊めてみたり、およそ考えつくかぎりの得たいの知れない浪費を続けた結果、わずか一ヶ月位で100万円はきれいさっぱりなくなっていました。
その後の五ヶ月間フクがどこでなにをしていたのかはわかりませんがビザがきれる一週間程前になってどこで工面してきたものか一キロほどのチョコを旅行鞄の底に忍ばせてフクは日本に帰ってきました。
勿論そんなフザケタものが素通りできるほど日本の税関はあまくありません。その日フクは鞄を返して貰えず「後日取りに来て下さい」といった係の言葉を鵜呑みにし、呼びだされて出向いたところまんまと警察が待っていてそのまま帰らぬ人となりました。
フクの二年程前の写真がその日の夕刊テレビに大写しとなり関係者一同それではじめてフクの帰国を知ったのです。
すでに何度か警察に捕まっていたフクはきっちり実刑判決を受け一年半位ブタ箱に入ってましたが、規則正しい生活のおかげか以前よりずっと元気そうな様子で出所してきました。
暫くまたバンドのマネージャーまがいのことをしていましたが、出所してきたことがあの三流の組にバレた途端今度はヤクザに追われて日本中を逃げまくることになりました。ヤクザのメンツをかけての追い込みはそれは執拗なものでしたが、一年位逃げているうちに全てをフクのせいにして追い込んでいた張本人の組の幹部が突然交通事故をおこして死んでしまいました。流石に組としても追うための理由が無くなったのと、これ以上厄介なマネをするのに疲れたらしくフクは晴れて自由の身になることができたのです。さてその後フクはどうしているかというともう松田優作はやめたらしく一時は卑弥呼とかいうAV女優の彼氏をやっていたとか、AV男優をやっていたとか聞きましたが今はなにをやっているのか皆目わかりません。まあでも懲りない男のことですから相変わらず闇雲に元気なのでしょう。

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ケース3ヨガ行者的売人

 

サカはその時三十半ば位、スガモの住宅地でヨガ道場を経営していました。

まだまだヨガが珍しかった頃で、若い頃インドで一年程ヒッピー暮らししていたときに見様見真似で覚えてきたいい加減なハタヨガもどきでも、近所のオバサンたちは簡単に騙されてくれました。ただ日々続くオバサン達の世話と話し相手にすっかり嫌気のさしたサカはパトロンのオバサンと揉めたのをきっかけに商売替えをすることにしました。

ただ、なんの取り柄もなく然したる生活力もなかったこの男は、結局彼女を拝み倒してキャバレーなんかのショーをこなすようになっていました。しかしヨガの動きをとりいれたという彼らの不気味なダンスはキャバレーでの受けが悪くいつの間にかストリップで本番をやるようになっていました。

そのうちサカは自分のまわりの食えない友人達を集めてチームでストリップを廻るようになっていましたが、そのうちの一人が警察に捕まったのを契機に業界をやめ、ためこんだ資金で残った仲間達と事業を始めることにしました。メンバーはサカとサカの彼女、SMショーをやっていた若いカップルでレナとヒロシの計四人。(レナは中学生のときに五人の男に輪姦され以後生理が来ないというトラウマを抱えた女性で、ヒロシはアルバイトニュースで騙されて童貞のまま業界に引きずり込まれたというカップル。事務所の単なる都合で組まされたのがきっかけで、いつの間にか付き合うようになっていました。)

事業は思いの他順調に進んだようでした。
一年もしないうちに鎌倉に別荘を購入し、レナとヒロシのカップルも入籍を済ませ新居購入のためあちこちの物件を見て回るようになりました。
 だれもがサカの成功をうらやましがり、その事業内容を聞きたがりましたが、サカは多くを語りませんでした。
サカによれば浅草で仕入れた浮世絵の風呂敷がロスでスカーフとして飛ぶように売れ、大儲けしたんだというのですが、勿論そんな寝ぼけたヨタ話を信じるやつは誰もいません。
みんなが聞きたかったのはそんなに安くどこからヤクを仕入れているんだってことでした。でもそれはすぐに解りました。
ヒロシがタイアヘンを大量に所持したまま捕まったのです。即座に日本の警察も動きサカも少し遅れて逮捕されました。
当時タイは国際的な麻薬のマーケットで世界中の売人が集まる場所になっていました。タイ政府はその不名誉な状況を改善すべくかなり激しい条例を以て、懲りない海外売人たちに対抗していたのです。
タイ警察に捕まったヒロシが受けた判決は死刑でした。さすがにこれには傍観していたヒロシの家族も驚いて日本大使館に頼んで動いてもらったのですが無期懲役までの減刑がやっとでした。
うわさにたがわぬあまりの日本大使館の無能、無責任ぶりに愛想を尽かした家族が日本から送り込んだ弁護士の奮闘のおかげで刑期十七年まで減刑されましたが、それがタイ政府最大の譲歩でもありました。
日本で捕まった主犯のサカがわずか二年位で出てきたのにくらべればあまりにも過酷な処分でしたが、大国の都合で好きなように蹂躙されてきた歴史をもつ国が、自国の尊厳を守るために対抗できる数少ない手段のひとつだったのですからこれは仕方のないことかもしれません。

サカは出所してからは刑務所で取得した特殊車両の免許をいかし建築現場で働いているようです。当時二十五くらいだったヒロシが日本に帰って来るまでに後三年は残っている計算なんですが、でてきたときにいったいだれがヒロシを出迎えてくれるのでしょうか? 

当時の仲間たちもいまはバラバラになって連絡がつかなくなっていますし、レナもどうしているのか解らなくなって随分、日が経ちます。これがこういう人生を選んだものの末路といってしまえば、それだけのことなのですが、こんな季節になると時折、タイの刑務所で、ただただ時間が通り過ぎて行くのを待っているヒロシのことを思い出し、何とも言えぬ漫然たる思いにとらわれてしまうのです。

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ジャンキームラ

(今回はジャンキーのオハナシです)

ムラは仲間うちでは有名なジャンキーでした。

伝説によると小学生のときにはすでにブロンを極め、高校進学前にヘロインに手を染めていたというハナシまで伝わっています。
 ただ、一時期ヘロインにまで手を出していたワリにはムラの薬物依存性は低く、しかもジャンキーとは思えないほど律義で、それなりですが生活力もそなえていました。
 当時45才位だったと思いますが、面倒見もよくバイには一切手を出さないという彼のスタンスは周りにたむろしていた多くの行き場のない子供達の指標にもなりえたらしく、少なくともムラのまわりで重度のジャンキーになったという人間のハナシは聞いたことがありませんでした。
 確かに世間的には、いい年をして職も家もないような男でしたが、結構人気がたかく、彼のまわりには常に彼を慕う子供たちがとりまいていました。
 ムラは子供たちがヘロインに手を出すことだけは絶対に許さなかったといいます。ムラ自身学がなくボキャブラリーに乏しい男でしたから、あまり多くを語れません出したが、覚せい剤やコカインなんかに比べてもその禁断症状には雲泥の開きがあるそうで、その依存性には決定的な差があるというのです。
 ムラによればコカインは中南米の極貧の村を救ったが、アヘンは中国(清朝)を滅ぼしたというわけです。このかなり乱暴な表現もムラの朴訥な語り口だと妙に説得力が在り、多くの子供達のヘロイン汚染を防ぐ役割をはたしました。おかげで当時の仲間うちには深刻なヘロ中はひとりもいなかったのです。
 私が知人を介してムラと知りあったころ、ムラは彼にしては珍しく女を一人に絞って付き合っていました。しかも、その彼女のために新しくアパートも借り、借金を返すために貯金も始めたというのです。(彼女の本名はムラすら知りませんでした。なんとなくウサギに似ていたので仲間うちではラビと呼ばれていました。)

彼女-ラビはムラと出会う以前、重度の薬物依存に陥っていて、肉体も精神も生ゴミのようにグズグズになっていました。原因は家庭というものから生じる軋轢でした。詳しいことは解りませんが私の知るかぎりでも薬物依存の原因の多くが家庭に端を発したものであるので、それ自体は珍しいことではありませんでしたが、ラビの抱えていた状況はかなりひどいものだったようです。彼女はブロン中毒でそれも重症でした。すでに帰る家をなくし、日常的な生活もできなくなりはじめていたラビはもう少しでソープ系ヤクザに売られてしまうところだったのです。その寸前をムラに拾われ、それから献身的なムラの治療がはじまったのです。
 ムラは彼女のために家庭を作ってやりたいと言いました。彼女の身体からクスリが消えて、健康になったら、甲府あたりの農家を借りて子供をつくって小さな家庭を作ろうと思うと手に入れたばかりのハッシッシを燻らせながら、彼女との未来を語ってくれました。

 ムラはその資金を作るために事業を起こし、一発当てるつもりでいました。
 私のところにやってきたのもその協力を求めるためでした。
 ムラは取り敢えず名前だけの会社をつくりあちこちの仕事を取ることにしたのです。
 そして手始めにとある女性用生理用品の試供品を配る仕事を取ったのですが、ノルマ制で多量に配らなければいくらにもなりません。そこで一度ウチの倉庫にストックして、まとめて配ったほうが効率がいいと考えたのです。
 メンバーはムラとラビ、それにムラを慕うボウヤというゾク上がりの小僧でした。このうち免許を持っていたのはボウヤだけだったので運搬はボウヤの実家のステーションワゴンを使ってやっていました。ところが箱詰めの生理用品は貯まる一方で一向に配られる気配がありません。そのうち電話があり、箱詰めの生理用品は倉庫をタダで借りているお礼に貰って欲しいというハナシになり、ショウガナイので、知りあいの女が居る家に片っ端からあげようとしたのですが、なんだかみんなもう、ムラに貰った後だったんです。
 つまり、ムラは試供品は全て一度も配ることなくその広大な人間関係を駆使して、ハコごとばらまいていたわけです。あとでムラに言わせればそれは人助けだということでした。さすがにこんな商売がなが続きするわけもなく、やがてうちにも顔を出さなくなりましたが、伝え聞いたハナシでは一時期、NTTの下請けになったとかいって電話帳配ってたそうなんですが、(勿論これは下請けではなくてアルバイトといいます)やはり電話帳は一度も配られることなく古紙回収をやっていた知人にそのまま渡してしまったようです(ちなみにそのときは環境保護だといっていたらしい)。ごく当たり前のことですが此の仕事も長続きしませんでした(NTTに抗議の電話がはいってバレたらしい)。そのうちあまり連絡もはいらなくなり、たまのうわさ話でしかムラの様子は解らなくなりましたが、相変わらずラビと一緒にいるようです。今はもう五十代後半になっているはずのムラ。ラビも30位にはなっているでしょう。まだ甲府に農家を借りている様子はないのできっと東京の雑踏のなかに暮らしている筈です。今回のネタになってくれたことを感謝しつつ、二人の末長い幸せを願って筆を置きたいと思います。

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クロウリーの悪魔

クロウリーとはアレイスタ、クロウリーのことで有名な魔術師、クロウリーの悪魔とはクロウリーに傾倒していた有名なジャンキーのことです。

前回のムラの友人でも在った此の男はその異名どおり一筋縄では行かぬ男でした。
 当時彼こと羊はとある出版社で編集に携わっていたのですがほぼ羊一人のせいでその出版社は麻薬窟と化していました。マリファナや、ハッシッシ煙草がわりに常用していた羊は会社中にそれらをばらまき、若い編集者をかたっぱしから自らの麻薬窟へと引きずり込みました。
 その結果羊がやってきて二年もしないうちにその出版社はマリファナ解放区の様相を呈するようになっていたと言います。当時さすがにこれはマズイと考えた会社側が対抗策として嫌煙運動を始めたんですがするとテキはゲリラ化し、便所はいうに及ばず、トレスコのなかでまで常に一服がわりにマリファナやハッシッシをきめるようになってしまいました。
 それも入れ替わり立ち替わりで遣るものだから常に煙がもうもうと立ちこめている始末です。
 そんな状態でいかに嫌煙運動を推進していようとも一度便所にはいってしまえば煙草をすえない事務のオバサンまでがきっちりトリップ(死語)してしまうので手が付けられません。
 結局会社側の黙認と言う形で羊が此の会社をでるまでこの状態は続いていました。(羊がやめた途端此の会社はつぶれたんですけどね)
 此の社内で湯水のようにばらまかれたマリファナのでどころの大半は羊が出発点でした。
しかも羊は絶対にカネをとるようなマネはしなかったといいます。では此のかなりな量のマリファナを彼はどこから手に入れていたのでしょうか?
 答えは簡単です。
 羊は自分で栽培していたのです。それも公団住宅のベランダで堂々と。
 マリファナ-つまり麻-は一年草でかなり大きくなる(二メートル以上になる)成長の早い植物です。世話は簡単だと言われていますが、目立つし結構臭いもキツイのですぐにバレてしまうリスクがあります。
 かつてマリファナ解放戦線という組織が山手線沿線にタネを撒いたところ、その殆どが高さ三十センチにも満たないうちに大半が刈り取られてしまったと言います。(これは警察というより地域住民のタレコミによる成果といわれている)
 ついでにもう一つ例をあげると、私の友人の照明マンの、自宅屋上の菜園からどういうわけか麻が芽を出したことがあって、どうしたら隣近所や警察にばれないように育てられるだろうなんて真夜中に電話がきたことも在るくらい普通は過敏になってしまうものなのです。(かれは断腸の思いで刈り取ったそうです)
 それを羊は年中行事のようにいとも気軽になにも恐れずにせっせと育て、(それぞれ女の名前をつけて成長日記を克明につけていたそうです)やがて収穫し、部位別にわけ保存します。あとはそれを必要に応じてブレンドし知人、友人関係者にばらまくわけです。

さて、羊の特性はマリファナだけではありません。羊によればドラッグ類はもともと魔術修業の一環として嗜んでいるだけでそんなに大した意味があるわけではないらしいのです。

 そして羊のもう一つの修業とはSEXでした。羊はストライクゾーンが広く、生理がある間の女性は全て守備範囲にはいっていました。
 友達の奥さんだろうが、友達のお母さんだろうが、その娘の小学生だろうがおかまいなしというハナシでした。
 羊は(ちゃんと彼女とかいるのに)常に相手を求めて女と見れば取り敢えず「オメコせえへんか?」と一言かけてしまう男でした。一度ウチに遊びに来たときに(その時は男二人女三人子供二人で共同生活してたんだけど)女たちのまえでいきなり仰向けになってチンコをだし、手を触れずに勃起させたり縮めたりをはじめヤンヤの喝さいを受けていました。あと大技で顎の骨を強引にはずして口のなかに握りこぶしを突っ込むなんて言う荒技もあったけどそれとクロウリーとなんの関係があったのかまではわかりません。一説によれば今はディレクターをやっているというのですが、どうなんでしょう。

仕事面では質の高い仕事をこなせる人間ではありましたが、とてつもなくいい加減でギャラの遅配なぞ日常茶飯事でした。面倒見もいいんですがすぐに投げ出す飽きっぽさも備えていました。彼と仕事をした多くの人間が多大な迷惑を被りましたが、不思議と人気の高い男でした。一時期タモリの師匠格であったというウワサもありましたが、未だ元気で相変わらず女とみれば土下座してヤらしてくれ!とかいってるんでしょうか?たまに思い出すと私の原稿をなくしたことが脳裏にちらつきムカつきます。

付きあいのいい白鳥

白鳥さんはフィルムメーカーでした。
かの有名なイ××ジ××ラムの卒業生です。
ただ、当然ながら此れで、メシが食えるどころか逆に出ていくだけなので、彼女はその分ワリのいい仕事に励まなければなりませんでした。

もともと、こういった連中のなかでは人当たりの良かった彼女が選んだ職業はごく当たり前のように水商売でした。
それも銀座のクラブに籍をおいた彼女は同期の仲間達が肉体労働や、安キャバレーで大変な思いをして僅かばかりのカネを稼ぐのを尻目にブランド物の高級な服に身を包み颯爽と実習にあらわれて、男達の羨望と女達の嫉妬を浴びていたそうです。
でも、ソンナ外観とは違い彼女はとても仲間思いの付き合いのいい女性でした。
ある時勤めていたクラブでシャブが流行ったときもたかが付き合いで迷わずシャブに手を出し、勧められるままにバシバシ打つもんだから、あっという間に重度のシャブ中になってしまいました。ナントカ、警察の追及はかわしたものの、お店自体が手入れをくらってつぶれてしまい、ギャラが貰えない上に禁断症状で死ぬほど辛い思いを味わったそうです。
その時も日頃の付きあいがモノを言うのか、同期生で唯一カネを持っていた(ホストをやってました)男の子が30万円ぽんと出して白鳥さんを病院に入院させ、なんとかシャブから白鳥さんを救い出すのに成功したと言います。
やはり、持つべきものは友達というのでしょうか?
これで、やっとシャブは抜け、もともと意志のつよい女性でしたので、それ以降薬物関係はマリファナやハルシオンをたまーに嗜む程度に抑えていたのですが、アルコールだけはとうとうやめることが出来なかったようです。
 で、結局、30前の若い身空でアルコール中毒で再度入院することになってしまいました。
医者にこれ以上飲むと30までの命の保証が出来ないといわれ、流石の白鳥さんも今度ばかりはアルコールを断つ覚悟をかため、禁断症状と戦ったそうです。
医者がゆうには一ヶ月!それさえ乗りきればアルコールは全身から抜け、元の健康体にもどると言うのです。
仲間の応援もあり、白鳥さんは必死で禁断症状と戦いました。
全身から間断なく脂汗が流れる中、何故か身長5ミリ位の大名行列がお腹や、顔の上を練り歩くんだそうです。<シタニィ〜。シタニィ〜。>の声が耳にこびりついて取れなくなるとも・・。
今日は太ももの辺りからきたと思うと次の日はいきなりほっぺたから練り歩いたりするんだそうです。
眠れない夜が何度も何度も繰り返しました。
それでも20日程が経過し、そろそろ、大名行列の参勤交代数も目に見えて減ってきたころに白鳥さんは医者に質問しました。

「先生、あとどのくらいで退院できるんですか?」
「経過も良好だし、この分だと予定より4〜5日はやく退院できますよ!よかったですね!頑張った甲斐があったじゃないですか!」
「いえ、先生のおかげですよ。そうか〜、じゃぁ、来週には退院できるんですね。」
「そうですね。このまま順調にいけば、大丈夫でしょう。」
「イヤー、嬉しいわぁ!これでまたお酒飲めるんですね!」
「エ!?なにいってんですか?ダメですよ!いいですか!アナタはアルコール中毒なんですよ。一度アルコールが切れたからといって、それで直ったりするようなものじゃないんですよ。いいですか?今後、一滴でもアルコールを身体に入れたら、また元の木阿弥ですからね!絶対に飲んじゃダメなんですよ!」

白鳥さんはその夜、ソッコーで病院を脱走したそうです。
以来、深酒はしなくなりましたが、ソレなりには飲んでいるようです。
ソロソロ40位にはなっているはずですがまだ、死んだというハナシは聞いておりません。
多分、今日もどこかで元気に飲んでいることでしょう。
ところで、話かわって、この禁断症状のときに現れる大名行列なんですけど、実は別のアル中オヤジからも聞いたことがあるんです。
その人は<シタニィ〜。シタニィ〜。>があまりにもうるさかったので、そばに転がっていたスプレー殺虫剤をかけたところ<ブレイモノ!>と叱られたといっていました。
これって、禁断症状のときに現れるお約束みたいなやつなんですかねぇ・・?誰か知ってる人がいたら教えて下さい。

 
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